奈良山奥にポツンと巨大な「黒光りゴキブリ像」…会社視察、バスツアー、外国人で人口43人の過疎村が賑わうワケ
プレジデントオンライン / 2024年11月8日 10時15分
■奈良の山奥であの嫌われ者を偶像にしている寺
日常生活の中で、多くの人が毛嫌いする昆虫。それが、ゴキブリだ。その不快極まりないゴキブリを偶像にして弔う寺がある。20年以上前に、過疎の村に突如として出現した強烈な像は、いつしか地域の名物になり、外国人旅行者やアーティストの心を惹きつけてやまない存在になった。
その名も「護鬼佛理天(ゴキブリ天)」像は、奈良県上北山村の深い山中にある林泉寺に建立された。西には修験道の修行の場で知られる大峰山系、東は大台ヶ原の山々に囲まれた秘境である。上北山村は、かつて平家の末族が住み着いたことに始まると伝えられ、平家ゆかりの寺院が多数存在する。良質の木材を供給していたことから、江戸時代は将軍家の御用材所として栄えた。
戦後間もなく、熊野川の電源開発事業が始まり、この地域に4つのダムが建設されることになった。ダム工事に影響を受ける形で、1960(昭和35)年には人口3806人のピークを迎える。当時は林業も盛んであったが、近年は激しい人口の流出にあえぎ、2024(令和6)年10月現在では282世帯421人にまで減っている。
上北山村には4つの集落がある。その中でも最も人口の少ない白川という集落(旧白川村)に実際に足を運んでみると、ダム湖の斜面にひらけたわずかな土地に、28世帯43人(2020年国勢調査)の民家が点在していた。村内に商店の類は1軒もない。スーパーに行こうと思えば、車で1時間半ほどかかる街まで出ないといけないという。
白川集落は、高度成長期にダム(池原貯水池)の底に沈み、集団移転したムラである。池原貯水池はわが国屈指の多雨地帯、大台ヶ原を水源にして1965(昭和40)年に完成した。この時、9つの集落529戸が水没している。戦後の人口膨張と電力不足を背景にして、名もしれぬ山村が犠牲になったのである。
前置きが長くなったが、そんなダム湖と紀伊の山並みを背景にして、護鬼佛理天像は立つ。像高は166cm、重さ約1トン。ブロンズ製の現代アートである。2001(平成13)年に設置された。
デザインは、前衛的で風刺が効いている。ゴキブリの腹部には、近代的な都市が描かれている。つまり、「都市に寄生しているゴキブリ」の本来の立場を逆転させ、「ゴキブリに寄生している都市」にすることで、人間社会を皮肉ったのだ。
力士が力強く四股を踏んでいるようにも見える。その実、触覚の生えた頭部や背後からの造形は、ゴキブリそのもので、一見すると不快に思う人もいるかもしれない。だが不思議にも、雄大な大自然の風景に馴染んでいる。20年以上の年月を経て、しっとりとしたブロンズの質感になってきた。
■「ゴキブリは人間と共生できない。せめて成仏してもらいたい」
制作を手がけたのは彫刻家の天野裕夫氏。像には、天野氏による制作意図が記されていた。
《ゴキブリは地球上に現れてから3億年たつが新参者の人類がつくりだした都市を舞台にともに繁栄し 愛憎劇を繰り広げてきた ゴキブリの側の片思いの感は否めない ここにゴキブリの腹上に寄生する都市という逆転の構図を彫刻することで 我々の薄情さをうめあわせたいと思う》
なぜ、このような奇想天外な像が林泉寺に作られたのか。
発願(ほつがん)したのは、大阪市西区にあるビルメンテナンス会社の「その興産(現・SONO)」の創業者・南園良三郎氏だ。南園氏は隣村の下北山村の出身者であった。大阪で事業を立ち上げ、成功を収めた。南園氏は、ビルを衛生的に管理する中で、ゴキブリやネズミなどの不衛生な生物の出現に悩まされていたという。
そこで、建物の快適な環境づくりを提供する害虫駆除の専門部署を立ち上げる。一方で、ビル管理を通じて多くの命を奪ってきた事実に、申し訳ない気持ちが募り、ゴキブリに対する鎮魂の念が高まってきた。「ゴキブリは、人間とは共生できない。せめて成仏してもらいたい」。
南園氏は小学生時代の同級生であった林泉寺の住職(当時)・故児島真龍氏に相談。その場の酒の勢いも入って、「どうせなら、みんながびっくりするような供養塔をつくろう」ということになった。
児島前住職の妻の美穂さんは回顧する。
「最初は、夫と社長の“悪ノリ”で始まったんですよ。当時、私は『こんな像をつくるくらいなら、檀信徒さんが集える座敷の部屋でも作ってくれたらよかったのに』と愚痴をこぼしたことを覚えています」
会社関係者も「こんな意味不明なものを建てるんやったら、社員にボーナスを出してやれよ」と呆れ顔であったという。
最初は、自然石での一般的な供養塔を計画した。各地には、昆虫を弔う「虫塚」が存在し、それらの多くは自然石に「虫塚」「虫供養」などの文字が刻まれただけのシンプルなものだ。
だが、二人はどこか「面白くない」と思った。そこで、当時、新進気鋭のアーティストであった天野氏に依頼。天野氏も「この雄大な自然を借景にして、ゴキブリの像をつくりたい」と本腰を入れて制作にとりかかった。
護鬼佛理天像は、梵鐘の生産地でも知られる富山県高岡市の工房で、およそ1年間をかけて製作された。製作費はおよそ2000万円。運搬・設置費は別途1000万円ほどかかったが、その興産が全額出資した。
2001(平成13)年11月10日。開眼法要および除幕式が実施された。児島住職、南園社長、天野氏のほか、僧侶や檀信徒、地域住民、その興産の社員ら大勢が参列した。
南園氏は、像の前に「都市の衛生的な環境を維持するに共生の適わぬ生き物たちの鎮魂のためここに霊を合祀して永遠の安らぎを祈願する」との石碑を奉納した。
その興産の社員らは開眼法要のためだけに、奇抜な衣装を作ってきた。この日は、音楽家の演奏なども入り、普段は寂しい寒村も大いに賑わった。夜遅くまで酒宴が続いたという。
■黒光りのゴキブリが地元の貴重な観光資源に
像の設置をきっかけにして例年秋に、ゴキブリ供養祭が実施されることになった。強烈な話題性は近年、SNSを通じて、次第に広がっていく。害虫駆除を手がける会社の視察のほか、遠方からわざわざ護鬼佛理天像を見に村を訪れる若者がいたり、バスツアーが寺に立ち寄ったりするようになった。近年は、世界各地からも参拝客が訪れているという。
嫌われ者のゴキブリが、地元の貴重な観光資源に転じたというわけだ。
「当初は怪訝な目でみていた檀家さんも、次第に慣れていきました。それどころか、今では寺や集落には欠かせない存在になっています。若者は高校で村を去り、普段は何もない寂しいところです。村そのものが消えようとしている中で、人を集められるものがほしいというのが先代住職の強い思いでした。うちの寺だから、こんな奇抜な像が建てられたと思っています。この寺では、ゴキブリと共生しているかって? いや、それは無理ですね。躊躇なく駆除しています(笑)」(美穂さん)
児島住職や南園社長の思いは結実した。
児島住職は2014(平成26)年に亡くなったが、供養祭は続けられている(コロナ禍の間は中断)。折しも来年2025(令和7)年は、その興産(現・SONO)の50周年と、児島前住職の十三回忌の節目にあたる。林泉寺では、同年秋に盛大なゴキブリ供養祭を実施する予定だ。
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浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。
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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)
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