女性だけ複数のセックスパートナーを持てる…男性に何も期待しない「一妻多夫制の女系部族」のたどった末路
プレジデントオンライン / 2024年11月14日 18時15分
■インド、ケララ州の「他とは違うところ」
1968年7月のモンスーンが吹く朝、ロビン・ジェフリーは、インドのケララ州をバスで旅していた。現在はインドの現代史と政治学を専門に研究するジェフリーは、当時はインド北部のパンジャブ州で、教師として働いていた。
ケララの気候は湿度が高く、しばらくすると、バスの車内は蒸し風呂のような暑さになった。そこで、彼は最初のバス停で、換気をしようと窓の防水カーテンを開けた。
ふと気づくと、数メートル先のベランダで、白い服を着た老女が、汗もかかずに気持ちよさそうに座っている。彼女は分厚い眼鏡をかけて、何かを熱心に覗き込んでいる。片方の脚に立てかけた朝刊を読んでいるのがわかった。
その瞬間のことは非常に印象的だったので、今でもよく覚えているという。「心にしっかり焼きついています」とジェフリーは言った。彼にとって、少なくともパンジャブ州では、人前で現地語の新聞を読んでいる人を見かけるのは珍しかった。
■女性が一人で出歩くことができ、識字率も高い
インド全土の識字率は、当時の世界の多くの国々と同じく低く、女性の識字率はさらに低かった。老眼鏡をもっている人はめったにいなかった。ところが、この女性はのんびりと新聞を読んでいた。
「想像もしない光景だったので、今でも絵のように鮮やかに思い浮かびます」とジェフリーは語ってくれた。
インドの成人の識字率は、現在では人口のほぼ4分の3と、当時と比べてはるかに高いものの、多くの州では依然として男女格差が目立つ。だがケララでは、記録で見るかぎり、女性の識字率は男性とほぼ同じだ。現在は95パーセントを超えている。
草木に覆われたインド南西部の海岸沿いにあるケララ州は、女性が一人で出かけたり、比較的安全に心配なく通りを歩いたりできることで有名だ。
これは決してささいなことではない。私は活気に満ちた、埃っぽい首都ニューデリーのインド系時事雑誌社で初めて職に就いたとき、夜は友人や親戚と一緒でなければ外出すべきではないとすぐに学んだ。女性や少女に対してあからさまな蔑視の態度が見られ、それに対して、女性は現実的な対策を取るしかなかったからだ。
一方で、ケララは、男女の役割が逆転し、昔から女性が支配権を握り、息子よりも娘が大切にされる場所として、伝説のように語られていた。
■男女平等の道筋を作ったナヤール族
現在も、ケララは外部の人々から母権社会だと言われることが多い。実際には、ほかの地域と同じように、ミソジニー(女性嫌悪)の考え方や虐待が存在し、決して女性がすべての権力を握っているわけではない。まして低いカーストの女性たちには力はない。
だが、この伝説にはいくらか真実も含まれている。この州の男女平等に関する記録の少なくとも一部は、古くから続くナヤール族に起因している。ナヤール族は、かつてこの地域の一部を支配していた、カーストに基づく有力なコミュニティで、父系ではなく母系で先祖までたどれるように組織されている。
彼らは例外として扱われることが多いが、母系の傾向が見られる社会はアジアや南北アメリカ大陸に点在し、アフリカ中部には幅広い「母系地帯」が広がっている。母系的な社会が非常に珍しいのはヨーロッパだけなのだ。
母系だからといって、女性が優遇されるとか、男性が権力や権威のある立場に就かないというわけではないが、社会が母系的であるかどうかは、ジェンダーについてどう考えるかをある程度示している。端的に言えば、母系社会では女性の先祖が重要で、女の子が家族のなかで重要な立場にあると子どもたちに伝えることになるからだ。
また、女性の地位や女性がどれだけの財産や不動産を相続できるかも、母系社会なのかどうかによって決まる。
■母系社会の女性は家庭内暴力を受ける経験が少ない
2020年、カリフォルニア大学サンディエゴ校の経済学者サラ・ロウズは、コンゴ民主共和国のカナンガで、アフリカの母系地帯に沿った都市部に暮らす600人以上を対象に調査を行い、その回答と国全体で行われた人口調査や健康調査を比べた結果を発表した。その結果、「母系社会の女性たちは、意思決定の自主性が高く、家庭内暴力への容認が低く、さらに重要なことに、家庭内暴力を受けた経験が少ない」ことが明らかになった。
また、母系社会の女性の子どもは、そうでない子どもに比べて、調査が行われた前月に病気にかかった割合が低く、平均して半年ほど長く教育を受けていたこともわかった。
研究者らの推定によると、世界のほぼ70パーセントの社会が父方居住だという。つまり、父親の家族と同居する傾向にあるということだ。
■父親は自分の子どもではなく、姉妹の子どもの世話をする
一生を通じて母親の家族と同居や近居をする母方居住は、母系制と密接に関係していることが多い。そして、こうした母方居住の社会の少なくとも一部は、数千年も前から存在していたと考えられている。
2009年、何人かの生物学者と人類学者が科学雑誌『プロシーディングズ・オブ・ザ・ロイヤル・ソサエティB』に寄稿し、このことを証明した。遺伝学的証拠と文化的データや家系図を使って、たとえば太平洋地域の母系コミュニティの起源が5000年もさかのぼる可能性があることを、彼らは明らかにした。
当時と生活習慣は変化していても、母系制と母方居住という「スタイル」は、その地域の人たちのあいだに現在も息づいていた。
ジャーナリストのマドハヴァン・クティは、1991年に現地語のマラヤーラム語で執筆した回顧録のなかで、自身が生まれ育ったケララの母系社会の日常を詳しく描いている。この回顧録はのちに『かつての村(The Village Before Time)』という題名で英語に翻訳された。
ナヤール族では、結婚すると小さな核家族に分かれるのではなく、数十人規模の大きな母系大家族(タラヴァード)で一緒に暮らしていた。全員が一人の女性を祖先にもつ大家族だった。
兄弟姉妹は一生、一つ屋根の下に暮らした。女性は複数の性的パートナーをもつことを認められ、必ずしも性的パートナーと一緒に暮らしていなかった。つまり、父親は子育てで大きな役割を期待されておらず、むしろ自分の姉妹の子どもを育てる手伝いをしていた。
■女性の性的権利は男性と同等だった
巨大な母系大家族(タラヴァード)に生まれたクティは、彼の家の家系図には娘だけが記されていたと述べている。
クティの祖母、カルティヤヤニ・アンマはやがて、一家の家長になった。現地の習慣に従って、彼女は乳房を隠そうとはしなかった。「彼女の深い意識の底には、豊かな歴史が刻まれていた……この大家族の女家長は、不屈の精神と知性をもち、女性の自由について深く憂慮していた」という。
ナヤール族は、小さな取るに足らないコミュニティではなかった。社会的地位への関心が高いこのインドという国で、ナヤール族は高い地位を築いていた。
ケララ生まれの作家であるマニュ・ピライは、20世紀の中頃まで200年以上にわたってケララ南部に広がっていたトラヴァンコール王国の歴史を追い、「ナヤールの女性は、生まれた家に一生を通じて守られ、夫には依存しなかった」と著書『象牙の玉座(The Ivory of Throne)』で書いている。「彼女たちは夫を亡くしても、悲惨な状況にはならない。性的権利は男性と事実上同等で、女性たちは自分の身体を完全にコントロールできていた」。
■外部からの評価は「みだらな国」「感激した」
もちろん、内部の人たちにとって、これは世代を超えて続いてきた家族の生活であり、まったく驚くようなことではなかった。
だが、ヨーロッパから来た人たちは、ケララのナヤール族に出会って驚愕した。目の前の現実に驚いたというだけでなく、彼らが「普通」だと思っていた社会がひっくり返るかもしれないという創造的な可能性に、強い興味を抱いたのだった。
だが、ジャワハルラール・ネルー大学の女性学の研究者であり、ケララ歴史研究評議会の理事であるG・アルニマによると、憤慨した人もいたという。17世紀に、あるオランダ人旅行者は、ナヤールを「すべての東洋諸国のなかで最も好色でみだらな国」と書いている。
一方で、感激した人もいた。18世紀の末頃に、イギリスの若い小説家で奴隷所有者の息子だったジェームズ・ヘンリー・ローレンスは、『ナヤールの帝国(The Empire of the Nairs)』という恋愛小説を出版した。そして、ケララの例を挙げて、ヨーロッパの女性たちにも高い教育を受けさせ、複数の恋人を認めるべきだと主張した。結婚制度の廃止も訴えた。
■学者たちが頭をひねった「母系の謎」
しかし、どちらの反応を取ろうとも、外部の人たちはたいていナヤール族を変わった人々とみなし、父系制こそが普通の生き方だという考えを示した。母系社会は「野蛮」で「不自然」だと言われた。解明しなければならない存在だった。
今日でも、欧米の研究者は、戸惑いと驚きが入り交じった気持ちで母系制を論じている。最近の人類学の論文にも、母系制は矛盾であり、本質的に不安定な状態だと書かれている。
ケララのナヤール族のような社会を研究する学者たちは、70年ものあいだ、「母系の謎」という言葉を使ってきた。なぜ父親は自分の子どもではなく、甥や姪の世話に時間とエネルギーを注ぐのか。なぜ夫である男性は、自分の子どもや妻に対して義理の兄が影響力をもつのを許すのか。なぜ男たちは何世紀ものあいだ、変化を起こそうともせず我慢できたのか。
■外部からの影響を受け始めたナヤール族
ケララに変化が訪れたのは、19世紀のことだった。それは皮肉なことに、好奇心をそそられつつも苦々しく感じていた外部の人たちの考え方によるところが大きかった。
この地域を占領したイギリスの入植者らは、現地人のキリスト教への改宗を目指す宣教師らとともに、母系制を守るケララの人々に対して、ヴィクトリア時代のジェンダー規範に従うよう強制した。
「植民地主義は、現地人よりも心理的に優位に立とうとするあまり、支配国の道徳的な優位性をさりげなく、あるいは少々あからさまに主張せざるをえなかったようだ」と歴史家のウマ・チャクラヴァルティは書いている。
もともと、母系大家族(タラヴァード)のなかで年長の男性は、家族内の女性と権力を分かち合っていたが、19世紀のあいだにそうした状況は徐々に変わっていった。状況や年齢によって違いはあるものの、男性は単独で、揺るぎない権力を握るようになる。
植民地時代の裁判の判決は、母系社会を「文明化」することを意識していたため、母系大家族(タラヴァード)で最年長の男性の地位を引き上げようとした。それに伴い、家庭内の紛争が相次いだ。
1855年の裁判で、ケララ最大の都市で当時はイギリス直轄下に置かれていたカリカットの判事は、「女性だけに権限があるというのは……じつに乱暴な考え方である」と述べたという。
■女王に息子が生まれても王位を譲らなかった
女性が本来どのくらいの力をもつのが自然なのかという問題は、1810年にトラヴァンコール王国(訳者注:ケララ州南部に存在したヒンズー王朝)の女王ガウリー・ラクシュミーが即位した頃には、すでに持ち上がっていた。
女王は息子を出産すると、王位を息子に譲るよう求められたとマニュ・ピライは説明する。だが、女王は王位を譲ろうとせず、息子が統治できる年齢になるまで一時的に「摂政」という名の地位に就いた。それはほとんど意味のない称号だった。
イギリス当局が女王の権威を弱めようとしても、現地の人々は、彼女を正当な君主として当然のように受け入れ、女王の権威はなんら制限されなかった、とピライは指摘する。そして、それは女王の死後、その妹が王位を継いでからも続いた。
女王は公文書のなかで、通常はインドの藩王に与えられる称号である「マハラジャ」と呼ばれたほどだった。
父系制よりも男女が比較的平等な母系制のもとでは、「君主の性別はあまり意味をもたなかった」とピライは書いている。「重要なのは立場とその威信であって、国家や王家で最高の権威を振るう者がマハラジャとみなされた」。
■変化はゆっくりと忍び寄ってきた
とはいえ、数十年が経つうちに、ナヤール族の家族観の変化を求める圧力が狙いどおりの効果をもたらすようになる。教育を受けた若い改革者たちは、過去との決別を望むようになった。どうやら自分たちの伝統が、外部の人から見ると、後進的な恥ずべきものに見えるらしいことに気づいたからだった。
一夫一婦制の結婚や小規模な家族は、近代的なものとして徐々に受け入れられていった。文学や芸術にも、社会での女性の立場についての考え方の変化が表れるようになった。文化が変容し、それに合わせて、人々の自己認識が変わっていったのだ。
現在、存続をかけて試行錯誤しているさまざまな母系社会と同様、当時のナヤールの母系大家族(タラヴァード)では、変化は激しい嵐のようにやって来たわけではなかった。変化はゆっくりと忍び寄ってきた。
■母系大家族の終焉、一夫一妻制の採用
家庭内で誰を権力者と見るのが自然なのかについて、考え方が少しずつ変わっていった。植民地の支配層や熱心な宣教師の努力だけで変わったわけではない。現地の人たちの支持もあった。新しいやり方のほうが有利になると考え、共同世帯の終焉を、家族の権限、財産、富の一部を手に入れるチャンスだと歓迎する者たちがいた。
ジェンダー規範の変化には、法律の後押しもあった。アルニマによると、1912年には、トラヴァンコール王国で新しい法律が制定され、母系的な要素が薄まる。これは、今までは簡単に終わらせることができた男女のパートナーシップを、一夫一妻制の法律婚の枠に当てはめようとするものだった。
新たに夫という立場を得た男性は、それまでは自分の母親の家族と共有していた財産を、自分の妻や子どもに譲ることができるようになった。妻は離婚後に養育費を受け取ることができたが、それは「不貞行為」をしていない場合に限られた、とアルニマは言う。つまり、従来女性に認められていた性的自由は、事実上なくなったのだ。
変化はゆっくりと少しずつ起こったが、それが次第に積み重なっていった。やがて、インドがイギリスの支配から独立して数十年が経った1976年に、母系大家族(タラヴァード)にとどめが刺された。その年、ケララ州議会は母系制を完全に廃止したのである。
20世紀の末になると、かつて母系家族が暮らした広大な家屋は、荒れ果ててしまった。状態のよいものは売却され、取り壊されたものもあった。デリー大学の社会学者で、ケララでフィールドワークを行ってきたジャナキ・アブラハムは、その頃には母系大家族(タラヴァード)がほぼ完全に崩壊したと指摘する。
高齢の人たちは、昔は子どもを含む大勢の家族が同居していたと懐かしみ、「時にはクリケットチームができるくらいの人数がいたんだ!」と言う。いまや現存する家屋には、「わずか数人の老人が暮らし、多くの家屋は施錠され、周りに草が生い茂り、荒れ果てていた」。
ケララにおける母系社会からの移行は、心の痛みを伴いながら、1世紀以上をかけてゆっくりと進んだ。原因は1つではなく、必然でもなかった。
移行が終わりを迎える頃、人々は初めて失ったものの大きさに気づいたのである。
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オックスフォード大学で工学、キングス・カレッジ・ロンドンで科学と安全保障の修士号をそれぞれ取得。オックスフォード大学・キーブルカレッジ名誉フェロー。BBCやガーディアンなど英米の主要メディアに多数出演、寄稿。著書に『科学の女性差別とたたかう』『科学の人種主義とたたかう』など。
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(科学ジャーナリスト アンジェラ・サイニー)
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