廃墟寸前の市場に行列ができる…ポツンと1軒だけ残る「親子の小さな食堂」が地元で50年間愛され続ける理由
プレジデントオンライン / 2024年11月10日 17時15分
■一軒だけが「営業中」の看板を掲げている
兵庫県加古川市神野(かんの)。この辺りは団地や一軒家が並んでおり、加古川、姫路、神戸のベッドタウンだ。最寄り駅からのんびり10分ほど歩くと、心霊スポットと言われたら頷いてしまうような建物に辿り着く。1970年代に買い物客でにぎわいを見せた神野市場だ。
今では市場の面影はない。外観は鉄骨で覆われ、外壁がところどころ崩れている。この廃墟寸前の市場に、全国各地から人が食べにくるほど賑わっている食堂があると、誰が想像するだろう。
市場の中央部であるL字型の通路に入ると、唯一「営業中」の文字を掲げている「千成亭(せんなりてい)」が見えた。
水曜の午前11時過ぎ、店の引き戸を開けると、厨房の男性から「いらっしゃいませー!」と大きな声。店内に入ると、6畳ほどのスペースにカウンターとテーブル席が2つある。営業開始から間もない時間にもかかわらず、すでにカウンターとテーブル席には若い男性客が座っていた。筆者の入店後すぐに別の客が入って来て、店は満席になった。
■夫婦の店から、親子の店に
10種類ほどあるメニューのなかでも、一番の人気は加古川の名物「かつめし」の定食だ。サラダとパスタ、味噌汁、日替わり小鉢、漬物、デザートが付いて、値段は1200円。ご飯の量を選ぶことができ、値段は変わらない。大は450g、お茶碗3杯分となかなかのボリュームだ。
「今日は混んでいるほうですか」と女性スタッフに聞くと、「空いているほうです」と返って来た。週末になると店前に列ができ、20台ほど停められる市場の駐車場は千成亭に訪れる人たちで満車になるという。
厨房では、180センチくらいのプロレスラーのような体格をした料理人・千久谷武(ちくたに・たけし)(47)さんが中華鍋を振って、小気味よく音を鳴らす。一方、カウンターでは華奢な女性が水餃子を温めている。看板娘の母・千秋さん(76)だ。カウンター前に座る男性に「ごはんのおかわり、よそいましょうか?」と声をかけていた。
かつめし定食を食べ終えた若い男性客の1人が、「はぁ、しあわせ」とため息をもらした。今にも崩れそうな外観とは裏腹に、お店の中はどこかあたたかい。
千成亭は、今年で50周年を迎える。武さんの父・正文さんと母・千秋さんが立ち上げ、いまはフランス料理店のシェフだった武さんが厨房に立ち母子で営む。
この人気店の歴史は、「夫婦の絆」からはじまった。
■賑わう市場で掲げた2つの看板
1973年、鳥取県米子市出身のフランス料理店のシェフだった正文さんと加古川市出身の千秋さんは29歳と27歳の時に結婚した。「自分たちで何か商売を始めよう」と考えていた時、神野市場で小さなおもちゃ店を経営していた千秋さんの姉から「店舗にひとつ空きが出るみたいよ」と連絡を受けた。
当時ニュータウン開発が進む地域の台所として建てられたばかりの神野市場は、繁盛ぶりがすさまじかったそうだ。鮮魚店、精肉店、手芸店、ペットショップなど48店舗がひしめき合い、昼夜を問わず人通りが途切れなかった。
当時を振り返る千秋さんは1枚の写真を見せてくれ、「市場の催しで、タレントの大村崑が来たの。店の前のところで撮影したんです。すごい人の数でしょう?」と笑った。
市場を管理する地主と契約し、夫婦はうどん店だった厨房を作り替え、1974年8月に大衆食堂「千成亭」をオープン。
フランス料理店にしなかったのは、正文さんの判断だった。市内には団地が次々に建てられており、市場周辺には建築現場で働く人たちが多かった。田舎でフレンチを出しても売れないだろうと考え、「洋食和食 千成亭」「中華食堂 千成亭」と2つの看板を掲げた。
メニューの選び方は、お店の入り口のショーケースに並んだおかずから客自身が好きなものを取るスタイルを取り入れた。
■子ども3人を抱えてお店を切り盛り
正文さんの狙いは当たり、現場仕事の客たちがお昼になると食べにくるようになった。人が多すぎて、食材を運ぶ青果店が店内に入れず、2階の窓から運んでもらうほどの忙しさだったという。
「創業した頃、お腹に長男がいたんです。当時は出前もしていて、人を雇える余裕もなかったから、大きなお腹でよく働きましたよ。大晦日になると、年越しそばを常連に届けるために、お父さんはよくここで寝泊まりしてました。2人とも元気いっぱいの時やったからね(笑)」
その後、長女と次男・武さんが生まれ、ますます育児と家業に追われた。幸い、千秋さんの両親のサポートがあり、毎日車で隣町にある自宅から子どもたちを連れてきてくれた。休憩の合間に店でご飯食べさせ、連れて帰ってもらう。店を閉めて帰宅すると、子どもたちはスヤスヤと寝息を立てている、という生活が続いた。
■客は大型スーパーに流れ、市場は衰退
1980年には各地で大型スーパーマーケットができ始め、
いったいなぜ、正文さんと千秋さんはこの場所で営業を続けたのか。それは「好きで通ってくれるお客さんがいるうちは続けよう」と思ったからだった。創業当時から通う87歳の田代八重子さんは、正文さんと千秋さんのことをこう振り返る。
「ご夫婦でいつもニコニコされてね。私はおしゃべりだから、千秋さんとようさん話しますねん。うちの息子も正文さんになついとったんですわ。忙しい中やろうに、持ち帰りの惣菜を用意してくれたり、店先で正文さんが自転車のタイヤの空気を入れてくれたりね。ほんまお2人とも優しいんです」
■大黒柱を失った食堂
多忙の中でも、正文さんは早朝に息子たちと船に乗って釣りに行ったり、次男の武さんが所属していた少年野球団のコーチをしたりと、子どもとの時間を作った。千秋さんは懐かしむようにこう言った。
「子どもたちのためというか、多趣味なんですよ。日本犬保存会に登録して四国犬を育てたこともあったし、店の2階の物置きで蘭を育て始めたこともありました。何かに凝ってないとあかん人でしたね」
正文さんが体調を崩したのは、50代半ばの頃だった。
糖尿病と診断され、近所の医療センターに通院を余儀なくされた。だが、正文さんは一日も休むことなく厨房で料理を作り続けた。60歳になると医師から人工透析を勧められるほど腎臓機能が低下。その後、膀胱癌を患い、肺にも転移し、10回もの手術を受けた。
正文さんは入退院を繰り返すようになると、「母さんだけで営業できるように」と、餃子の包み方や簡単な料理を指南したそうだ。
「看護士さんに『千久谷さん、眠りながらフライパンを振る動きをしてるんです』って言われたことがありました(笑)。お父さんは、料理するのが本当に好きやったんです」
2019年の春、努力家で凝り性の、誰からも愛された正文さんは、闘病の末に75歳で他界した。
■以前の母を取り戻したい…息子の決断
正文さんが亡くなった翌年の2020年夏のこと。夫との店を守るべく、千秋さんは気丈に振る舞いながら一人で店を切り盛りしていた。ふと、自分の胸を触るとしこりがあることに気が付く。病院で検査を受けると、乳がんと告知された。しかも進行が早く、一刻も早く治療しなければならなかった。
抗がん剤で腫瘍を小さくすることにしたが、副作用が響き、千秋さんは眠れず、食欲も出ない日々が続いた。医師からリンパに転移する可能性があると診断を受け、腫瘍のある乳房を切除。
その後の経過は順調だったものの、目まぐるしい変化にストレスを受けたことで、いつもの明るい千秋さんではなくなっていた。店に貼り紙を出すこともなく休業し、家で塞ぎ込んだ。「誰とも喋らんし、もともと足が悪いのに出歩かない。食事も取らへんから、これはやばいぞって思いました」と武さんは振り返る。
武さんは父と同じ道に憧れて19歳からフレンチを学び、神戸市北野にあるフランス料理店の副料理長になっていた。母の変化は、彼の収入も安定し、着実に地位を築いている最中のことだった。
母が一番元気でいられることって何だろう? 父と過ごした店で働く母は輝いていた――。両親に店を継いでほしいと言われたことは一度もない。継ぐつもりもなかった。ただ、母に元気になってもらいたくて、思うより先に言葉が出た。
「このままじゃあかん。おかん、一緒にやろか」
ちょうど勤めていたレストランが新しい料理長に変わるタイミングだったため、「これは決断しろってことかも」と思い、退職届を出した。
■「フレンチをしていたプライド」の変化
いくら母のためとはいえ、今まで築いてきたフランス料理人としての道を閉ざすのには勇気がいったはずだ。「方向転換をするからには、自信があったのですか」と聞くと、武さんは首を横に振った。
「まったくありませんでしたよ。見ての通り、今にも崩れそうな場所です。正直、どうやろうなぁって(笑)。フレンチをしていたプライドもあったし、自分がやりたいことをしている実感もありませんでした」
武さんは今でこそ大きな声で、一人ひとりの客に「いらっしゃいませ!」「ありがとうございました」と言っているが、最初はまったく言えなかったという。気持ちに変化が起きたのは、常連客の行動がきっかけだった。
休業してから半年後の2021年の冬、武さんと千秋さんは広告を出すこともなく、ひっそりと千成亭を再開させた。
すると、父の代からの常連客が1人、また1人と店にやってきた。「店を開けることを言ってなかったのに、なんで?」と、武さんは不思議に思った。
「待ってたんや!」
「千秋さん、元気にしとった?」
「心配しとったで」
次々に現れるなじみの客たちは、安堵の表情で千秋さんに話しかけた。
どうやら客たちは、「今日はやってるかもしれない」と、店先をよく覗いていたようだ。懐かしい人たちとの再会に、千秋さんは涙ぐんだ。その後も、噂を聞きつけた地元客が来店するようになり、千秋さんは元気を取り戻していった。
■「料理するのにカッコいいも悪いもないな」
武さんは、昔ながらの客たちと言葉を交わすうちにやる気が湧いたそうだ。
「父と母の思い出話を聞かせてもらううちに、料理するのにカッコいいも悪いもないなと思えたんです。それに、ボロボロな市場の最後の一軒で美味しいものを作るほうがおもろいんやって。ここで頑張って、父のようになんでもできるようにならなって思いました」
千成亭の看板メニューである加古川名物グルメ「かつめし」は、創業当時、サブメニューで、それほど人気があったわけではない。メニューを前面に出したのは、千秋さんが1人で店を始めるための苦肉の策だった。
料理は素人だった千秋さんにとって、正文さんのようにちゃんぽんやチャーメン(中華そば)などを作ることは至難の技だった。だが、かつめしならば、正文さんから受け継いだデミグラスソースが残っている。家族が手伝い、事前にかつを下ごしらえできれば、注文が入ってすぐに提供できると考えたからだった。
お店を継いだ武さんは、「看板メニューならば、父の味をちゃんと出せるようにしよう」と考え、レシピを探すことにした。
■レシピの数値化で「父の味」を追いかける
だが、正文さんは紙に書き写す習慣がなかったようで、「しょうゆ、お玉いっぱい」「塩をひとつかみ」などとなぐり書きしたメモが見つかる程度だった。「どのお玉やねん!」「ひとつかみって、アバウトすぎるやろ」と心の中でツッコミを入れながら、父の味を探求する日々が始まった。
武さんは、料理に使われている食材や調味料を言い当てる絶対味覚を備えていた。子どもの頃から食べてきた父の料理は舌が覚えている……。けれど、分量まではわからない。
「作って試食を繰り返しながら、食材や調味料を全部数値化しました。『この分量なら同じや!』っていうのを見つけるまで、2年かかりました」
それだけでなく、父の味を守りながら今の時代に合うように改良。以前はかつとご飯の上に洋風のデミグラスソースをかけていたが、「ご飯と一緒に食べるなら、魚介のだしを加えた方が違和感がないはずだ」と考え、カツオ、昆布、サバ、アゴの出汁、味噌などを父が残したソースに加えた。このソースは大人から子どもの客まで「うまい!」と絶賛された。
また、かつは牛肉1枚を叩いて伸ばして揚げていたが、揚げた時にボリュームが出るように同じグラム数で2枚の肉を重ねて揚げることにした。かつめしが目の前に来た時に視覚でも堪能できるように、盛り付け方もこだわった。
こうして千成亭のかつめしは出来上がったのだが、この加古川のソウルフードを求めて、全国各地から人がやって来ることになろうとは、誰も想像もしていなかった。
■YouTube動画で大行列、パンク寸前
2023年のある日、若い男性が「こんにちは」と店にやって来た。彼は地元グルメを紹介するYouTubeチャンネルを運営しており、「密着で撮影させてほしい」と相談を受けた。
千秋さんはYouTubeの存在を知らず、よくわからないという理由で最初は嫌がった。だが、武さんが「せっかく店に来てくれたし、やったらええやん」と言って撮影を許可した。その動画は千成亭の仕込みから開店して料理を作るところまでが丁寧にまとめられており、現在100万回ほど再生されている。
動画が公開された翌日の朝、開店準備を始めた武さんと千秋さんは目を見開いた。店の前に長蛇の列ができていたのだ。当時の状況を、武さんの姉・祐里さんが教えてくれた。
「市場の駐車場が『中古車センターか?』って思うほどいっぱいなんです。これはさすがに手伝いに行かなあかんと思って向かうと、暇だった店に突然人が来たので、厨房もテーブルもバタバタです。お客さんが落ち着くころには、お昼の営業を大幅に過ぎていました」
その後、すぐにテレビや雑誌などのメディアに取り上げられ、千成亭は瞬く間に繁盛店になった。武さんが働いていたレストランの料理長からは「お前んとこの店、どないなことになってるんや!」と驚きの電話がかかってきたそうだ。
ただ、一気に注目されることで弊害もあった。メディアで「破格の値段でボリューム満点」と取り上げられることが多かったためか、客が「デカ盛りのお店」と勘違いして来店することが少なくなかったのだ。
「一般の人からしたら多いと思うんですけど、どんな方でもお腹いっぱいになって帰ってもらえるように、ご飯の量を選んでもらえるようにしてます。だから量をウリにしてるわけではないんです。もし多かったたらパックを用意しているので、持ち帰って食べてもらえたら料理人として光栄ですね」
■「見た目もやけど、お父さんに似てるなって思う」
千成亭は、定休日(月曜・金曜)もお店を開けている。人気店になったことで、気軽に来られなくなった人、千秋さんとおしゃべりすることを楽しみにしていた人に来てもらうためだ。
取材を受けてくれた50年来の客・田代八重子さんもその一人。せっかく山を越えて自転車で来ているのに入りづらそうにしている姿を見て、千秋さんは胸を痛めていた。
そこで、武さんはなじみ客に、「持ち帰れるような惣菜などを用意しておくので、定休日にぜひ買いに来てください」と声をかけた。それ以降、田代さんは毎週月曜日、料理を買いにやって来る。千秋さんとたわいもない話をしながら。
筆者が「年中無休で大変じゃありませんか」と聞くと、武さんは笑顔でこう言った。
「仕込みをしている間だけですし、母もうれしそうだからいいんです。昔からここはそういう場所でしたから」
姉の祐里さんは武さんのことを「父に似てる」と話す。
「父も努力家やったけど、この子も相当やと思います。味を追求して、お客さんにどないかして出してあげたいって思ってる。若い学生さんが来ると、『自分へのご褒美で食べに来てるかもしれんし、ご飯多めに入れたって』って言うんです。そういうやりとりを見てると、見た目もやけど、お父さんに似てるなって思う」
■「ここを残しながら、新しい店をやりたい」
現在の千成亭は4人のアルバイトが入り、1日4人体制で稼働中だ。外で待っている客には先にオーダーを聞き、テーブルに付いたらすぐ料理が運べるようにオペレーションを組んでいる。以前は夜の営業もしていたが、今はランチのみ。午前11時から4時間で、他は丁寧な仕込み時間に充てる。
それでも1日に客足が途切れることはなく、
だが、建物の老朽化は深刻だ。建物を補強しても、耐震に限界があるように見える。もし地震が来たら、誰もが一目散に外に飛び出すだろう。「このまま同じ場所で営業を続ける予定ですか?」と聞くと、武さんは2号店の構想を語ってくれた。
「地主さんに止められたらしょうがないけど、いろんな思い出がある店なので。ここは残しながら、新しいお店をやりたいです。お店は小さくてもいいですが、厨房と駐車場が広い場所を探しています。ここほどたくさんの車が停められる物件ってなかなか見つからないんですけどね」
■廃墟寸前の市場に、明るい声が響く
「この店がなくなるとしたら、寂しいですね」と千秋さんに言うと、キョトンとした顔で「別に寂しくないかな」と返ってきた。
「私も歳が歳ですから、いつまでできるかわからへん。どんな場所でもええけど、生涯現役。一生働くつもりです。お父さんはね、あの世で『うちの店、こないなことになってますねん!』って自慢してると思いますわ」
少し間を空けて、千秋さんがこう言った。
「息子が自分の味を超えたっていうのが、一番の喜びやと思いますよ」
「……超えてはないで(笑)」と武さん。「超えとるで!」と千秋さん。2人は愉快そうに笑った。
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インタビューライター
愛知県出身。大手ブライダル企業に4年勤め、学生時代に始めた社交ダンスで2013年にプロデビュー。2020年からライターとして執筆活動を展開。現在は奈良県で社交ダンスの講師をしながら、誰かを勇気づける文章を目指して取材を行う。『大阪の生活史』(筑摩書房)にて聞き手を担当。4人姉妹の長女で1児の母。
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(インタビューライター 池田 アユリ)
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