2歳児の言葉で「売れる」と確信した…過去3度大失敗した花王が日本初「家庭用の泡ハンドソープ」を発明するまで
プレジデントオンライン / 2024年11月14日 16時15分
■「もう一度やろう」
2002年のこと。花王でヘルスケア、スキンケア製品の開発担当をしていた大熊康資の上司が変わった。新しくやってきた夏坂真澄(のちに常務 現・啓明学園理事長)は着任してすぐ、大熊に話しかけた。
「大熊さん、うちのラインナップにハンドソープがないのはおかしい。やってみようよ」
大熊は「やる気のないやつ」と思われるリスクを承知したうえで、あえて反論した。
「夏坂さん、やってはみたんですよ。でも会社は過去3回、挑戦して、まったくダメだったんです。ハンドソープ市場はライオンの『キレイキレイ』がダントツです」
だが、夏坂は引かない。
「もう一度やろう。ダメだったら、やめる。まずはやってみようじゃないか」
花王は洗剤、シャンプー、ボディソープといったヘルスケア製品、化粧品などの総合メーカーで売上高は1兆5326億円(連結、2023年)。斯界の巨人だ。一方、ライオンは洗剤、石鹸、歯磨き、医薬品などを扱う優良企業で売上高は4028億円(連結、2023年)。
■最大のライバル「キレイキレイ」に勝つために
2002年当時もふたつの企業の立ち位置は同様だった。だが、手洗い用ハンドソープに関してだけはイラスト入りボトルで知られる液体ハンドソープの「キレイキレイ」が市場の半分以上を占めていたのである。
夏坂は大熊に「視点を変えて開発しよう」と言った。
「ハンドソープを必要とするのは誰なのか。もう一度、考え直してみようよ」
大熊は5人のチームを集めて、ブレインストーミングをした。その結果、商品の方向性は決まらなかったが、子どもがいる家庭と幼稚園、保育園を訪問して徹底的にリサーチしようと決めた。消費者が手洗いをする現場と実態を見てから開発に入ることにしたのである。
ここで言うハンドソープとは固形石鹸(バーソープ)ではない、液体もしくは泡状のそれを言う。
もともと日本では固形石鹸が圧倒的だった。だが、1996年、堺市でO157による学童の集団食中毒事件が発生、3人の児童が亡くなった。以来、手洗いの励行が言われるようになり、ハンドソープが注目されるようになったのだった。
そして1997年、ライオンは液体ハンドソープの「キレイキレイ」を発売した。
■「手洗いする子どもは2つのタイプがいる」
一方、花王はO157の集団食中毒発生前に、2回ハンドソープを開発、発売していたが、いずれも失敗だった。さらにライオンのキレイキレイ発売後、あわてて薬用ハンドソープを発売したが、結果は惨敗。キレイキレイを抜くことはおろか、近づくことすらできなかった。
つまり、夏坂が着任するまでは「ハンドソープ開発」は禁句とも言えたのである。そうした背景があり、大熊は捨て身で開発に望んだ。
「ダメでもともと、思いきってやるしかない」と覚悟を決めた。
大熊は自ら家庭と幼稚園を訪ねて、手洗いの様子を見て、さらにお母さんと子どもたちに質問して歩いた。
子どもはゼロ歳、1歳であれば親が一緒に手洗いをする。成長して、幼稚園、保育園に通うようになってからひとりで手洗いをする。
その日もまた幼稚園で手洗いを見ていた大熊はあることに気づいた。
「手洗いする子どもは2つのタイプがいる」
ひとつはお母さんや先生に言われて、嫌々、手を洗う子どもだ。子どもは手洗いよりも遊びが好きだ。早く遊びたいのに「手を洗いなさい」と言われて、渋々、従う子どもが半数以上だった。
■「泡を使って遊ぶ」光景にひらめいた
もうひとつのタイプは手洗いをしながら遊び始める子どもだ。固形石鹸を泡立てているうちに楽しくなってしまい、泡で遊び始める子どもたちがいたのである。自分の鼻に泡を付けたり、友だちに泡をふーっと飛ばしたり……。泡を使って遊ぶ子どもは手を洗う子どもよりも数は少なかったが、どこの幼稚園にもいた。家庭でも泡で遊ぶ子はいた。
様子を見て大熊は考えた。
「泡だ。子どもは泡で遊ぶ。子どもたちに泡のハンドソープを作ればいい」
この発見が日本で初めての家庭用泡ハンドソープに結びついた。それまでも泡のハンドソープは実在した。しかし、特別な場所でしか使われていなかった。夏坂、大熊チームは誰もが手軽に使えて、しかも手洗いが楽しくなる泡のハンドソープを開発することにしたのである。
「手洗いが楽しくなる」というコンセプトが決まるまでに半年かかった。だが、中身の開発にはそれほど時間はかからなかった。花王には石鹸やシャンプーを開発するプロは何人もいた。彼らは肌に優しい弱酸性の泡ハンドソープにすると決め、泡立ちのよくなる処方を開発した。
こうして中身は完成したのだが、大きな問題があった。それは泡を形作るポンプフォーマーと呼ばれる部分のコストがとても高くついたことだ。
■「新しい製造ラインを作ってください」
当時も今も、ハンドソープ1本の値段はせいぜい298円、398円といったところだ。しかし、当時、ポンプフォーマーの原価は1個が約150円だった。そうすると、新製品の泡ハンドソープ1本が500円以上になってしまう。キレイキレイの2倍の値段になってしまえば、売れるはずがない。
夏坂は考えた。局面を打開するため、花王と付き合いの深いボトルメーカーの吉野工業所の担当者と交渉することにしたのである。
夏坂は切り出した。
「今度の商品、泡のハンドソープは洗う楽しさを前面に出したもので、子どもたちが待っている商品です。確実に売れます。年間に5万個出ればいいという商品ではなく、初年度から50万個の出荷を狙います。ですから、新しい製造ラインを作ってください。原価を引き下げてください」
夏坂は大量注文に加えて、もうひとつ約束した。
「詰め替えのハンドソープはボトルで売ります。パウチ加工にはしません。ボトルの製造もまた御社にお願いします」
ハンドソープ、シャンプー類は本体の他に必ず詰め替え品を用意する。パウチ加工のほうが置き場所を取らないこともあって、当時から、パウチ加工の詰め替え品が少しずつ増えていた。しかし、夏坂はあえて「ボトルにする」と約束したのだった。
それは通常、パウチ加工の容器は印刷会社が製造することになっている。一方、ボトルであればボトル製造の吉野工業所が請け負うことができる。吉野工業所にとっても開発しがいのある商品になる。
また、ハンドソープは家族全員が使用するので頻繁に詰め替えが発生する。そして、規定量以上に溶液を入れると、容器内の空気のスペースがなくなり、泡がつくれなくなる。パウチ加工よりも量をコントロールしながら詰め替えができるボトルタイプのほうが便利だ。そこまで考えて、夏坂は吉野工業所に開発を頼んだ。
■発売から16年をかけて、ついに…
吉野工業所もまた本腰を入れることにした。製造コストの原価低減を図るために日本ではなく、タイにある工場に新しくラインを作り、そこでポンプフォーマーを生産することにした。すると製造コストは半額近くになったのである。
2年間の開発を経て、2004年、花王の新商品、泡ハンドソープの「ビオレu 泡ハンドソープ」がリリースされた。それまでハンドソープ市場はライオンのキレイキレイとレキットベンキーザー・ジャパンのミューズが占めていたのが、ビオレuは発売からまもなくミューズを抜き去った。
翌2005年、ビオレuは本体が200万本、詰め替えが500万個という大ヒット商品になった。
一方、キレイキレイも花王に追随して同じ年に泡タイプのハンドソープを売り出した。だが、主力は液体ハンドソープである。液体と泡の両種を合わせたキレイキレイの売り上げは本体で花王の3倍、詰め替えで5倍以上の差があった(2005年)。
ただし、泡に関して言えばビオレuのほうが圧倒的に多かった。その後もビオレuは順調に伸びていった。コロナ禍の2020年、ビオレuは初めてキレイキレイを上回り、本体1530万本を売り上げた。
現在、家庭で使われているハンドソープはほぼ泡タイプである。液体ハンドソープが使われているのは工場など業務用が多い。
■なぜビオレはキレイキレイに勝てたのか
ビオレuが消費者、特に子どもたちに受け入れられたことについて、花王の開発メンバーは次のように分析している。
1.市場にない泡タイプをリリースしたこと
洗いやすさと皮膚への刺激性が低い泡状にしたことが当たる要因だった。加えて容器のコストダウンのために海外生産を行ったことも挙げられる。
2.低刺激性の弱酸性処方にしたこと
それまでのハンドソープはほぼ中性の処方だった
3.楽しい使い方を広めたこと
幼稚園、保育園、小学校を訪ねて「楽しい手洗い教室」を実施した。また、子どもたちのために「手洗い歌」を制作。洗う楽しさをアピールした。
ビオレuのヒットもあり、常務になった夏坂は花王を退職した後、都下にある国際教育で知られる啓明学園(幼小中高)の理事長を務めている。夏坂は当時を思い出して、こう説明する。
「僕らは手洗い用の石鹸を開発したんじゃありません。子どもたちに手洗いの楽しさを体験してもらおうと思ったんです。
かつて3回、失敗したわけですが、僕らが開発する際、メンバーには『過去に失敗したからこそ、そこから学べば成功確率は上がる。あきらめずに頑張ろう』と伝えました。自分たちがなぜ失敗したのかを見つめて、それを解析しないと仕事はうまくいかない。そう言いました」
■「売れる」と確信した2歳児の言葉
私が思うに、日本初の泡ハンドソープ開発における教訓はふたつある。
ひとつはアインシュタインが言ったとされる言葉がヒントだ。
「同じ方法を繰り返して違う結果が出ると考えるのは狂気だ」
泡ハンドソープがリリースされる以前の3回の挑戦は「キレイキレイに負けたくない」というだけの追随作戦だった。同じような筋道で開発した商品が先行している商品に勝てるはずがない。花王のメンバーは視点を変えて開発したから勝った。
もうひとつの教訓はユーザーファーストを忘れないこと。売りたい商品を作るのではなく、客が欲しい商品を作る。これは商品開発の大原則だ。
幼稚園、家庭でリサーチした大熊はサンプル商品の回収中にある言葉を聞いた。それが忘れられない。
「発売前にサンプル商品を作って、ご家庭に使っていただきました。ある家庭を訪ねて、サンプルを引き取ろうとした時、そこにいた2歳のお子さんが悲しそうな顔でこう言ったんです。
『それ、持っていっちゃうの?』
あの時、私はこの商品は当たると思いました」
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ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』『トヨタ物語』(千住博解説、新潮文庫)、『名門再生 太平洋クラブ物語』(プレジデント社)、『伊藤忠 財閥系を超えた最強商人』(ダイヤモンド社)など著書多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。旅の雑誌『ノジュール』(JTBパブリッシング)にて「ゴッホを巡る旅」を連載中。
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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)
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