3位は「剣で処刑」、2位は「手を切断、絞首刑」、では1位は…中世ヨーロッパの処刑人がいちばん稼げた処刑方法
プレジデントオンライン / 2024年11月16日 18時15分
中世のドイツで行われていた処刑方法を描いた木版画。中央部では車裂き(車輪刑)という処刑が行われている。死刑執行人が首を切り落としている場面が描かれている。(写真=Lucas Mayer/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)
※本稿は、浜本隆志『拷問と処刑の西洋史』(講談社学術文庫)の一部を再編集したものです。
■処刑人と同席するだけで、街から追放されてしまう
死刑執行は古代のゲルマン時代においては、神の役割を代行する名誉な行為であり、処刑用の剣は、神の正義のシンボルであった。また処刑された罪人は神に対する供犠ともみなされていた。
しかしその後、中世初期まで職業的な処刑人は存在しておらず、被害者やその親族が刑を執行したり、あるいはその代行をしたりする役人(Fronbote)しかいなかった。中世ドイツでは、1276年にアウクスブルク都市法にはじめて処刑人が登場し、職業として拷問と処刑を行っている。
その後、14~15世紀ごろに、ケルン、マインツ、リガなど各都市に職業としての処刑人が生まれ、処刑以外にも自殺人、動物の死体、汚物の処理、娼婦の監督を任されていた。かれらの仕事は死や不浄なものに接触するものだったので、しだいに「不名誉な職種」に変化していった。
人を殺める職業柄、処刑人自身も罪の意識を自覚し、なかには職を辞して贖罪の巡礼をした記録が散見できる。たとえば15世紀のなかばに、ウルム出身のハンス・マウアーという処刑人は、神の思し召しによって罪深い仕事から足を洗い、ローマへの贖罪の巡礼にいく決心を述べている。
中世後期からかれらは、比較的高収入を得たが、社会の最下層の者として差別される傾向がますます強くなった。W・ダンケルトは『不名誉な人びと』のなかで、具体的な中世の差別の例を挙げ、日常生活のなかで処刑人は市民と出会うと、通りで道を空けなければならない、市場で食べ物に手を触れてはならない、教会すら特別の席に座らねばならない、市外の橋のそばに住まなければならない、というかれらの置かれた立場を分析している。
事実、バーゼルの職人は、1546年に刑吏と同席して飲んだというだけでツンフトから追放された。
■処刑人と結婚することで処刑を免れるケースも
刑吏は結婚も同業者同士の家系で行わなければならなかった。処刑人の家系はフランスではサンソン家が有名であるが、スイス、ドイツでも代々同じ家系で継承され、アングストマン(処刑人)、ドルヒャー(殺し屋)、フォルテラー(拷問吏)、テュヒティガー(懲らしめ屋)などと呼ばれた。
処刑人の飼っている動物ですら、牧場のそれと接触させてはならなかった。処刑人が死んでも、名誉ある人はその棺桶に触れると穢れるといわれてきた。
名誉を失った処刑人の身分とかかわるが、処刑される未婚の女性は、処刑人と結婚する場合にのみ命を救われた。これは都市法が定めた決まりであった。ただし二人は町を去り、女性は処刑人と同様に名誉を失った者として一生過ごさなければならなかった。しかし結婚難に悩む処刑人と、死を逃れたい女性の思惑が一致することがあり、結婚のケースはないわけではなかった。
たとえば1550年に、二人の処女が処刑されそうになったが、魅力的な女性だったらしく二人とも処刑人と結婚し、そのひとりは花嫁姿で人びとの前にあらわれた。当局は16世紀からこの法を廃止しようと試みるが、市民感情がそれを阻止し、1834年と1864年に、ドレスデンとマールブルクで処刑人と死刑囚が結婚した最後の事例がある。
■報復を恐れ、ヘルメットを着用
処刑人は差別されていたにもかかわらず、都市の公的な秩序維持のために不可欠な職業であった。とくに公開処刑の花形であり、かれらは派手な衣装で処刑場に登場した。
各都市それぞれの衣装が定められ、1543年のフランクフルトの衣装令では赤、白、緑の色によって、他の市民と区別している。特徴的だったのはミ・パルティという縞模様であり、これはフランスのパストゥローが『縞模様の歴史』で指摘しているように、目立つ色であったのみならず、排除され差別された人びとの服装の定番であった。
事実、死刑執行人が二人の助手を連れ、正装して処刑場に向かうところを描いた図が残っている。白黒では服の配色がわからないが、彩色版では派手な黄色の羽根、青い服、赤いマントと帽子という出で立ちである。
処刑人がヘルメットを着用したり、逆に死刑囚に目隠しさせたりする場合もあった。死刑囚の恨みを買わないようにするためである。ローテンブルクの「中世犯罪博物館」には、このヘルメットが展示されているが、処刑人が怨念による報復を恐れていたことがわかる。なおプロイセンで処刑人の名誉が認められたのは、フリードリヒ・ヴィルヘルム三世(1770~1840)時代の1819年であった。
■残酷な処刑方法であるほど報酬額は高い
都市法は処刑人およびその助手に対し、手当てを定めていた。たとえば、1743年のプファルツ選帝侯領の料金表には、このように記されている。
ここから明らかであるように、近世でも中世以来の残酷な刑罰の方法の伝統を継承していた。料金表は細部にわたっているが、極刑である車裂きと四つ裂きの刑が最高で、次に絞首刑、剣による刑が続く。
拷問から処刑は連続している場合が多く、刑吏はそのため何重にも手当てを受け取ることができ、高給を得ていた(19世紀末の資料であるが、1ターラーで12キロのパン、肉なら6キロ、シャンパンなら2本。プロイセンの中級役人の年収は100ターラー)。
■“闇医者”としても収入を得ていた
処刑人は通常、副業を行い、さらなる収入を得ていた。たとえば斬首の際に、傷口から大量の血が流出するが、見物している者は、先を争ってその血を求めた。
処刑人は容器で血をすくい、さらには布切れにそれを浸し、お金を取って販売した。その際、処女の血はもっとも高価で、ユダヤ人の血はもっとも安かった。市民は処刑人を差別していたにもかかわらず、なぜ血を求めるという行為に走ったのか。
この矛盾点についてK・B・レーダーの『死刑』によれば、処刑された者は犯罪人であったとしても神への供犠にあたり、その血は病気に対する治癒力を持つと信じられていたという。さらにその行為は、古代のカニバリズムや聖体拝領における赤ワインがキリストの血であるという解釈と繫がっている。
レーダーによると、1861年のハーナウにおける強盗殺人犯の処刑、1864年のベルリンの殺人犯の処刑の際にも、処刑人たちは多数の布切れに血を浸し、ひとつ2ターラーで販売したという記録がある。19世紀ですら、民衆の間では処刑された人の血が病気に効くという迷信が残っていた。
また、処刑人は日ごろ拷問を行う経験から、人体の構造に通じており、骨折や捻挫の治療など、闇ではあったが外科医としての仕事にたずさわった。かれらの治療技術は高く評価され、プロイセンのフリードリヒ1世(1657~1713)は、ベルリンで百人以上処刑したコーブレンツ処刑人を侍医にしていたほどである。その孫フリードリヒ大王(2世)も、1741年に処刑人に対して、骨折、傷病治療を許可した。
■死体の一部や衣服すらも販売していた
処刑人が治療したのは人間だけではなかった。
家畜の病気治療も行い、さらに処刑場の死体の一部、衣服、処刑の道具、釘、処刑台の木片、縄などをひそかに販売したり、薬屋へ卸したりしている。これらが各種の病気、難産、不妊に対して効果があると信じられていたからである。しかし、度を過ごした行為が制裁の対象となったことは、死体の皮をはぎ、なめし皮にしたシュトゥットガルトの刑吏が1573年に罰を受けていることからも明らかだ。
処刑人が作製したお守りも人気があり、みずから販売している者もいた。たとえば「17世紀のはじめに、パッサウの処刑人のクリスティアン・エルゼンライターは、戦場に出かける兵士たちに、秘密の文字を書いたり印刷したりした紙片を売った。それを肌身はなさず胸に入れておくと、殺傷、欧打、弾丸に対して不死身になる」(W・ダンケルト『不名誉な人びと』)という触れ込みである。
当時、民衆は直接、処刑人からアイテムを買うばかりではなく、夜陰にまぎれて処刑場にいき、みずから死体の一部を切り取ったり、衣服を盗んだりした。また処刑された男性が垂らした精液から、薬草のマンドラゴラが生えるとされ、人びとはこれを手に入れようとした。以上のような迷信は、公開処刑が消滅する19世紀後半まで、人びとの心のなかで生き続けていた。
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関西大学名誉教授
1944年香川県生まれ。専攻はドイツ文化論・比較文化論。著書に『ドイツ・ジャコバン派』(平凡社)、『鍵穴から見たヨーロッパ』(中公新書)、『紋章が語るヨーロッパ史』(白水Uブックス)、『指輪の文化史』(河出書房新社)、『謎解き アクセサリーが消えた日本史』(光文社新書)、『モノが語るドイツ精神』(新潮選書)、『「笛吹き男」の正体』(筑摩選書)、『ねむり姫の謎』『魔女とカルトのドイツ史』(ともに講談社現代新書)、『拷問と処刑の西洋史』(講談社学術文庫)など、共・編著に『現代ドイツを知るための67章』『ヨーロッパの祭りたち』(ともに明石書店)などがある。
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(関西大学名誉教授 浜本 隆志)
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