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なぜ佐々木朗希は今メジャーに挑戦するのか…長年の取材で見えた彼の野球人生に決定的に欠けていること

プレジデントオンライン / 2024年11月12日 17時15分

本拠地最終戦セレモニーでファンに手を振るロッテの佐々木朗希=2024年10月3日、ZOZOマリンスタジアム - 写真=共同通信社

11月9日、プロ野球ロッテは佐々木朗希投手(23)に対し、ポスティングシステムによるメジャー移籍を容認すると発表した。ライターの広尾晃さんは「メジャーで通用できると十分に証明しないまま、移籍する印象は否めない。だが、彼の野球人生を振り返ってみると、なぜ今挑戦するのかがよくわかる」という――。

■筆者が佐々木朗希と遭遇した意外な場所

2019年4月半ば、筆者は神奈川県川崎市の、あるスポーツドクターのクリニックにいた。当時「球数制限」の取材を続けていて「肘の側副じん帯再建手術=トミー・ジョン手術」の日本における第一人者であるドクターに、取材をしていたのだ。

診察室の前で待っていると、ドアが開いて見上げるような長身の高校野球選手が、指導者らしい男性と共に出てきた。彼が羽織ったウインドブレーカーには「大船渡」という刺繍があった。この年の春から、話題を呼んでいた大船渡高校のエース、佐々木朗希だった。付き添っていたのは大船渡の國保陽平監督。

ドクターは「書くなよ!」と筆者にくぎを刺した。

佐々木朗希は、この直前に行われた高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、非公式ながら時速163キロの球速を記録し、にわかに注目される存在になっていた。

大谷翔平を生んだ岩手県から、またもや超高校級投手の誕生か、とメディアは沸き立った。

しかし國保監督は、佐々木朗希の圧倒的な「出力の大きさ」と身体の「未熟さ」のアンバランスを懸念して、日本を代表するスポーツドクターの元を回り、入念なメディカルチェックを受けていたのだ。

■世界大会でもどこか手持ち無沙汰

専門家の見立てによると、「佐々木朗希の骨は、まだ骨端線が閉じ切っていない」とのことだった。

人の骨は、成長し続けているときには、先端部分に「骨端線」という骨の細胞が集まった柔らかい組織ができる。この部分が開いているときは、骨の成長が止まっておらず、骨は成長し続ける。「骨端線」が閉じると、これ以上骨は成長しなくなる。

一般的には「骨端線」は高校生で閉じるとされるが、佐々木の場合、まだ骨が成長し続けていたのだ。この状態で激しい運動を続けると、大きな故障をする恐れがある。そこで多くのドクターは「投げ過ぎないように」と國保監督、佐々木朗希にアドバイスしたのだ。

それもあって、國保監督は、2019年夏の岩手県大会の7月30日の花巻東との決勝戦では、佐々木をマウンドに上げなかった。大船渡は花巻東に負けて、甲子園出場を逃した。

國保監督は地元の非難にさらされ、退任を余儀なくされたが、後に「もう一度同じ状況になっても、同じ決断をするだろう」と語っている。

佐々木朗希は、甲子園には出場しなかったが、同年秋に韓国で行われたU-18野球ワールドカップの代表に選ばれ、奥川恭伸(のちヤクルト)、宮城大弥(同オリックス)、石川昂弥(同中日)、森敬斗(同DeNA)らと同じ侍ジャパンのユニフォームを着た。しかしここでも佐々木はわずか1試合の登板にとどまった。

筆者は現地で観戦したが、ひときわ長身の佐々木は、ベンチでも手持無沙汰な印象だった。

■佐々木にとってロッテは最高のチーム

10月のドラフト会議では、佐々木は「ドラフトの目玉」となり西武、楽天、日本ハム、ロッテとパ・リーグの4球団が指名する中、ロッテが指名権を引き当てた。

筆者はこの時、最高のチームに入ったと思った。ロッテはこの年から吉井理人投手コーチ(現監督)が就任していたが、吉井コーチは、筑波大学大学院の川村卓教授(当時准教授)のもとでコーチングなどを学んでいた。甲子園出場経験もある川村教授は同時に筑波大学野球部の監督でもある。大船渡高校の國保監督は、筑波大野球部出身で、川村教授の教え子だったのだ。

ZOZOマリンスタジアム
ZOZOマリンスタジアム(写真=Stantonharuka/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons)

逸材、佐々木朗希は引き続き「筑波人脈」の中で育成されることになった。吉井コーチはおそらく、他の指導者のように佐々木に無理な投げ込みはさせないだろうし、彼の肘や肉体の状況を十分にチェックして、プロのレベルに順化させていくだろうと思った。

果たして、2020年、1年目の佐々木は1軍でもファームでも試合のマウンドに上がることなく、体力強化とコンディションの維持に努めた。

翌年の沖縄、石垣島の春季キャンプでは、他の投手に混じって佐々木はブルペンで力強い球を投げ込んでいた。

■シーズン通して一軍選手だったことがない

しかしこの時期にはファンの中にはストレスを感じる人も多かったようで、ツアーでキャンプ地を訪れた老人は、取材パスをぶら下げた筆者を関係者と思ったのか、「なぜ佐々木を投げさせないんだ。甘やかすとろくなことにならんぞ」と険しい表情で言った。

2021年から先発投手として一軍の試合で投げ始めた佐々木は、2022年4月10日のオリックス戦で、1994年の巨人、槙原寛己以来史上16人目となる「完全試合」を達成。さらに次回の日本ハム戦でも8回までパーフェクト。異次元の活躍をし始める。

佐々木は優に100マイル(時速約161キロ)を超える速球を投げることができるだけでなく、落差、変化量が大きいフォークも武器だ。そして何より、ダイナミックなフォームながら、制球力が抜群で、ほとんど四球を出さない。いわば、投手として備えるべき「美質」をすべて持ち合わせていると言っても良かった。

しかしながら、佐々木は同時に万全なコンディションを維持することが難しい投手でもあった。

はじめて公式戦のマウンドに立った2021年は9回登録抹消されている。2022年は5回、2023年は2回と徐々にその回数は減っていったが、2024年は4回登録抹消された。

つまり過去5年、シーズン通して1軍選手だったことがなかったのだ。

■日本のトップ投手と比較しても少ない

NPBのトップクラスの投手は、シーズン2500球以上の球数を投げる。

佐々木が一軍デビューを果たした2021年以降の、パ・リーグ投手の最多投球数と、佐々木の投球数を比較しよう(図表1)。

【図表1】パ・リーグ投手の最多投球数と佐々木の投球数の比較
()内は当時の所属チーム(図表=筆者作成)

かつて、NPBのエース級は優に3000球は投げていたのだが、近年、球数は減少傾向にある。しかし佐々木は3000球どころか2000球を投げたシーズンもない。

2023年オフ、佐々木朗希にはMLB挑戦を目指し、広告代理店やマネジメントする人が就いたと報道された。そして2024年は、シーズンを通して活躍して、メジャーでも通用する投手であることを証明し、オフにポスティングで移籍を目指す、という佐々木の決意も報じられた。

今季の佐々木は、完全試合を記録した2022年に比べて、フォームが小さくなり、左足もそれほど高く上げなくなった。最高球速も今季は時速158キロ。昨年はNPBタイの時速165キロを記録していたから、明らかに「安全運転」を意識しているように見えた。

そして規定投球回数をクリアすることを目指していたのだろうが、それでも故障、不調の時期があって、キャリアハイの10勝は記録したものの、投球回数は111回に終わった。

■時期尚早という評価は妥当だが…

まだ佐々木は、NPBでさえもシーズン通して活躍できると証明できていないといえよう。

ちなみにMLBの今季、最多投球数はジャイアンツのローガン・ウェブの3201球(204.2回)、3000球以上投げた投手が10人いる。ブルージェイズからアストロズに移籍した菊池雄星も2923球を投げている。

もちろん、佐々木朗希のポスティング移籍は「マイナー契約」を前提としたものであり、いきなり3000球を投げることを求められるわけではない。

当初は登板間隔、投球数を調整しながら投げて、徐々に球数を増やしていくことにはなろう。

しかし本来、メジャーに移籍する選手にとってNPBでの登板は、メジャーで通用する技術、能力、体力を身に付けるための「育成期間」でもあったはずだ。

佐々木の場合、メジャーで通用する能力があると十分に証明しないまま、ポスティング移籍するという印象は否めない。時期尚早というところではないか。

しかしながら佐々木朗希自身は、大事に育成されすぎたあまり、ここまでの人生で「一度もチャレンジしていない」という気持ちがあるはずだ。

■WBCで見てしまった勇者たちの挑戦

夏の甲子園出場がかかった2019年夏の岩手県大会の決勝戦には投げることができなかった。プロ入りしても、1年目はファームも含めて1試合も投げず、一軍に帯同して大事に育てられた。そして2年目以降、マウンドに上がるようになっても投球数、登板間隔を考えて慎重に起用されてきた。

しかし、メジャーで成功するには冒険が必要なのも間違いないところだ。

大谷翔平は二刀流という前代未聞のポジションに挑戦して、2度のトミー・ジョン手術をしながら、前人未到の活躍をしている。彼のキャリアは冒険の連続だった。

大谷翔平
大谷翔平(写真=All-Pro Reels/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)

佐々木は昨年のWBCで大谷翔平とチームメイトになった。またダルビッシュ有からは、データを活用したメジャー流の投球を伝授された。ダルビッシュもMLBに移籍してから、トミー・ジョン手術を経験し、雌伏の時を経験している。

WBCの決勝戦でも、大谷はクローザーとして急遽マウンドに上がり、エンゼルスの僚友マイク・トラウトを三振に切って取った。佐々木朗希はこの冒険を目の当たりにしていたのだ。

トッププロスペクト(超有望株)として佐々木朗希は、周囲から大事に育成された。それがあって今の佐々木朗希があるのは間違いないところだが、彼にも「冒険をする権利」「失敗のリスクを冒す権利」がある。佐々木朗希は、その権利を今オフに行使しようとしているのではないか。

できればその思いを、訥弁でもいいから佐々木朗希自身の言葉で聞きたいと思う。気持ちを率直に吐露してほしいと思う。

そして5年間、佐々木を故障させることなくポテンシャルを発揮する舞台を与えてくれた千葉ロッテマリーンズ、吉井理人監督をはじめコーチ陣、さらには「TEAM26(千葉ロッテのファンクラブ)」の会員をはじめ、佐々木に声援を送ったファンに対しても彼自身の「肉声」で別れを告げてほしいと思う。

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広尾 晃(ひろお・こう)
スポーツライター
1959年、大阪府生まれ。広告制作会社、旅行雑誌編集長などを経てフリーライターに。著書に『巨人軍の巨人 馬場正平』、『野球崩壊 深刻化する「野球離れ」を食い止めろ!』(共にイースト・プレス)などがある。

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(スポーツライター 広尾 晃)

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