「インディアン」も「ジプシー」も差別用語ではない…異常な"言葉狩り"にアメリカ先住民族がついに声を上げた理由
プレジデントオンライン / 2024年11月18日 17時15分
■懐メロの歌詞が“言葉狩り”の標的に
ウド・リンデンベルクは、60年代の終わりから90年代まで大活躍したドイツのロックミュージシャンだ。ちょうどビートルズの時代と重なるが、英語が主流だったロックの世界で、自作のドイツ語の歌で一世を風靡した。現在78歳。まだファンは多く、断続的に活動しているようだが、日本で言うなら懐メロの世界かもしれない。
ところが今、突然、リンデンベルクの往年の歌をめぐって騒動が起きている。ベルリンのフンボルト・フォーラムで、11月16日、17日にコーラスのイベント・コンサートが開催されるのだが、その演目として、リンデンベルクの1983年の大ヒット曲『パンコー行きの特別列車』が入っている。そして、その歌詞の中に出てくる“Oberindianer”という言葉に主催者側が異常に反応しているのだ。
これに関しては少し説明が必要だろう。リンデンベルクの活躍した当時は冷戦の真っ最中で、西側の人間は、東ドイツの同胞がソ連の人質になっているという思いを持っており、東独の独裁政治批判に余念がなかった。この『パンコー行きの特別列車』も、リンデンベルクよる東独の独裁者エーリッヒ・ホーネッカーへの呼びかけで、歌詞は次のように始まる。
■独裁者を「インディアンのボス」と表現したら…
Ich muss mal eben dahin
Mal eben nach Ost-Berlin
Ich muss da was klarn mit eurem Oberindianer
(すみません、これはパンコー行きの特別列車ですか? 僕はそこへ行かなきゃいけない。ちょっと東ベルリンまで。そこで、あなた方の“Oberindianer(オーバーインディアーナ)”と話をしなきゃいけないんだ)
“Oberindianer”というのは「インディアンのボス」という意味の造語で、ホーネッカーを指す。つまりリンデンベルクは、ホーネッカーをこの言葉でおちょくったわけだ。
このあとの歌詞は、東独でコンサートを開かせてほしいというリンデンベルクの嘆願をユーモアと皮肉で綴(つづ)ったものだ。蛇足ながら、もし、ホーネッカーが本気で怒ったとすれば、下記の箇所だったかもしれない。
Du ziehst dir doch heimlich auch gerne mal die Lederjacke an
Und schliest dich ein auf'm Klo und horst West-Radio
(僕は知っているよ、あなたは心の底では僕らと同じロックのファンで、時にこっそり革ジャンを着て、トイレに隠れて西側のラジオを聴いているんだろ)
しかし、これらはすでに過去の話で、何の問題でもない。現在、炎上しているのは、前述の通り、インディアンのボスという言葉のみである。
■「インディアン」は植民地主義的?
ドイツでは昨今、一部左翼による言葉狩りがますます激しくなっており、「インディアン」も使ってはいけない言葉となっている。
例を挙げれば、21年3月、緑の党のベルリン支部総会の際、トップの女性政治家が「子供の頃の夢は、インディアンの酋長になることだった」と言ったのが党員から攻撃され、後日、涙ながらに謝罪するという一幕があった。記録ビデオからもその部分は削除された。
昨今のドイツではこの類の左翼思想が大手を振っており、フンボルト・フォーラム側も、「インディアン」という言葉は一部の人を傷つける可能性のある差別的、植民地主義的な言葉であるから使うことはならないと主張したわけだ。
では、フンボルト・フォーラムとは何か? これは、2020年にベルリンのど真ん中にオープンした総合文化施設で、ヨーロッパ以外の芸術品、工芸品を集めた美術館と博物館の他、さまざまな文化イベントの場になっている。ただ、実はベルリンは政治的に真っ赤な都市で、ドイツの芸術界、エンターテインメント界も、現在、完全に左翼の牙城となっているため、フンボルト・フォーラムも思い切り左に振り切れている。
■大昔の童話や小説が書き換えられている
しかも、文化を司っているのがクラウディア・ロートというガチガチの緑の党の古参議員だから、文化における極左のイデオロギーには歯止めがかからない状態だ。今では、大昔からの童話も、近年の文学作品も、次々に書き換えが進んでいる。
児童文学の『長靴下のピッピ』でさえ、「私のパパは土人の王様」という“差別用語”のため、すでにアウト。そして、40年前に東ドイツで禁止された『パンコー行きの特別列車』が、今、また、皮肉にも、検閲に引っかかっているわけだ。
ただ、今回のリンデンベルクソングのキャンセルに関しては、あちこちから無視できないほど反対の声が多く上がった。たとえば、やはり少し懐メロっぽいが、かつてのバンド「BAP」のボーカリストで、今も唯一活躍しているヴォルフガング・ニーデッケンが、「どんな形であっても検閲には反対」、「リンデンベルクを“差別主義”や“植民地主義”と結びつけるとはあまりにもバカげている」と抗議。
ちなみに、彼は自分の著作に、子供の頃の思い出として、「カウボーイとインディアンごっこ」を書いたところ、他のロックバンドの女性から、その文章を削除するように求められたという。
■ついにネイティブ・アメリカンが声を上げた
自民党のウォルフガング・クビキ議員は、フンボルト・フォーラムが国とベルリン市から潤沢な資金を受けていることを挙げ、本来なら芸術の表現の自由を擁護しなければならないはずのロート文化特別相の責任を問うている。
東独出身の歴史家フーバートス・クナーベ氏は、ベルリンのホーエンシェーンハウゼン記念館(東独時代に悪名高き政治犯収容所だった施設が、ドイツの統一後、記念館になった)の館長でもあった人だが、その彼も、「フンボルト・フォーラムはますます左翼急進派グループに発展している」とし、「フンボルト・フォーラムを運営している人間はこの役職から去る時が来た」と発言。
さて、話を『パンコー行きの特別列車』に戻すと、「オーバーインディアーナ」を適当な他の言葉で置き換えることだけはうまくいかず、「オーバーイーイーイー」にするというから、ますますバカげている。
ところがそんな折、ついに肝心の「ネイティブ・アメリカン」の会であるNative American Association of Germany e.V.が、「インディアンという言葉をキャンセルするのはやめてほしい」と声をあげた。
■この現状は「まさに植民地時代と同じやり方」
deutschlandfunkによると、「インディアン」の子孫の言い分は、「インディアンという言葉を人種差別的とされると、われわれは罵倒された気分になる」、「そもそもこの言葉は多くのインディアンによって使われており、これを禁止するのは、アイデンティティの喪失である」というもの。しかも、「インディアンという言葉を人種差別的と決めつけ、われわれの頭の上を素通りして禁止するというのは、われわれの意向を無視しているという点で、まさに、植民地時代と同じやり方だ」
この厳しい批判により、フンボルト・フォーラムの主張は完全に空回り。なお、リンデンベルク自身が、一貫して何も発言しなかったのは、最初から、この論争をバカバカしいと思っていたからに違いない。
ただ、このキャンセルカルチャーは、すでに思いのほか、人々の心に染み込んでおり、前々より反発している私でさえ、それに影響されていると思うことがある。
たとえば、先日、ライプツィヒの歌劇場で『カルメン』を見たのだが、歌詞の中に、今は使えなくなっている「ジプシー」という言葉が頻繁に出てくる。しかも、舞台上のジプシー集団は、当たり前のように家業の密輸を営んでいる。こうなると、オペラを鑑賞しながら、「大丈夫かな?」「苦情が出ないかな?」などという邪念に襲われてしまうのだ。ちなみに現在は、「ジプシー(ドイツ語ではZigeuner/ツィゴイナー)」の代わりに、「ロマ」と「シンティ」という名称が使われている。
■パンフレットに書かれていた“真意”
しかし、興味深かったのは、購入したプログラムを帰宅してから読んだ時のこと。そこには、ライプツィヒ大学の音楽社会学の研究者、ヴォルフガング・フーマン教授の短い寄稿があり、このカルメンの公演において、オペラ座の舞台の上方に表示される対訳に、「ジプシー」という言葉をそのまま使っている理由が記されていた。
この言葉はもちろん、「ジプシー」の迫害の歴史、特にナチ政権下の収容所での2万1000人にも上るジプシーの殺害などと深く結びついており、カルメンが歌うように「恋はジプシーの子」、「私が惚れたら御用心」などという明るいものではない。ただ、言葉を変えただけで、歴史が修正できるというのは偽善であるというのが、フーマン氏の論考の趣旨だ。
■白人の優越感と差別意識の裏返しである
さらに、ここに添付されていた、2009年のノーベル文学賞の受賞者であるヘルタ・ミュラー氏の言葉が印象的だった。ミュラー氏はルーマニア系のドイツ人で、ソ連占領時代のルーマニアにおける少数民族の迫害などについての作品があり、当然、チャウシェスク政権下では反政府作家として抑圧されていた。同政権崩壊の2年前にドイツに移住し、今はベルリン在住。ちなみに、ルーマニアは、今でもロマ、シンティが非常に多く住む地域だ。
そのミュラー氏の言葉の引用部分は下記だ。
「私は“ロマ”という言葉を携えてルーマニアに行き、当初、対話の中でそれを使用していたが、それが故に、あらゆるところで壁に突き当たった。『われわれはジプシーであり、皆がわれわれを正当に扱うなら、この言葉は良いものだ』」
私はかねてより、キャンセルカルチャーとは白人による優越感や差別意識の裏返しであると思っていたが、それをインディアンとジプシーが完膚なきまでに証明してくれたように感じている。言葉は差別を隠すだけで、決して無くすわけではないのだ。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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