「流産は信心していないからだ」信じられない暴言吐く毒母を許し感謝する心を持たせてくれた友人の"深い言葉"
プレジデントオンライン / 2024年11月16日 10時16分
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■母親が娘の彼氏を宗教に勧誘
高校を卒業後、県外の福祉系の会社に就職した如月杏さん(仮名・30代)は20代半ばの冬、友だちとスノーボードをしに雪山へ行ったときに、上級者コースで難易度の高い滑りを華麗に決めている男性に遭遇。一瞬で心を奪われた如月さんは自ら食事に誘い、交際に発展した。
約半年後に妊娠が発覚すると、彼氏は「結婚しよう」と言った。
しかし彼氏が如月さんの両親に結婚の挨拶をしにいく予定の前日、如月さんは流産してしまう。それでも彼氏は「結婚しよう」と言ってくれたため、そのまま如月さんの実家を訪れることに。
ところが、あろうことか、かねてより宗教にハマっている母親が彼氏に言った。
「宗教をしなさい。流産したのは信心をしていないからだ」
「私も彼も、そんなことを口走る母親に対して『人としてありえないな』とドン引きしました。彼は『結婚を白紙にする』と言い出し、私はショックでその後、誰とも連絡を取らずに閉じこもりました」
しばらくホテルに滞在していたのだが、その間に父親や祖母の説得のおかげで、母親は如月さんと彼氏が宗教をしないことを聞き入れた。彼氏やその両親は「如月さんの母親と結婚するわけではないのだから、本人が宗教をする気がないなら結婚しても大丈夫」と思い直してくれた。無事結婚した如月さんは、再び妊娠し、翌年に第1子を出産した。
■モラハラ夫
そんな、結婚までの道のりが波乱に満ちていた如月さんの新婚生活は、順風満帆だったかといえば、そうではなかった。蓋を開けてみれば、彼氏はモラハラ夫だったのだ。
「交際していた頃から仕事人間で交友関係が広く、人から受けた恩は必ず返すタイプだったのはいいのですが、私や子供に対する愛情表現があまりなくいつも仕事や自分が優先でした」
教育系の仕事をしていた夫のモラハラが始まったのは、如月さんが結婚後に再び妊娠し、仕事を辞めた頃からだった。退職は以前流産した苦い経験からの対応だったが、夫はそんな妻の不安に鈍感だった。
「知り合って約3カ月での妊娠・結婚だったのですが、私が夫の収入で生活をするようになると、自分の収入が私に使われることにストレスを感じるようになったようです」
如月さんは、25歳で第1子、28歳で第2子、30歳で第3子、34歳で第4子を出産。子育てや家事に協力してもらおうとすると、「子育てと家事がお前の仕事だろう!」と怒鳴られ、お金の使い方に細かく口を出された。ひとたび反論すれば、「とにかく稼いでいるほうが偉いんだ!」と一蹴された。
悩んだ如月さんは、第1子を出産して半年たった頃からアルバイトや派遣社員として働き始めた。
「夫は、これまでは自分のお金を自分で管理できていたのに、結婚してからは、自分で稼いだお金の出口がわからない。思ったより貯まらない……というストレスだったようで、家事も育児もワンオペで頑張っていた私の頭の中には常に『離婚』の2文字がありました」
ただし、離婚するためにも、「もっと稼がなくてはならない」。そう思って30歳の時に始めたのが、現在も続いているIT関係の仕事だった。
「私が(IT系で)働き始めてから、夫のモラハラはウソのようになくなり、今は私や子どもたちのためにいろいろしてくれるようになりました」
現在は、住宅ローン、家事代行、保険、ガソリン、ETC、学校の会費や保育料は夫が払ってくれ、そのほかの食費、お菓子代、外食費、交際費、衣類や洗剤などの消耗品は全て如月さんが支払って、バランスを保っているそうだ。
今、ようやく幸せを実感できるようになった如月さんだが、これまでの人生を振り返ると、苦難の連続だったことがわかる。
■如月家のタブー
筆者は家庭にタブーが生まれるとき、「短絡的思考」「断絶・孤立」「羞恥心」の3つが揃うと考えている。
如月さんの最大の苦難は、母親の存在だった。
父親との夫婦仲は良好とはいえず、父親の実家で信仰していた宗教を父方の祖父母よりも熱心だったことから、もともと母親はその宗教に興味があって父親との結婚に踏み切った可能性もある(「短絡的思考」)。
その母親は如月さんの同級生や彼氏にまで宗教の勧誘をしていた。そこから、如月家は社会から「断絶・孤立」していたことが想像できる。信仰仲間はいただろうが、強引で、しばしば会話が通じないところがある母親は、仲間からも浮いた存在だったに違いない。そんな母親に対して、如月さんだけでなく夫や舅姑も「恥ずかしい存在」と思っていたふしもある。
その証拠に、如月さんが子どもの頃から、祖父母や父親はなるべく母親と関わらないようにしており、高校卒業後に県外の大学に入学した兄は、家を出てからほとんど実家に帰ってこなかった。如月さん自身も現在、健在の祖母に会いに実家に帰ることはあっても、母親にはなるべく会わないようにしている。
■毒母の連鎖は止められる
如月さんは「母は毒母だったと思います」と切り出し、こう反芻する。
「母の母、つまり私の母方の祖母も毒を持っていたので、そうした家庭環境に育ったから、母も毒母になった。仕方ないことで、可哀想な人だなとは思います。発熱したらお粥を作ってくれる、病院に連れて行ってくれる、学校で熱が出たら迎えにきてくれる、友達の誕生日プレゼントを買ってくれるなど、母親らしいことをしてくれたことも覚えていますし、感謝もしています。ただ、精神的に不安定な人なので、ひどく八つ当たりをする時があり、話を一切聞いてくれない、私の話を信じてくれないといったこともしょっちゅうで……。傷つくことをたくさんされてきたから今も恨む気持ちが残っている、という状態です」
聞けば、母方の祖母は男尊女卑が激しく、礼儀作法に厳しく、娘の交友関係や言動に口を出しすぎる人だった。
「『あんな子とは付き合うな』『そんな安物を買うな』などと過干渉されていたと母から聞きました。安いものを買ってもらえなかったため、母は安いもの好きになりました。『将来の夢は“貧乏”だった』なんて意味不明なことを話していて、『苦労してこそ幸せがある』と私たち子どもに無理やり苦労をさせてきました」
母親の育った環境は裕福だったそうだが、不自由かつ居心地の悪い家だったということだ。
現在、如月さんは、4人の子ども(未就学~小学生)を持つ母親だ。子育てしていて、「祖母の毒を引き継いだ母から自分も毒をもらってしまった」と思うこともあった。
「2人目までの子育てではそう思うことがありました。八つ当たりし、暴言を吐き、ヒステリックになって……。人間関係がうまくいかず失敗ばかりでした」
しかし、「このままではいけない」と思った如月さんは、子育てセミナーに参加して勉強したり、本を読んだりして学び始める。それと同時にブログを始め、現実ではもちろん、ネット上でもたくさんの人と出会い、人との関わりの中で精神的に成長した。
「おかげで、母のように子供に八つ当たりしてしまうことはなくなりました。夫の両親は心優しい人で、夫の奥底にもそうした面がありました。一時期、モラハラ亭主だったこともありましたが、彼の子どもへの接し方や考え方には学ぶことがあります。
思えば、私の人生や、私たち夫婦の転機は、私が30歳の時に再び働き始めたことにありました。33歳くらいの頃には仕事が軌道に乗り、金銭的にも余裕ができたことで、家事代行サービスを利用するなど、お金で解決できることが増えたのも大きいと思います」
■恨みも残る毒母だが「介護をやる覚悟ではいます」
如月さんによると、母親のようにならないように下記の3つを実践したそうだ。
① 自分のことを受け入れた
自分のことを全て受け入れて、宗教のことも含めてブログで発信し、読者に共感してもらえたことがメンタルケアになった
② 自分を認めてくれた夫や義母に感謝
「母がおかしい」ということに夫と義母が気づき、如月さんを守ってくれるように。間違いを「間違いだ!」と教えてくれる人との出会いは大きかった
③母親を許そうと思えた
母親の愚痴を聞いてくれる唯一の友人から「かわいい子ども4人に恵まれて、そのルックスに産んでくれただけで親に感謝よ。高望みしない。それ以外どうでもいいじゃない?」と言われて、「その通りだな」と腹落ちし「母と私は別物」と切り分けて考えることができるようになったそうだ。
ただ、「それでも、母親にきちんと愛されたかったという気持ちは今も消えません。宗教の影響で条件付きでしか愛されたことがないので、私は誰からも愛されていないかもしれない……という不安はずっとあります」
如月さんは、祖母には無条件で愛されていたが、母親から授かるはずだった“自己肯定感”をもらうことができなかった。如月さんは小学校の半ば頃から自殺願望があったが、その後、その感情は完全に消えたという。
「仕事がしんどいけど、やめたいと言う勇気がない。子育てがしんどいけど、どうにもならない。頼る相手がいない。そんな時に『死ねたら楽になるのに』というのはよく思っていました。30歳の時に今の仕事を始めて、33歳のころから夫の収入に頼ることなく生活ができるようになったのが自分の自信になり、しんどいならやめればいい。困った時は誰かに助けてもらえればいいと思えて、助けてくれる友人ができ、夫が家事育児に協力的になってくれたことから、自殺願望はゼロになりました」
最後に、もしも両親に介護が必要になったらどうするかとたずねたところ、こう答えた。
「介護をやる覚悟ではいます。社会のお荷物にならないために、自分にできる最低限の任務は果たそうと思っています」
家庭内で影が薄かったという父親も、母親の暴走を止められなかったという点で毒親だ。両親どちらかだけが毒親ということはない。
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ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。
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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
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