実家の「ゴミ屋敷化」はすでに始まっている…年末年始に帰省しても"老いた親の異変"に気づけない本当の理由
プレジデントオンライン / 2024年11月20日 17時15分
※本稿は、春日キスヨ『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■「家族であるからこそ」難しい
親と離れて暮らす子世代が、在宅で過ごす長寿期の親の暮らしの実態に触れる機会は少ない。そのため、実情に即して親の生活を等身大に理解し、必要な支援をしていくことは、なかなか難しい。
しかも、一般の人が持つ社会通念の根底に、性別役割意識、夫婦関係規範があるとき、子どもの側もそうした通念を分かち持つ。また、親の生活を子どもが実情に即して理解し、親子で話し合い、冷静に手立てを考えていくことは、「家族であるからこそ」難しい面がある。
なぜなら、家族以外の人が「他人ごと」としてそれを見る場合と異なり、夫婦間、親子間では、家族特有の規範、長年の習慣化した関係性が働き、事実を事実として見ることを難しくする部分があるからだ。
とりわけ、家事を担い、家族の関係性をつなぐ役割を担うことが多い女親の方が先に弱った場合、問題が外の人に知られることがないままに過ぎ、子どもが知るのは親の生活がどうにもならなくなったとき、ということになりかねない。
たとえば、地域包括支援センターの支援者は、「高齢の親の思いの一番は、子どもに迷惑をかけられない、面倒をかけてはいけないというもので、親の生活実態は子どもに伝わっていないと思います」と語っていた。こうした関係性は、この支援者が住む地域に限らず、広く見られるものである。
■実家の散らかり具合に驚く息子夫婦
親と子が同居し、否応なく共同生活を営むしかなかった時代であれば、日常のなかで、子どもたちが感知し、対応できた親の老い衰えが、離れて暮らす場合には、感知できないばかりか、親の「子どもに迷惑をかけられない」との思いから、親からは伝えられず、周囲から子に知らされることもない。
そして、どうにもならない状況になって初めて、子どもに連絡が行き、親も子も混乱の渦に巻き込まれる。そんな例が少なくないのである。
「家の中に入って、すごくびっくりした」
私が話を聞いた長寿期夫婦にも、そのような親子関係の方が少なからずあった。そのなかのいくつかを紹介しよう。
まず、87歳の男性OZさんと、87歳の妻のケース。OZさんは息子たちに、自分の病気(がん)のことを、入院が必要になる時点まで伝えておらず、また、妻が鍋などを焦がすようになっていたことも告げていなかったという。
OZさん「この正月は、長男夫婦が来たんですが、そのときも、家の中に入らないで玄関先でちょっとだけ話して帰っていきました。だから、私が入院ということになったとき、家の中に入って、すごくびっくりしたと言っていました。とり散らかっていたので。
とにかく、自分たち夫婦は、子どもたちに迷惑をかけてはならないと、一生懸命頑張って、二人でやっていこうと思ってきましたから。息子は管理職で忙しいし、嫁さんも働いているので。でも、近所の人が包括に連絡して、息子がやってきて、まあ、こういう形になりましたが」
「子どもたちに迷惑をかけてはならない」とのOZさんの親心が、子どもに実情を知らせ、助けを求める関係をつくることを阻(はば)む一因となっていることがわかる。
■なぜ親の異常事態に気づけなかったのか
しかし、親の自宅を訪れながら、子ども夫婦は、「近所の人が包括に連絡する」ほどの窮地を、なぜ感知できなかったのだろうか。何の異常も感じなかったのだろうか。考えれば不思議なことである。
しかし、OZさん親子と同じような家族は少なくない。
60代女性PKさんが姪の立場で関わることになった、叔母夫婦と息子たちの関係もそうだった。
PKさんが、叔母夫婦に深く関わり始めたのは、叔母が83歳、叔父が91歳のとき。叔母夫婦は、若い頃から続ける社会活動に、80歳を過ぎても参加し続け、料理上手の叔母の自慢は「食事づくりも家事もちゃんとしている」だったという。60代の息子2人は、県外に住んでいる。
PKさんは、叔母が77歳の頃、「もの忘れがあるのでは」と感じたことがあったそうだが、「叔父がしっかりしているので大丈夫だろう」、そう思っていたという。
■草はボウボウ、玄関はゴミの山
PKさんが叔母夫婦と深く関わらざるをえなくなったきっかけから見てみよう。
【PKさん】「まず、叔父が救急車で病院に運ばれたんです。『おじちゃんが救急車で運ばれたみたい。ちょっとあんた行ってあげて』と母から連絡があって、駆けつけたんです。で、病院に行ったら、叔母がパニック状態で。だから『いったん自宅に帰ろう』と連れ帰ったんです。
そうしたら、庭の植木は伸び放題、草はボウボウ。玄関のドアを開けた瞬間、ビニールのゴミ袋が20個ぐらい置いてあって。目の前がゴミの山よ。私、愕然(がくぜん)としてね。いったい、何がこの家に起きているんだろうと。叔母も叔父もしっかりしているし、しっかりできているものと思っていたから。もう、私、絶句よ。
玄関から中に入ったら、なお、絶句よ。台所はしっちゃかめっちゃか。洗い物が、ワーッと汚れた皿やなんかがあって。冷蔵庫を開けたら、傷(いた)んでカビが生えたものが入っているし。叔母の部屋は服が散乱して、山積み。これはいったいどうなっているのかと。瞬間、理解ができなかった」
この状況で、叔父が倒れる前まで、夫婦は毎週火曜日に二人で買い物に行き、叔母が食事をつくる生活を続けていたのだという。
■「自分が困ったからといって、息子たちには頼れない」
だが、叔父が「しっかりしている」人であるならば、なぜ真っ先に、息子たちに助けを求めなかったのだろうか。また、それ以降も息子たちではなく、PKさんを頼り続けているのだろうか。その点を聞いてみた。
【春日】「そんな状態なのに、なぜ叔父さんと叔母さんは、息子たちに『どうか助けて』と言うのではなく、PKさんの世話になる方を選ばれているのですか。息子たちには『来ないでいい』という感じなんですか?」
【PKさん】「それで、私も聞いたのよ。『おじちゃん、どうしようと思っているの? これから』って。そしたら、『息子たちは中高一貫の学校に行って、早くから自分の手元を放している。だから、この子たちに自分たちは世話になれない。手をかけさせてはならないと思っている』と、そう言うんです。
『自分が困ったからといって、悪いけど助けてくれとはよう言わない』『それに二人とも仕事がある』と。『ええっ。そうなん。そういう気持ちなんだ』と私も思って。まあ、それ以上、私は何も言えない。それが叔父の気持ちならね」
中高一貫の学校から大学に進学し、大都市で安定した暮らしをする2人の息子たち。にもかかわらず、息子たちに頼らず、姪を選ぶ。その理由が「世話になれない。手をかけさせてはならない」「仕事がある」の2つだった。頼られたPKさんも、仕事で多忙な日々であるにもかかわらず。
■表面的な関係では弱みをさらけ出せない
その理由がよく納得できないまま、PKさんもいろいろ聞いたそうなのだが、その結果、次のような結論に達したのだという。
【PKさん】「どう言ったらいいかよくわからないけど、まあ頑(かたく)なな、変な思い込みよね。だから、どうにもならない。思うに、子どもが小さい頃から、親子のコミュニケーションがなされていない。だから、いいところだけの表面的な親子関係で、本音が言える関係にはなっていないんでしょうね。弱みをさらけ出すことができない」
OZさん親子の場合と同様、ここでも親側が、「子どもの世話にはならない」「迷惑をかけてはいけない」と、子どもに実情を伝えず、助けを求めることをためらっている。
だが、長寿期ともなれば、子どもの側が、親は食事を毎日とることができているか、住まいは清潔に保たれているかなどと気配りをし、暮らしの実情を探り、必要なら支援の手を差し伸べるべきで、それが親子というものではないかと、そう考える人が多いのではなかろうか。
■悪意のない「見て見ぬふり」
PKさんの叔母夫婦と息子たちの場合、倒れるまでの親子関係はどのようなものだったのだろうか。聞いてみると、全く交流がなかったわけではなく、親がまだ若く元気な頃からの関係が、恒例化する形で続いていたようなのだ。
その点に関しての、私とPKさんとのやり取りを続けよう。
【春日】「5年前ぐらいに、叔母さんのことが気になり始めていたと言われましたが、その間、叔母さん夫婦と2人の息子さんの家族との間の交流はなかったんですか」
【PKさん】「いやいや、叔父はコロナの流行が始まった年に倒れたんだけど、その前の年までは年に2回、長男夫婦も次男夫婦も、1泊2日で親たちと一緒に旅行に行っているの。旅行の帰りに叔母夫婦をその自宅に連れて帰るという形でね。
だから、わかっていていいはずなの。長男夫婦も次男夫婦もね。庭が草ボウボウとか、何かしらの変化を。夢にも気がつかなかったの? ほんとに? という感じなのよ。不思議よねえ。2人の奥さんたちも見ているのだから、誰かが気づいていいと思うの。あとで思うと、突然そんなになるはずはないのだから。なんで気がつかなかったのかなあ」
子どもたちが玄関先で帰ったのだとして、「草ボウボウの庭」を目にしたはずなのに、なぜ、それに気がつかないのだろうか。気がついていながら、面倒ごとに巻き込まれるのが嫌で、見て見ぬ振りでやり過ごしたのだろうか。
その点に関しても、いくつかの要因が複雑に絡まり、悪意がなくとも、「見れども見ざる」の現実が生じるのが、現在の高齢の親と成人した子の関係なのではなかろうか。
■「ハレの日」にしか会わず、生活実態が分からない
PKさんの叔母夫婦の場合、叔父が倒れて以来、親の様子を確認するための電話が2日に一度はあり、また、親の自宅改修のための費用も、文句も言わず出してくれるような息子たちだから、親に関わる気がない薄情な子どもたちではないと、PKさんは言う。
にもかかわらず、息子夫婦は「草ボウボウ」の庭に、何の反応もしていない。目標を定め、指向し、焦点を定めなければ、物事は見えてこない。老い衰えた親の暮らしを支えねばならないとの意識が子の側に弱ければ、親の暮らしを観察するセンサーも働かず、見ても見えざるという関係がつくられる。
そうした、子の側の親の暮らしに対する指向性がないのが、かつての時代と異なる「子ども中心」「教育中心」で育てられてきた、長寿期の親と子世代との関係ではないのか。
子ども、とりわけ長男が「家」の「跡取り」として親の老後の面倒をみることを期待されたかつての時代と異なり、「私たちの老後のことなんか心配しないでいい」「自分がやりたいことをしなさい」と送り出されたのが、いまの中高年子世代だからである。
また、女性の意識も変わり、「嫁」として夫の親に対するケア義務を持たねばならないと考える人たちも少なくなっている。
さらに、子どもたちに親を思う気持ちがあっても、離れて暮らす場合の交流の機会は「年に2回ほど」。それも盆や正月の「ハレの日」、さらに家族旅行や、イベントの日の会食のつき合い。お互いに元気で頑張っている明るい姿を喜び合う場で、個々人の悩みや困りごとを語ることは、「場違い」のこととして控えられる。
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社会学者
1943年熊本県生まれ。九州大学教育学部卒業、同大学大学院教育学研究科博士課程中途退学。京都精華大学教授、安田女子大学教授などを経て、2012年まで松山大学人文学部社会学科教授。専門は社会学(家族社会学、福祉社会学)。父子家庭、不登校、ひきこもり、障害者・高齢者介護の問題などについて、一貫して現場の支援者たちと協働するかたちで研究を続けてきた。著書に『百まで生きる覚悟 超長寿時代の「身じまい」の作法』(光文社新書)、『介護とジェンダー 男が看とる 女が看とる』(家族社、1998年度山川菊栄賞受賞)、『介護問題の社会学』『家族の条件 豊かさのなかの孤独』(以上、岩波書店)、『父子家庭を生きる 男と親の間』(勁草書房)、『介護にんげん模様 少子高齢社会の「家族」を生きる』(朝日新聞社)、『変わる家族と介護』(講談社現代新書)、『長寿期リスク 「元気高齢者」の未来』(光文社新書)など多数。
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(社会学者 春日 キスヨ)
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