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「広島の生ガキ」を輸出したら猛クレーム…世界を飛び回る商社マンが「離島の養殖カキ生産者」になるまで

プレジデントオンライン / 2024年11月25日 7時15分

養殖池をバックに鈴木社長。1976年、東京生まれの埼玉育ち - 撮影=プレジデントオンライン編集部

カキの名産地・広島でスタートアップ企業が新しい風を吹かせている。独自製法で海外にも通用する殻付きカキを養殖しているのだ。「海なし県」で育った社長が、カキ養殖を始めた理由は少年時代までさかのぼるという。フェリーでしか行けない離島にたどり着くまでをジャーナリストの牧野洋さんがリポートする――。(後編/全3回)

■スティーブ・ジョブズが語った「大切なこと」

(中編からつづく)

アメリカを代表する起業家、故スティーブ・ジョブズ。米スタンフォード大学の卒業生を前に行った伝説的スピーチには次の一節がある。

「本当に好きなことを見つけて、それを生涯の仕事にする──これが何よりも大切です。充実した人生を送れるかどうかのカギなのです。まだ見つけていないのならば、諦めないで探し続けてください」

サラリーマンはさまざまな制約を受け、好きな仕事を任されるとは限らない。嫌な仕事を命じられてストレスをため込むことも多い。

起業家は違う。オーナー兼経営者であるから自由に仕事を選べる。うまく事業を拡大できれば、生涯にわたって好きな仕事に熱中できる。ジョブズのように。

瀬戸内にもそんな起業家がいる。広島県の離島・大崎上島でカキ養殖を営むファームスズキの創業者兼社長、鈴木隆(48)だ。

「日本の食料自給率は低過ぎます。ショッキングなほどに。日本はこれだけ海に囲まれているのだから、イノベーションを起こせば自給率を高められるはずなのに」

ビジネスについて語り始めると饒舌(じょうぜつ)になる。自分の仕事に熱い思いを抱いているからだろう。

■小学生で終わらなかった「魚好き」

広大な養殖池を見渡せる本社オフィスでインタビューに応じたファームスズキ社長。「カキ養殖を始めたいきさつは?」と問われると、いきなり自分の少年時代について語り始めた。

「海のない埼玉で育ったんですけれども、魚釣りが大好きだったんです。小学校低学年のころから、川でコイやフナを釣って自宅で飼育するような毎日を送っていました」

ファームスズキ本社内には社長愛用の釣り竿がずらりと並ぶ
撮影=プレジデントオンライン編集部
ファームスズキ本社内には社長愛用の釣り竿がずらりと並ぶ - 撮影=プレジデントオンライン編集部

中学生以降になっても魚釣りに明け暮れていた。クラブ活動に熱中するクラスメートを横目にしながら。そのうち大学でも水産コースを専攻して、魚と触れ合いたいと思うようになった。

結局、山口県の水産大学校へ進学することになった。東京海洋大学を第1志望にしていたものの、「センター試験でA判定が出たことで気が緩み、2次試験で失敗してしまった」と苦笑いする。

■「発展途上国」で見た最先端工場

興味深いのはサラリーマン時代(2000~2008年)だ。実質的に有給休暇なしで一年中仕事に没頭していたのだ。

水産物商社の中央魚類でキャリアをスタート。エビの買い付け担当として東南アジア各国を飛び回るうちに、水産業のダイナミズムに魅せられた。

とりわけ印象的だったのはインドネシアのエビ工場だ。学校の授業で教わった「貧しい発展途上国」というイメージとは大違い。片田舎にある工場がグローバルで最先端。そこに世界中からバイヤーが押し寄せていた。

インドネシアのエビ加工工場にて
写真提供=鈴木隆
インドネシアのエビ加工工場にて - 写真提供=鈴木隆

成約単位も50~100コンテナでスケールが違った。バイヤーの中にはウォルマートやカルフールが含まれていたためだ。小売りチェーンとして前者はアメリカ最大、後者はフランス最大だ。

20代の日本人商社マンは中央魚類を代表して工場の社長に会うと、次のように言われたという。

「遠い日本からわざわざ来てくれたから、こんなことは言いたくないのだけれども、これからあなたと商談するのは時間の無駄。どうせ1コンテナしか買ってもらえないのですから」

ここでにわかに知的好奇心が湧いてきた。インドネシアの工場では「欧米向けはこんなに売れる」と言われたけれども、本当なのか? 世界のマーケットが巨大だとしたら、自分の仕事はどう位置付けられるのか?

■有給休暇に自腹の視察旅行を繰り返す

思い立ったが吉日。夏休みや冬休みにまとまった有給休暇を取れるたびに、欧米へ視察旅行に出掛けるようになった。

例えばニューヨーク。1週間くらいかけて市内の魚市場やシーフード店を訪ね回った。チャイナタウンでは東南アジア産のエビが山ほど積まれ、1キロ単位で売られているのを見て目を丸くした。

「格安航空券には助けられました。当時は安かったですからね。燃油サーチャージも入れてニューヨークまで往復7万~8万円。結婚していなかったし、荷物も少なくて気軽でした」

せっかく取得した有給休暇を、観光ではなく事実上の仕事に使っていたということだ。ニューヨークではブロードウェイやジャズクラブには目もくれずに。

格安航空券とはいっても自腹。休暇中に仕事をしていて、損した気持ちにならなかったのか? 休みなしで一年中働き続けていたら、消耗してしまうのではないのか?

「全然そんなことないです。好奇心を満たすために自分の好きなことをやっていただけです」

好きなことをやっているのであれば、四六時中仕事していても苦にならないというわけだ。ジョブズが言うように。

■日本のカキをグローバル市場に売り出す

サラリーマン時代から起業を視野に入れていた。もちろん水産業で。有給休暇を使って視察旅行していたのも、いつか起業するために必要な知見を広めておきたかったからだ。

早くから独立後の方向性を決めていた。海外から輸入して日本で販売するのではなく、日本で生産して海外で販売するのだ。東南アジアの最新鋭工場でシーフードが生産され、巨大なグローバル市場で消費されるダイナミズムを目の当たりにしたためだ。

起業家が好きな仕事を続けるためには支援者も必要だ。創業初期であればエンジェル投資家の出番となる。

鈴木にとって重要な支援者は、冷凍カキの加工・販売会社クニヒロ(本社・広島県尾道市)を率いていた川崎育造(74)だ。「一緒に会社をつくってうちのカキを海外で売りませんか?」と提案したばかりか、資金的支援も惜しまなかったのだ。

■「エンジェル投資家」のおかげで資金確保

2008年、32歳の鈴木は9年間勤めた中央魚類を辞め、川崎と共同でケーエス商会(本社・広島県尾道市)を設立。資本金900万円のうちそれぞれが450万円を出す形で。

いや、厳密には共同とはいえない。川崎による個人保証のおかげで、ケーエス商会は広島銀行から最大1億円まで運転資金を借りられる体制でスタートしたのだから。

「起業してみないとなかなか分からないのですけれども、900万円で運転資金をやりくりするのは結構きついんです。本当にありがたかったです」

個人保証は出資とは違う。それでも川崎は事実上のエンジェル投資家の役割を果たしたといえる。

クニヒロの川崎社長(当時、右)と共に
写真提供=鈴木隆
クニヒロの川崎社長(当時、右)と共に - 写真提供=鈴木隆

鈴木が夢中になって開発したのが「クレールオイスター(塩田熟成カキ)」だ。ファームスズキが世界市場を開拓するための戦略商品である。

きっかけは独立後の「クレーム事件」だった。

■「こんなひどいカキは初めて見た!」

当時、日本産のカキは基本的に国内で流通しており、海外での存在感は乏しかった。そんななか、鈴木はケーエス商会を代表して東南アジア各国を飛び回り、少しずつ顧客を開拓していた。

現地の輸入業者と一緒に飛び込み営業していたときのことだ。香港のレストランで「生きたカキはないの?」と聞かれた。

「うちは冷凍カキを専門にしています。冷凍の前段階として生きたカキは必ずあると思いますが……」
「つまりあるということ?」
「はい、絶対にあります!」

日本に戻るとすぐに広島産の生ガキを仕入れ、20~30個を箱に詰めて空輸便で送った。あまり深く考えずに。

しばらくしてクレームを浴びせられた。「こんなひどいカキは初めて見た! 身入りがばらばらだし、殻の形もとんでもなく悪い。こんな代物はお客に出せない」

■今の広島産では「生のマーケット」で勝負できない

面食らった。日本で一番有名な広島産がそんなに悪いはずがない……。

「何が悪いのか教えてください」
「うちではアメリカやヨーロッパ、オーストラリアから生ガキを輸入している。それと比べたら全然駄目」

ここで初めて気付かされた。海外は圧倒的に「生のマーケット」であり、カキの食べ方も養殖方法も全く違うという事実に。グローバルに打って出るなら生食用カキの最高峰を目指さなければ駄目だ!

日本ではむき身に火を通して食べる文化が一般的であるのに対して、海外では生食用カキが殻付きのままで流通している。一流レストランやホテルで提供される高級品としても扱われるから、殻の形もきれいにそろっていなければならない。

新鮮なカキ
写真=iStock.com/bonchan
海外では殻付きで提供され、生で食べることが多い(※写真はイメージです) - 写真=iStock.com/bonchan

夢中になる対象を見つけた若き起業家。となれば次に必要となるのは舞台だった。ジョブズがパソコン開発に夢中になり、そのための舞台として自宅ガレージが必要となったように。

「クレーム事件」から数年後の2011年5月、鈴木は民宿に泊まりながら広島県内を福山市から廿日市まで旅していた。生食用カキの最高峰を生産するための舞台を求めて。

途中、大崎上島行きのフェリー乗り場が目に入った。船でないと渡れない離島にロマンを感じ、すぐにチケットを購入してフェリーに乗り込んだ。

広島県竹原市の竹原港と大崎上島の垂水港を約30分でつなぐフェリー
撮影=プレジデントオンライン編集部
広島県竹原市の竹原港と大崎上島の垂水港を約30分でつなぐフェリー - 撮影=プレジデントオンライン編集部

■離島の荒れ果てた塩田跡に一目ぼれ

正解だった。たまたま江戸時代の塩田跡に巡り合い、フランスのカキ養殖池をイメージできたのだ。一目ぼれだった。

「廃屋が放置され、ぼろぼろのビニールハウスが建っているだけ──そんな土地だったんですけれどもね」

フランス語で「クレール」と呼ばれる塩田跡の養殖池。海と違って水深が浅く、太陽光をたっぷり浴びる。そのため、餌となる植物プランクトンが光合成してよく繁殖し、おいしいカキが育つ。

つまり、生食用カキの最高峰を育てるための舞台としては理想的なのである。

手前の中間育成機「フラプシー」で育てた稚貝を、奥の養殖池でさらに大きく育てる
撮影=プレジデントオンライン編集部
手前の中間育成機「フラプシー」で育てた稚貝を、奥の養殖池でさらに大きく育てる - 撮影=プレジデントオンライン編集部

30代半ばの起業家が必要としていたのはまさにこれだった。4年後の2015年にファームスズキが誕生し、日本で唯一のクレールオイスターを生産するようになる。

■ハワイに移住してもカキ養殖?

独立後の34歳で結婚して、3人の子どもがいる。

会社ロゴをデザインした元ウェブデザイナーの妻からは「55歳までに養殖池を誰かに売ってほしい。かわいい子どもたちに継がせるのは難しいから」と冗談交じりに言われるという。

会社ロゴが大きくプリントされた本社オフィス
撮影=プレジデントオンライン編集部
会社ロゴが大きくプリントされた本社オフィス - 撮影=プレジデントオンライン編集部

「55歳でハワイに移住してもいいかなとも思っています。ちょっと本気で。子どもたちも親元から離れて独立しているだろうから」

ハワイで毎日ビーチに行って、悠々自適に暮らすのか? 違う。現地でカキ養殖を始めるのだ。

現在48歳の鈴木社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
現在48歳の鈴木社長 - 撮影=プレジデントオンライン編集部

ファームスズキ社長にとって好きなことは海・川・池であり、そこから生まれる生き物だ。魚釣りにはまっていた小学生時代から一貫している。

好きなことを見つけ、それを生涯の仕事にする──。これが起業家を成功に導くカギなのかもしれない。(文中敬称略)

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牧野 洋(まきの・よう)
ジャーナリスト兼翻訳家
慶應義塾大学経済学部卒業、米コロンビア大学大学院ジャーナリズムスクール修了。1983年、日本経済新聞社入社。ニューヨーク特派員や編集委員を歴任し、2007年に独立。早稲田大学大学院ジャーナリズムスクール非常勤講師。著書に『福岡はすごい』(イースト新書)、『官報複合体』(河出文庫)、訳書に『トラブルメーカーズ(TROUBLE MAKERS)』(レスリー・バーリン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『マインドハッキング』(クリストファー・ワイリー著、新潮社)などがある。

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(ジャーナリスト兼翻訳家 牧野 洋)

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