日本一の俳優を作ったのは一冊の本だった…"不器用"な高倉健さんがボロボロになるまで繰り返し読んだ書籍
プレジデントオンライン / 2024年11月23日 8時15分
■俳優・高倉健がひときわ好んだ小説家
沖縄の石垣島は、撮影を終えた健さんが誰にも告げずにふらりと出かけたり、平成12(2000)年の春には、船舶免許の講習を受けたりと、心をさらす場所である。
その頃、ラジオ番組の仕事でこの島を訪れた健さんが、「こんなものがあったんですよ」と赤い線をたくさん引いて、ボロボロになるまで読み込んだ本を持参した。
「南極のスコット基地には、小さなデイパック一個しか持って入れなかったんですが、この本を詰めていったんですね」
命の危険にさらされた『南極物語』(1983)の撮影現場に肌身離さず置いて、何度も読み返したという『男としての人生山本周五郎のヒーローたち』(木村久邇典著)。
山本周五郎の過去の作品の名文句を数行ずつ抽出し、次々と紹介したいわば箴言集である。時代小説を中心に、人生をひたむきに生きる人間の哀歓を描き出した山本周五郎は、健さんがひときわ好きな作家だった。
■南極に立つ俳優を支えた言葉
江戸時代の前期に仙台藩伊達家で起こった「伊達騒動」が題材となった小説『樅ノ木は残った』。
そのお家騒動の悪役とされてきた原田甲斐が、実は私利私欲のためではなく、ただただ伊達家とそこに属する人々を守るために、進んで汚名を被り、そうすることで黒幕の懐深くへ入り込んだ人物だったとする長編小説である。
古くからの友人・知人は徐々に離れてゆき、次々に死に別れる事態に見舞われても、哀しみを押し殺し堪える。全ては黒幕を追い詰めるためだった……。
山本周五郎は、このように生きたいと願った理想像を、甲斐に託して描いたのだと言われている。作品から抜粋された名文句がこちら。
石を投げられたら躰で受けよう、
斬られたら傷の手当てをするだけ、
……どんな場合にもかれらの挑戦に応じてはならない、
ある限りの力で耐え忍び、耐えぬくのだ。
極寒の南極大陸に独り立つ健さんの背骨を支えた言葉である。
■健さんが口真似するほど好んだ作品
そしてもう一節、貧しくとも誠実に生きる家族の姿を描いた短編『ちゃん』より。
けれども、低かろうと、高かろうと、
精いっぱい力いっぱい、
ごまかしのない、嘘いつわりのない仕事をする、
おらあ、それだけを守り本尊にしてやって来た」
重吉はうだつの上がらない職人で飲んだくれの「ちゃん」だ。
火鉢作りの腕は確かなのだが、時勢の移りにしたがって、需要も減ってきた。給金も少なく、妻のお直と四人の子供に貧乏暮らしを強いざるを得ない。その上、せっかく手に入れた給金で飲んだくれ、金を使い果たしてしまった夜、「ちゃん」が家の戸口の前でくだを巻く。
「みんな遣っちまった、よ、みんな飲んじまった、よ」
この読点「、」の打ち方がいい。酒の匂いまで伝わってくるようだ。
その上、酒場で意気投合した男を家に連れ込み、その男に長男の良吉が少ない給金から母や弟妹に買った心尽くしの品々を盗まれてしまう。
■「会話が素晴らしい。あったかいんだよなぁ」
「ちゃん」は自分が嫌になり、出て行こうとした所をお直に見つかり、「貧乏でも六人が一緒に住めればいいじゃないか」と言われ、独立してがんばる決心をする。
と重吉がしどろもどろに云った、
「おめえたちは、みんな、ばかだ、みんなばかだぜ」
「そうさ」と良吉が云った、
「みんな、ちゃんの子だもの、ふしぎはねえや」
とりわけ、要所要所に出てくる幼い娘のおしゃまで舌足らずな物言いが、なんともかわいい。
「たん」、もちろん父の意味である。
そう言って、家に入らずにくだを巻いている、呑(の)んべえの父親を家の中に入れるのだ。
そういえば健さんもよく、「へんな、たん」と口真似し、おまけに「へんな、たに(谷)」と言ったっけ。
「会話が素晴らしい。あったかいんだよなぁ」
人間の芯の部分を本は学ばせ、思い起こさせてくれる。
■健さんから受けた相談事
この話には、実は続きがある。
平成14(2002)年頃だったか、私は健さんから相談を受けた。
「読ませたい人がいるから、山本周五郎さんのあの本をどこかの書店で見つけたら買っておいて欲しい」ということだった。
健さんは自分一人だけが所属する事務所の代表者で、日頃から、「若い奴を入れるほどの甲斐性は自分にはない」と言っていたが、それでも健さんを慕う俳優たちは多く、仕事上の相談を受けることもあったそうだ。
彼らの悩みを解消するのに役立つだろうと考えてか、自分が感動した本や音楽のCDをプレゼントすることもあった。前述の本探しも、「『男としての人生山本周五郎のヒーローたち』を渡したい人がいる」というのが理由だった。
が、あいにく絶版で、古本屋をあたっても手に入らなかった。版元に掛け合うと編集部の保管用から一冊を譲ってくれた。
それからしばらくして、健さんから、「出版社にもう一度、聞いてもらえないか」と言われたが、もう在庫はなかった。
■「自分が百冊引き取る」
「二百冊の半分を引き取ってくれるなら増刷を考える」ということだった。私も何とかお役には立ちたいが、本探しもそこまでのことになると判断に迷う。しかも百冊まとめて健さんに引き取ってもらうというのは気が引けたので、「僭越ながら五十冊は私が引き受けますので」、そう伝えると健さんは、「何を仰(おっしゃ)いますか」と、にやり。
「自分が百冊引き取る。話は決まり。すぐに話を進めて欲しい」と、いつもの左肩を少し落とした背中を見せ去って行った。
そこで初めて出版社に「高倉健」の名前を出して増刷を申し入れると、編集長は驚き、「高倉さんに気に入ってもらって光栄です。この際ですから、思い切って装丁を変えましょう。高倉さんの百冊分は帯もお好きなようにしてください」と懇切丁寧な対応になった。
帯にはラジオ番組で語った言葉を抜粋して使わせてもらうことにした。
当時、迷っていた自分が、この本の言葉に励まされ、
勇気を貰っていたんだと思います。
高倉健
■俳優・真田広之さんにも渡した
「増刷」した本が健さんの手元に届き、数日後、私の手元に五冊が送られてきた。一冊ごとの中表紙に「一〇一」から「一〇五」までの数字がブルーブラックのインクで記され、隣に「Ken Takakura」の刻印が押されていた。
健さんから、「五冊で間に合いますか。在庫は十分ありますよ」と版元を気取っての電話が掛かってきた。
海外から帰国しているという俳優・真田広之さんの名前を出して、
「今、隣にいるから、『この本を読め』って渡したところだよ」
健さんは嬉しそうに話した。
山本周五郎が描き出す人間は一歩先んずるより一歩も二歩も遅れてひたむきに生きていた。
そんな登場人物への共感が心に強く残って、健さんの骨格を作ったように思う。
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ルポライター
1953年東京都生まれ。フリー編集者として白洲正子、三浦綾子などのルポルタージュを手がける傍ら、1980年代半ばから2000年代まで高倉健をめぐって様々な取材を重ねてきた。ラジオ番組をもとにした『旅の途中で』(高倉健、新潮社)のプロデュースを担当。著書に『「高倉健」という生き方』(新潮新書)、『高倉健の身終い』(角川新書)、『幸せになるんだぞ 高倉健 あの時、あの言葉』(KADOKAWA)がある。
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(ルポライター 谷 充代)
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