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高市早苗氏はいつ「タカ派政治家」になったのか…「ポスト石破」に一番近い女性政治家の"克服すべき弱点"

プレジデントオンライン / 2024年11月25日 8時15分

写真左=林芳正氏(内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)、写真右=高市早苗氏(内閣府/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

石破内閣の支持率が急落している。評論家の八幡和郎さんは「ポスト石破として最有力なのが林芳正氏と高市早苗氏の2人だ。高市氏は米大統領に返り咲いたトランプ氏とも相性がいいように見えるが、女性初の首相になるにはまだ克服すべき点がある」という――。

■トランプ氏に5分で電話を切られた石破首相

10月の衆院選で「自公で過半数」という最低限の目標も達成できなかった石破茂首相だが、野党が政権構想を持っていなかったことに救われて、なんとか第二次石破内閣が発足した。

しかし、国民民主党との部分連合で安定した政治は望めない。さらに、石破首相にとって悪夢ともいえるのが、米大統領選で再選を果たしたドナルド・トランプ氏との相性の悪さだ。

私は、2020年8月にポスト安倍を論じた「ポスト安倍の絶対条件は世論調査でなく外交能力だ」という寄稿で、「(石破氏の)回りくどい話しぶりも良くない。ドナルド・トランプ米大統領には、韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領と同じように嫌われ、5分で電話を切られそうなタイプで、日本の国益を守れないだろう」と書いたことがある。

11月7日、石破首相はさっそく当選祝いの電話をトランプ次期大統領にかけたが、フランスのマクロン大統領の25分とか韓国の尹錫悦大統領の10分に対して、私の4年前の予言通り5分で終わってしまった。さらに、南米訪問の帰途にフロリダでトランプ次期大統領と会いたいと申し入れたが断られた。

これで、支持率が伸びず、外交もうまくいかないということになると、来年の参議院選挙前にも交代すべきという声が高くなる可能性がある。

そのときに、最有力候補といわれるのが、林芳正官房長官と高市早苗前経済安全相である。

■人気では高市氏が林氏より一歩リード

私はもともと「トランプ大統領」を想定すれば、茂木敏光前幹事長か林芳正氏が望ましい首相候補だと言い続けてきた。政策についての考え方でも自民党内の中庸といったところだ。

ただ、9月の自民党総裁選では2人とも一般党員投票が伸びず、党内ではもっともリベラルな石破氏と、もっとも保守的な高市氏の決選投票になった。

林氏は全体で4位と健闘したし、討論会などでも安定した議論が好感を持たれ、官房長官に留任し、有利な立場にある。

しかし、一般国民からの人気は女性だということもあって高市氏のほうが上だし、とくに保守派からの期待は大きい。対アメリカで考えても、リベラル過激派のカマラ・ハリス副大統領との相性はあまりよくなさそうだったが、トランプ氏とは考え方も行動様式も合うのではと見る人もいる。

そこで、政治家になる前から高市氏と面識があり、注目してきた立場から高市氏のこれまでの歩みを振り返りつつ、強みと克服すべき点を少し考察してみたいと思う。

■松下政経塾出身の女性政治家「第1号」

高市氏は、奈良県南部の名門・県立畝傍高校の出身だ。神武天皇創業の地に近く、復古的デザインによる名建築といわれる校舎で知られる。大学は神戸大学経営学部である。

高市氏の政治家としての原点は松下政経塾だ。第5期生で、2人の女性の先輩がいたが、彼女たちは政治家にならなかったので第1号ということになる。

といっても、はじめから政界に出ようなどという気はなかったという。だが、松下幸之助から「将来、政界へ打って出る気概がない者は、早めに退塾すべきだ」というような話を聞いて、政治を志そうかという気分になる。

松下政経塾の歴史については、私は『松下政経塾が日本をダメにした』(幻冬舎)という書籍にまとめたことがある。そこでも紹介したが、卒塾生の政界進出はなかなか進まなかった。

もともと地盤があった逢沢一郎氏などを別にすると、山田宏氏や松原仁氏が都議会議員選挙に立候補したのが皮切りとなり、高市氏も応援にかり出された。1987年に野田佳彦氏が千葉県議選にチャレンジした際は、数カ月にわたり住み込みで応援に当たったそうだ。

■自民党公認のはずが、無所属で挑み落選

その後、米国に渡って、パット・シュローダーという民主党リベラル派の下院議員のスタッフとして研鑽を積み、帰国後はこの経歴を武器に「朝まで生テレビ」などテレビの世界に進出した。蓮舫氏と同じ番組に出ていた時代もある。

学生時代からこのころまでの高市は、皮のつなぎを着てオートバイで奈良県から神戸へ通学し、ドラムを叩き、自由に恋愛を楽しむといった風情だった。

思想的には松下政経塾の卒塾生と共通点が多い。松下幸之助が持っていた改革指向と愛国者という2つの側面を継承し、現在も変わりはない。松下幸之助は親中国路線の代表格みたいな存在だったのに、なぜか卒塾生は中国に対して強硬論者が多いのだが、高市氏もそうだ。

「朝まで生テレビ」などでの活躍に着目した自民党本部から、1992年の参院選に奈良県選挙区から出ないかという誘いがあった。しかし、自民党の奈良県連はすったもんだの騒ぎのすえに別の候補を推したので、高市氏は無所属で立候補することになり落選した。

■「リベラルズ」から新進党、自民党へ

その翌年の衆院選では、旧奈良1区から無所属で立候補してトップ当選を果たした。細川政権の下で、柿沢弘治らと政策集団「リベラルズ」を結成し、その流れで新進党に合流。1996年の衆院選では奈良1区から新進党公認で立候補し、当選した。

通商産業政務次官の頃の高市早苗氏
通商産業政務次官の頃の高市早苗氏(写真=内閣官房内閣広報室/CC-BY-4.0/Wikimedia Commons)

そののち自民党に転じたが、2003年の衆院選奈良1区では落選。2005年衆院選では、郵政法案に反対した滝実への刺客候補として奈良2区に回り、当選した。

こうしためまぐるしい選挙区事情に翻弄されつつも、自民党では貴重な女性議員として、小渕内閣で通商産業政務次官となった。また、森首相の下では、山本一太、下村博文とともに「勝手補佐官」を名乗り、討論番組などで不人気な森首相を擁護した。

高市氏は関西人らしく、ストレートに本音を表現するトークがウリだ。ところが、それが近隣国との関係で炸裂して物議を醸したことがある。

■戦争責任をめぐり「タカ派」のレッテル

1995年3月16日の衆院外務委員会で、かっての戦争の謝罪問題に言及し、「少なくとも私自身は、当事者とは言えない世代ですから、反省なんかしておりませんし、反省を求められるいわれもないと思っております」と啖呵を切ったのである。

中韓などが謝罪要求をどんどんエスカレートしてくる中で、いつまで言われなければならないのか、というのは国民も感じていたので、共感する人も多かった。しかし、乱暴すぎると感じた人も多く、田原総一朗氏から「あなたのような下品で無知な人にバッジつけて靖国のことを語ってもらいたくない」と罵倒されたこともあった。

また、高市もだんだんエスカレートして、先の戦争について、「自衛のための戦争だった」「セキュリティーの戦争だった」と肯定的な見解を述べることも多くなり、タカ派政治家というレッテルを貼られることになった。

しかし、自民党では女性議員が少なく、とくに衆議院では顕著だったので、2006年には、第一次安倍内閣で内閣府特命担当大臣(少子化対策・男女共同参画等担当)となった。

民主党政権時代は、松下政経塾のOBが要職を占める中で、手の内を熟知した高市の舌鋒鋭い批判は珍重された。それが評価されて、2012年の第二次安倍内閣時には、女性として史上初めて党三役のひとつである政調会長を務め、2014年には女性初の総務相となって放送法問題などで辣腕を振るった。

■安倍氏が当て馬・高市氏を支持した理由

参議院では、当選回数さえ重ねたら比較的容易に女性閣僚になれる傾向があるが、競争が激しい衆議院では中山マサ、森山真弓、田中真紀子、野田聖子、小池百合子各氏に次いで6番目の女性閣僚だった。

女性の総理候補を巡っては、小池氏、野田氏、稲田朋美氏あたりの名が先行していて高市氏の名はあまり出なかった。ところが、2021年の自民党総裁選で、高市氏は河野太郎氏、岸田文雄氏に続く第三の候補として手を挙げた。

安倍晋三氏がこれを支持した理由は、ひとつには、忠実な安倍支持勢力である岩盤保守派が共感を持てる候補がいたほうが自分の陣営を固めるために好都合と考えたことと、一般党員投票で河野氏が過半数を獲得するのを避けるためだった。

その意味では当て馬だったのだが、テレビ出演などで、意外なほど落ち着いた話術と政策への深い理解を示し、一気に株を上げた。結果は3位だったが、大善戦だった。

安倍首相(右)に提言書を手渡す自民党サイバーセキュリティ対策本部の高市早苗本部長=2019年5月14日午後、首相官邸
写真=共同通信社
安倍首相(右)に提言書を手渡す自民党サイバーセキュリティ対策本部の高市早苗本部長=2019年5月14日午後、首相官邸 - 写真=共同通信社

■逆風の中、一般党員投票トップという奇跡

ところが、その翌年には安倍氏が暗殺されてしまい、高市氏は保護者を失った。とくにかつて清和会に属しながら、離脱して無派閥だった高市氏にとって清和会の支持取り付けは難しくなった。

岸田首相の下では、政調会長、ついで経済安全保障相を務めたが、「能登半島の復興を優先するために大阪万博の延期もあるのでないか」などと政府批判ともとられかねない言動をしたり、地元の奈良知事選では自分の元秘書官を推したものの党内をまとめきれず、維新公認候補に敗れるなど失態も目立った。

こうして、2024年の自民党総裁選では、20人の推薦人を集めることも難しいのではないかと噂された。この危機を救ったのは、作家の門田隆将氏や歴史研究家・井上政典氏らのグループで、「高市早苗と歩む福岡県民の会」を皮切りに全国で大イベントを開いて熱狂的な聴衆を集めた。

さらに終盤では、東京都知事選で石丸伸二氏を助けて次点に押し上げた、「選挙の神様」といわれる藤川晋之介氏が加わり、短時間の街頭集会を繰り返し、それを収めたショート動画を拡散するという手法を繰り広げた。

その結果、一般党員投票で首位に立つという奇跡を起こしたのだ。

「高市首相」就任で危惧されたこと

しかし、最終的には石破氏に惜敗することになる。その理由を考えると、いまの高市氏に足りない点が見えてくる。

高市氏の支持者たちによる岸田首相(当時)への罵詈雑言は、高市氏が閣僚だっただけに目に余るものがあったし、高市氏自身が自公協力の重要性を訴えているのに、支持者が公明党を誹謗中傷することもあった。

高市氏の周囲の空気に流されない率直な言動は、彼女の魅力でもあるが、首相ともなれば、中国などと紛争を起こしかねないし、連立相手の公明党を困らせる懸念がある。高市氏自身、首相になれば極端な政策はしないだろうが、支持勢力が首相就任前の約束の実行を求めて高市氏の足を引っ張ることも危惧された。

さらに対米外交でも、たとえば戦争責任を巡る過去の言動が掘り起こされた場合、米国で民主党政権が続いていたらかなりの不安材料になっただろう。

■“暴走”が目立つ高市氏の支持者たち

石破首相誕生後については、「幹事長以外は受けない」と総務会長の椅子を蹴って下野した。しかし、衆院選を直後に控えた時期だったから、閣僚人事や公認などで公平に扱うことを条件に受けるべきだっただろう。高市氏の推薦人に「裏金問題」で指摘された議員が多いことなども考えれば、幹事長就任はありえなかった。

その後の衆院選中には、総裁選の敗北を引きずった高市氏の支持者が、石破氏を支持した自民党候補には投票しないよう呼びかけることも多かった。高市氏はさっそく公式Xで諫めたが、これらの動きを止めるためにもう一工夫あってしかるべきだった。

私は、石破氏と高市氏が手を取り合って有権者の前に出るべきだと提案したし、そういう動きもあったようだ。少なくとも高市氏から断ったわけではない。だが、衆院選で自民党が敗北した原因のひとつは、党内の結束が弱かったことで、石破氏と高市氏の双方に責任があるような印象を受けた。

■「初の女性首相」誕生はまだ先?

今後、果たして石破内閣がどこまで支持率を回復させられるかにもよるが、たとえ石破氏が辞めてもそう簡単には高市氏にはお鉢は回ってこないだろう。総裁任期途中で交代する場合は両院議員総会で決めるので、もともと石破派のほうが多いし、さらに衆院選の結果、清和会などの勢いは大きく後退している。

冒頭でも触れたが、ハリス副大統領でなくトランプ元大統領が返り咲いたことは、高市氏にとっては幸運だった。ハリスが大統領になった場合、靖国神社参拝などしたらハリス政権が中韓の肩を持ちそうで非常に苦しいことになる可能性があった。

とはいえ、対トランプであっても、外交経験の多い林、茂木、加藤氏らのほうが安心できる。トランプ氏は保守派であれば喜ぶという単純な人ではないから、戦争認識を巡ってうまくいかないリスクも大きかった。

■勇ましい言葉を封じ、イメージチェンジを

高市氏がこうした状況を克服するためにはどうすればいいか。まずは、海外に出て会談や演説を重ねるなどして国内外の外交関係者を安心させることだ。また、国内でも党内の石破支持派や公明党との関係を改善させることだ。APEC首脳会議やG20サミットでの石破首相の不慣れから来る失態を繰り返すべきでない。

そのためには、勇ましい言葉は無用である。優秀な参謀の助言をよく聞き、一般の女性などから「怖そう」とか言われないよう、言葉遣いや服装なども含めて、イメージチェンジしたほうがいい。

その時、参考になるモデルを挙げるならば、サッチャーでなく、イタリアで極右出身ながらイメージチェンジに成功したメローニ首相だろう。

イタリアのジョルジャ・メローニ首相
イタリアのジョルジャ・メローニ首相(写真=イタリア政府/CC-BY-3.0-IT/Wikimedia Commons)

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八幡 和郎(やわた・かずお)
歴史家、評論家
1951年、滋賀県生まれ。東京大学法学部卒業。通商産業省(現経済産業省)入省。フランスの国立行政学院(ENA)留学。北西アジア課長(中国・韓国・インド担当)、大臣官房情報管理課長、国土庁長官官房参事官などを歴任後、国士舘大学大学院客員教授を務め、作家、評論家としてテレビなどでも活躍中。著著に『令和太閤記 寧々の戦国日記』(ワニブックス、八幡衣代と共著)、『日本史が面白くなる47都道府県県庁所在地誕生の謎』(光文社知恵の森文庫)、『日本の総理大臣大全』(プレジデント社)、『日本の政治「解体新書」 世襲・反日・宗教・利権、与野党のアキレス腱』(小学館新書)など。

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(歴史家、評論家 八幡 和郎)

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