父の死後に本当の地獄が待っていた…森永卓郎さんが「あれは大失敗だった」と話す"相続税の落とし穴"
プレジデントオンライン / 2024年11月27日 15時15分
※本稿は、森永卓郎『身辺整理 死ぬまでにやること』(興陽館)の一部を再編集したものです。
■要介護の末に逝った父、ピンピンコロリで逝った母
私は昨年末に投与した抗がん剤が体にあわず、死の淵をさまよった。一命をとりとめ、体調もある程度回復した段階で思い浮かんだのは「資産整理をしなければいけない」ということだった。
資産整理については余命宣告を受ければもちろんのこと、年を重ねていく中で多くの人がたどりつく終活だと思うが、私がことさらに急がなくてはいけないと考えたのには事情があった。
亡き父の資産整理を経験していたからだ。
死後の資産整理がどれほど大変な作業であるかは、やったことのある人でなければわからないだろう。
ここではまず、私が体験した相続地獄の全貌を伝えることから始めたい。
父は2006年に脳出血で倒れて半身不随になった。
その後、自宅介護を経て施設に入所し、2年後の2011年に84歳で他界した。相続の手続きをしながら私は「この地獄のような日々は、あの時すでに始まっていたのだ」と思い起こしていた。
あの時とは2000年に母が他界した時のことだ。
母はピンピンコロリで旅立った。
3日前に両親がそろって私の自宅を訪ねてきて、みんなで一緒に食事をしたばかりだった。
だから父から母が総合病院へ運ばれたと連絡を受けた時は耳を疑ったが、私が職場から急いで駆けつけた時、母の息はすでになかった。
■「自分もいつ死ぬかわからない」と危機感を抱く
医師が下した死因は「糖尿病薬による低血糖に伴う心不全」。母は糖尿病を患っていて、血糖値を下げるための薬を服用していた。
父の話によると、私の家を訪ねてきた翌日に親戚の法事に出席した際、風邪で体調を崩し、食欲がないと言い出した。
問題は食事を断っても糖尿病の治療薬だけは飲み続けていたことだ。
食べずに薬を飲み続けていたことで急激に血糖値が下がって心停止に至ったのだろうというのが医師の見立てだった。
思えば母は生涯に一度も大病院にかかったことのない人だった。
糖尿病に関しても近所の診療所で診断を受け、薬を処方してもらっていたのだ。
死の直前、食べるものも食べずにぐったりとしている母に、父が「病院へ行こう」と勧めた時も「動きたくない」と拒絶し、「救急車を呼ぼう」と提案すると「それだけはやめて」と懇願したという。
この話を聞いて思い出したのは、生前に母が「自分の介護で家族に迷惑をかけたくない」と言っていたことだった。
母は祖母の介護問題を巡って姉妹で深刻な諍いを起こした経験があったため、自分はピンピンコロリで逝きたいと切望していたのだ。
果たしてその通りになったが、私には母が自分の死を予感していたのではないかという気がしてならない。
死の3日前に我が家で食事をした時、母は「明日は三回忌に出席するんだけど、七回忌には私は生きていないから、これが最後なの」と意味深なことを言っていた。死の前日には父に「私の葬儀にお金がかかるから銀行でおろしておいたほうがいいわよ」と言っていたという。
その時、父は一笑に付したというのだが、人はいつ死ぬかわからない。実際、3日前までピンシャンしていた母があっさりと逝ってしまったのだ。
私は父の資産整理をしながら、あの時父が「自分もいつ死ぬかわからない」と危機感を抱いてくれていたら、そして自分で資産整理をしてくれていたらと感じていた。
■母がいなければ一日も暮らせない父の生き方
大正生まれの父は「男子厨房に入らず」を絵に描いたような人だった。
料理も洗濯も家事は何一つできない。つまり母がいなければ一日も暮らせない生き方をしていたのだ。
本人は母の死後「大丈夫だ、一人でやっていける」と言い張っていたが、できるはずがないことは明白だった。
父の子供は私と弟だけなので、どちらかが同居するしかないと考えて相談を切り出したところ、弟の家は狭くて父の部屋を確保できないという。
一方、トカイナカの私の家は8部屋あることから、父は我が家で引き取ることになった。
ただ、それまで両親が暮らしていた新宿区高田馬場のマンションは売却していなかった。父が、いつかは戻って一人暮らしをすると言って、聞かなかったからだ。
父は戦後、毎日新聞で記者として勤めあげたあと、大学で教員職に就いていたので、年金も受給していたし、資産も十分にあった。
だから我が家で父にかかる生活費を請求してもよかったのだが、何のルールも決めずに共同生活を始めてしまい、結果として父が契約するインターネットの通信費や新聞代などの諸経費は私が払い続けた。
そのあとに始まった介護生活に必要な費用も私が負担した。
■父の資産に手を出さず、立て替えた費用は数千万円
あとになって私は、父にかかる費用は父に払わせるべきだった、介護費用にしても、私が立て替えた経費についてはきちんと記録しておき、定期的に請求するべきだったと猛省した。
特に、父が介護施設に入所したあと、父の普段使いの銀行口座が底をついたため、施設に支払う費用も含めて、父にかかわる費用はすべて我が家が負担した。
ここまでのところを読んで「ケチなことを言うな」「親孝行の一環じゃないか」などと思う人がいるかもしれない。
しかし、最終的に我が家が負担した費用は、おそらく数千万円に達している。父にかかる費用を父の資産から支払わせていたら、父の資産は減り、おそらく相続税を払わずに済んだと思う。
ここに相続税の落とし穴があったのだと私が気づいたのは、父の死後、資産整理を始めてからのことだった。
■介護生活6年目、突然の救急搬送
遺産整理に関わる大切なことを伝えるために、相続地獄に続く我が家の金銭事情についても詳細に記しておく必要があるだろう。
一緒に暮らし始めてからも、父はしょっちゅう高田馬場のマンションへ帰っていた。実家で酔いつぶれるまで飲んで、トカイナカの我が家へ戻ってこないこともあった。
一緒に食事をしていたという友人が、酔いつぶれた父を所沢まで車で送り届けてくれることも珍しくなかった。
だから暮らし始めて6年目のある日、警察から「お父さんが道端で倒れました」と連絡が入った時も、私は「どうせ酔いつぶれたのだろう」と最初は楽観視していたのだ。しかしそれは、とんだ見当違いだった。
父は高田馬場の実家から目白へ買い物に行き、バスで帰ろうと並んでいたバス停で突然クラッときて、その場に倒れ込んだのだという。
たまたま隣にいた人が救急車を呼んでくれて、病院へ搬送されていたのだ。あわてて妻と病院へ行った時には、意識はあったものの、脳出血を起こして、動けない状態だった。
医師からは「出血が脳の右半分で起きたため、思考能力や言語に支障はない。ただし左半身は麻痺します。リハビリをしてもこれまでの生活に戻るのは難しいでしょう」と通告された。
■国の構造改革による強制的な退院ルール
しかし手をこまねいている場合ではないので、総合病院での治療を終えると、所沢の国立リハビリテーションセンターへ移り、リハビリを開始した。すると思いのほかリハビリ効果が現れ、半年ほど経過した頃にはゆっくりとなら歩けるようになった。
「もしかすると元の生活に戻れるかもしれない」という希望が見え始めたのだ。
ところがそんな矢先に、主治医から退院を言い渡されてしまう。
私は「せっかくここまで回復して、あと一歩というとこまできたのだから、もう少しリハビリを続けさせてほしい」と懇願したがダメだった。
小泉純一郎政権の構造改革によって、「慢性病患者の入院日数は6カ月まで」というルールに改定されたからだという。
この容赦のない構造改革によって、どれだけの人が大きな苦しみを抱えることになったか計り知れない。
父のようにリハビリを中断せざるを得なくなった当事者も哀れだが、家で介助に追われるようになった家族の負担は、肉体的にも精神的にも、そして経済的にも一気に拡大したのだ。
■1年3カ月に及ぶ「要介護4」の父の自宅介護
父の場合、介護施設に入るという手もあったのだが、本人が拒絶した。当時、周囲の人に「父は思考能力はしっかりしている」と話すと「よかったね」と言われることが多かったのだが、それはそれで厄介だった。
半身不随になった父は一人では何もできないのに口だけは達者で、そのうえ頑固。文句は一流だったのだから。
その時点で父は「要介護4」に認定されていたのだが、「要介護3」が食事や入浴、トイレの際に介護士やヘルパー、あるいは家族の手を借りなければいけないというレベル(現在の私が要介護3)だ。
これが「要介護4」になると、家族が自宅で介護するのは不可能だというレベルなのだ。しかし妻は父が自宅介護を望むのならと腹をくくってくれた。
この時期に妻にかけた多大な労力と精神的な負担に関しては、本書のあとの章に譲るとして、父の自宅介護は1年3カ月に及んだ。
ある時、父に横行結腸がんが見つかり手術したのだが、術後の経過が芳しくなかったことから、介護保険適用の老人保健施設に入所することになった。
■計画性がないと相続税負担はどんどん増えていく
介護施設に入所してからの費用は、父も納得のうえで本人の口座から引き落とすことになった。
当時、私が把握していた父の預金口座は、引き落としに使っていた一つだけだったが、当然のごとくその口座に入っていたお金はひと月ごとに減っていき、やがて底をついた。
父に「他に預金はないの?」と尋ねたところ、「あるよ」という返事だったので、「幾らあるの?」と訊くと、「たくさんある」と言う。
ところが「その通帳はどこにあるの?」という私の問いかけに対しては、「それは分からない」と答える。何度質問しても同じ答えだ。
そこで単刀直入に「施設の費用の支払い期限が迫っている。このままだと支払いが焦げついちゃうよ」と伝えたところ、「卓郎、お前はいっぱい稼いでるんだから、とりあえずお前が払っておけ」と言い出した。
結果として私は、父の介護施設に払う月額30万円と、リネン費、インターネットの接続代や新聞代などを含めた月額40万円から、多い時で50万円もかかる費用を延々と払い続けることになったのだ。
どんぶり勘定で記録をしていなかったため、父に幾ら私財を投じたのか正確なところはわからないのだが、父の介護が始まってから亡くなるまでで、私の負担はおそらく数千万円に達していたと思われる。
そのことで相続財産が数千万円余分に計上され、それが相続税の金額にも反映された。本来払わなくてもよい税金を支払う羽目になったのだ。
死んだあとでは遅い。
生きているあいだから計画的に対策を進めなければ、相続税負担が、どんどん水ぶくれしていってしまうのだ。
■10カ月にわたって続く相続地獄の切り抜け方
2011年に起きた東日本大震災の直後に父は他界し、同時にそこから10カ月にわたって続く相続地獄が幕を開けた。
遺産分割協議や相続税の申告は、故人の死亡届けを提出してから10カ月以内に完了しなければいけないと法律で定められている。
1年近くも猶予があるのかと思ってしまいがちだが、10カ月はあっという間に過ぎていく。なにしろ、膨大な手続きが必要なうえに、一つひとつに信じられないほど時間がかかる。
しかも並行して行うことができず、一つクリアしたら、それを持って役所へいって手続きを進めるという具合で牛歩も甚だしいのだ。
ただ私は当初から期限を強く意識していた。
申告期間の10カ月を超過すると、脱税で立件されるケースがある。経済アナリストという肩書で仕事をしている立場上、脱税で捕まるなどという失態は許されない。
そんなことになればお金のスペシャリストとして呼ばれるテレビやラジオの出演や講演、経済学部の教員の仕事は奪われてしまうかもしれない。私はあせっていた。
ちなみに私は節税しようとは、はなから考えていなかった。親から相続するお金は、いわばあぶく銭だと考えていたからだ。
余談になるが、結果的に私は父から相続した資産を弟と折半した。
父の介護にかかった金は差し引いたうえでの折半を求めることもできたが、あえてそうはしなかった。
領収書をとっていなかったので、証拠がないし、天から降って来たようなお金に執着して骨肉の争いと化した挙句、ストレスを募らせるようなことになるのは不毛だと考えたのだ。
祖母の介護を巡り姉妹の関係性が崩れたことに心を痛めていた母が、身をもって伝えてくれた教訓だったのかもしれない。
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経済アナリスト、獨協大学経済学部教授
1957年生まれ。東京大学経済学部経済学科卒業。専門は労働経済学と計量経済学。著書に『年収300万円時代を生き抜く経済学』『グリコのおもちゃ図鑑』『グローバル資本主義の終わりとガンディーの経済学』『なぜ日本経済は後手に回るのか』などがある。
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(経済アナリスト、獨協大学経済学部教授 森永 卓郎)
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