斎藤元彦氏を見捨て、"無所属の対抗馬"を送り出して大惨敗…兵庫県知事選挙で撃沈した「本当の敗者」の正体
プレジデントオンライン / 2024年11月21日 16時15分
■逆転勝利した斎藤知事と、逆風が吹く維新の会
世はまさに「嫌われ者」の時代である。時に大きな問題を抱えながら、方や熱烈な支持者が生まれ、もう片方に強烈に反対する人々がいる。中間にいる人々も彼らから目を離す事ができない――。
今、最も注目を集めているのは兵庫県知事に返り咲いた斎藤元彦である。対照的に逆風をダイレクトに受けているのは、かつて大阪府庁で財務課長を務めていたときの「元上司」でもあった大阪府知事の吉村洋文だ。
逆風は彼に、というよりも政党としての「維新」そのものに吹いている。
そもそも今回の兵庫県知事選も、維新はかつて推薦した斎藤の支援を見送ったが、繰り広げられたのはまったく規律のない選挙戦だった。
維新県議団はそもそも斎藤の辞職を求めない方針で動いていたが、8月の大阪・箕面市長選で維新の現職が敗戦したことで考えをがらりと変えた。県議会で不信任決議案に賛成に回った以上、斎藤の支援ができないことは理解できる。だが、問題はここからだ。在阪準キー局のアナウンサーから維新の参院議員に転じた清水貴之が立候補するも大惨敗を喫した。
清水は離党して無所属で出馬するという戦略を立てた。これ自体は政党カラーを薄めることで幅広い層からの支持を獲得する選挙の王道だが、完全に裏目に出た。維新系県議団の中には斎藤支持で動く者まであらわれ維新支持層を固めた上で無党派、他党支持者を狙うという清水の目論見は足元から崩壊したどころか、選挙戦で注目を集めることなく埋没する。
選挙結果は吉村と斎藤との間で関係修復がどう進むのかという新しい課題を生んでしまった。
国政レベルでも後退は明らかで、日本維新の会は大阪府内19の小選挙区で初めて全勝したものの、2024年衆院選で議席数は44から38に減少しただけでなく比例票も大きく減らした。
■“敷かれたレール”を歩んできたリーダー
国民民主や立憲が議席を伸ばした中で、「野党の中で一人負け」(吉村)によって悲願である全国政党への道はさらに遠のきつつあるように見える。
詳しくは後述するが、与党だった大阪府内にあっても何があっても維新を支持したくないという岩盤“不支持層”を“熱烈な支持層”以上に多く抱える維新にあって、一方からみれば喝采を送りたいほど望ましい、もう片方からみれば苦々しい状況が生まれている。
筆者は、2020年から大阪のニュース番組でコメンテーターを務めることになったが、出演を重ねるにつれて「あいつは維新に寄りすぎている。何にもわかっていない」や「あいつは反維新。何にもわかっていない」という意見がそれなりの数寄せられる。
維新はどうにも人々の感情を刺激する存在になっていることを痛感するのだった。
そんな最中(さなか)にあって共同代表を務める吉村は代表選挙の出馬を決め、結果は12月1日に明らかになるがすでに大本命に位置付けられている。
やはり最大の注目ポイントは吉村が逆風を変えていけるだけのリーダーなのか、という点だ。彼の資質は近年の盤石な選挙戦、大阪での政権運営をベースに語られることが多いが、私にはやや違和感がある。
吉村ほど我を押し出すことなく、ある意味では敷かれたレールを歩んできたリーダー候補も珍しいからだ。
■誰も覚えていない「地味な弁護士」
拙著『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』に収録したルポルタージュの取材で吉村の姿を追いかけ、彼を知る人々を訪ね歩いたが印象に残っているのは、派手で華やかな成功譚よりもむしろ不思議なまでの地味さである。
吉村は1975年、大阪府南部に位置する河内長野市のサラリーマン家庭に生まれた。勉強がよくできるタイプだったようで、地域の名門・府立生野高校を卒業した吉村は、九州大学に進学し、23歳で司法試験を突破する。
弁護士時代に当時勤務していた東京の熊谷綜合法律事務所で、消費者金融大手「武富士」の顧問弁護士団に加わり、批判するメディア相手の訴訟まで担当していたことが今でも維新反対派の批判材料になっているのだが、彼の仕事を覚えている人は少ない。私は当時を知る弁護士──武富士と対峙していた弁護士と、武富士側で同じような訴訟を手掛けていた弁護士──を訪ねたが、期待するようなエピソードは出てこなかった。
彼らに共通していたのは私が取材に訪れるまで、吉村が訴訟に関わっていたことなど全く知らなかったこと、そして弁護団の一人にはいたかもしれないが記憶には全く残っていないというものだった。
■「次世代のエース」の実態
今からちょうど10年前の2014年衆院選に出馬したときのエピソードも象徴的だ。吉村は「(維新の)次世代のエース」と呼ばれていたが、それは彼が本当に期待されたから……というわけではなく、実際のところは維新逆風、自民優勢という切羽詰まった選挙戦の中で無理やりひねりだしたキャッチフレーズでしかなかった。
そして、現実は消極的なイエスを反映したものとなった。このとき選挙区では、自民党の中山泰秀に8000票差をつけられて敗れている。かろうじて比例で復活当選を果たしたものの、追い風なき戦いの難しさを痛感させられるものだったことは想像に難くないが、逆風でも何かを惹きつける強烈な個性があったわけでもない。
当初は個人としての地盤も人気もなく、選挙に強いわけでもない。
良く言えばどんなことでも「仕事」と割り切ってこなすことができる極めて優秀な実務家だが、悪く言えば政治家として理想や使命感に突き動かされるタイプではなく無個性だ。それはリーダーと呼ぶには、致命的な欠点でもあったが、それでも橋下徹、松井一郎といった維新を立ち上げたオリジナルメンバーは吉村を次世代リーダー候補として育て上げようとした。
■橋下・松井に認められ後継者に
その証左が2015年の大阪市長選挙への出馬だ。当時も党内では実績や経験年数を評価して別の候補者を推す声もあった中で松井は若い吉村を選んだ。彼はわずか1年ほどで国会議員を辞し、首長選に打って出た。
「僕は吉村さんが本命だと思っていました。橋下は人の能力を見る。スペックが大事で、人脈や付き合いは評価の対象にならない。逆に松井さんはじっくりと人間性を見る。本当に維新を裏切ることがないか、周囲を納得させられるかを重視する。二人の条件を最大に満たせるのは吉村さんしかいなかった」
私の取材にこう語ったのは元維新衆院議員の木下智彦である。議員を引退後、ロビイストに転身し、永田町を駆け回る木下は橋下の高校時代の同級生でありラグビー部でもチームメートだった。維新の内部事情や橋下の思考を熟知する人物と言っていいだろう。
後継に選ばれた吉村は大阪市長選に勝利する。その3年4ヶ月後の2019年4月に府知事、市長のダブル選を制し、松井一郎と入れ替わる形で府知事に就任し、新型コロナ禍対応で存在感を示すことになり名前は――悪名もまた――全国区に広がった。
吉村のキャリアをみるとおもしろい事実が浮かび上がる。彼は政界入りしてからの10年間、一度として任期を務めあげることなく、周囲に推される形で4度も立場の異なる選挙戦に出馬しているのだ。初めて任期を全うし、2期目に踏み出した府知事のほうが彼のキャリアにとっては珍しいパターンだった。
我が強く自身のキャリアを作ろうというタイプの政治家ならば、こうはいかない。維新という党の戦略、敷いたレールを歩んできたのが吉村という政治家だった。
■業績を積み重ねても、人気は得られなかった
彼は大阪に個人としての地盤もなく、選挙に強いわけでもなかった。良く言えば、弁護士時代と同様にどんな依頼でも「仕事」と割り切ってこなすことができる極めて優秀な実務家だが、悪く言えば政治家として理想や使命感に突き動かされるタイプではなく無個性だ。
それはリーダーと呼ぶには、致命的な欠点である。一つの事実として大阪市長選で勝利を収めても、今のような人気は無かったことを挙げていいだろう。
就任後、大阪市営地下鉄の民営化という実績を残しても、それは変わらなかった。民営化問題は橋下が大阪市長に就任する以前から懸案の一つで、決着は維新の悲願でもあった。橋下市長時代には自民の反対で、二度にわたって否決されていた。
吉村は自民市議団が突きつけた12の条件をほぼ飲み込む形で、橋下が「敵」と名指しして対立してきた自民を抱きこみ、この問題を決着させた。周囲に相談することなく、公約として掲げた「完全民営化」を諦める代わりに、維新、公明、自民で賛成多数派を形成して、大阪市が全額出資する企業へ地下鉄事業を譲渡する形で、民営化の実を取ったのだ。
この抱きこみには橋下をして、「そんな一手があるなんて……」と驚きの表情を浮かべさせたという策だった。維新の市議団は必死で、この吉村の業績をアピールしたが、メディアも市民も反応は今ひとつで、演説会を開いても、人が集まらないことすらあった。
■「熱心な維新支持者」はほとんどいない
吉村について回ったのは、常に相対的な評価だった。「橋下に比べれば、維新にしては……」が一つの指標で、彼自身の絶対的な評価というのはついに下されないままだった。
そうした吉村の存在は、維新という政党の強さと弱さを体現しているようにも見える。維新は絶対的な支持があるのではなく、相対的な評価の中で、有権者に選ばれてきた政党だからだ。
大阪の有権者の政治心理を分析した『維新支持の分析 ポピュリズムか、有権者の合理性か』(有斐閣、2018年)の著者である関西学院大教授・善教(ぜんきょう)将大(まさひろ)によれば、維新が大阪で与党になった理由を「ポピュリズム政治の帰結」とみなす主張には、実証的な根拠がほとんどない。橋下がポピュリスト的な手法を使い、それに倣(なら)うかのように吉村も同じような方法を使うことはあるが、それだけで支持が得られるならば、都構想は容易に実現できた。
だが、実証的な視点から見れば橋下の支持率は彼がメディアをひんぱんに賑わせたわりには、さほど高くはなかった。端的に言えば、政治家のメディア露出と支持率はまったく連動しない。
■「大阪の利益代表」というポジション
逆に善教による実証的なデータから見えるのは、以下のような実態だ。これだけ長く大阪の与党でありながら、維新を強く支持する層は全体のわずか5~10%。逆に強い不支持層は30%前後存在している。残りの約6割には「ゆるい支持層」と、ほぼ同じ割合の「維新を拒否はしないが支持もしない層」が入り交じっている。この6割のゆるい支持、ゆるい不支持は、時々の状況で入れ替わる。
要するに維新支持層は決して強固ではなく、メディアの影響によって強い支持者が作り出されているわけでもないということだ。
では、なぜ議会や首長選で勝利を収めてきたのか。それは維新が府市の一体性を強調することで「大阪」という都市の利益を代表する政党とみなされてきたからだと、善教は説明する。
自民党をみると、同じ政党でありながら、大阪府議団と大阪市議団では、まったく別の政党のように振る舞うことがある。都構想ですら、府議団と市議団で賛否が分かれ、分裂しかけた。その結果、府と政令市で協調が必要な場面でも、別々の利害に基づく意思決定が繰り返されてきた。
それを「地方自治」の一つの在り方として許容するか、「大阪という都市の利益」を損なう政党の行動と見なすか。自民は前者を選択し、維新は後者に重きを置いた。そして有権者は両者を比較した上で「大阪の利益代表」として、府市一体を主張する維新を支持したということだ。
■「なぜ都構想が必要なのか」を伝えられなかった
そして皮肉なことに、大阪都構想が住民投票で否決された理由も、この維新が実現した「府市一体」にあるとみることができる。
善教によれば、2度目の住民投票は賛成派が圧倒的優位の中で臨んだものだった。維新、公明は賛成、自民府議団の一部も都構想に賛成する状況であり、世論調査でも当初は賛成優位だった。それでも住民投票の結果が反対多数となったのは、政治家や一般市民の反対運動の成果ではないと指摘する。
「私の調査でも、反対運動を見た人は賛成運動を見た人より明らかに多かったです。しかし、反対運動を見た頻度と反対選択に相関はほとんどありません。反対多数の原因は、松井さんが既に維新という政党で府市一体という状況を作っている中で、それでも大阪市を廃止するメリットを伝えることができなかった点に尽きると考えています」(善教)
維新が盛んに主張した「二重行政の解消」にしても、同じ政党が首長と議会多数派を取ったことで既に実現している。であるならば、なぜ都構想が必要なのか。その根拠を示せなかったことで、有権者の説得に失敗した。こうした維新の支持層分析から、コロナ対応についての吉村支持の理由も推測することができる。鍵となるのは、「まだマシ」という有権者の選択であり、広域対策が必須である新型コロナ問題の特性だ。
■「自民や野党よりもマシ」という有権者の判断
都市圏としての大阪の人の動き、大阪市内に周辺の市から毎日、大勢が行き来する「人流」を考えれば、新型コロナの対策は大阪市だけで完結するわけではない。市と府が一体になって対応しなければならないことは至極、当然のことだ。
大阪府だけでコロナ対応が完結するわけではないが、都道府県単位で対応策を決めている以上、府市一体で取り組む姿勢を鮮明にしている維新のほうが、府市バラバラな野党よりもマシである。
そう有権者が判断し続ければ、ゆるい支持は一定程度、続くことが予想できる。
■“途切れたレールの先”を作れるのか
敷かれたレールを歩んできた吉村にとって最大の転機は松井の引退だろう。
「これからは、お前たちの時代や」
二度目の大阪都構想住民投票が否決された直後、松井は吉村にそう告げて、政界を去ることを決めた。
この瞬間、維新にとって最初のフェーズが終わりを告げた。見ようによっては着々と敷かれたレールを歩み続けてきた吉村は、初めて政治家として好むと好まざるとにかかわらず、リーダーとしての孤独を引き受け、自分ひとりの力で歩かなければいけなくなった。
そこから4年――。代表選に際して、彼が掲げた方針は果たして原点回帰だった。逆風のなか、維新第二世代のリーダーは課題を抱えながら進むことになる。
今の維新では誰が代表になっても、全国政党化はかなり難しい課題だが、全国区となった吉村が就任したところで大阪色はかなり強まる印象を与えてしまいかえって票が逃げてしまうかもしれない。原点回帰も同じ効果をもたらす可能性のほうが高い。加えて来年夏の参院選で党勢回復が果たせなければすぐに責任問題が浮上するだろう。しかし、その先は……。
第一世代が築いたレールの先を作ることができるか否か、真価は新たな責任とともに問われることになった。
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記者/ノンフィクションライター
1984年、東京都生まれ。立命館大学卒業後、毎日新聞社に入社。2016年、BuzzFeed Japanに移籍。2018年に独立し、フリーランスのノンフィクションライターとして雑誌・ウェブ媒体に寄稿。2020年、「ニューズウィーク日本版」の特集「百田尚樹現象」にて第26回「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞した。2021年、「『自粛警察』の正体」(「文藝春秋」)で、第1回PEP ジャーナリズム大賞を受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象』(小学館)『ニュースの未来』(光文社)『視えない線を歩く』(講談社)『「嫌われ者」の正体 日本のトリックスター』(新潮新書)がある。
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(記者/ノンフィクションライター 石戸 諭)
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