農協へコネ入社の元プー太郎が高知山奥「道の駅」で年商5億…地元へのふるさと納税額を600万→8億にできた訳
プレジデントオンライン / 2024年11月23日 10時15分
■自称「元プー太郎」が手掛けた高知の山奥の「道の駅」大人気
高知県西南部に位置する、四万十町。“日本最後の清流”四万十川の知名度は高いが、もうひとつ全国から注目される存在がある。道の駅「四万十とおわ」(以下、とおわ)だ。
アクセスは悪い。高知市内から車で2時間超もかかる。それでも近隣の県だけでなく、遠くの関西や関東からもわざわざココを目当てに訪れる人もいて、来訪者は年間15万人超。『道の駅 最強ランキング』(晋遊舎刊、2024年5月)では全国1213中13位にランクインするほどの人気スポットだ。
四万十川を見下ろすロケーションにあるとおわの産直ショップに並ぶのは、地元の栗や芋、お茶など。食堂では天然鮎やウナギなど流域で獲れた新鮮な食材の料理も味わえる。
このとおわの立役者が、四万十ドラマ(本社:高知県高岡郡)の代表・畦地履正(あぜちりしょう)さん(60)だ。
とうわが、「どうせ失敗するに決まっている」と言われながらも、2007年にオープンしてからの2018年までの10年間、運営責任者として指揮を執り、何と年商5億円を叩き出す。だが、その後、ある事情から道の駅運営から離れ、一転、自分が経営する会社は2020年に倒産寸前の危機に立たされたという波乱万丈の人生。
過疎の自治体も目立つ中山間地域で、畦地さんはどう商品開発をして億単位を売り上げたのか。また倒産危機をどう脱したのだろうか。
■「ここにあるもの」の価値を知り、伝える
高校を卒業した畦地さんは、夜間大学に通いながらアルバイトに明け暮れる自称“プー太郎”で、先輩の紹介で高知市内の通信関連会社に就職し、企業の内線電話回線の工事業務を担っていた。2年後の1987年、母の”コネ”で十和(とおわ)農協(現・JA高知県十和支所)に転職。当時は志もなく、第三者がすすめるレールの上を歩むだけだった。
農協の主な仕事は、農家に肥料やガスを配達すること。8月終わりから10月までの栗の繁忙期には「栗の選別に行け」と指示されたまま動いていた。どこか「何で俺が?」という取り組み方だったが、この経験が人生の大きな転機となるのだから面白い。
「当時は四万十流域だけで500〜600tほど獲れました。農家の家に呼ばれ、2tトラックで栗を集荷に行ったことも。大変な作業でしたが、この時に栗農家さんとの繋がりができたんです」
その後、畦地さんは地域づくりの勉強会で、後の師匠となる人物に出会う。年間売り上げ5億円を誇るゆずジュース「ごっくん馬路村」など、高知県内のヒット商品を数多く手掛けるデザイナー梅原真さんだった。そうした実績は当初は知らなかったが、2度目に会っていきなり叱られた。
「高知市内には鰹のたたきがあるけど十和には何もないとこぼしたら『何言うとんじゃ!』と1時間説教されたんです。目の前の川では天然鮎がとれる、築地の料亭で食べたら1匹3000円やぞ、原木椎茸は肉厚、お茶は手摘み。その価値がわからんか? と、それはすごい剣幕で怒られ続けました」
怒られたものの、不思議に腹落ちするものがあった。元プー太郎でコネ入社という他力本願型だった畦地さんの中で、人生で初めて「気づき」が生まれ、自発的に動いてみようという気持ちになったのだ。以来、「ここにあるもの」に注目し、価値を見い出すようになる。
はじめて手がけたのが、四万十産の手摘み茶。それまでずっと静岡茶にブレンドする補助のお茶として生産され、茶業組合がまとめて静岡に出荷していた。その現状を打破するため「四万十川のほとりで新茶を楽しむ会」を開き、栗羊羹付き1杯100円で販売した。満員御礼。たちまち「渋みのなかに甘みがある茶」と評判になり、畦地さんは手応えを感じた。働くことが楽しくなり、どんどん前のめりになっていく。
3年ほど経過し、畦地さんは、農協職員の立場では地域の価値を打ち出す活動に限界があると痛感。1994年、農協を退職する。
■地域資源を掘り起こし、「考え方」を打ち出して商品開発
その数カ月後に、地元旧3町村(西土佐村、十和村、大正町)が出資する地域おこし会社・第三セクターとして四万十ドラマが設立された。畦地さんはこの職員募集に応募し、40人のなかから選ばれた。
1994年の1年目は地元の情報収集からスタートした。どんな農家が何の作物を作っているのか、どの事業者が何を販売しているのかを把握するためだ。
2年目は「四万十川に負荷をかけないものづくり」を提唱する会社の“考え方”を示すため、「水」をテーマに、糸井重里ら有識者18人に執筆してもらったエッセイをまとめた「水の本」を販売。7000部を売った。
3年目には「四万十ひのき風呂」を商品化。ヒノキを「木材資源」ではなく「香り資源」として捉えた。地元の製材所から出るヒノキの端材に焼印をつけて天然ヒノキ精油を染み込ませ、湯を張った浴槽に入れるだけでヒノキ風呂が楽しめるというもの。四国銀行のノベルティ他に採用され、累計100万枚3億円を売り上げた。
その後、地元の茶業組合とのタイアップ商品「しまんと緑茶」を販売し10万本を出荷。「四万十川流域の商品は新聞で包もう」という着想を受け「しまんと新聞ばっぐ」を開発して販売。アメリカやベルギーなど海外から注文が入る商品に育っていった。
2000年には「流域生産者ネットワーク」を設立。無農薬野菜や加工品の生産者を組織化するほか、農協と連携して栗や芋の生産増量計画に取り組んだ。
■ローカル・ローテク・ローインパクト
栗、お茶、水、ヒノキ、新聞バッグ……手がける事業はすべて当たった。
畦地さんは創業から10年たった頃、さらに自社や地域の知名度を高めるため新コンセプト「ローカル・ローテク・ローインパクト」を打ち出した。志を持ち、環境・産業・ネットワークを循環させて四万十川の自然環境を保全しながら活用するといった、会社の基盤となるものだ。
・ローカル:地域密着による地域資源の展開
・ローテク:自分たちで手間暇かけて加工
・ローインパクト:生産現場の風景を守り育む
コンセプトに共感する地元の生産者や事業者を集め、“四万十川に負荷をかけない”商品開発を心がけた。
2005年、地元住民202人が出資して同社は完全民営化を果たす。道の駅四万十とおわ開業に向け、地元住民を巻き込んでオリジナル商品の開発を進めた。2年間で新たに20品を生み出した。
2007年、ついに道の駅四万十とおわがオープン。地元住民の口コミ効果もあり、人口3000人の地域に初日から約5000人の来場者が駆けつけた。わずか9カ月で10万人の来場者数を突破し、周囲を驚かせた。その後は前述したように、売り上げは右肩上がりだった。
2016年には、自社の仕事の傍ら、四万十町のふるさと納税事務局を担当することに。まず道の駅運営ノウハウを応用した仕組みを3カ月かけて構築。栗やウナギ、米など地域資源を発掘し、住民主導で“四万十町らしい”商品をピックアップした。
当初10事業者に声をかけ、100商品を目標に揃えた。先進事例にならってふるさと納税額日本一の宮崎県都城市を訪問し、商品ページの打ち出し方を学んだ。商品説明については、誰が、どこで、どんなふうに栽培しているのか、背景をしっかりと伝えた。そこに四万十町主体のネット広告が後押しし、従来1年分の納税額600万円を1カ月で達成。1年間で寄付額8億円と大幅な増収に成功した。
2017年には全体の売り上げで年商5億円を記録。構想当初9割の人が「絶対にうまくいかない」と反対した道の駅は、「考え方」を全面に打ち出した商品戦略で大成功を遂げた。
「これもすべて、スタッフの努力や住民のみなさんのおかげですね」(畦地さん)
■「社長だったら大丈夫」倒産危機を脱したのはバンカーの後押し
しかし、暗雲が垂れ込める。
2018年に道の駅の指定管理期間が終了。前年度に四万十町の議会に提出していたプロポーザル(地方自治体などが業務を外部に委託する際に利用する、競争入札方式)がまさかの1票差で不選出、同社は商品販売する主戦場を失ってしまったのだ。
「結果を出してきたのだから、俺もスタッフも選ばれて当然と思っちょった。発表直後は茫然自失でしたよ。一体どういうことなのかと怒りに震えましたね」
畦地さんはこれまでずっと「ピンチはチャンス」の姿勢で切り抜けてきた。残された道の駅内の直営カフェにある小さな加工場でスイーツ製造販売を続けるものの、製造量には限界があった。半減する売り上げ額では、毎月の人件費すらままならない。
資金がないなか製造業務以外にどう仕事を作ればいいのだろうか。アイデアが浮かばない。目減りする数字に脳裏に浮かぶのは「倒産」の2文字。今回の窮地にはさすがに心が折れかけたという。
それでも、捲土重来の策として、ひねり出したのが自社工場「しまんと地栗工場」の建設構想だ。半ば開き直って小売業から製造業になるという大勝負に出たわけだが、総工費は2億円。融資を受けても返済できるかは不透明だ。畦地さんは不安で押し潰されそうになっていた。
「社長だったら大丈夫。やりましょう!」
絶体絶命の大ピンチに力強くこう言い切ったのは、高知銀行大正支店支店長(2018年当時)の岡田一水(かつみ)さんだ。誰の目で見ても経営状況が逼迫した同社に、なぜ巨額の融資を決めたのだろうか。
「四万十ドラマさんは、10年間の道の駅運営を通じて四万十の名前を全国区に広めた功労者。畦地社長は大きな目標を掲げてやり遂げる力がありますし、スタッフのみなさんも意欲のある方ばかり。バンカーとして、未来ある地域の宝が崩れていくのを見過ごせませんでした」(岡田さん)
岡田さんの強力なバックアップがあり、無事融資が実行。同社は製造業社として改めてスタート地点に立つことができた。
2021年5月、自社工場が竣工。国際水準の食品衛生管理基準を満たす高知県版HACCP(ハサップ)の第3ステージも取得。加工場面積が5倍になり、製造数量が3〜4倍と劇的にアップした。道の駅でも大人気の「焼きモンブラン」は1日5000個、「いも菓子ひがしやま。」は1日1万枚が製造可能になった。
2023年の年商は4億超。売り上げを2年で2倍に巻き返した。工場建設を後押しした岡田さんは、「すべては企業努力。なるべくしてなりゆう」と声を震わせる。
■中山間地域から世界の市場に挑む
同社は2022年から「しまんと流域organicプロジェクト」と称し、有機栽培の取り組みも強化している。加工品の原材料を無農薬産品に転換するのだ。世界のニーズに応える一因もあるが、すべては四万十川を未来に引き継ぐことに繋がっている。
2024年夏、畦地さんは取締役社長の座を次男の剛司さんに継承し、現在は会長職として経営を見守りつつ、販路拡大のため海外市場との交渉も積極的に図っている。
四万十ドラマが紡ぐ挑戦の物語は、まだまだ続いていく。
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フリーランスライター
1979年生まれ。ジャンルレスで地域のヒト・モノ・コトの魅力を伝えるフリーライターとして活動中。兵庫県在住。
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(フリーランスライター 野内 菜々)
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