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死の隣で自分を見つめる…僧侶で登山家の38歳がヒマラヤの未踏峰2座を制し感じた"人間の儚さ"

プレジデントオンライン / 2024年11月24日 10時15分

日本人が初登頂したマナスルを正面に捉えて - 写真提供=本人

■日本最北端の島に登山家兼僧侶がいる

有人島では日本最北端に位置する礼文島に、登山家を兼ねる異色の僧侶がいる。日蓮宗妙慶寺で副住職を務める齊藤大乗さん(38)は、登山家としても活躍し、これまでヒマラヤの未踏峰2座を制覇した。人口減少にもあえぐ離島の再生への挑戦も続ける。

稚内から船で2時間あまり。礼文島はサハリンにも近く、ロシアと接する「国境離島」である。時折、轟音を上げてスクランブル発進した自衛隊機が、上空を横切る。

北緯45度の高緯度にある立地のため、海抜0メートルでも高山植物が見られる「花の島」として知られる。6月〜9月の夏期には、レブンアツモリソウやレブンウスユキソウなどの固有種が咲き乱れ、多くの観光客を集める。

一方で、冬期は風と荒波で閉ざされた世界になる。そのため、夏場は島で観光業などに従事し、冬は札幌や東京などに出稼ぎに出る島民も少なくない。筆者が訪れた10月末、多くの宿泊施設は早くも閉鎖され、島はひっそりと静まり返っていた。

礼文島は主に2つの集落(香深、船泊)があり、人口わずか2200人ほど。しかし、その小さな島に8つもの寺院が存在する。その中の一つ、船泊集落にある妙慶寺を訪ねた。

「私は秋に入れば礼文島を離れて、国内外の山にいることが多いので(取材の)タイミングが良かったです。もっとも、ここ数年は厳冬期には隣の利尻島でバックカントリー(整備されていない雪山をスキーやスノーボードなどで滑るスポーツ)のガイドをやっていますがね」

齊藤大乗氏は澄んだ目、人懐っこい笑顔が印象的だ。頭は僧侶らしく短く刈り込んでいるが、あまり「僧侶らしさ」が感じられない。

礼文島の妙慶寺にて
撮影=鵜飼秀徳
礼文島の妙慶寺にて - 撮影=鵜飼秀徳

■インドのスラム、福島第一原発…「死」の隣で去来したこと

齊藤さんの人生は、波乱万丈だ。「幼いころから寺での生活には、抵抗はなかった」と語るが、僧侶としての道を確立するまでの彼の歩みは、決して平坦ではなかった。

最初の転機は、日蓮宗僧侶になるための第一歩を踏み出す道場「僧道林」に入る直前に、幼馴染の親友が自死したこと。僧侶として友を救えなかった無力さを恥じ、本格的に修行道場に入るのをやめた。人生の目的も失いかけ、精神的にも荒んだ日々を送っていたという。

「そんな私を見かねた父が、『インドにでも行ってこい』と言ってきたんです。そこで1年ほどインドを放浪することに。スラムを回り、ストリートチルドレンらと交流し、貧困の中でも逞しく生きる人々を目の当たりにしました。このインドでの強烈な経験が私の目を覚まさせました。それでお寺を継ぐというレールからいったん外れ、真逆のことがしたくなったんです。私が選んだのは、自衛隊に入隊することでした」

齊藤さんは陸上自衛隊の千葉・木更津駐屯地に配属。第1ヘリコプター団の通信手の任に就いていた2011年3月11日、東日本大震災が起きた。翌12日には福島に派遣される。現場は福島第一原子力発電所だった。全電源喪失とメルトダウン、そして原子炉建屋が爆発。現場は修羅場と化したが、「私は偉い上官の側で補佐をするだけの役割でした。自衛官として現場で汗を流すこともなく、何もできなかったことが、悔しかった」と振り返る。

齊藤さんは2014年に退官するが、現在も予備役として所属を続けている。

「自衛隊を辞めた直後は、漠然とした不安感がありました。このまま礼文島に帰ったら、誰にも僕という存在が知られないまま消えていくんだ、と。自分が生きているってことを、誰かに知られてなければ、生きていることにはならない。このままだったら死んだも同然だ、と考え、本格的に山登りを始めました」

山登りのきっかけをくれたのは木更津駐屯地にいた時、隣部屋の先輩自衛官だった。誘われるがままに八ヶ岳を登り切り、山の世界にあっという間に引き込まれた。八ヶ岳登山の翌週には難易度の高い甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根ルートに挑んだ。

さらに谷川岳、赤岳、穂高岳、剱岳など、国内の3000メートル級の山々で鍛錬を続けた。齊藤さんはNHKの紀行番組『にっぽん百名山』などでカメラ機材の荷上げなどにも関わりながら、山の仕事にどっぷりと浸かっていった。

2018年稜線にて。チベット方面を背景に
写真提供=本人
2018年稜線にて。チベット方面を背景に - 写真提供=本人

■Google Earthの衛星写真に“裏切られる”楽しさ

そして2018年、登山家としてのキャリアを大きく飛躍させる機会を得る。世界的登山家の花谷泰広氏が主催するヒマラヤ遠征チーム(ヒマラヤキャンプ)に加わったのだ。花谷さんは、世界で特に秀でた冒険を成し遂げた登山家に与えられるピオレドール賞を、2013年に受賞している憧れの存在だ。このヒマラヤキャンプは、次代を育成する目的で若き登山家を集め、ネパールの未踏峰に挑むというものだった。

齊藤さんらが向かったのは、標高6265メートルのパンカールヒマールという未踏峰だった。目の前には、世界第8位の高峰マナスルがそそり立っていた。

「未踏峰に挑むというのは、ただ単に頂上を目指すということではありません。世界最高峰のエベレストなどはネットで調べれば、YouTube動画など膨大な情報が出てきます。しかし、未踏峰には、まだ誰も見たことのない景色が待っているということ。地図や写真には載っていない未知への期待が、登山家としての自分を駆り立てたんです」

パンカールヒマールへのパーティは、花谷さんを含めて6人とシェルパ達。当初は難易度の高い左ルートを選んだが、セラック(氷塔)帯に阻まれて断念する。一旦、下山して右ルートに変更し、4日かけて一気に登頂した。

パンカールヒマール登頂
写真提供=本人
パンカールヒマール登頂 - 写真提供=本人
鵜飼秀徳『仏教の未来年表』(PHP新書)
鵜飼秀徳『仏教の未来年表』(PHP新書)

「事前にGoogle Earthなどの衛星写真などを使って、想像力を働かせながら挑んだのですが、ことごとく裏切られるんですよ。データに裏切られる楽しさがありましたね。必死にもがいて登頂し、そこで見たのが、人類史上初めての景色。そして目の前にそびえるマナスル。マナスルも、日本人が初登頂しています。ヒマラヤの高峰は肉眼で見るとやっぱり全然違うんですよね。そして、空を見上げると、深い紺色なんです。すぐそこに宇宙を感じられるんです。アタック中は何度も自分の限界を感じましたが、その先にある未知の風景を見るためには、どんな苦労も惜しくはなかったです。最高に感動しました。パンカールヒマールから戻った自分は、未踏峰登頂をライフワークにしていきたいという思いを、一層強くしました」

現在、ヒマラヤには未踏峰が100座以上存在する。ネパール政府は、外貨獲得手段として、未踏峰登頂を援助しているという。

齊藤さんは、未踏峰という未開の地に立つことで、大自然の中での人間の儚さを思い知る。そして、仏教の教えである「無常」の意味を体感したという。

「登山は仏教の修行に似ていて、自然の中で自分を見つめ直す機会を与えてくれます」

■登山と仏教の教えは、通底している

パンカールヒマールでの経験は、その後の齊藤さんの生き方に強い影響を与え、登山家として、また僧侶としての自己鍛錬への原動力となった。コロナ禍明けの2022年、今度はヒマラヤにある別の未踏峰、サウラヒマール(6230メートル)に2人で挑んだ。

「最初のパンカールヒマールは花谷さんの力が大きかったけれども、今回は自分たちだけで登り切るということが目標になりました。そして、登頂できたんです。頂上に立った瞬間は、号泣しながら、衛生電話で花谷さんに電話しました」

パンカールヒマール下山中、2022年に登ったサウラヒマールが映る
写真提供=本人
パンカールヒマール下山中、2022年に登ったサウラヒマールが映る - 写真提供=本人

「下山の最中に、ネパール人のガイドさんが、『大乗さん、あの山見えますか?』って言うんです。『はい、見えます』『あの山は2020年に日本人が挑戦して、失敗した未踏峰なんですよ。ジャルキャヒマール(6473メートル)といいます。大乗さん、来年ジャルキャキマール登りませんか』って。そう言われれば登るしかない。昨年2023年に挑戦しました。でも、大雪降って撤退。まあ、仕方ないですよね」

ジャルキャヒマールへの挑戦はNHK札幌放送局のドキュメンタリー番組『未踏峰への挑戦』に取り上げられた。

2023年ジャルキャヒマールベースキャンプにて
写真提供=本人
2023年ジャルキャヒマールベースキャンプにて - 写真提供=本人

齊藤さんは今、ゲストハウスを併設した宿坊の構想を抱いている。島を訪れる人々に仏教と、礼文島の自然を体感してもらいたいと考えたからだ。

「礼文島の風景には他にはない独特の美しさがあります。それを多くの人に知ってもらいたいし、その美しさが仏教の教えと共鳴することを願っています」

礼文島は人口減少にあえいでいる。この30年間で人口は半減した。同時に寺の檀家も激しく減っている。島の寺を今後、どう維持していくか。齊藤さんの課題でもある。

「父が妙慶寺に入った当時、檀家は66軒ほどでした。近年は葬式のたびに檀家が減っていくような有り様です」と齊藤さんは語る。現在の檀家数は44軒。寺務だけで生活していくには到底、足りない檀家数である。だが、齊藤氏はこの現状を悲観してはいない。それどころか、檀家の少なさを逆手に取って、様々な挑戦を続けている。

先述のようにゲストハウス構想に加えて、クラフトビールのブランドを立ち上げようと考えている。近年、寺の境内の一角にビールの主要原料のホップを植え始めた。さらに檀家さんにも株分けをしながら、安定的な収穫を目指している。実現すれば、日本最北のクラフトビールになる。

「ビールのうまい国って、緯度が高いところなんですよ。礼文島はフランスとだいたい緯度同じか、少し上。国の補助金制度などを活用しながら、ブルワリーをつくれればと思っています。地域の人も雇って。島の魅力がひとつでも増えればいいなと思っています」

来年は北米大陸最高峰のアラスカのデナリ(6190メートル)に挑むという。登山を通じて、「今を生きる」意味を問う。登山と仏教の教えは、通底しているのかもしれない。

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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