「17歳でヤクザ→前科7犯・服役7年→神学校」埼玉・川口のスナックで教会を立ち上げた"元ヤクザ牧師"の来歴
プレジデントオンライン / 2024年11月30日 8時15分
■10代でヤクザになり、覚醒剤の虜に
18歳で傷害罪、19歳で債権取立てによる住宅侵入罪、20歳以降は3度の覚醒剤取締法違反――。これらは過去に私が犯してきた罪の一部です。
1970年に西川口で生まれた私は、小学生の頃から、夜遅くまで家に一人でいる家庭で育ちました。父が大酒飲みで放蕩し、母は家計を埋めるように水商売で働いていたため、幼いながらどこか寂しい気持ちを抱えていました。
中学生になると、そんな寂しさを紛らわすよう、境遇が近しい同級生たちと夜遊びを繰り返すようになります。周りの不良の先輩の真似事で、他校の中学に喧嘩を仕掛けたり、雀荘で時間を潰したりと、次第に非行に走っていきます。父はそもそも私のことを相手にせず、母は忙しく私を止める余裕もなかったため、非行には拍車がかかっていきました。
そして、高校1年生の時、他校の生徒に暴行を振るったことで、退学を言い渡されます。プー太郎になった後、たまたま地域の草野球を運営するヤクザと知り合います。先輩の不良がヤクザだったこともあり、自然と「組に入らないか」とスカウトされて、そのまま17歳で極道の道に進むのです。
それからは一兵卒として、債権の取り立てに加担したり、他の組と喧嘩したりして、10代のうちから拘留されます。覚醒剤を覚えたのもその頃でした。違法薬物を捌(さば)くことで、主なしのぎを得ていた私は、捌き切れなかった分を自分で摂取するようになり、たちまちのめり込んでいくのです。
気づけば私は、堕落まっしぐらの道を進んでいました。覚醒剤の後遺症で身体がだるくなり、倦怠(けんたい)感を解消するため覚醒剤を求めては、ヤクザ稼業に深入りしていく。こうして悪循環にハマっていきました。
■刑務所のなかで聖書と出会う
前述した3回の服役は、いずれも覚醒剤取締法違反です。出所すれば、その反動からまた薬物に手を出して、揉め事を起こして逮捕される。生活が荒(すさ)んで自暴自棄になり、ヤクザ稼業もおざなりになって、組からは破門される始末です。気づけば私は前科7犯になってしました。私は普通の仕事をまともにできなかったどころではなく、ヤクザすらもやり遂げられなかったのです。
とはいえ、破門された後も覚醒剤を断てず、ツテのある売人から覚醒剤を仕入れ、足がつかないようにホテルを転々としながら、その日暮らしの生活を送っていました。
もう堕落した生活はこりごり、覚醒剤やヤクザから足を洗いたい――。気づけば30歳になっていた私は、3回目の服役中に、そう痛感しました。当時、同棲して子供も授かっていた女性に捨てられ、だいぶ堪(こた)えていたのです。
ただ、学歴や貯蓄もなければ、小指も詰めていて、頼れる堅気の仲間もいない。すでに年齢は30歳。袋小路な状態を抜け出せるとも思えず、ただただ塀の中で絶望していました。
そんなとき当時の交際相手が、最後の面会で置いていったのが旧約聖書でした。いま思えば、これがキリスト教との出会いになります。
聖書を手にした時、「ミッション・バラバ」という元暴力団員で構成された、日本の伝道団体があるのを思い出しました。元ヤクザが牧師なんて偽善で胡散臭いと思いつつも、罪を重ねてきた人たちが、入れ墨を出して堂々と活動している姿が羨ましくもあった。そうした気持ちから、私は暇を持て余した拘置所で、聖書に救いを求めてページをめくるようになりました。
■「立ち返れ、お前たちの悪しき道から」
はじめは内容もまったく分かりませんでしたが、途中から物語性を帯びて少しずつ面白くなっていく。そこからは大河ドラマのような展開が続き、刑務所で時間を潰すお供になっていきました。
そして、33章11節を読んだ時、視界が一気に開けたような感覚が訪れるのです。その一節には「わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。むしろ、悪人がその道から立ち帰って生きることを喜ぶ。立ち帰れ、立ち帰れ、お前たちの悪しき道から」と書かれてありました。このとき「ヤクザでもクリスチャンになれば社会復帰できる。神から見放されることはないんだ」と、漠然と希望が湧いたのを覚えています。
そこで、より聖書の内容を理解しようと、信徒伝道者と文通することにしました。実際に、私が服役していた刑務所では、受刑者と文通する信徒伝道者がいたため、その人にコンタクトを取ったのです。
手紙のやり取りを重ねるにつれ、私のような半端者にも、赤の他人が手を差し伸べてくれる事実に深く感激しました。気がはやいですが、その頃には私も牧師になって、道を踏み外した人を救済しようと使命感に駆られていたのです。
■母親に親不孝を詫び、牧師になる準備を進める
計7年の懲役を終えて出所した私は、32歳になっていました。
出所を知った売人仲間や昔の客、組の弟分は、自分が牧師を目指しているとはつゆ知らず、何事もないかのように連絡してきました。裏稼業とはいえ、恩義を感じている人もいたので、彼らの誘いや要求を突っぱねるのには苦心したものです。
なかでも、親分に足を洗いたいとお願いしに行くのは、かなり時間と勇気が要りました。幸いなことに、要求は通り、晴れて牧師を目指すこととなりました。
間もなく、私は東船橋にある教会に出向いて洗礼を受け、住み込みで教会の手伝いをすることになりました。そこは土足のまま入れる教会でしたが、寝袋を持ち込んで床の上で寝泊まりすることになったのです。
合計で7年も刑務所に入っていた私でさえ、「なんて惨めな生活だろう」と思いましたが、ほかに行くところのなかった私はここで頑張るしかない、と決意を新たにしていました。「これからが本当の勝負だ。神さま、どうかお願いします」と祈りながら、教会での住み込み生活をスタートさせたのです。
住み込み生活では、毎朝5時過ぎに起床し、6時には祈祷をして、聖書を勉強する毎日でした。やがて、呉服屋を営んでいる教会員に気にかけてもらい、そこで営業のバイトを始めました。そこから、19時から21時の夜間授業を行っているJTJ宣教神学校にも通い始めます。入学する際には、お世話になっている教会の牧師からの推薦があり、入学金や授業料を貸してくれる友人にも恵まれました。
入学後は目まぐるしい毎日でした。朝早くから掃除や礼拝の準備などの教会のルーティンをこなし、昼は鳶職や弁当店で働き、夜は学校に行く。神学校は上野にあり、住み込んでいた教会と遠かったため、恥を忍んで実家に戻りました。両親はすでに離婚しており、母は1人でスナックを経営していました。私は母のもとに向かい、これまでの親不孝を詫びて「ヤクザはやめて、いまは牧師を目指している。これから真面目に生きる」と伝え、なんとか許してもらうことができました。
■教会を立ち上げるも、参加者は半年間ほぼゼロ
そして、在学中の2005年に、自分で教会を立ち上げました。ただ、教会といっても立派な建物があるわけではなく、母が経営しているスナックを日曜の昼だけ間借りしたものです。神学校の同級生も手伝ってくれたことで、ようやく伝道できると躍起になっていました。
ただ、いかんせん人が来ません。取ってつけたような手書きの看板は書いたものの、外観はどう見てもスナックです。結局、半年経っても参加者はほぼゼロで、手伝ってくれた友人も逃げ出す始末でした。それでも、やっとの思いでヤクザから足を洗って洗礼を受けたこともあり、後に引くことはできません。むしろ追い込まれたからこそ、信仰も深まり、やる気がみなぎってきました。
というのも、聖書には「鼻で息するものに頼るな」という言葉があります。この神の言葉の意味は「人(鼻で息するもの)ではなく、神ご自身に頼れ」という意味で、この言葉によって奮い立ったのです。
それからは、どうやったら教会に人が来てくれるのかを改めて考えていきました。
■礼拝は午後2時半から、献金箱は廃止
はじめに手を打ったのが、礼拝の時間を午後2時半にしたことです。「礼拝は日曜の午前中に行うものだ」という業界の慣習がありますが、実は明確な決まりはありません。
それに私自身、ヤクザとして夜の世界に入り浸り、母が深夜までスナックを営む姿も見てきたので、「礼拝に行きたくてもかなわない層がいるだろう」と考えたのです。予想通り、礼拝時間を変えたことで、水商売をやっている方など、開始時間が朝からだったら参加できないような方が少しずつ教会に来てくれるようになりました。
次に変えたのが、礼拝の後に「献金箱」を回さないことにしました。キリスト教の教会では、礼拝が終わった後に宗教的な寄付である「献金」をするための箱を回し、参加者が自分で決めた金額を箱に入れるという習慣があります。
ただ、私が元ヤクザという経歴もあり、教会を訪れる人のなかには、元受刑者や薬物依存症者など定職に就けない人も少なくありませんでした。そうした人々は、金銭的に余裕がなく、献金箱を渡してもお金を入れることができません。私としても心苦しいし、こちらの印象も悪くなるだけです。もちろん献金が欲しいのは山々ですが、まずは人が集まるようになるまで、献金箱をまわすのはやめることにしました。
この「献金箱を回さない」という特殊な運営方針は、2012年まで続きました。
■「普通の教会」には来ないような人も参加者に
あるとき、水商売をやっている若い女性が礼拝に参加してくれたことがありました。
彼女は同棲している彼氏にお金を貢いでいるようで、常に金銭的に困っている様子でした。そんな彼女が「ほかの教会は朝から礼拝をやってるから参加したくてもできないけど、進藤先生の教会なら顔を出せる。献金箱も回ってこないから、お金がなくても気軽に参加できるし話も聞いてもらいやすい」と言ってくれたことがありました。
彼女のように朝まで働き、さまざまな理由で金銭的に困っている人が参加してくれたことで、「自分のやっていることには意味がある」と改めて感じるようになっていきました。
こうした工夫のかいもあってか、ぽつりぽつりと常連の参加者が増えていきました。このころにはJTJ宣教神学校の先輩らも協力してくれるようになり、間借りの教会を始めてから5年ほど経った2010年頃には毎週10~15人ほどが訪れるようになりました。
■自伝本を出版し、テレビ出演を果たす
ただ、礼拝の参加者が10~15人程度に増えたからといって、それだけで生活が成り立つほどの収入はありませんでした。参加者の方々からいただいていた献金や、講演会の謝礼などを原資として、自分が設立した宗教法人から月に5万円の給与を受け取っていたのですが、当然ながらこれだけでは生活ができません。
相変わらず実家暮らしを続けながら、平日は配送などのアルバイトでお金を稼ぎ、日曜は間借りのスナック教会で礼拝をするという生活を続けていました。このころの私は「アルバイトを辞めて、牧師の仕事だけで生活できるようになりたい」と祈り続けていて、現状を打開するためにさまざまな人に会いに行き、自分の活動をアピールしていました。
ちょうどその頃、私の異色のキャリアが目に留まったのか、自伝本の出版オファーが舞い込んだのです。この本が無事に出版されると、テレビ出演も立て続けに決まり、ほとんどの民放テレビ局に出演することになりました。知名度が上がったことで参加者も増加し、最盛期は毎回40人ほどの参加者が訪れるようになったのです。
また、時間を見つけては、全国の受刑者と文通でやり取りすることで、献金も寄せられました。とはいえ、まだ牧師の活動だけで生活するのは難しい状況でしたが、着々と理想に近づいていきました。
■4200万円の献金が集まり、自分の教会を設立
状況が急変したのは2015年。間借りしていた母のスナックが建て替えとなり、立ち退きを強いられたのです。ほかの場所を探す資金的な余裕がなかったため、2018年までの3年間は大家さんに頭を下げてスナックでの礼拝を続けさせていただきました。
教会として使える次の物件を探すなかで、最初は賃貸で十分と考えていました。ところが、刑務所伝道や元受刑者の支援を続けるにあたって「牧師さんはともかくとして、うちの物件に刑務所から出てきた人が出入りしたり、寝泊まりするのははちょっと……」と、不動産業者や大家さんに断られ続けてしまったのです。
そこで、自分たちでお金を集めて新しい教会を設立することにしたのです。
当時の貯金額は350万円でしたが、新しい教会のための拠点を探しているとニュースレターを出したところ、3年間で2000万円近くの献金が集まりました。そのうえ、クリスチャンの友人らがお金を融資してくれることに。なかには1000万円も貸してくれる人もいて、結果的に4200万円が集まりました。
そして、2019年、いま現在の活動拠点である教会を川口市の南鳩ヶ谷に設立しました。2012年ごろから牧師の収入だけで暮らせるようになっていましたが、まさか自前の建物を持つことができるとは思っていませんでした。
■どんな状況からでも、必ずやり直すことができる
翌年には、コロナで礼拝ができない危機が訪れたものの、新しい教会を設立した後でも刑務所伝道は並行して行っていたので、全国からの献金で生活できました。いまとなっては、2000万円近くある借金も半分近くまで返済し、2029年には完済する見込みです。
振り返ってみれば、話が出来すぎていると思われそうですが、こうした牧師の活動だけで生活できるようになったのも、獄中で“どん底”を経験したからだと強く感じています。また、刑務所伝道で多くの人とつながれたこと、そして「自分は神様から見放されることはない」と実感できたことが大きかった。やさぐれていても、誰か手を差し伸べてくれる人がいるというつながりが、自分を鼓舞する原動力につながりました。
この記事を読んでいる方のなかにも、なにかしらの事情で、「自分はダメな人間だ」と、自暴自棄になっている人がいるかもしれません。ただ、私がキリスト教に出会ったように、人は完全に孤立することはありません。それは自分が気づいていないだけで、どれだけ悪い状況に陥ってしまったとしても、そこから這い上がれるきっかけは必ず存在しているのです。
(後編に続く)
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牧師
1970年生まれ。埼玉県川口市出身。高校を喧嘩で中退後、18歳でやくざにスカウトされ、広域暴力団S会系の組員となる。28歳のとき、暴力団の組長代行になるが、覚せい剤が原因で降格。3回目の服役の際、差し入れられた聖書を読み、回心する。出所後、シロアムキリスト教会にて、洗礼を受ける。2005年、JTJ宣教神学校卒業と同時に、開拓伝道を開始。現在は、川口市にある「罪人の友」主イエス・キリスト教会の牧師として、日本各地の受刑者との文通や面会を通し、福音を伝えている。著書に『人はかならず、やり直せる』(中経出版)、『極道牧師の辻説法』、『未来はだれでも変えられる 極道牧師と“元ワル”たちの人生やり直し』(ともに学研プラス)、『立ち上がる力』、『あなたにもある逆転人生!』(ともにいのちのことば社)、などがある。
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(牧師 進藤 龍也)
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