「お風呂に毎日入る人」は皆無だったのに…130年前の日本人に"入浴の新常識"を広めた「母親の教科書」の中身
プレジデントオンライン / 2024年12月1日 16時15分
※本稿は、川端美季『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)の一部を再編集したものです。
■なぜ日本人は「風呂好き」になったのか
日本における入浴をめぐる言説はどのように共有され、人々の間に浸透していったのだろうか。入浴習慣がよいもので、それが日本独自のものであるとするならば、その習慣をどう浸透させていったらよいのか。
そこで習慣を根づかせるコミュニティとして重視されたのが「家庭」であった。明治時代から「家庭衛生」という領域で、(多くは家政に関する書籍のなかで)入浴が論じられるようになっていったのである。本稿では、明治時代から大正時代における、日常生活に密着したレベルでの記述を行う家政学の議論を中心に取り上げ、日本人の習慣としての入浴が、どのように家庭に、とりわけ女性に託されてきたのかをみていきたい。
まずは、「家政」という言葉について確認しておきたい。家政というと「家政婦」や「家庭科」を思い浮かべる人々もいるかもしれない。西洋では近代に家政学の領域が確立したとされるが、「家政」という言葉自体は古代ギリシャの『オイコノミコス』という本を起源とする(オイコノミコスは「家政について」という意味をもっていた(*1)。またエコノミクス(経済学)の語源でもある)。
アメリカでは19世紀後半からホーム・エコノミクス(家政)運動が盛んになり、20世紀に学問領域としての家政学が確立した。その代表的な出来事として、20世紀初頭にアメリカ家政学会が創立されている。
家政学とは「最も包括的な意味において、一方では人間の直接的物的環境」についての、もう一方では「社会的存在としての人間の特性についての、法則、条件、原理、理想についての研究」であり、これら二つの要素の関係をめぐる研究だと位置づけられた(*2)。
(注)
(*1)よく知られているように、エコノミーの語源がオイコノミア(家の管理)である。『オイコノミコス』は古代ギリシャのクセノポン(クセノフォン)によって著された。妹島治彦『『ビートン社の家政書』とその時代 「しあわせのかたち」を求めて』京都大学学術出版会、2018年、xii。クセノフォン著、越前谷悦子訳『オイコノミコス 家政について』リーベル出版、2010年
(*2)アメリカでは1899年から10年間、レイク・プラシッド会議が開かれ、アメリカ家政学会が創立されていく。この定義は1902年につくられ、現在まで広く使用されている。S・ステイジ、V・B・ヴィンセンティ編著、倉元綾子・山口厚子訳『家政学再考 アメリカ合衆国における女性と専門職の歴史』近代文藝社、2002年、366頁
■「家政学」とはどんな学問なのか
その領域には衛生、栄養(調理)、被服(裁縫(さいほう))、保育(育児)、経済など、家庭の経営(ホーム・エコノミクス)に関するものが多岐にわたって含まれている(*3)。たとえば細菌による感染症をはじめとする病気への対策として、家政学と公衆衛生の実践がお互いに呼応するように、家庭レベル、そして個人レベルでの清潔さが教化されていった(*4)。
一方、日本の家政学はというと、その学問的な成立は第二次世界大戦後に、大学に家政学部や家政学科が設立されたことが始まりとみなされることが多い。ただし、「家政」という言葉自体はそれ以前から存在していた。明治初期には海外の家政書の翻訳がなされ、また欧米を視察した者によって「家政」という表現がタイトルに入った出版物も刊行されている。
では、ここからは家政書が刊行される過程で、日本人の習慣としての入浴がどのように家庭に託されるようになったのかをみていきたい。まず、「入浴」をめぐる記述は、いつ頃、どのように現れたのだろうか。
(注)
(*3)今井光映・紀嘉子編著『アメリカ家政学史 ホーム・エコノミックスとヒーブの原点 リチャーズとレイク・プラシッド会議』光生館、1990年、78頁
(*4)N・トムズ著、倉元綾子・山口厚子訳「細菌学説の広がり 衛生科学と家政学、1880年~1930年」、S・ステイジ、V・B・ヴィンセンティ編著『家政学再考 アメリカ合衆国における女性と専門職の歴史』、57―78頁
■「家庭」と言いつつも、出産と育児に重点が置かれている
入浴に関する記述が家政書に現れるのは明治中期頃である。1888(明治21)年に刊行された、山本与一郎(*5)『家庭衛生論』を紹介しよう(*6)。
同書は全五編から構成されている。各編のタイトルは「妊娠中養生の事」「分娩(ぶんべん)の事」「小児一歳より三歳迄(まで)の事」「小児四歳より十五歳迄の事」「小児期に関する雑項」。これをみるとわかるように、主眼は「妊娠」「出産」「育児」に置かれており、家庭と銘打ちながら内容は育児に特化している。子どもを授かる=母になることに重点が置かれたものだといえるかもしれない。とりわけ注目したいのが緒言である(句読点は筆者による)(*7)。
この「緒言」によれば、一人の衛生を守ることが一家の衛生につながり、その一家の衛生はやがて一国の衛生に結びつく、というのである。衛生が「一人」―「一家」―「一国」というつながりで成立するという見方は、当時の衛生観を表している。
(注)
(*5)山本与一郎の詳しい経歴は不明である。瀧澤利行は『家庭衛生論』の中表紙から「医士」という記述に着目し、医業を営んでいたのではないかと指摘している。瀧澤利行『近代日本健康思想の成立』大空社、1993年、293頁
(*6)川端美季『近代日本の公衆浴場運動』法政大学出版局、2016年
(*7)山本与一郎「家庭衛生論」瀧澤利行編『近代日本養生論・衛生論集成』第15巻、大空社、1993年
■家庭の衛生を守ることが、国家を守ることにつながる
加えて述べられているのが、「母」の役目である。
母親は夫と子どもの「家内万般のことに注意する役目」をもっていると明言される。そのうえで必ず「衛生を心得る」べきものだとし、世の中のすべての母親に完全な「衛生法」を覚えさせるのが、社会にとって有益だとされた。要するに、一家の衛生を守るのは母の務めであり、母が行う衛生法を完遂することが、一国の衛生を守るために重要なのだという。
近代における新たな母の役割をまさに表現しているといっていい。「衛生」という言葉を日本で成立させたのは、江戸期から明治期を生きた医師の長与専斎という人物である。近世から近代に移り変わるなかで生まれたこの言葉は、当時は単に身の周りを清潔に保つことや健康を守ることのみを意味しなかった。
長与は衛生を「人生の危害を除き国家の福祉を完(まっと)うする所以(ゆえん)の仕組」と説明した(*8)。つまり当時の「衛生」とは、現代の我々が考える衛生概念よりずっと広く、国民の生命を維持するためのあらゆるものを含んでいた(*9)。母という役割は、長与のいう「衛生」の一端を担うものだといえる。この『家庭衛生論』でもう一点注目したいのが、産湯(うぶゆ)に関する注意である(*10)。
産湯の温度は36~37度が適切だと述べ、入浴時間についても長すぎることと短すぎることを注意している。同様の注意は他の家政書でもみられるものであった。
(注)
(*8)長与専斎『松香私志』長与称吉利、1902年、65頁
(*9)居住環境やライフラインの確立、それだけでなく貧困層の福祉につながる思想も含まれる。
(*10)山本「家庭衛生論」。また、すでに指摘されているように、明治20年代の家政書における小児の入浴についての記述は湯の温度について注意を述べるものが主であった。拙書『近代日本の公衆浴場運動』法政大学出版局、2016年
■「垢で毛穴がふさがれると発熱する」
家政書のなかには、家事の方法について、日本と西洋の折衷を試みたものもある。1890(明治23)年に出版された飯島半十郎編『家事経済書』という本の内容は、衣服、料理、住居に加えて、女子に対する訓示の紹介など、じつに多岐にわたる。そして同書には、以下のような入浴に関する記述がある(*11)。
身体の毛穴が垢などによって塞がれると、身体が滞り発熱などの症状が出るという。そのうえで、日本人は熱湯に浴する悪弊があると述べている。江戸時代の養生書で述べられていた熱い湯に入ることへの注意は、明治時代になっても継続していた。
飯島は(摂氏に変換すると)24度以下を冷浴、24度から29度までを平浴、29度から35度を微温浴、35度から36.5度を温浴、36.5度から40.5度を熱浴というように、温度で分類した浴法とそれぞれに合った入浴時間を紹介した。
(注)
(*11)飯島半十郎編『家事経済書』博文館、1890年、48―49頁
■入浴時の温度管理は女性の役割だった
温度の注意を示すものは他の家政書でもみられる(*12)。
下田歌子の『家政学』にも、入浴についての記述がある。そこには、子どもをできれば毎日湯に浸からせること、湯を沸かす水は軟水を用いること、35度から37度(手を入れて少し温かいと感じるほど)の温度にすること、子どもの起床後か就寝前に入浴させることに加え、「海綿、又は、軟らかき手拭」で全身を洗うこと、入浴は5分から10分間にすること、身体が発育した後は水浴や水で身体を拭くのは避けるべきことなど、当時の家政書の記述のなかでもとりわけ細やかな注意をみることができる(*13)。
こうした温度に対する注意は誰に向けてされたのかというと、家庭のなかの女性であった。また、今後家庭を築く未婚の女性たちに向けたものだっただろう。
小児の入浴にせよ大人の入浴にせよ、温度を判断することは、育児を含む家政を担当する女性に求められたのである。こうした入浴の記述は、明治30年以降、より増えていった。
(注)
(*12)1873(明治6)年に刊行された石黒忠悳『長生法』の「小児養生の事」という項目のなかで、「生児は微温浴にて洗い清め」とも述べている。「微温浴」というのは、石黒の1871(明治4)年の『医事鈔』のなかで「華氏86度、摂氏30度位」と説明されている。
(*13)下田歌子『家政学 下巻』博文館、1893年、208頁
■「日本人は毎日湯に入るが、西洋人は入らない」
明治後期の家政書のなかには、西洋と日本を比較しながら子どもの入浴法について記しているものもある。ここでは1903(明治36)年に刊行された羽仁(はに)もと子の『家庭小話』を紹介したい。
羽仁は雑誌『家庭之友』(のちの『婦人之友』)を発刊し、キリスト教プロテスタントの精神にもとづいた理想教育の実践の場として自由学園を創立するなど、近代日本において女子教育を推し進めた人物である。
『家庭小話』は、主に日本と西洋の家政に関するさまざまな点を記述したものだ。日本と西洋の育児や妻(「奥様」)のありよう、加えて羽仁が海外で見聞したことも紹介されている。ここでは「東西育児法の比較」という節のなかに、「沐浴」の項目がある(*14)。
(注)
(*14)羽仁もと子『家庭小話』内外出版協会、1903年、6―7頁
■「清潔好きな日本人」というイメージが拡散
羽仁はまず、日本人は大人も子どもも毎日湯に入るが、西洋人の大人が滅多に風呂に入らないことを挙げる。ただし、西洋では子どもに湯浴みをさせることが紹介された。この記述は「東西育児法の比較」という節に属すので、他の項目の内容や比較も確認してみよう。
たとえば子どもを「寝かすとき 其の時間」という項目では、西洋では子どもを独りで寝かせることが紹介されている。他の「昼寝」や「母親の乳」という項目でも、西洋の育児や外国の子どもについての紹介が中心である。「沐浴」の項目のように、「日本人は」という主語で始まっている箇所はみられない。
入浴習慣を日本と西洋とで比較する記述は、家政書以外の分野でもみられた。明治30年代は衛生領域において「入浴」をひとつの軸に西洋と日本とを比較し、清潔好きな日本人というものが認識され、繰り返し表明された時期だった。羽仁の記述では、日本人と西洋人の入浴について単なる比較をしているに過ぎないようにみえるかもしれないが、読み手に入浴と日本人とのつながりを印象づける効果があったと考えられる。
入浴することと日本人らしさを結びつけていく記述や、日本と西洋を比較する視点は、明治時代の末にはより明確になっていった。1911(明治44)年に刊行された福田琴月『家庭百科全書 衛生と衣食住』は、衣服・食物・住居と衛生に関する書籍である。福田は翻訳家でもあり、この本を著した目的を、衣食住を調和させて家庭をつくり、それを衛生的に整理すれば健全な家庭が成り立つと、色々な説を斟酌(しんしゃく)しながら記述したと述べている(*15)。
(注)
(*15)福田琴月『家庭百科全書 第三十一編 衛生と衣食住』博文館、1911年、3頁
■日本人は下流社会であっても定期的に入浴する
この本の第三編である「住居」には「入浴と衛生」という章があり、次のように始まる(*16)。
福田は日本の入浴習慣を美風とし、どんな人々も入浴すると述べたうえで、さらに日本と欧米を比較して、入浴習慣と日本人を密接に結びつけている。
1912(明治45)年、田中義能(たなかよしとう)による『家庭教育学』という本が刊行された。神道学者である田中義能は、國學院大学や東京帝国大学で神道学の講座を受け持っていた人物である。
当時の國學院大学や東京帝国大学には、1890(明治23)年に「教育勅語」が渙発(かんぱつ)された後に、近代日本の精神的な紐帯として位置づけられようとしていた「国民道徳」について論じる井上哲次郎や芳賀矢一が所属していた。実際、田中は国家神道や国民道徳に関する論考も数多く残している。
後に大倉精神文化研究所が主催した臨時神道講習会では、井上哲次郎とともに講演したこともあった(*17)。
(注)
(*16)福田『家庭百科全書 衛生と衣食住』234頁
(*17)大倉精神文化研究所編『臨時神道講習会叢書 第一、第二輯』大蔵精神文化研究所、1933年
■「清潔であること」は日本人の国民性だとされていた
『家庭教育学』の内容を確認してみよう。
この本は家庭教育の意義や目的から住居、飲食、妊娠、出産、子守、疾病、看病の方法、知育など、多岐にわたる内容を扱うものだ。第12章に「入浴」があり、小児の入浴についての内容から始まって、次のような記述がある(*18)。
ここでも、日本人は一般に潔癖だといわれており、それを示す習慣として入浴が挙げられている。こうした習慣があるから日本人の子どもも入浴しておりよいことだと、つまりよい習慣が受け継がれていることを示唆している。
田中は「国民道徳」の形成に関わっていたと考えられる。先にごく簡単に述べておくと、国民道徳とは日本人が持っている国民性を基盤に成り立つ規範的思想のことで、多くの論者が日本人の国民性の特徴のひとつに「潔白性」があるとした。その「潔白性」という日本人の特徴のうち、身体的潔白さの具体例として、入浴を好むことが挙げられている。
(注)
(*18)田中義能『家庭教育学』同文館、1912年、168―169頁
■女子教育と「清潔さ」が深く結びついていった
国民道徳の形成に関わっていた田中が、家政の領域で入浴について言及していたというのは、入浴に示される身体的潔白さが、国民道徳論と家政の領域をつないでいたことを示している。子ども一般に対する教育だけでなく、女子教育のなかでも入浴と結びついた清潔規範が唱えられ、強化されていったのではないだろうか。
とりわけ明治30年前後、日清戦争後の高揚した雰囲気もあいまって、教育関係者だけでなく、政策担当者からも女子教育、とくに「良妻賢母」の必要を説く声が挙がるようになった(*19)。同時に女子の小学校就学率が上昇し、それに伴う教員養成や、中等教育の進学希望者が増加している(*20)。
日清戦争の後に、なぜこのような状況になったのだろうか。日清戦争の日本の勝因のひとつとして、日本と清との教育の普及の差が注目された(*21)。日本は女子教育を発展させたことで、「知識による内助や国民的自覚をもたらし、国家の富強に結びついた」という指摘もある。当時は教育者たちを中心に、社会における道徳に女子が大きな影響を及ぼすと論じられていた。
こうした論点はこの時期に新しく登場したもので、「良妻の意味が変化しつつあることを示すもの」と位置づける研究者もいる(*22)。そして1899(明治32)年に「高等女学校令」が公布され、女子中等教育が成立した。
(注)
(*19)小山静子『良妻賢母という規範』、41頁
(*20)小山静子『良妻賢母という規範』、42頁
(*21)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁
(*22)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁
■「日本人ほど清潔を守っている者はいない」
では時代が下って大正期になると、家政書の入浴の記述はどう変化していくのだろうか。1914(大正3)年に、河野正義(こうのまさよし)によって『婦人宝鑑 最新家庭全書』が刊行された。河野は育英事業に尽力し、1915(大正4)年には衆議院議員になった人物である。この本の第2編第8章が「入浴及衛生」で、入浴と衛生の注意、冷水浴や冷水摩擦、温泉浴、海水浴の4つの内容に構成して、入浴について言及している。「入浴と衛生の注意」は、次のように始まる(*23)。
入浴の効能は説明するまでもなく、日本人ほど皮膚の清潔を保っている者はいないと述べられる。記述は次のように続く(*24)。
それまでの西洋との比較とやや異なるのは、日本人が都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、いかに頻繁に入浴しているかを、具体的に記述している点である。
(注)
(*23)小山静子『良妻賢母という規範』、45頁
(*24)河野正義『婦人宝鑑 最新家庭全書』東京国民書院、1914年、190頁
■「入浴後になにを着るべきか」という問題意識があった
さらに河野は続ける(*25)。
ここで興味深いのは、単に清潔好きであることと「衛生思想」を分けているかのような記述である。入浴には衛生的な効果があることを前提にしながら、河野が注意を向けているのは、入浴後の身体にまとう衣服についてなのである。
加えて、入浴後の身体に「サバサバした」洗いたての衣服を着るのは、「昼の労働に疲れた」心を慰めるものになるだろうと述べている。この記述は労働者本人だけではなく、労働者の妻、あるいはこれから妻になり得る未婚の女性に向けてのものだと想定される(ここでの労働とは労働者階級の労働という意味での労働ではなく、より広義の、誰もが従事する労働のことを指すと推測される)。
(注)
(*25)河野『婦人宝鑑 最新家庭全書』、190―191頁
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立命館大学生存学研究所特別招聘准教授
1980年神奈川県生まれ。立命館大学先端総合学術研究科修了。博士(学術)。専門は公衆衛生史。著書に『近代日本の公衆浴場運動』(法政大学出版局)、『風呂と愛国 「清潔な国民」はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、共編著に『障害学国際セミナー2012 日本と韓国における障害と病をめぐる議論』(生活書院)がある。
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(立命館大学生存学研究所特別招聘准教授 川端 美季)
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