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"茶色のおびただしい痕跡"は椅子の上に排泄した物…きっと自分で拭きたかった認知症義母の書道の腕は師範級

プレジデントオンライン / 2024年11月30日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rai

義母は77歳の頃から認知症の症状が出始めると、会話ができなくなり、徘徊を繰り返した。50代女性の夫は、高齢の両親が心配で、結婚を機に転職までして故郷に戻り、献身的にケアをするが、症状は進むばかりだった――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■賭け事が好きな父親

古道文子さん(50代・仮名)は現在、中部地方に住んでいる。戦中生まれの父親は中卒で福岡から大阪に出てきて印刷会社の職人として働いていた。製造系の会社に勤めていた母親が20歳くらいの頃に出会い、2人は結婚。

母親は24歳で古道さんを、27歳で弟を出産。貧しかった両親は、新しくできたばかりの市営住宅に申し込むと、当選。家族4人、2DKで暮らし始めた。

父親は職人として引き抜かれた会社で数年経験を積んだ後、営業を覚えるため転職。しかし古道さんが小4の時にその会社が倒産し、父親は家族全員を集め、こう言った。

「会社がなくなったので、自分で印刷会社を立ち上げる。仕事の拠点(事務所)が決まるまで、家に電話がかかってくるから、その時はポケベルでお父さんを呼び出してくれ」

古道さんたち姉弟は、電話を取るのも父親のポケベルを鳴らすのも面白くて、遊び感覚で父親に協力した。仕事も遊びも全力で取り組む父親は、子どもとの遊びも賭け事にして楽しんだ。

「トランプや花札など、必ずといっていいほど『10円持ってこい』とお金をかけて盛り上げます。少額とはいえ、お金をかけると本気になるし、負けるとすごく悔しかったです」

日曜日には子どもたちを近所の公園に連れ出してくれた。そこでも、ポケットに入っていたお金を取り出し、

「全部でいくらあるか当てたら全部やる」と言ったり、持ってきたボールを高く投げ「キャッチできたら100円やる」と言った。

「当時小学生だった私のお小遣いは1日50円ほどでしたので、ボールをキャッチするだけで2日分のお小遣いが入るわけです。でも、100円に胸を高鳴らせた私たち姉弟は、プレッシャーに負けてしまい誰もキャッチすることができませんでした」

母親によると、父親は新婚当初は麻雀にハマり、悪い人と付き合っていたこともあったという。

■女癖の悪い父親

そんな父親は、女癖も悪かったようだ。

「私が知っているだけで、父は2回不倫をしています。1回目は私が中学生の頃。当時の私は気付きませんでしたが、相手は私の同級生のお母さんでした。のちに母に聞いて知ったのですが、言われてみればそのお母さんは、隣に自分の夫がいるのに、私の父とベタベタしていたなと思いました」

2回目は古道さんが18歳の時。同じく相手の女性は子どもが3人いる母親だった。

古道さんが中学生の頃から不倫を繰り返し、仕事後に自宅に帰ってこなくなった父親に、母親は離婚を迫った。だが父親は「2年待ってくれ」と懇願。

ところが2年経っても父親は相変わらず家に寄り付かなかったため、古道さんが20歳の時に母親は離婚を決めた。

「父親の不倫のせいで家の中の雰囲気が悪かったので、私は就職をきっかけに一人暮らしを始めました。弟は高校生でしたし、母も自営業(クリーニングの代理店)を始めて軌道に乗り始めていましたから、父と別れても生活できる自信があったのでしょうね」

クリーニング店のハンガーに掛けられた衣類
写真=iStock.com/todaydesign
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/todaydesign

古道さんが16歳の時に代理店を始め、並行して洋裁の仕事も請け負っていた。

結果的に母親は夫婦で購入した一軒家に引っ越してからわずか5年で離婚。高2の弟とともに家を出た。父親は不倫相手と再婚し、その家で暮らし始めた。

■結婚

高校を卒業した古道さんは、実家のある大阪の製造会社に就職。その2年後、同じ職場に東京から出向してきた4歳年上の男性と出会い、交際に発展。4年後に結婚したが、夫を父親に紹介する場を設けただけで、結婚式に父親は呼ばなかった。

結婚後、夫は勤めていた会社を退社し、古道さんも会社を辞めて夫の故郷である中部地方へ移住。夫の実家から車で5分程度の範囲に就職先も新居も決めると、新婚生活をスタートした。

1年後に長女を出産し、翌年次女を妊娠。次女出産後は、1歳になるのを待って、製造系の会社でパートとして働き始めた。

娘たちが乳児の間はなかなか大阪に帰省ができなかったが、幼児期に入るとときどき母親や父親に顔を見せに行くように。母親のクリーニングの代理店兼洋裁の店も、父親の印刷会社もうまくいっていた。

■義母に異変

それから10数年経った2013年の夏のこと。古道さんが40代の頃だ。

高校生になった古道さんの次女は、学校へ家の鍵を持っていくのを忘れ、パートに出ている古道さんが帰宅するのを義実家で待つことにした。義実家では81歳の義父がまだ、現役で陶器関係の仕事をしていた。その時、77歳になった義母は快く次女を家に入れてくれたものの、数分おきに「あんた、なんでここにおるの?」と訊ねる。その度に次女は、「家の鍵を忘れたから」と答えたが、何度も同じことを聞かれ、不思議に思った。

その数日後、義母は友だち数人と旅行へ行くために、待ち合わせ場所まで自分の車で行ったにもかかわらず、旅行から帰ってきた後、自分の車をどこに置いたかわからなくなり、パニックに。友だちの1人が古道さんに連絡をくれたため、夫が迎えに行ってことなきを得た。

同じ頃、実家から車で15分程度のところに嫁ぎ、週に2〜3度は遊びにきていた義姉(古道さんの夫の姉)も、同じことを繰り返し話す義母の異変に気づき、義母を病院に連れて行った。すると、アルツハイマー型認知症と診断された。

シニア女性
写真=iStock.com/Nayomiee
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nayomiee

それを聞いた古道さんは、「介護申請したら? 介護に詳しい人に今後のこととか聞いてみようか?」と夫に言う。

しかし夫は、「誰にも言わないでほしいし、介護申請もしない」と答えた。

「家族にとっては認めたくないという気持ちが強いみたいですね。もしくは息子と娘では現実の受け止め方が違うのかもしれません。夫は両親のことがを大事にしすぎるあまり、、いつも判断を間違えます。彼が下す判断は親の気持ちを考えて行動するため、おかしなことになるんです。以前、中国で『SARS』が流行った当時、義母は友だちたちと中国旅行を計画していました。私は『感染したら大変なことになる』と反対しましたが、夫は『今度いつ行けるかわからないから行かせてやりたい』と言いました。『感染して日本に持ち込んだら大迷惑やん。娘2人もいてるのに何を言うてんのや』と内心呆れましたが、旅行会社が中止にしてくれました。このときを境に、義両親が絡んだ夫の判断はすべておかしいと思うようにしています」

ただ、さすがに認知症と診断された人に車の運転はさせられないと、家族たちに促され、義母は運転免許を返納。

診断から2カ月ほど経った頃、認知症の診断を受けた病院から勧められ、ようやく介護認定を受けると、結果は要介護1だった。

ところが、認知症の診断を受けた後から、義母は坂道を転げ落ちるようにできないことが増えていった。会話が成り立たなくなり、徘徊が始まる。目を離すと、すぐに歩いて10分ほどの義母自身の弟の家(義母の実家)へ行ってしまうため、同居している81歳の義父が探し歩いたり連れ戻したりするため、どんどん疲弊していく。このままでは義父が先に倒れてしまうと思った古道さんの夫は、義母をデイサービスに週3回通わせることにした。

「義母は、子ども時代に戻っていて家に帰ろうとしているフシがありました。『あの頃の世界』に出かけているようでした。ただ、数分後にはその目的も忘れてしまうため、結局は徘徊扱いになってしまうんです」

翌年、要介護2になった義母は、週5日でデイサービスに通うようになった。

■献身的な息子

大学卒業後、東京の会社で働いていた古道さんの夫は、高齢になった両親のことが心配で、結婚を機に故郷に戻る選択をしたようだ。義母がデイサービスに通い始めるまでの10数年間、毎日朝昼夜の1日3回、実家に顔を出していた。

製造系の会社で働く夫は、義母がデイサービスに行くようになってからは、朝8時頃にデイサービスに送り出し、夜会社が終わった後も実家に寄り、義父がゆっくり入浴できるようにその間義母を見ていた。

81歳の義父は陶器関係の仕事を続けながら、家事ができなくなった義母の代わりに、家事全般をこなしていた。

「義母はたまに正気に戻っていると感じるときがあり、夫のことを『優しくて勉強ができて自慢の息子』だと言っていました。とてもかわいがられたようで、夫も義母を大事に思っているようです」

書道の腕が師範レベルだった義母は、認知症になってからもときどき書道に勤しんでいた。

ところが2023年の夏のこと。自室をトイレだと勘違いした義母が、椅子の上で大便をしてしまい、その後部屋のあちこちに大便がついてしまった。

「おそらく水を流そうとしたり、トイレットペーパーを探そうとしたのだと思います。後片付けは、義父と夫でしました」

この出来事の後、ケアマネジャーの勧めで介護認定を受け直したところ、要介護3に。義父1人ではもう義母を介護できないと判断したケアマネと夫は、義母を施設に入れることを検討する。

「義母の入所先が決まるまで、夫は義母の朝のデイサービスの送り出しを欠かさず、夜は仕事が終わると必ず実家に寄り、義母を入浴させ、寝かしつけまでやって帰宅していました。両親のことをとても大切にしている夫にとっては、毎日朝昼晩と実家に顔を出すことは、全く苦ではなかったと思います」

義母は、まずは車で1時間ほどの距離にある介護老人保健施設へ入所。空き待ちを経て12月、義実家から車で20分ほどの特養に入所することができた。

「夫の家族はとても仲が良いとは思いますが、少し変わった家庭で育った私から見ると、親子そろって依存しあっているようにしか見えませんでした……」

そうやって、義実家に通い、献身的なケアをしていた古道さんだったが、今度は自分の親の番だった。数カ月後、大阪に住む父親(82歳)が要介護状態になるという想定外の事態が発生したのだ。(以下、後編へ続く)

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する〜子どもを「所有物扱い」する母親たち〜』(光文社新書)刊行。

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(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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