日曜劇場の舞台・軍艦島は「三菱鉱業社員VS炭鉱員」の格差が存在…ドラマが描く身分を超えた恋への違和感
プレジデントオンライン / 2024年12月1日 8時15分
■軍艦島を運営した三菱鉱業とはどんな会社だったのか
TBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」は、三菱(正確には三菱鉱業)が持つ端島(はしま)、通称・軍艦島の炭鉱を舞台にした物語である。
三菱は土佐藩営の貿易商社・開成館を母体として、明治維新後は海運業者を営んだ。苛烈なダンピング競争で競合他社に打ち勝ち、日本近海の航路を独占して莫大な利益を得た。そのダンピングを支えていたのが、鉱山経営の収益だったという。鉱山で利益が出ているから、海運で多少損しても赤字にならないということだろう。
当時最先端の船舶は、石炭を燃料とする蒸気船だったので、炭坑を購入することは理にかなっている。三菱の創業は1870年といわれているのだが、翌1871年には紀伊新宮藩(和歌山県新宮市)からの代金滞納の見返りに万歳炭坑、音河炭坑を租借し、1873年には備中高梁藩(岡山県高梁市)が競売にかけた吉岡銅山を買収している。
そして、1880年に米コロンビア大学に留学した技術者を採用して、吉岡鉱山長に着任。最新鋭の技術で採掘を行い、付近の鉱区を買収させた。1881年に土佐藩出身の後藤象二郎から高島炭坑を買収。さらに1884年に高島周辺の鉱区を買収し、1890年に端島炭坑を買収した。
■1918年に三菱合資の鉱山部と炭坑部を分離して設立された
三菱は海運会社として創業したが、炭坑・鉱山の買収、造船所の払い下げ、銀行の救済などで業容を拡大していった。主力の海運では三菱の独占に対する反発が高まり、三井らが共同運輸会社を設立して対抗。熾烈な競争の中、1885年に創業者の岩崎弥太郎が胃ガンで死去すると、2代目社長・岩崎弥之助(弟)はこのままでは共倒れになると危惧。三菱の海運事業と共同運輸会社を合併させて、日本郵船会社を設立した。
弥之助は日本郵船会社の経営から一歩身を引き、海運以外の事業を集約して三菱社(1893年に三菱合資会社に改組)を設立。現在の三菱グループの母体をつくった。三菱合資は1908年に事業部制を取り入れ、部の再編を繰り返した後に、事業部を分離独立して財閥直系企業(三菱では分系会社という)を設立した。
端島を所有する三菱鉱業は、1918年に三菱合資の鉱山部と炭坑部を分離して設立された。その他は1917年に三菱造船(現・三菱重工業)、1918年に三菱商事、1919年に三菱銀行、1937年に三菱地所が設立されている。
■もともとは稼ぎ頭だったが、エネルギー革命が起きて斜陽に
鉱山・炭坑部門は稼ぎ頭で、1894~1908年の三菱の収益の68.5%を両部門で担っていた(ちなみに鉱山の方が炭坑より稼ぎが上)。そもそも三菱商事の源流となった三菱合資営業部は、元は売炭部といって、炭坑部門で掘った石炭を販売する部門だったのだから、その貢献度がわかるというものだ。ただし、1910年代後半には三菱造船が莫大な利益を上げるようになり、三菱の製造部門は鉱業から造船へシフトしていく。
1945年に日本が敗戦を迎え、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって日本が占領されると財閥が解体され、過度経済力集中排除法により三大財閥の鉱業会社は炭坑部門とそれ以外が1950年に二分割された。三菱鉱業は鉱山部門を三菱金属鉱業として分離した。
【参考記事】「三菱の名を汚すような相手に会社は渡すわけにいかない」同窓会と化した「三菱金曜会」に残された役割
しかし、その頃から、石炭から石油へと変わる「エネルギー革命」が起こる。三菱鉱業は鉱山部門を分離し、炭鉱経営一本槍だったので、危機感が強かった。1952年に調査部を設置して多角化を模索し、1954年に三菱グループ各社との共同出資で三菱セメントを設立。幾つかの炭坑は閉山が検討され、1959年には三菱グループ社長会「三菱金曜会」の席上で、離職者の受け入れをグループ各社に要請している。
■軍艦島の端島、高島、大夕張の3炭鉱を除き人員を削減
「海に眠るダイヤモンド」の時代設定は1955年以降なので、企業経営としてはちょうど難しい時期に差し掛かっていた。端島、高島(長崎)、大夕張(北海道)以外の炭坑では、退職の勧奨、減員補充なしという措置がとられた。また、閉山にともない、この3山に転職する者も少なくなかったらしい。
1960年代中盤に至って、三菱鉱業は採算が取れない炭鉱部門を切り離すことを決め、1969年5月に端島炭坑は高島炭坑とともに三菱高島炭礦として分離。大夕張炭坑も三菱大夕張炭礦として分離・設立され、1973年に両社が合併して三菱石炭鉱業となった。
本体の三菱鉱業は1973年に三菱セメントを吸収合併して三菱鉱業セメントと改称。1990年に三菱金属と合併して三菱マテリアルとなった。三井・住友の炭坑会社は経営不振のため、商号を取り上げられている。三菱鉱業は実質的に吸収合併されたとはいえ、唯一の成功事例だったといえるだろう。
一方、端島は1964年8月に坑内で自然火災が発生。1965年10月に近隣の三ツ瀬地区の炭坑が開発されるまで、出炭停止となった。しかし、その三ツ瀬も1970年の調査の結果、これ以上の稼働が難しい状況と判断され、1974年に閉山された。
■もしドラマの主人公が実在したら、出世はできなかった?
「海に眠るダイヤモンド」の主人公・荒木鉄平(神木隆之介)は、長崎大学を出て鷹羽鉱業(三菱鉱業がモデルと思われる)に就職している。閉山まで端島勤務だったら、その後、どうなっていただろう。
あくまで想像の域を出ないが、1955年に新卒だと仮定すれば、1933年生まれ。三菱鉱業が三菱高島炭礦を設立した時、同社に出向。閉山とともに三菱鉱業に復籍し、他部署に異動になった可能性が高い。仮に三菱高島炭礦(1990年に清算)にそのまま継続勤務していたならば、1988年に55歳で定年退職したのではないか。
ちなみに、筆者は1947~1984年の三菱グループ企業の全役員をデータベース化しているのだが、三菱鉱業に長崎大学出身の役員はいなかった。同社は圧倒的な東大閥なのである。
■戦前に囚人や外国人を働かせていたという負の歴史
一方、炭坑夫の方であるが、三井財閥が買い取った官営三池鉱山では明治初年に囚人を多く使っており、三井財閥に引き渡した時の炭坑夫3113人のうち、おおよそ7割に当たる2144人が囚人だったという。そのため、三井三池鉱山の炭坑夫賃金は、囚人をベースに安く押さえられ、業界他社もそれに倣って低賃金にしていたという(織井青吾『流民の果て 三菱方城炭坑』)。
しかし、戦前の貧農にはそれでも割がいい仕事場だと思えたらしい。農地を持たない小作農は、収穫した6割を年貢として地主に持って行かれるから、炭坑夫に転身するものが少なくなかった。また、冬場の季節労働者を含む出稼ぎ労働者。それも足りなくなってくると、中国・朝鮮で募集をかけて補充した(この「募集」が強制的な徴用かどうかと問題になった)。
ある炭坑で炭坑夫は12時間労働で平均賃金は1日75銭。当時は2級酒1升が25銭だったというから、1升瓶3本分のお金である。
■炭坑長の子息が食堂の娘と仲良くしてたとは思えない
劣悪な労働環境で、かつ落盤事故、爆発事故による死傷者も少なくなかった。
1914年、三菱方城炭坑で爆発事故が起こり、671人が死亡、遺族には平均375円が支払われた。庭付き3部屋の家が300円で建てられたという頃の375円であるから相当な金額だ。当時の財閥経営者は上に行けば行くほど良識的であったから、数百人が死亡するような大事故になれば、本社のトップにまで報告が上がり、手厚い補償金が下りたのだろう。
逆をいえば、下に行けば行くほど――つまり日頃、炭坑夫に接している経営側ほど労働搾取する姿勢が強かったといえる。「海に眠るダイヤモンド」では、経営側も良心的に描かれているが、実際は身分格差が激しく、ドラマのように炭坑長の大卒の子息が、炭坑夫や食堂の子女と仲良く語らっていたとは思えない。
戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の指導で労働者の権利が向上して労働運動が容認されると、炭坑では労働争議が起こる。その結果、採炭量が不安定となり、ユーザーは供給不安から石油への切り替えを加速し、石炭産業の斜陽がますます進んでいった。結局、無理を重ねていくと、どこかでしわ寄せが来るという話なのかも知れない。
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経営史学者・系図研究者
1963年北海道生まれ。國學院大學経済学部を卒業後、ソフトウェア会社に入社。勤務の傍ら、論文・著作を発表。専門は企業集団、企業系列の研究。2005~06年、明治学院大学経済学部非常勤講師を兼務。06年、國學院大學博士(経済学)号を取得。著書に『企業集団の形成と解体』(日本経済評論社)、『日本の地方財閥30家』(平凡社新書)、『最新版 日本の15大財閥』『織田家臣団の系図』『豊臣家臣団の系図』『徳川家臣団の系図』(角川新書)、『三菱グループの研究』(洋泉社歴史新書)など多数。
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(経営史学者・系図研究者 菊地 浩之)
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