「袴田さんの死刑執行を命じられたら、クビを覚悟でボイコットします」当時の警備隊職員たちが語っていた本音
プレジデントオンライン / 2024年12月5日 11時17分
■「今だから言えることがあります」
無罪判決が出た日に元刑務官のAさんから電話があった。
「袴田さん、よかったですね。もうこれで終わりにしてほしいと、切に願っています。検察はどうしますかね」
私もAさんと同じことを考えていた。
「検察が控訴するか心配になりますが、私も控訴をしないという東京高検検事長の潔い決断を期待しています」
Aさんも、同じ法務省の役人として、すぐ近くで見てきた「白でも黒にできる!」と豪語する検察の傲慢な闇を知っているのだろうと思い、会話を続けた。
Aさんとの交流は袴田さんの再審開始決定により、東京拘置所を出所した時に遡る。既に退職していたAさんは、袴田さんの釈放場面をテレビニュースで観て感極まったと、私に手紙を寄こしたのだ。
Aさんは、40年近い刑務官生活の大半を関東地方の刑務所、拘置所で被収容者を処遇する第一線の現場で主に処遇係長等、中間監督者として奉職した。部下からだけでなく被収容者からの信頼も厚い刑務官だった。
東京拘置所で勤務した10年余りは、袴田さんら死刑確定囚を含む数百人の被収容者を受け持っていた。舎房棟の複数のフロアを管轄するポストに就いていたのだ。
私は、無実の袴田さんの死刑執行をしたかもしれない現場にいたAさんに、死刑の執行に当たる刑務官の心情など中身の濃い話を聴きたいと思い、ジャーナリストとして対面の取材を申し込んだ。Aさんは、「私も今だから言えることもあり、会いたいです」と快く了承してくれた。以下は、Aさんから聞いた死刑執行の任務に当たる刑務官についての話である。
■袴田さんの冤罪を確信した刑務官
Aさんは東京拘置所に着任すると、最初に、死刑確定者と死刑判決を受けている被告人、強盗殺人等死刑が選択刑に含まれている罪を犯した被告人との面接を行うこととした。いの一番に選んだのは、日弁連が冤罪であると支援している袴田巌死刑確定者である。
Aさんは死刑判決の決め手となった、犯行時に着用していたという衣類に大きな違和感を覚えた。今までの勤務地である刑務所で受け持った受刑者数は、数千人に及ぶ。彼らの判決謄本等すべてを読み込んでいる。犯罪者は明白な証拠品を見つかるような場所に隠すことは絶対ない。あり得ない! と思った。
その頃の袴田さんは、既に拘禁反応が出ていて、事件についてのまともな受け答えはできない状況だった。刑務官という立場上、どのような事情があるにしても、被収容者個人を必要以上に支援することはできない。Aさんは袴田さんに弁護士から差し入れされた「袴田事件」に関する書籍、パンフレットなどを読み、冤罪を確信した。そこで、袴田さんの処遇に日夜当たっている舎房担当、夜勤担当、戸外運動を担当している警備隊職員との情報交換を密にした。中にはまだ拘禁反応が生じていない頃の袴田さんを知っている職員もいた。
■「袴田さんの死刑執行を命じられたらボイコットします」
一般に現場で勤務している刑務官は、拘置所特有の重要服務である身柄の確保(逃走させない。自殺させない。心身の健康を損ねない)の為に淡々と勤務に服している。したがって、死刑確定者の冤罪(えんざい)問題については、興味があっても触れないようにしているのか、話題になることはほとんどない。ただ、警備隊の職員だけは別だ。警備隊という組織には「死刑の執行に関する業務」という特命の仕事があるからだ。
毎日顔を合わせている死刑確定者に死刑の執行命令が発せられたときは、死刑執行の任に当たらなければならない。彼らから見て極悪非道な犯罪者であっても、そのほとんどは命で償う自覚ができているのか、顔見知りになっている警備隊職員の指示に従い刑場に入る。
警備隊職員には、首にロープを掛けたり、死刑執行後に、吊り下げられた遺体のロープを外し、ストレッチャーの上に寝かせて清拭して納棺するなどの一連の流れをマニュアル通り支障なく務めることが求められる。
日頃の厳しい訓練と強いメンタルの醸成によって、合法的な殺人という極めて困難な業務を遂行している彼らだが、無実の人間を殺すことだけは、したくないというのが本音であろう。
警備隊の若い刑務官は、袴田さんや他の死刑確定者の日常の変化や心の動きなどを伝えてくれた。ときどき冗談っぽく、「袴田さんの死刑執行を命じられたら、ボイコットするでしょうね。もちろんクビ覚悟で……」と言うこともあった。
警備隊員だけでなく、袴田さんと接する刑務官の多くから、「死刑の執行はないでしょうね」という確認とも質問ともとれる言葉を度々投げかけられた。今振り返れば、当時の警備隊職員はじめ、処遇現場の刑務官たちは、袴田さんの無実を信じていた。そして国家公務員法上、守秘義務や上司からの指示命令に対する服従義務といった束縛の中で、可能な抵抗はなんであるかと考え、袴田さんに関することについては「無言」を通すという形をとっていたのではないかと、思い至った。
■拘置所職員の本音は、圧倒的に「死刑はしたくない」
死刑執行という人を殺す仕事をして心を病まない訳がない。死刑の執行に立ち会っただけで、実際に手を下していない幹部刑務官でも、夢やフラッシュバックで悩まされるという。退職後も夢を見るので、忘れられない。心療内科に通っているというという所長経験者もいる。
死刑執行とPTSDの研究が行われているわけでもなければ、死刑執行に当たった職員のケアも皆無と言っていい状況だ。精神科医や心療内科医、あるいは公認心理師などのカウンセリングを受けられる体制づくりも必要である。
死刑確定者の処遇をし、死刑執行の任にも就かなければならない死刑執行現場である拘置所職員の本音は、圧倒的に「死刑はしたくない」「死刑はない方がいい」である。
筆者も死刑は廃止すべきだと思う。以下に、筆者が考える死刑を廃止すべき論拠を列記する。
■被害者遺族感情は、ほとんど満たされていない
死刑存続論の最重要根拠は、被害者遺族の感情であろう。ところが、被害者が1人の場合の殺人事件では、加害者は死刑にならない。大切な子どもを残虐な方法で殺されたとしても犯人は無期か有期の刑となる。
死刑が選択刑にある犯罪の犯人で死刑が言い渡されるのは、1%程度なのだ。つまり、99%の被害者遺族が極刑を求めても、悔しい結果になっているということだ。死刑は、現実には被害者遺族の感情を満たす存在になっていないのだ。
死刑確定囚は拘置所でのうのうと暮らしている
死刑確定者の処遇はどうだろう。拘置所で健康を維持するためのさまざまな優遇を受けている。諸権利は認められるが、勤労も納税も国民の義務は課されない。死刑確定者一人当たりに、食費、光熱水費、医療費など年間100万円前後の予算を投じている。
一方、刑務作業を課される拘禁刑にすれば、作業で得る対価は国の収入になる。制度を改め、被害者に対する損害賠償基金を設け、作業収入を基金に納入させることにするべきだ。基金から遺族への賠償金の支払いにも充てられる。
■死刑になりたいと大量殺人を犯す事件はなくなる
死刑になりたいと、通り魔殺人や無差別大量殺人を犯す者がいるが、なぜ大量殺人なのか。それは、前述の通り被害者が一人では死刑が選択されていないからだ。被害者が二人でも死刑にならないことが多い。
死刑が廃止されれば、死刑願望の犯罪者はいなくなる。
■死刑廃止を真剣に議論する好機だ
国勢調査などの死刑制度存廃アンケート結果は存置が80%になっている。それは極刑を求める被害者の遺族感情が主要な理由である。
しかし、前述の通り死刑判決は1%しか出ないのだから、遺族感情はほぼ無視されている状態と言っても過言ではない。死刑制度存廃の議論で主張されている存置理由は、現状に合わなくなっている。
一方、死刑廃止論の最も重大な主張が冤罪者の死刑執行である。まさに冤罪であった袴田事件の無罪が確定した今こそは、死刑廃止を真剣に議論する好機である。
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元刑務官・ノンフィクション作家
NPO法人(受刑者の更生支援、こどのも健全育成等)理事長。1947年12月、熊本刑務所官舎で出生。高校卒業まで刑務所官舎で暮らす。母方の祖父、父に続き三代続いた刑務官。67年大阪刑務所刑務官(看守)に採用。神戸刑務所、大阪刑務所勤務を経て、法務省法務大臣官房会計課、東京矯正管区で予算及び刑務所・少年院等矯正施設の施設整備を担当。87年現場に復帰し、94年広島拘置所総務部長を最後に退官。以後、作家、ジャーナリスト、タレントとして活動。著書に『死刑のすべて』(文藝春秋)、『死刑と無期懲役』(ちくま新書)、『囚人服のメロスたち』(集英社)、『典獄と934人のメロス』(講談社)など多数。映画・TVドラマの監修(一部出演あり)も多い。
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(元刑務官・ノンフィクション作家 坂本 敏夫)
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