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名作映画の"オマージュ"だった…「ふてほど」を観た明大文学部教授が感心した俳優のセリフ

プレジデントオンライン / 2024年12月11日 16時15分

「ユーキャン新語・流行語大賞」の年間大賞にドラマ「不適切にもほどがある!」を略した「ふてほど」が選ばれ、ポーズをとる出演者の阿部サダヲさん=(2024年12月2日午後、東京都千代田区) - 写真=共同通信社

2024年の「新語・流行語大賞」が発表され、テレビドラマ「不適切にもほどがある!」(TBS系)を略した「ふてほど」が選ばれた。明治大学の齋藤孝教授は「『不適切にもほどがある!』には、名作映画のオマージュが登場する。古典を知っておくと、ドラマの楽しみは大きく変わる」という――。

※本稿は、齋藤孝『「気づき」の快感』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■齋藤孝流「不適切にもほどがある!」の楽しみ方

2024年のはじめに『不適切にもほどがある!』(TBS系)という宮藤官九郎さん脚本のテレビドラマが大きな話題となりました。私も当時、毎週楽しみに視聴していた作品です。

ドラマの第七話では、昭和の時代からタイムスリップした純子(河合優実さん)が、美容院で現代風に髪を切ってもらい、美容師のナオキとデートをするシーンが描かれていました。

2人はデートの終わりにレストランで食事を楽しむのですが、ナオキがスマホを落としたために支払いができず、暴れた純子は警察に捕まってしまいます。そして留置場(牢屋)で2人はキスを交わします。

昭和に帰った純子が、令和に持ち帰ったデジカメを見ると、撮ったはずの写真は消えてなくなっていました。令和の思い出を尋ねられた彼女は「一番よかったのは牢屋、かな」と答えるのです。

映画についてある程度の知識があり、「宮藤官九郎さんなら、何かを仕込んでいるはず」と思えば、これらのシーンが『ローマの休日』という映画作品のオマージュであると気づきます。

■“牢屋”と“ローマ”をかけている

『ローマの休日』では、ヨーロッパ某国のアン王女と、アメリカの新聞記者であるジョーが人目を忍んでデートを楽しみます。王女が美容室で髪を切ったり、バイクの暴走で警察に捕まったりするシーンも描かれます。

『ローマの休日』のローマ市内をバイクで暴走するシーン
『ローマの休日』のローマ市内をバイクで暴走するシーン(画像=Roman Holiday trailer/PD US no notice/Wikimedia Commons)

ジョーはカメラマンが撮影した2人の写真を記事にしないことを決断し、写真は王女に渡されます。記者会見で一番楽しんだ訪問地を聞かれ、王女は「断然、ローマです」と答えます。

宮藤さんが、これらのシーンを自分の脚本に反映したのは明らかです。

『ローマの休日』を鑑賞した上で、『不適切にもほどがある!』を見ると、どの場面がどのように引用されていたのかがわかります。特に純子のセリフで“牢屋”と“ローマ”をかけているところに、おかしさがあります。そこに気づくかどうかで、ドラマの楽しみは大きく変わります。

ネット上では、パロディに気づいた人が自分の気づきをSNSに書き込み、気づかなかった人が「なるほど」と反応する様子が見られました。私の周囲にも、『不適切にもほどがある!』を楽しみながら、『ローマの休日』を見たことがないという人がいたので、即座に「すぐ見たほうがいいよ」とアドバイスしました。

古典を知っておくと、「これはあの作品のオマージュだ」と気づきます。気づく面白さがあるだけでなく、古典には引用されるだけの魅力があることにも気づくことができるのです。

■「コスパ」重視なら、むしろ古典を勉強したほうがいい

「学校の授業で古文や漢文などの古典を教える必要はあるか?」

「古文なんて読めたところで生活で使う機会がない。それなら社会人になっても使える知識を学んだほうがいいのでは?」

受験シーズンになると、ネット上ではこういう議論が盛り上がるそうです。

古文は文法を覚えるのが大変で、苦手だという人の気持ちはわかります。でも、私は古典の知識が不要だとは思いません。

最近の若者はコスパ(コストパフォーマンス)やタイパ(タイムパフォーマンス)に敏感といわれています。コスパやタイパを重視するなら、むしろ古典を勉強するに限るのではないかと思っています。

そもそも、人間の思考はある程度パターン化されています。『千の顔をもつ英雄』(ジョーゼフ・キャンベル著、早川書房)、『神話の力』(ジョーゼフ・キャンベル、ビル・モイヤーズ著、早川書房)といった本を読むと、世界中に伝わる英雄譚は似たようなパターンで書かれていることがわかります。

本棚から本を取る手
写真=iStock.com/rai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/rai

■『古事記』と『ギリシャ神話』は似ている

例えば、日本の『古事記』には、次のような話があります。

イザナキが亡き妻・イザナミに会うために死者の国である黄泉(よみ)の国に行った。イザナキが「帰ってきてくれ」とお願いすると、イザナミは「黄泉の国の神と相談するので、その間は私を決して見ないでほしい」と忠告します。けれども、いつまで経ってもイザナミは一向にあらわれない。しびれを切らしたイザナキは御殿の中に入りイザナミの変わりはてた姿を見てしまう。醜い姿を見られたイザナミは怒り狂い、イザナキはイザナミから追いかけられ、殺されそうになる――。

実は、似たような話が、『ギリシャ神話』にもあるのです。

『ギリシャ・ローマ神話』は特に面白く、現代にも通じる比喩の宝庫といえます。一つの例を挙げましょう。

美少年のナルキッソスは、池の水に映る美しい少年を見て恋に落ちた。それはナルキッソス本人だった。ナルキッソスは水に映る少年に抱きつこうとして池に落ちて亡くなった。ナルキッソスが亡くなった場所には水仙の花が咲いていた。ナルキッソスの化身とされ、水仙のことをナルシスという。

■「2つの悲劇」をテーマにした大傑作

ナルシシズム(自己愛)に溺れて自滅するというのは、現代的な話でもあります。ほかには『オイディプス王』などもぜひ読んでおきたい物語です。以下に、簡単なあらすじをご紹介します。

テーバイ王ライオスは「自分の息子に殺される」という恐ろしい予言を受けた。王妃イオカステが男児を出産したので、ライオスは赤子を遺棄させた。ところが赤子のオイディプスはコリントス王夫妻に拾われ、育てられることに。
成長したオイディプスはコリントスから旅に出て、その途中で偶然出会ったライオスを、父と知らずに、殺してしまう。
その後、オイディプスはテーバイ王となり、イオカステを妻に迎える。
しかし、彼には悲劇が待っていた。自分自身が父親を殺し、母親と結ばれていたことを知ってしまったのだ。

結末は、ぜひ実際に読んで確認してください。

『オイディプス王』は人間のタブーである父殺しと母との姦淫という2つの悲劇をテーマにした大傑作であり、もはや乗り越えが不可能な物語です。カフェで1時間もあれば簡単に読めますから、コスパやタイパを求めたいなら読まない手はありません。

■古典=「人間の思考の原型」になっている

古典を読むと、それが人間の思考の原型となっていることがわかります。例えば『オイディプス王』を読むだけで、フロイトの「エディプスコンプレックス」という概念が理解しやすくなります。

ちなみに、エディプスコンプレックスの「エディプス」はオイディプス王を指します。フロイトは「男子には無意識のうちに父を殺して母とつながろうとする葛藤感情がある」と主張しました。

ジークムント・フロイト
ジークムント・フロイト(画像=Max Halberstadt/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

いちいち古典を読むのは大変。もっと簡単に古典の内容を押さえたいという人は、『100分de名著』(NHK Eテレ)を見ることをおすすめします。一流の専門家が100分で名著のエッセンスを解説してくれます。

私の教え子は古書店で『100分de名著』のテキストを大量に買い込んで読破しているといいます。テキストならポイントが押さえられていますし、多くの古典をチェックしやすい。非常に賢い方法だと思います。

■『源氏物語』でコントにチャレンジ

時代を超えて読み継がれる古典作品には、アイデアが詰まっています。

『源氏物語』などは、「花散里(はなちるさと)」「澪標(みおつくし)」といった各巻のネーミングだけでも魅力的です。それぞれの巻名が何に由来しているか知るだけでも、この大傑作の並々ならぬ美意識を感じます。

1巻ごとに一人ずつヒロインが登場する仕組みも秀逸です。光源氏は主人公とされていますが、実際には狂言回しのような立ち位置にあり、一人ひとりの女性の境遇や生き方に、物語の本質があります。

『源氏物語』には作者の紫式部が作った作中歌が約800首も収載されています。その力量と仕かけには、ただただ感嘆するばかりです。

『源氏物語』を丁寧に読み進めるのは難しいという人でも、漫画作品の『あさきゆめみし』(大和和紀著、講談社)を読む方法もありますし、ネットで各巻の巻名の解説を読むだけでも結構な学びになります。

私は国語の教師を目指す学生たちに、『源氏物語』を少しでも知ってほしいと考え、2024年はコントにチャレンジしてもらいました。

「今年はNHKの大河ドラマでも『光る君へ』が放映されるから、やるなら今しかないよ。一生忘れない思い出になるから、やってみようよ」

一人1巻ずつ担当を決め、『桐壺』からの54帖をすべてショートコントに仕立てて演じてもらう趣向です。とても1回の授業では消化できず、100分の授業を2回使いました。

■「ベース」がしっかりしているから、おもしろい

学生たちは、ちゃんとストーリーを押さえてコントを作ってくれるので、それを見るだけで『源氏物語』を理解できます。しかも、大笑いできます。

光源氏が若紫を見初める場面など、現代の感覚では完全にロリコン犯罪です。見ている学生たちから「気持ち悪い」という声が上がります。最後まで演じ切ったときには盛り上がりが最高潮に達し、どの学生も大満足の表情をしていました。

齋藤孝『「気づき」の快感』(幻冬舎新書)
齋藤孝『「気づき」の快感』(幻冬舎新書)

『源氏物語』のコントを演じてもらい、古典作品の強さを再認識しました。お笑いをやっているわけでもない学生に、ただ「ショートコントを作ってください」といっても、面白いコントを作るのは至難の業です。

けれども、『源氏物語』のようにベースがしっかりした作品ならば、どんなコントに仕立てても面白くなります。私は『論語』もショートコントにしてもらうのですが、『論語』のような教訓に満ちた内容でも、かなり笑える内容に仕上がるのです。

実際の孔子は結構おおらかな人だったといわれているので、本当は孔子が語る内容にはユーモアの要素が多分に含まれていたのかもしれません。いずれにしても、古典はどんなに崩しても重要なエッセンスが残ります。古典はやっぱりすごいのです。

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齋藤 孝(さいとう・たかし)
明治大学文学部教授
1960年静岡県生まれ。東京大学法学部卒業後、同大大学院教育学研究科博士課程等を経て、現職。専門は教育学、身体論、コミュニケーション論。ベストセラー作家、文化人として多くのメディアに登場。著書に『孤独を生きる』(PHP新書)、『50歳からの孤独入門』(朝日新書)、『孤独のチカラ』(新潮文庫)、『友だちってひつようなの?』(PHP研究所)、『友だちって何だろう?』(誠文堂新光社)、『リア王症候群にならない 脱!不機嫌オヤジ』(徳間書店)等がある。著書発行部数は1000万部を超える。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導を務める。

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(明治大学文学部教授 齋藤 孝)

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