小学1年の娘を殴る、つねるの虐待を繰り返す…発達障害を抱えた母親を改心させた児童福祉司の"意外な行動"
プレジデントオンライン / 2024年12月13日 18時15分
※本稿は、橋本和明『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■誰でも子どもを虐待するリスクを抱えている
どのような親であったとしても、自分は子どもに虐待を絶対にしないと言い切れる人はどれほどいるだろうか?
子どもの発育の早い遅いはもとより、持って生まれた子どもの気質によっても、親はイラッときたりすることは誰しもある。また、親側の要因として、そのときに置かれた自身の家庭状況や職場状況などの環境の善し悪し、何をするにもうまくいかずに物事がうまく回っていかない状況に陥ってしまい、ストレス過多となってしまうことだってある。
そんなときに子どもが言うことをきかなかったり、親の気持ちを逆なでするようなことを子どもから言われたりすると、ついつい声を張り上げてしまうことだってある。あるいは、そんなときには自分のことで精一杯で、子どもに関心を向けずにかかわらないで放置してしまうことだってあるかもしれない。
つまり、実際に虐待行為に至ってしまうか、親自身が怒りの衝動や欲求不満をコントロールできるかどうかの違いはあるにせよ、誰だって子どもを持つ親は大なり小なりの虐待をしてしまうリスクを抱えているのである。
■発達障害を持つ親の虐待には特徴がある
そう考えると、拙著『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』のテーマともなっている発達障害がある親の虐待というのは、わざわざ「発達障害のある」と断り書きをしなくてもいいのではないかと思われる人もいるかもしれない。
確かに、発達障害があるから、それが直接に虐待に結びつくというわけではない。しかし、筆者がなぜそこに関心を向けたかと言うと、一般の親(ここでは発達障害のない定型発達の親という意味で使用する)の虐待と発達障害の親の虐待とを比較すると、そこには虐待に至るメカニズムがずいぶんと異なっている点があったからである。
それゆえに、発達障害のある親に一般の親へのかかわりや支援と同じように虐待対応をしていたのでは、なかなか改善が図れないばかりか、逆に虐待の悪化を招いてしまうことさえあることに気づいた。
もっとも筆者の胸に刺さったのは、発達障害の親自身が、外から見ているとわかりにくいものの、自分の子育てに深く苦しみ、それを周囲にも理解されずに孤軍奮闘している姿が見えてきたところであった。そして、筆者が何度もくどいように言いたいのは、発達障害のある親が必ず子どもに虐待をしてしまうということでは決してないということである。発達障害者=虐待者ではない。
そのことを理解した上で、この章では、親に発達障害があることが虐待にどのようにつながっていくのかを論じていくが、まず筆者にそれを気づかせてくれ、発達障害のある親の虐待についての研究を進めさせてくれた事例を紹介したい。
■「娘さんの気持ちをわかってあげて」と伝えたが…
筆者は家庭裁判所調査官として勤務をしていた頃から虐待について関心を持ち、事件の処理やそれらの研究に従事してきた。
裁判所を退職後も、児童相談所はもとより市町村の福祉事務所ともかかわりも深く、しばしばケースのスーパーヴィジョン(指導)を職員にし、ある時期は市町村での要保護児童対策地域協議会という虐待対応の地域ネットワークの会の代表をすることもあった。そんな活動をする中で出会った事例である。
小学校1年生の女児の母親のAさんである。Aさんはわが子を殴ったり、ひねったりする身体的虐待を与えていたため、児童相談所に通告がなされた。担当の児童福祉司はこのAさんを呼び出し、「お母さん、娘さんにもっと愛情をかけてあげてくださいよ。そして、娘さんの気持ちをもっとわかってあげてくださいね」と言って指導した。
Aさんは児童福祉司の言うことに反論することなく素直に聞いており、「そうします」と返答した。児童福祉司は、その母親Aの様子からすると、こちらの言わんとしていることをわかってくれたと少し安堵(あんど)し、2週間後に再度児童相談所に来てもらう約束をして、このときは女児とともに家に帰ってもらうことにした。
■法律の条文を見せると意外な反応が…
2週間後、そのAさんは女児とともに児童相談所を訪れた。そして、担当の児童福祉司がその後の様子を聞くと、Aさんの虐待は収まるどころか、ますますエスカレートしていたのである。
それを知った児童福祉司は呆(あ)れた様子で、「あれほど言ったじゃないの。娘さんにもっと愛情をかけてあげてと……」とやや感情的となって母親に訴えた。すると、今度はAさんの方が児童福祉司に対して、「私なりに愛情をかけたつもりです。それがなぜいけないのですか?」と言い返してくるのであった。
Aさんと児童福祉司のかみ合わない、ちぐはぐなやりとりがしばらく続き、児童福祉司も埒(らち)があかないと思ったのか、執務室にあった六法全書を持ってきて、「お母さんのやっていることは、ここに書かれてあることなのよ」。
児童福祉司が指し示した六法全書の箇所は、傷害罪について書かれてある刑法第204条の「人の身体を傷害した者は、15年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する」という部分である。それを目の前で母親のAさんに読ませたところ、Aさんはそれまでの様子とは少し違い、何か思い当たるところがあるかのような態度となり、「これからは娘を叩いたりして怪我などさせません」と意外にも素直に述べるのであった。
■「愛情をかける」の意味が適切に伝わっていなかった
児童福祉司はひとまずAさんの様子を見てみようと、この日もいったんは娘とともに家に帰ってもらい、やはり2週間後に再度会うことにした。すると、2週間後に再会したとき、Aさんは娘に一切暴力は振るわなくなっており、怪我や痣(あざ)も認められなかったのである。
娘にそれを確認したが、Aさんはあれから手を上げることはなかったと述べた。このエピソードを聞くと、「この母親は身体的虐待をしていると傷害罪で警察に検挙され、処罰を受けるので暴力など振るわなくなった」と誰しも思うのではないだろうか。
実際、筆者も最初はそのように感じた。しかし、よくよく聞くと、この児童福祉司はそれまでにも、Aさんが子どもにしていることは法律に抵触して警察に捕まる可能性があることを告げていた。それなのになぜそのときは虐待が止まらず、六法全書を読んでから行動が変わったのだろうか。
実は、このAさんは自閉スペクトラム症があり、他者の立場に立てず、相手の気持ちを理解したり配慮したりすることが苦手なところがあった。知的な能力は標準的であるにもかかわらず、抽象的なことを理解するところは一般の人よりもかなりずれていた。そのため、「愛情をかけてあげてください」という児童福祉司の言葉の持つ意味がしっかり伝わっていなかったのではないかと考えられた。
現に、Aさんは「愛情」とはどういうことを示すのか、それを示す行動とはどういったことなのかをよくわかっていなかったのである。それが児童福祉司との面接でも何か所か見られた。
■「よい子にさせる=暴力をふるう」という発想になっていた
Aさんからすると愛情とは、娘が言うことをきかなかったりAさんの期待していることをしなかった場合、手を上げて叱ったり行動を正したりすることだと受け止めている節もあったのかもしれない。
叩かれた子どもの気持ちよりも、よい子になってもらいたいというAさんの気持ちが優先され、それが愛情だと理解していたと感じられた。それゆえに、児童福祉司からの「もっと愛情をかけてあげて」という言葉がAさんにとっては、相手の気持ちを尊重するよりも、娘を何が何でもよい子にさせるという意思を強くしなければという考えにつながり、これまで以上に虐待が深刻化していったと考えられる。
確かに、自閉スペクトラム症の人の中には、この事例のように「愛情をかける」というのがどうすることなのかわからなかったり、あるいは「親密になる」ということがわからず、いきなり異性の体に触ったりしてしまうという場合も見受けられる。
定型発達の人であれば、「愛情」や「親密」というのがどういうことかというのは辞書での定義のように明確に述べられなくても、なんとなくこういうことだというのが共通理解として持っている。しかし、自閉スペクトラム症のある人では、そんな共通理解とはなりにくい、独特の捉え方をしていることが珍しくない。そのためAさんの児童福祉司とのやりとりを見ればわかるように、愛情の認識が大きくずれてしまう。
■「子どもへの愛」を一方的に求めるのはリスクがある
結果的にはAさんに六法全書の条文を読ませ、自分のしている行為を客観的に捉えさせ、それが愛情ではないことを理解できたことは大きな意義があった。そのことが母親の行動改善に結びついたと言える。
そのように考えると、このような自閉スペクトラム症の特性を持つAさんに対して、「愛情をかけてあげてください」「娘さんの気持ちをもっとわかってあげてください」という言葉がけが果たしてよかったのだろうかと思ってしまう。
愛情が何かわからず、他者への配慮がしにくい人にそれを強く求めることは相手をますます混乱させ、事態を悪化させてしまうことになりはしないだろうか、と考えさせられるのである。筆者はこのAさんの事例に出会って、支援者が愛情を振りかざすような支援を親に要求したり、それを目指していこうとしたりすることにどこまで効果があり、そして意味があるのかと考えるようになった。
もちろん、愛情についての共通認識があり、それを理解し感じ取れる人であれば、こうしたアプローチも悪くはない。しかし、問題は自閉スペクトラム症の特性があるなど、それがしにくい人である。彼らにとっては、抽象的でわかりにくい愛情をかけることが混乱を招き、逆にそのことが弊害になることがある。
それよりも、子育ての具体的な方法や、時には独自の養育の工夫を目の前の親と一緒になって考えていくことの方が、虐待防止には有効であると思えたのであった。
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国際医療福祉大学教授
1959年、大阪府生まれ。名古屋大学教育学部卒。武庫川女子大学大学院臨床教育研究科修士課程修了。専門は非行臨床や犯罪心理学、児童虐待。大学を卒業後、家庭裁判所調査官として勤務。花園大学社会福祉学部教授を経て現職。児童虐待に関する事件の犯罪心理鑑定や児童相談所のスーパーバイザーを行う。現在、内閣府こども家庭庁審議会児童虐待防止対策部会委員。公認心理師試験研修センター実務基礎研修検討委員。日本子ども虐待防止学会理事。日本犯罪心理学会常任理事。主な著書に、『虐待と非行臨床』(単著、創元社)、『非行臨床の技術-実践としての面接、ケース理解、報告』(単著、金剛出版)、『子育て支援ガイドブック-「逆境を乗り越える」子育て技術』(編著、金剛出版)、『犯罪心理鑑定の技術』(編著、金剛出版)、『子どもをうまく愛せない親たち 発達障害のある親の子育て支援の現場から』(朝日新書)などがある。
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(国際医療福祉大学教授 橋本 和明)
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