「血のガーゼが降ってくる」一心不乱にかき集め、早く正確に出血量を測る…"オペ室看護師"の知られざる日常
プレジデントオンライン / 2025年1月8日 9時15分
※本稿は、松永正訓『看護師の正体 医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
※登場人物の名前は仮名です。
■「けっこう出血するよ」と教えられていた肝切除の手術
夏になり、千里は肝臓がんの手術の外回り(※編注:オペ室看護師の仕事の一種。手術記録用紙への記録や照明の位置の調整、出血量の測定などを行う)を担当することになった。肝切除は、初めてである。先輩から「ヘパテク(肝切除)はけっこう出血するよ」と教えられていたが、何とかなるだろうと千里は踏んでいた。
「では肝右葉切除、始めます!」
「よろしくお願いします!」
外科医と器械出しの看護師の声が響き、手術が始まった。
胃切除ではみぞおちから臍の下まで縦に一直線に皮膚を切開するが、肝切除では、胸のすぐ下を湾曲を描いて横に大きく切開する。
「コッヘル!」
「コッヘル!」
「電気メス!」
ジジジ、ジジジという音と共に、肉が焦げるにおいがし、ほのかに煙が立ち上る。外科医たちはゆっくりとお腹を開いていった。
千里は開腹時刻を記録用紙に記入し、高さ30センチほどの足台(踏み台のこと)を執刀医の後ろに置き、そこに乗って手術野を覗き込んだ。赤い肝臓が見える。食材のレバーそのものだと思った。
■出血するとすれば肝臓を割っていくとき
「光当てて!」
術者の声で、千里は無影灯のフレームを握って角度を調整し、焦点のツマミを回して光を一点に当てた。肝切除は、最初に肝臓に流入する血管を縛る必要がある。肝動脈と門脈である。外科医たちは丁寧に血管をあらわにしていった。
1時間くらいして肝臓の右葉に行く血管をすべて縛り終えた。いよいよ肝臓を半分に切って右半分を取り出す番だ。出血するとすれば肝臓を割っていくときである。
「CUSA(キューサー)(超音波外科吸引装置)、用意して!」
千里は、冷蔵庫くらいの大きさのある機械本体の電源スイッチを入れ、超音波のパワーと吸引のパワーをそれぞれ標準の目盛りに合わせた。執刀医は棍棒のように太い超音波メスを手にして、「いいですね!」と全員に声をかけると肝臓に切り込んでいった。
ギーンと超音波メスが肝臓に食い込んでいく音と、同時に組織片を吸引していくズルズルズルという音がする。
助手の外科医たちは、ガーゼで手術野を拭ったり、吸引器で溜まった血液を吸い取ったりして視野を確保していた。
千里は足台から下りると、肝切除開始の時刻を記録し、吸引瓶に溜まった出血量をチェックした。けっこう血が出ている。
■血まみれのガーゼを次から次に床に放り投げる執刀医
「吸引、100です!」
千里は麻酔科医に報告した。次は出血カウントだ。「火バサミ」でバケツからガーゼを拾いあげ、秤に載せる。10や20だったらまだ報告は早い。合計で100グラムになったら麻酔科医に知らせればいい。
千里はオペ室の床に「無窓」と呼ばれるおよそ1メートル四方のシートを広げた。外科医はガーゼを2、3枚まとめて術野に突っ込み、血でぐっしょりになると、まとめてバケツに捨てる。千里はそれを拾うと1枚ずつ広げていく。ガーゼの数もカウントする必要があるからだ。
手術前に用意したガーゼの数と、シートに広げたガーゼの数が、手術終了時に一致しなければ、それはガーゼが患者の体の中に残っているということだ。千里は左から右へガーゼを1枚ずつ並べていき、それが10枚になったところで1つの山にしてまとめる。確実にやらないといけない大事な仕事だ。
そうやってガーゼの束の重さを計測し、また1枚ずつバラして広げていると、千里の耳にビチャッ、ビチャッという音が飛び込んできた。何だろうと外科医たちの方を振り返ると、執刀医が血まみれのガーゼを次から次に床に放り投げていた。
「ガーゼ! ガーゼ! もっと出して!」
外科医たちが器械出しの看護師に向かって叫んでいた。手にしたガーゼの束を手術野の奥に突っ込んで圧迫し、次には取り出してバケツに捨てている。いや、バケツから的が外れて床に投げ捨ててしまっているのだ。
■雨が降ってくるようにビチャビチャと落ちてくる
千里は焦って次々にガーゼを「火バサミ」で拾い上げ、どんどん計量した。1回の計測で出血量が200グラムくらいあった。千里は麻酔科医に「ガーゼ出血200です!」と叫んだ。
だが、息つく間もなく、まるで雨が降ってくるように次から次へと血のガーゼがビチャビチャと落ちてくる。手術室の床は辺り一面血だらけになっていた。
(こ、これって修羅場?)
千里はごくりと生唾を飲んだ。正確に出血量を測らないと輸血ができない。一心不乱に千里はガーゼをかき集めた。もういちいち「火バサミ」は使っていられない。手袋をした手で床に落ちているガーゼを直接拾い上げた。
出血はたちまち、300、400グラムになった。二人いる麻酔科医のうち一人がオペ室から走って出て行った。輸血製剤を取りに行ったのだろう。
千里はもう必死だった。出血の計量も大事、ガーゼの枚数をカウントするのも大事。術野を見る余裕など完全にない。おそらく切った肝臓の断面から血液が噴き出しているのだろう。それとも、肝臓から下大静脈(かだいじょうみゃく)に流入する肝静脈を切ってしまったのか。
■出血カウントを正確に、早くやらなければならない
でも、それはどうでもいい。患者のために今一番大事なのは輸血。そのために出血カウントを正確に、そして早くやらなければならない。
血のガーゼは勢いが衰えることなく、次々と落下音を立てながら床に落ちてくる。先が見えない。千里にとって初めての体験だった。ガーゼ10枚の山がどんどん並んでいった。出血量は1000グラムになろうとしていた。
(用意したガーゼ、足りるかな?)
千里の脳裏にはそんな考えが一瞬よぎったが、器械台を見やる余裕もなかった。
その時、オペ室のドアがブーンと音を立てて開いた。先輩の看護師だった。床に這いつくばっている千里を見て、先輩は声を張り上げた。
「あんた何やってるの⁉ 何で人を呼ばないの⁉」
千里は、カチンと来た。
「呼ぶ暇がありませんでした!」
そう言いながら、千里はガーゼカウントを続けた。とても先輩と向き合って話をする余裕はなかった。
■結果としてうまくいったらしい
急遽(きゅうきょ)、外回りの看護師がもう一人ついた。その看護師は、器械出しの補助をしながら手術記録をつけ、千里は相変わらずひたすらカウントを続けた。外回りが二人になっても血のガーゼは降り続け、千里は気が遠くなりそうになった。(もう限界……)と思った頃に、ようやく血の雨が止んだ。
術野から半分に割られた肝臓が取り出された。器械出しの看護師は肝臓を膿盆(のうぼん)に載せ、生理食塩水に浸してガーゼで覆った。
ここから先はまったくと言っていいほど出血しなかった。患者のバイタル(血圧や心拍数)も安定している。輸血もうまくいって患者の全身状態が悪くなることはなかった。結果としてうまくいったらしい。ヘパテクって血が出るって本当だったんだな。
千里はホッとした。でもクタクタだった。やり切ったというよりも、先輩に怒鳴られたことが不満だった。あんなにがんばったのに。
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医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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(医師 松永 正訓)
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