「先生、最後は自宅で死にたいよ」末期がん患者を自ら送り届けた外科部長が若手に明かした"意外な真実"
プレジデントオンライン / 2025年1月12日 9時15分
※本稿は、松永正訓『看護師の正体 医師に怒り、患者に尽くし、同僚と張り合う』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
※登場人物の名前は仮名です。
■物腰が柔らかく、おっとりとした百合子先生
ある年、一人の麻酔科医が研修にやってきた。女医である。ところがよくその先生のことを観察してみると、目尻に少しシワがあり、歳が行っている感じである。ナースたちはその先生の名前を聞いて、百合子先生と呼んだ。
物腰が柔らかく、おっとりとしていて、言っては何だが、お母さんという感じである。
なぜ、研修医なのに年齢が高いのだろうかと千里は疑問に感じた。でも確か、医学部というのは、いったん大学を卒業した人が社会人を経てから試験を受けて入ってくることがあると聞いたことがある。もしかしたら百合子先生もそういう経歴なのかもしれない。
一緒に仕事をしているうちに、千里は百合子先生が好きになった。先生なのに、偉ぶらない。話しかけてみると、言葉が丁寧で謙虚に見える。
(ああ、この先生ならば何でも質問できるな)
千里の直感がそう言っている。
オペ室に慣れると、あんがい基本的なことを理解していないことに気づいたりする。麻酔科の副部長の先生とかに質問したら「お前、そんなことも知らないの?」とバカにされそうでイヤ。でも百合子先生なら優しく教えてくれそうだ。
■自分のペースを乱さない先生だった
「先生、なんで子どもに気管内挿管をするとき、カフ(固定用の風船)を膨らませないんですか?」
「あ、それはね、子どもは気管の粘膜が弱いから、カフを膨らませると炎症が起きてむくんだりするからね」
「そうなんですね」
「長期の人工呼吸器管理をすると、抜去困難といって気管が狭くなってしまうの。そうするとオペで狭い部分を切除して、気管と気管を縫うの」
千里がどんなことを聞いても百合子先生は答えてくれた。この先生は勉強しているなと感心した。
一日の仕事が終わると、医師も看護師もラウンジでくつろぐ。みんなでワイワイやっているうちに「飲み行こう」という流れになる。だけど、百合子先生はいつもその中にいなかった。仕事が終わるとさっと帰ってしまうのだ。自分のペースを乱さない先生だった。
千里は百合子先生ともっと話をしてみたいと思った。朝、オペ室で一緒になると「いつか飲みに行きましょう」と声をかけた。先生は「うん」とうれしそうだった。だが機会はなかなか訪れない。
ある朝、思い切って「今日、仕事が終わったらみんなで飲みに行きましょうよ」と誘った。百合子先生は「そうね。行きます」と言ってくれた。
■「オペ室にポリタンク、使ってないの、ありません?」
師長を含めて、オペ室ナース5人と百合子先生で、病院から歩いて10分の居酒屋へ行った。海が見える病院の関係者御用達の店で、10席ほどのカウンターと、小上がりにテーブル席が四つある。みんなで小上がりに陣取ると、乾杯して飲んで食べた。百合子先生に興味津々だったのは千里だけではなく、みんながそうだった。
師長が酔って明るい声で次々に聞いていく。
「百合子先生は独身? ああ、やっぱり。バツイチじゃないよね? そう。じゃあ、お子さんもいないのね。やっぱりX大学から来たの? 先生は、社会人経験者?」
ズケズケと質問をしまくる。百合子先生はニコニコ笑いながらどんな質問にも答えてくれる。中には失礼な質問もあったが。
「私は独身よ。子どももいないわ。医学部に行く前は会社勤めをしていたの」
率直に話してくれる百合子先生を見て、千里はますます先生が好きになった。
盛り上がっているときに、突然、百合子先生が聞いてきた。
「あのー、オペ室にポリタンク、使ってないの、ありません? あったら欲しいんです」
「ポリタンクってでっかい奴?」
師長が聞くと、百合子先生が理由を説明してくれる。
「ポリタンクに水を入れて、お風呂の浴槽に入れたいんです。そうすると、お湯の量を節約できますよね? わたし、あんまりお金がないので」
「ええ~~」
そういえば、研修医はお金がないから、飲みに誘ってはダメと3南病棟にいたとき、先輩から言われたことを千里は思い出した。だけど、浴槽にポリタンクなんて。なんていい味出している先生なの! 千里の中では百合子先生は良い医師だ。
ただ、この話を聞いてから、もう百合子先生を飲みに誘えなくなってしまった。
■手術室を抜け出して漫画本を読んでいた男性内科医
ある年にやって来たローテーターは、30代半ばくらいの男性内科医だった。麻酔の基本を学びに、東京の私立大学病院からやってきたという。前にも述べたように、この病院は手術室が8つ。でも麻酔科医は4人しかいない。どうするかと言うと、全身麻酔がかかると、麻酔科医は患者を人工呼吸器につなぐ。その間、別の手術室に行き、もう1件麻酔をかける。掛け持ち麻酔である。
千里からすると、この男性医師はなんとなく雰囲気がチャラかった。でも偏見はよくない。思い込みで人と接するのは失礼なので、ちゃんとその先生の指示に従って麻酔の手伝いをした。
ところがどうも、その先生は、ちょくちょく手術室を抜け出すのである。研修に来ているローテーターなので、掛け持ち麻酔はしていない。トイレなの? 千里は不審に思った。来る日も来る日も、毎回、その先生は手術室からいなくなる。さすがにおかしいと思って、ある日、千里はその医師のあとをつけた。
その医師は休憩室に入っていく。
(おいおい、休憩かよ)
千里はドアを開けた。なんとその医師は漫画本を読んでいた。
■「最後は自宅で死にたいよ」と懇願する末期がんの男性
ムカー! 千里は頭に血が上った。こ、こいつ! ま、今日は見逃してやる。だが、憤懣(ふんまん)やる方なかった。
それから3日後、千里は器械出しでも外回りでもなく、フリーの役目だった。各手術室を見回って廊下を歩いていると、その医師にばったり鉢合わせした。本当は麻酔をかけている最中のはず。
「岡田っ!」
千里は呼び捨てにして怒鳴った。自分より年上だがもう関係ない。
「いい加減にしろ! 患者のそばにいなよ!」
「……すみません」
その医者は吹っ飛んで戻って行った。千里からすると、最悪にダメな医師である。
後味が悪いので、最後に良い医師の話を紹介しよう。これはのちになってから、千里が外科の先生から聞いた話である。
外科の病棟に末期がんの還暦過ぎの男性がいた。男性は自分がもう長く生きられないことを知っていた。外科の部長先生は回診のときだけでなく、足繁く病室に通い、男性とその妻の話し相手になっていた。
男性が弱々しい声で言う。
「先生、最後は自宅で死にたいよ。畳の上で死にたいんだ」
その患者には点滴やモニター、膀胱バルーンやドレナージ(排液)チューブなど、さまざまな管が付いていた。奥さんも懇願した。
「主人がこう言っていますので、なんとかお願いできないでしょうか」
部長先生はかすかにうなずいた。そしてその日、男性の意識が混濁し始めた。
■部長先生自ら救急車で男性の自宅へ向かった
昏睡状態が続いている間も、奥さんは部長先生にお願いを続けた。部長は、「よし、分かった。今から帰ろう。救急車を手配する」と奥さんに伝えた。
救急車が病院に到着すると、部長先生はストレッチャーに男性を移し、自分も一緒に家まで行くという。若手の医師が「自分が行きます」と言うのを制して、部長先生は救急車に乗り込み自宅へ向かった。救急車でも40分かかる山の中だった。
自宅に着いて、部長先生は男性を居間の布団に寝かせた。そばに座り、家族のみんなが集まったところで、男性の脈を取った。
「今、お亡くなりになりました。ご愁傷様です」
奥さんは涙を見せず、部長先生に感謝した。
「よくしていただいて、ありがとうございます。私もこれで心が落ち着きました。本当によかったです」
こうして部長先生は病院に戻り、外科の若手たちに男性の最期を伝えた。若手がしみじみと言う。
「でも最期……畳の上でという願いが叶ってご家族もよかったですね」
「うん? そうなんだけど。実は、病院を出る前に患者さん、亡くなっていたんだよね」
「えー! じゃあ、死体を運んだんですか?」
「そうだよ。医療ってそういうことじゃない? 手術だけじゃ、いい外科医になれないよ」
千里はその話を聞いて、部長先生は良い医師だと思った。
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医師
1961年、東京都生まれ。87年、千葉大学医学部を卒業し、小児外科医となる。日本小児外科学会・会長特別表彰など受賞歴多数。2006年より、「松永クリニック小児科・小児外科」院長。13年、『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』(小学館)で第20回小学館ノンフィクション大賞を受賞。19年、『発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年』(中央公論新社)で第8回日本医学ジャーナリスト協会賞・大賞を受賞。著書に『小児がん外科医 君たちが教えてくれたこと』(中公文庫)、『呼吸器の子』(現代書館)、『いのちは輝く わが子の障害を受け入れるとき』(中央公論新社)、『どんじり医』(CCCメディアハウス)などがある。
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(医師 松永 正訓)
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