ゴミ係のおじさんが「鳥羽城の未発見絵図」を発掘するなんて…ドイツ在住作家が「さすが日本」と感嘆したワケ
プレジデントオンライン / 2024年12月18日 8時15分
■史料価値に気づいたのはボランティアだった
最近の日本のニュースでとても印象に残ったのが、産經新聞12月7日付の「ゴミの中から鳥羽城の未発見絵図 災害史研究のマスターピースを地域の連携プレーで救出」という記事だった。
かいつまんで言うと、三重県鳥羽市のリサイクル施設に持ち込まれた紙ごみの束から、江戸時代の重要な絵図が発見されたという話なのだが、“さすが日本!”と思われることや、今の時勢に思いを馳せることなど、私の脳裏をいろいろな思いが駆け巡った。
ちなみに発見された貴重な絵図というのは、暴風雨で崩落した鳥羽城の石垣の被災状況を幕府に報告した「修復願絵図」だそうだが、まず、この貴重品の発見に至る経緯があまりにも何気なくて、凄い。
記事によれば、ことの始まりは今年の7月13日。鳥羽市の家庭ごみのリサイクルを受け付けている「リサイクルパーク」に、名古屋市の50代の男性が、古い史料などが詰まった段ボール箱を持ち込んだ。親御さんの住んでいた鳥羽市の空き家を整理した際の不用品、要するに「ゴミ」だった。
ところが、対応した有償ボランティアの男性(72歳)が中身を見てピンときた。「書いてある文字が達筆で気品のようなものが伝わってきた」ので、廃棄はやめて、鳥羽郷土史会に持ち込もうと考えたという。
私はすでにここで、複数の点に日本らしさを感じた。
■「働かずに暮らす」を望むドイツ人とは大違い
まず、「ゴミ」として持ち込まれたものがゴミではないと判断するには、それなりの教養が要る。私の住むドイツなら、リサイクルパークのゴミの受付係として、それほど教養のある人が働いている可能性は非常に低いし、たとえ働いていたとしても、わざわざ中身を調べて、しかもそれを研究者に見てもらおうなどとは、まず考えない。そんなことをしたら、自分の余計な仕事が増えるだけだ。
さらに言えば、72歳の教養ある人が、有償といってもおそらく雀の涙程度のアルバイト料だろうから、何かの理由で極貧になってしまった場合を除けば、リサイクルごみの受付係として自発的に働いているということ自体が、ほぼあり得ない。大半のドイツ人は、年金生活者となり、働かないで暮らせる日を待ち望んでいる。
ところが日本ではここらへんの考え方が根本的に違っていて、多くの人の頭の中では、「元気で働けることはありがたい」という哲学が今なお健全だ。欧米では、博士号をとって優良企業に就職すれば、若くても最初から個室を与えられることは珍しくない。看護師も、上下関係を決定するのは年齢でも経験でもなく、持っている資格によって命令系統が定まる。社会には歴然とした階級があり、それこそ読んでいる雑誌から、行く店、利用する交通機関までが異なる。そして、それが入れ替わることはほとんどない。
■本当の意味で「階級のない国」
ところが日本では、定年後にこれまでと全然違ったアルバイトをすることは珍しくない。職業に貴賎なしというのは建前だけではないし、はっきりいって、日本社会には階級がない。こんな国は珍しい、というか、私は他に知らない。
話が逸れたが、リサイクルパークだ。持ち込まれた史料は310点。最も多かったのは、地元の神社の祭礼で奏上されたとみられる明治時代の祝詞類で、その他、捕鯨やボラ漁など江戸~明治時代の漁業関連史料や、鳥羽城などの歴史史料も含まれていたという。
その後、それら膨大な史料の整理が鳥羽駅近くの「鳥羽市歴史文化ガイドセンター」で始まったそうだが、それから間もない7月21日、偶然にも学術団体「歴史地震研究会」の研究者、盆野行輝氏が現れた。氏は三重県の職員だが、かねてより鳥羽城が江戸時代に受けた津波被害についての研究をしていた。
鳥羽城というのは太平洋に面しており、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆(よしたか)が、安土桃山時代の文禄3(1594)年に築いた海城だ。九鬼は水軍を率いて、秀吉や織田信長のもとで活躍したと言われる。
■江戸時代には南海トラフ地震の被害に
鳥羽城は、宝永4(1707)年と幕末の嘉永7(1854)年の2度、南海トラフ地震の津波に見舞われたほか、それ以前にも度々暴風雨などの災害に遭っている。
盆野氏は、古い史料を探し出し、被害状況の研究を進めていくうちに、今年の1月1日に発生した能登半島地震で、「地震による地殻変動で発生した地盤の隆起や沈降」と報告されている事象と、鳥羽藩が「潮位上昇」と認識した現象が、実は同様の沈降を示すのではないかと気づいた。そうであれば、新たな知見として、今後の研究や防災対策に役立たせることができるかもしれない(現在、鳥羽城は残っていない)。
盆野氏の過去の研究については、やはり産經新聞が今年1月20日付で報道しており、そこには、氏が昨年、1854年の「御用部屋日記」を新たに発見したことも記されている。「御用部屋日記」というのは、地震で破損した鳥羽城の石垣工事についての、藩の江戸詰藩士と幕府のやりとりを記録したもので、これにより、幕末の南海トラフ地震による鳥羽城の修復事情が逐一わかることになった。
なお、日本の城郭は「一国一城令」が発令された江戸初期の元和元(1615)年以降、新規築城が原則禁止となり、城の修復は幕府の許可が義務付けられた。その際、修復箇所を朱書きで図示した修復願絵図を老中に提出する必要があり、それらも、1792年の大風雨・高潮による破損から、前述の1854年の大地震と津波による破損まで計5回のうち、1800年の被害を除いてはすべて発見されていたという。
■「失ってはならない」200年受け継がれた思い
さて、その盆野氏が、7月、鳥羽市に現れた理由は、名古屋大に集まる若手研究者を鳥羽城跡に案内して防災を学んでもらうツアーのための下見だったという。そこで、郷土史会が氏に、リサイクルパークで発見された史料の検分を頼んだのは、ごく自然な成り行きだった。
絵図をみた氏は、これは探していた未発見絵図の一つ、寛政12(1800)年に鳥羽藩が幕府に提出した「修復願絵図」の控え図に違いないと、一目で直感したという。「史料に呼ばれたような不思議な感覚に襲われた」そうだ。
前述の新聞記事によると、「修復願絵図は、災害の規模を視覚的に把握できる史料だといい、今回の発見で6種10枚に。鳥羽藩の最後の藩主、稲垣家が治めた享保10(1725)年から鳥羽城廃城(明治初期)までに作られた修復願絵図5種は、今回の寛政12年の絵図ですべて揃った」とのこと。素晴らしい成果である。
それはそうと、これを保管していたのはどういう家門だったのか? 持ち込んだのは名古屋市内の50代の男性としか書いていないところを見ると、おそらく今のところ不明なのだろう。鳥羽の住人ではないから、この朗報も伝わっていないのかもしれない。
ただ、郷土史会の会長の推定によれば、その人の祖先は、江戸時代に鳥羽藩で書記係を担い、明治時代になってからは神職を務めた家だっただろうとのこと。どこに置いてあったのかはわからないが、湿気の多い日本で、しかも一般人の家で、古文書が200年以上も保管されていたというのは凄い。失ってはならないと思った人の情念が伝わってくるような話だ。
■長男が家を継がなくなった日本で起きていること
しかし、それを最後に受け継いだ人にとっては、これは古文書ではなくゴミだった。あるいは、価値があるとは知りながら、どうしようもなかったのかもしれない。最近では、図書館や資料館なども、一般家庭からの持ち込みは、よほど価値があるとわかっているものでない限り引き取ってはくれない。
親の家は、つい1、2世代前まではたいてい長男が引き継いだ。これは私の勝手な想像だが、その際、伝統や風習とともに、何に価値があるかという認識も自然と受け継がれていたのではないだろうか。
ところが今では、家は親が亡くなれば処分するものだ。私も数年前、実家の整理をし、大量の写真などを後ろ髪を引かれながらも捨てた。写真の中には、場所をちゃんと特定でき、しかも街並みが克明に写っているものもあり、人々の服装なども含めて、ひょっとすると時代考証に役立つものもあるかもしれないと思いながら、しかし、ほとんどをゴミにして出した。さすがに古文書らしきものは見当たらなかったが、もし、出てきても、忙しさにかまけて捨ててしまったかもしれない。
たぶん今日、何千何万という人たちが、空っぽになった家で、埃(ほこり)を被った写真や書類を前に、同じような葛藤をしているに違いない。
■42年前、ドイツに移住したときに見た光景
今回、古い史料をリサイクルセンターに持ち込んだ人は、私とほぼ同年代といえる。ちなみに、先祖代々の時間の流れが次世代に受け継がれなくなってしまったのは、まさにこの私たちの年代ではないか。
42年前、ドイツに渡り、これから長く住むとなって、ようやく落ち着いた頃、突然、不安な気持ちに駆られたことを思い出す。後ろを振り向くと、他の人は学生時代、子供時代、それどころか世代を超えて、はるか昔まで一本の道が続いているように思えたのに、私の後ろだけは何もなかったからだ。抽象的な話に聞こえるだろうが、私の頭には、その時見た衝撃的な“光景”が、今もはっきりと残っている。
しかし、今の日本では、多くの人は後ろを見ても、道はどれほど長いのか。せいぜい両親か祖父母の辺りまでで、それ以前は霞んでしまって、伝統や精神性は受け継がれてはいないような気がする。少なくとも私の場合はそうだ。
■「先人の思いを引き継ぐ」むずかしさ
10年前、四国の高松の栗林公園を訪れた時、後ろの山を借景にした瀟洒(しょうしゃ)な佇まいにも感動したが、私にとっての圧巻は松だった。庭園内の1400本のうちの1000本は、職人が手を入れた手入れ松で、その美しい形状は長い年月の証左だ。中には300年以上の月日がたっているものがあるというのが、驚異だった。
人の命は松のそれよりも短いから、美しい松の形を求めた江戸時代の人々は、その心を人から人へと継承していったわけだ。これは、平和の世で、しかもかような風流に財を費やすことのできる豊かさ、そして伝えようという意思がなくては叶わない。
今回、鳥羽の「修復願絵図」の話を聞いて、栗林公園の松を思った。松も、そして「修復願絵図」も、先人の思いと知恵がたっぷりと浸み込んでいる。どちらも空襲で焼かれなかったことは、本当に幸いであった。私たちの役目は、これを全力で次世代に引き継いでいくことだろうと、理屈ではわかっているが、とても難しい。
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作家
日本大学芸術学部音楽学科卒業。1985年、ドイツのシュトゥットガルト国立音楽大学大学院ピアノ科修了。ライプツィヒ在住。1990年、『フセイン独裁下のイラクで暮らして』(草思社)を上梓、その鋭い批判精神が高く評価される。2013年『住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち』、2014年『住んでみたヨーロッパ9勝1敗で日本の勝ち』(ともに講談社+α新書)がベストセラーに。『ドイツの脱原発がよくわかる本』(草思社)が、2016年、第36回エネルギーフォーラム賞の普及啓発賞、2018年、『復興の日本人論』(グッドブックス)が同賞特別賞を受賞。その他、『そして、ドイツは理想を見失った』(角川新書)、『移民・難民』(グッドブックス)、『世界「新」経済戦争 なぜ自動車の覇権争いを知れば未来がわかるのか』(KADOKAWA)、『メルケル 仮面の裏側』(PHP新書)など著書多数。新著に『無邪気な日本人よ、白昼夢から目覚めよ』 (ワック)、『左傾化するSDGs先進国ドイツで今、何が起こっているか』(ビジネス社)がある。
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(作家 川口 マーン 惠美)
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