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こうしてSNSが日本の政治を動かすようになった…選挙報道を勝手に"自主規制"したテレビにもう後はない

プレジデントオンライン / 2024年12月21日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Grafissimo

2024年は衆院選に加えて東京都知事選、兵庫県知事選など国民の注目を集める選挙が続いた。メディアコンサルタントの境治さんは「SNSが選挙結果に与える影響力が大きくなり始めている。その背景には、テレビが選挙報道を自主規制し始めたことがあるのではないか」という――。

■「勝者」がいないのに敗北宣言

11月17日の兵庫県知事選挙は、メディアウォッチャーとして非常に興味深いものがあった。今年はSNSが影響を及ぼす選挙が続いたが、この時は初めてSNSが斎藤氏に勝利をもたらした。SNSはもはや、政治を動かすメディアとなった。

奇妙だったのは、翌日のテレビ局が一斉にSNSの力を伝えただけでなく、マスメディアがSNSに負けたと言い出したことだ。いや、負けたと言ったキャスターもいれば、負けてないと返したコメンテーターもいた。誰もマスメディアに対して勝利宣言したわけでもないのに、まるで誰かにそう言われたかのようにマスメディアの人々が自分たちは負けたの負けてないのと言い出した。こんなに滑稽なことはない。

マスメディアの側が勝手にSNSとの対立構造を作り、自分たちの側の影響力の低下に危機感を増大させた。だが何を焦っているのかと思う。YouTubeの動画が100万回再生されても、視聴率で見ると単純に計算すれば1%にも満たない。テレビの視聴率は特にコロナ禍以降地滑り的に下がっているが、それでもそのリーチ力は絶大だ。本気を出せば負けようがないはずだ。

■自主規制を「縛り」と思い込んでいる?

しかし一連の選挙で、マスメディアが影響力を発揮できなかったのは確かだ。なぜならば、マスメディア、特にテレビは選挙報道をほとんどしない。SNSに大敗を喫したのは、選挙報道をしなかったために結果に影響を与えられなかったせいだ。自滅もしくは不戦敗と言ってもいい。選挙報道をきちんとやっていれば、負けにならなかっただろう。

ここで言う「選挙報道」とは、公示日以降の選挙期間中の選挙関連の報道のことで、テレビ局はこの期間になると急に選挙報道を大幅に控えてしまう。

これについて何人かのアナウンサーやキャスターが、テレビ局は縛りがあるからと言い訳を述べていた。だが選挙報道についてマスメディアを縛るものは何もない。あるのは、自主規制だけだ。それなのに縛りがあると言うのは、ひょっとしたらそう思い込んでいるのだろうか。だとしたら大きな誤りだ。

■20年前はもっと盛大に選挙報道していた

放送法は4条で「政治的公平」や「できるだけ多くの論点」を求めている。だが選挙報道をするなとは書いていない。公職選挙法は選挙に関する報道や評論を行う自由を保障している。選挙報道について法的な縛りは何もないのだ。

むしろ20年前は選挙報道が盛大に行われていた。2005年の郵政民営化を争点にした総選挙では、当時の小泉純一郎首相が自民党内の反対派を「抵抗勢力」とし、マスメディアはそれを煽って「劇場型選挙」と呼ばれた。選挙でマスメディアは大はしゃぎしていたのだ。度が過ぎていた気もするが、選挙をメディアが盛り上げるのはちっとも悪いことではないと私は思う。少なくとも今よりずっといい。

だがその後、選挙報道はじわじわと後退していく。もともと各政党は選挙時に自分たちの扱いが短いとクレームをつける傾向があった。だからNHKは特に各党の放送での時間にフレーム単位で配慮してきたと聞く。だが民放はそこまでではなかった。

報道記者
写真=iStock.com/suriya silsaksom
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/suriya silsaksom

■自民党からの“クレーム”で委縮するように

故安倍晋三氏は特にメディアに介入したがる政治家だった。第二次安倍政権時の2012年にTBSの番組に出演した際、街頭インタビューでの市民のアベノミクス批判に対し、意見の取り上げ方に意図があるのではと顔色を変えて言った。

その2日後、当時の自民党副幹事長・荻生田光一氏の名で各キー局に文書が届いた。選挙期間中の報道に「公平中立」を求め、「出演者の発言回数及び時間」などを同じにするよう要望している。

これも一つの契機となり、選挙報道に各局がナーバスになっていく。それでも選挙報道をしなかったわけではないが、少しずつ慎重になっていった。各政党、各候補者の出演時間を測って同じ時間になるように配慮し、首長選挙では扱わなかった候補者も名前だけは画面に表示するなど、「公平中立」と言える手法を整えていく。

それでも、たとえば2016年7月31日の東京都知事選挙では小池百合子氏と自民党都議会のドン・内田茂氏と対立し自民党は増田寛也氏を擁立、野党勢は鳥越俊太郎氏に一本化し先に立候補を表明していた宇都宮健児氏が出馬を取りやめた。こうした経緯をマスメディアは詳しく取り上げて盛り上げた。

■「量的公平」が面倒になり、諦めた

この時、小池氏がSNSを上手に使ったことも功を奏し当選した。マスメディアがストーリーを紡ぎ、SNSが有権者と小池氏の「つながり」を作った新しい選挙と私は受け止めた。

一方で、同じ7月の10日には参議院選挙が行われた。野党の力が弱く安倍政権の独壇場の選挙となったのだが、同時に報道が盛り上がらない選挙となった。

この頃から特にテレビの選挙報道が問題に上がり、BPOは翌年2017年に「選挙報道で求められるのは量的公平ではない」との文書を発表している。放送法に書かれた「政治的公平」とは回数や時間などの量ではなく、「質的公平」を担保すればよいのだ、との見解だ。だからもっと選挙報道を活発にせよとの意図があったと思われる。

量ではなく質、とは理念としてはわかるが具体性に欠け、テレビ局側もこの見解で意を強くすることもなかったようだ。こうしてテレビ局は選挙報道をすっかり控えるようになった。

大ざっぱにまとめると、「量的公平」に配慮していった揚げ句、報道できなくなってしまったのだ。面倒になったと言っても過言ではないだろう。アナウンサーやキャスターが「縛りがある」と言ってしまうのも、「選挙報道はできない」ことが当たり前になったためだろう。諦めがテレビから選挙報道を失わせた。

■選挙についてSNSを規制する方法はない

キャスターたちの発言の中には、「我々には縛りがあるがSNSにはなくていいのか」と規制を求めるようなものもあった。報道機関が表現の自由を規制することを言うのはいただけない。

だがSNSの荒廃ぶりは世界的な問題になっている。オーストラリアで16歳以下のSNS利用を禁止する法律が成立した。ブラジルでは裁判所がX(旧Twitter)を禁止し、イーロン・マスク氏が折れる形で再開が許された。

日本では総務省の「デジタル空間における情報流通の諸課題への対処に関する検討会」という有識者会議でSNSなどのプラットフォームへの対処が議論されている。ただ各事業者のモデレーションに委ねられる方向性のようだ。

問題のある投稿やアカウントを事業者側が排除することは今後あるかもしれないが、表現の自由との兼ね合いもあり簡単ではない。ましてや、選挙期間中に絞った規制は難しいだろう。

■報道機関であるテレビがやるべきこと

SNSの規制よりテレビ局が検討すべきは、以前のように選挙報道を活発に行うことだ。選挙で有権者の参考になる情報を与えられないようでは報道機関と言えない。そんな危機感を抱く局員は多いはずだ。声を上げていきたいと言っている局員も実際にいる。

ただハードルは高い。BPOの言う「質的公平」を具体化すればいいわけだが、「量」抜きで実際にどうすれば公平なのか。別の党より30秒短かったとクレームをつけられた時、どう言えば「質的公平」だと言えるのか。私にもわからない。

一つの方法として、ネットを駆使するやり方がある。放送法はテレビ局のネットでの報道は対象外となる不思議な法律だ。日本テレビは実際、今年10月の衆議院選挙の時に、「投票誰にする会議」のタイトルでYouTubeで動画を毎日配信していた。

ただ、この時も主要政党から毎日一人ずつという「配慮」はあった。ネットでも「公平」を考えざるを得ないのかもしれない。とは言え、テレビ局はまずネットでの選挙報道には取り組むべきと思う。

■まだメディアとしての矜持が残っているか

だがやはり、テレビは次の大きな選挙で、胸を張って選挙報道に取り組むべきだ。民主主義を支えることは、放送免許を授かる大きな理由のはずだ。そして選挙は民主主義の根幹となる制度だ。それを報道しないようでは、放送免許を持つ意義を国民に示せない。

テレビ
写真=iStock.com/Thampapon
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Thampapon

何より、SNSに負けたことが悔しいのなら、メディアとしての矜持を選挙で示すしかないのではないか。次の国政選挙は2025年7月の参議院選挙だ。ここでまた自主規制を続けるようでは、社会から見放されかねない。質的公平の理屈より、トップが「俺が責任とるから自由に選挙を報道せよ」と腹を括って宣言することが唯一の答えだ。

TVerでドラマがたくさん見られて喜んでいる場合ではない。むしろテレビで十分に選挙を報道し、それをTVerで配信するぐらいのことをやるべきだ。そうすればSNSに「勝つ」ことができる。まだまだテレビは必要なメディアだと、国民に見直してもらえるかもしれない。

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境 治(さかい・おさむ)
メディアコンサルタント
1962年福岡市生まれ。東京大学文学部卒。I&S、フリーランス、ロボット、ビデオプロモーションなどを経て、2013年から再びフリーランス。有料マガジン「MediaBorder」発行人。著書に『拡張するテレビ』(宣伝会議)、『爆発的ヒットは“想い”から生まれる』(大和書房)など。

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(メディアコンサルタント 境 治)

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