芥川龍之介は風采90点、腕力0点、性欲20点…総勢68人の作家に"文春砲"浴びせても菊池寛が憎まれなかったワケ
プレジデントオンライン / 2024年12月26日 8時15分
■「副業」や「複業」をこなす文芸界の名プロデューサー
芥川龍之介、太宰治、川端康成など、後世に語り継がれる作家が活躍した背景には、菊池寛という名プロデューサーの存在がありました。のちに文豪と呼ばれるようになる才能を見出し、執筆の機会を与え、ときにはお金を貸すなど生活面でのサポートをして、世に送り出してきたのです。
菊池は、小説家としてはそれほど有名ではないかもしれませんが、日本の文芸界にとっては欠かせない存在です。小説家であり、文芸芸術のプロデューサー、著名人のスキャンダルやスクープで“文春砲”を放つ『週刊文春』でお馴染みの出版社「文藝春秋」の創設者でもあります。
菊池自身も人気作家として活躍しながら、さまざまな顔を持つ、とてもユニークな存在です。なんと一時は、芥川よりも菊池のほうが人気だったこともあるともいわれます。
菊池の人生をひもといていくと、ビジネスパーソンとして非常に優秀であるとともに、大変な努力家だったことがわかります。
何をやらせても一流だったといっても過言ではないのですが、経営者として働くかたわら、休日を使って個人で仕事をする「副業」や、複数の仕事を兼任する「複業」など、1つの職場環境に依存しないのが当たり前になった現代のビジネスパーソンにとってのロールモデルになるような人物ともいえます。
■少年時代は貧乏で嫌な思い出しかない“本の虫”
菊池の幼少時代は、あまり恵まれたものではありませんでした。
香川県香川郡高松(現・高松市)に生まれ、父親は小学校の庶務係、母親は内職をしていました。のちに菊池は、「少年時代は貧乏で嫌な思い出しかない」と語っています。経済的に恵まれない家庭に生まれ、ほしいものも買ってもらえなかったのでしょう。
菊池が入り浸っていたのは、中学3年生のときにできた地元の公共図書館でした。
その図書館には約1万8000冊が蔵書されていましたが、文学や歴史など興味のある本はすべて読んだそうです。まさに“本の虫”だったのです。
成績優秀だった菊池は、中学を卒業すると上京し、学費免除で東京高等師範学校(現・筑波大学)に入学しました。師範学校は教師を養成する学校ですが、菊池は教師になるつもりはなく、授業をサボっては芝居見物をしたりテニスをしたりしたことから、除籍処分となってしまいます。なんとなく豪放磊落(らいらく)な性格がうかがえます。
■七転び八起きの波瀾に富んだ遍歴
その後、地元のお金持ちから将来を見込まれた菊池は、養子縁組をして経済的な支援を受け、明治大学法学部に進学しましたが、わずか3カ月で退学。さらには、兵役を逃れるため早稲田大学に籍を置きつつ、第一高等学校(現・東京大学教養学部)を受験する準備をしたのですが、これが養子縁組をした地元の養父にばれて、縁組を解消されてしまいます。
しかし、実家の父親が、貧しい状況ながら借金をしてでも学費を送ると申し出てくれたことから、菊池は22歳にして第一高等学校第一部乙類に合格。ところが卒業間際になって、盗品と知らずにマントを質入れした通称「マント事件」によって退学処分となります。
すると、今度は京都帝国大学文学部英文科に入学。ところが、旧制高校卒の資格がないため、「本科」ではなく、規定の学課の一部のみを選んで学ぶ「選科」に進まざるを得ませんでした。
そのときに短編小説『禁断の木の実』を書き上げ、日刊紙『萬朝報』の懸賞に応募したところ当選したことで、小説家としての第一歩を踏み出したのです。
その翌年には、旧制高校の卒業資格検定試験に合格して、京都帝国大学文学部英文科の本科に進むことができましたが、それにしても七転び八起きのなかなかお目にかかれないほどの、なんとも波瀾に富んだ遍歴です。
■大衆小説『真珠夫人』で一躍人気作家の仲間入り
かなりの紆余曲折を経た菊池は、大正5(1916)年に京大を卒業後、昭和11(1936)年に廃刊するまで東京五大新聞(東京日日新聞、報知新聞、時事新報、國民新聞、東京朝日新聞)の1つに数えられた『時事新報』の社会部記者となり、月給25円のうち10円を毎月実家に送金していたといいます。
入社の翌年(大正6〈1917〉年)、資産家である高松藩旧藩士・奥村家一族の奥村包子(かねこ)と結婚。これは、生活のための“戦略結婚”ともいわれます。
お金の心配がなくなったこともあってか、このころから菊池は執筆活動に軸足を置き始めます。そして大正8(1919)年、雑誌『中央公論』に短編小説『恩讐の彼方に』を寄稿したのを機に時事新報を退社して、執筆活動に専念することにしました。
すると、その翌年(大正9〈1920〉年)、大阪毎日新聞・東京毎日新聞に連載した大衆小説『真珠夫人』が話題を呼び、一気に人気作家の仲間入りをしたのです。
このころになると日本の識字率は向上し、新聞や雑誌、小説を一部のブルジョワジーだけでなく一般大衆が読んだり買ったりする風潮ができてきました。
芥川龍之介など、名だたる作家たちと親しくしていたこともあり、タイミングを読むのもうまかったのでしょう。大正12(1923)年、菊池が35歳のときに、若手の作家たちに活躍する場を与えようと雑誌『文藝春秋』を立ち上げたのです。
■『文藝春秋』創刊号がわずか3日で売り切れ
菊池が立ち上げた『文藝春秋』創刊号は、発行した3000部がわずか3日で売り切れになるほどのヒットを記録。2号目からは、すでに小説家として名を馳せていた自身のネームバリューを利用して、表紙に「菊池寛編集」という文字を大きく入れました。
この狙いが的中して、販売部数をさらに伸ばします。また、創刊と同じ年に発生した関東大震災の復興支援の空気が醸成されていたこともあって、『文藝春秋』は部数を重ねるごとに人気を博していきました。
関東大震災といえば、「鎌倉文士に浦和画家」といわれます。これは関東大震災で壊滅状態になった東京から鎌倉へと移り住んだ文学者と、埼玉・浦和へと移り住みアトリエを構えた画家が多かったことに由来します。
それほど大きなダメージから復興需要が生じた影響が、文化・文芸にも浸透してくるようになったのです。本書で触れた「円本ブーム」に加え、外国作家の翻訳本なども、ものすごい勢いで売れるようになりました。
首都・東京の災害復興によって、広く日本全体の文化力を底上げするムードが満ちていました。そういう状況下にあって、菊池は『文藝春秋』をただの文芸誌ではなく、世の中の「流行」や「ゴシップ」など扱うネタの間口を広げていったのです。
こうして、小説家、新聞記者、プロデューサー、編集者、「文藝春秋」の経営者と、菊池の肩書きは次々に増えていきます。
■「適当に飲み食いして、しゃべってくれればいいよ」
実は、菊池が『文藝春秋』で発明したことが、2つあります。
1つは「座談会記事」です。いまでは複数人が集まって特定のテーマについて議論する座談会を記事にして雑誌に掲載するのは、ごく当たり前になっていますが、このスタイルを確立したのは菊池なのです。
とはいうものの、これはいわば“苦肉の計”でした。原稿を依頼しても執筆を拒むことのある高名な作家たちに、気軽に発言してもらうための策だったのです。
菊池の手口はこうです。作家たちを料亭に呼び、高級な料理と酒でもてなして、「どうぞ勝手にしゃべってください」と促します。当時は小型の携帯録音機はありませんでしたから、話す内容をその場で記者が速記して、あとで記事にまとめるのです。
芥川も座談会に呼び出されて「俺、何もしゃべることないよ」などとごねたこともありましたが、菊池は「適当に飲み食いして、しゃべってくれればそれでいいよ」といなしたそうです。
まったく菊池というのは、つくづく人心掌握術に長けた人物なのでしょう。
■作家たちのあれこれを採点するゴシップ記事
もう1つの発明は、「ゴシップ記事」です。
いまでは『週刊文春』が著名人のスキャンダルやスクープをとり上げ、“文春砲”などと呼ばれていますが、「ゴシップ記事」を流行させたのは菊池なのです。
『文藝春秋』で最初に扱ったのは、作家のゴシップ記事でした。刊行の翌年、大正13(1924)年2月号で、「文壇諸家価値調査票」という企画を掲載したのです。
学校の成績表のように、文壇の作家たちのあれこれを採点するという“皮肉を込めたゴシップ記事”です。
芥川龍之介、有島生馬、泉鏡花……と作家を並べ、「学殖(学問の素養)」「天分(天から与えられた才能)」「修養(養い蓄えている教養)」「度胸」「風采(容姿・態度など見かけ上の様子)」「人気」「資産」「腕力」「性欲」「好きな女」「未来」と11項目にわたり、独断と偏見を交えたような採点を掲載しています。
「大正十三年十月末現在」と正確性を期すような但し書きがある半面、「例により誤植多かるべし」と自虐的なエクスキューズも交えており、ユーモアたっぷりで笑いを誘います。
また、点数の目安として、「六十点以上及第」「六十点以下五十点までを仮及第」「八十点以上優等」としています。
たとえば、芥川龍之介は「学殖 九六」「天分 九六」「修養 九八」「度胸六二」「風采 九〇」「人気 八〇」「資産 骨とう」「腕力 〇」「性欲 二〇」「好きな女 何んでも」「未来 九七」とあります。総じて高得点のなか、「腕力0点」「好きな女 何んでも」と、ひどい言われようです。
このころの作家たちは、いまでいう「インフルエンサー」的な立場にあったこともあり、一般大衆からの注目度も高かったので、この企画は大きな反響を得ました。
■総勢68人をやり玉に挙げた“文春砲”
インターネットがない当時、一大メディアである雑誌に名を連ねる小説家たちの影響力は、いまでは考えられないほど大きなものでした。
そんな時代に川端康成や谷崎潤一郎、南部修太郎など、大物から無名に近い書き手まで、総勢68人をとり上げて“文春砲”を放ちました。
『文藝春秋』の創刊から参加していた作家の横光利一は、一方的にあれこれ書かれて激怒し、菊池と「絶交する」とまで言い出したそうですが、親友の川端康成に「まあまあ」となだめられたそうです。
ちなみに横光利一の評価は「学殖 七五」「天分 六〇」「修養 八九」「度胸 九〇」「風采五二」「人気 七三」「資産 菊地寛」「腕力 六二」「性欲 六九」「好きな女 娘」「未来 六六」とあります。
菊池は売れない小説家にもお金を貸したり、仕事を与えたりと、公私ともに世話を焼きました。結局、菊池に多大な恩がある作家たちは、こういうことを好き勝手に書かれても、あまり文句を言えなかったようです。
■新人作家の金銭的援助のための2つの文学賞
座談会やゴシップの記事もそうなのですが、菊池は新しい社会の到来や時代の波を鋭敏に観察しながら、雑誌を運営しました。そこに優秀で可能性のある書き手たちを集合させたのです。
文芸誌のプロデューサーとして先鋭的で、それを大正時代にやったという先見性と創造性が卓越していると思います。
昭和10(1935)年に「文藝春秋」は、芥川龍之介と直木三十五の名前を冠して「芥川賞(正式名は「芥川龍之介賞」)」と「直木賞(正式名は「直木三十五賞」)」を設立しました。
芥川賞は雑誌に発表された新進作家による純文学の中・短編作品、直木賞は新進・中堅作家によるエンターテインメント作品の単行本(長編小説もしくは短編集)が対象ですが、菊池には「芥川賞は作品に、直木賞は手腕に」という考えがあったようです。
■才人には惜しみなく投資し縁をつくる
芥川龍之介という人気作家と直木三十五という大衆作家――惜しくも亡くなった2人の親友の名前をうまく冠したことで注目を浴び、文壇の新進・中堅作家を世に送り出す登竜門になります。
第1回受賞者の正賞は懐中時計で、副賞賞金は500円だったそうですが、第1回直木賞受賞者の川口松太郎は、仲間を一流レストランに招待しておごったものの使い切れず、200円ほど余ってしまったといいます。
いずれにしても、菊池がいかに新人作家のプロデュースに力を入れていたかがわかります。
「これは」という人物には、惜しみなく投資し、縁をつくる。
“頼りになる兄貴分”という感じですが、菊池が自分の上司だったらと思うと、手のひらの上で踊らされていることにも気づけないくらいうまくコントロールされそうで、少し怖くもありますね。
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文芸評論家
1957年東京都生まれ。中央大学文学部仏文科卒業。少年時代はプロ野球選手を目指していたが、中学1年生のとき、三島由紀夫の割腹自殺のニュースをきっかけに三島作品に触れ、文学に目覚める。大学在学中の1979年「意識の暗室 埴谷雄高と三島由紀夫」で第22回群像新人文学賞評論部門優秀作受賞(村上春樹氏と同時受賞)以来、45年にわたって文芸評論に携わり、研究を続ける。1991年にドイツに留学。2012年4月から2023年3月まで鎌倉文学館館長。現在、関東学院大学国際文化学部教授。著書に『使徒的人間 カール・バルト』(講談社文芸文庫)、『〈危機〉の正体』(佐藤優共著・講談社)、『川端康成 魔界の文学』(岩波書店)など。
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(文芸評論家 富岡 幸一郎)
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