いつか必ず死が訪れる中、80歳が超高額な「再生医療」を選ぶべきか…超高齢化社会で本当に必要な「医療」とは
プレジデントオンライン / 2024年12月19日 15時15分
※本稿は、鳥取大学医学部附属病院広報誌『カニジル 増刊号』の一部を再編集したものです。
■「医療のエコ」が必要な理由
【武中篤(鳥取大学医学部附属病院長)】病院長になってから、人口が減りつつあるこの地方で、いかに持続的に医療を提供し続けるかを考え続けています。まず、地方では人が足りないです。医師も看護師も足りない。
幸い、とりだい病院はなんとか人材を確保していますが、少し離れた病院だと募集してもこない。さらに、俯瞰的(ふかんてき)にみると、地球は温暖化という危機に瀕(ひん)している。我々は、環境、つまりエコロジーにも配慮しながら、人口減の中、サステイナブルな医療体制を確立しなければならない。「医療のエコ」です。
たまたまアステラス製薬の方にその話をしたら、社長以下、「医療のエコ活動」の啓発活動に力を入れているとおっしゃったのです。
【岡村直樹(アステラス製薬 代表取締役CEO)】アステラス製薬は、変化する医療の最先端に立ち、科学の進歩を患者さんの「価値」に変えることを「VISION」に掲げています。これまでの薬のほとんどは、血圧を例にとれば、薬を飲むことで血圧を下げる。
飲まないと、血圧がもとに戻るというものでした。一方、今、開発を進めている細胞医療や遺伝子治療は少し違います。
【武中】細胞医療とは患者さん自身の細胞、あるいは他人の細胞から培養や加工により作製した細胞を用いて、損なわれた身体の機能の回復や病気の状態の改善を目指す治療。遺伝子治療は、様々な技術を用いて作製した治療用の遺伝子を投与することで、主に遺伝子疾患の状態の改善を目指す治療。従来の薬の多くが、患者さんの症状を軽くする対症療法とすれば、細胞医療や遺伝子治療は、疾患の原因にアプローチする根本療法。
【岡村】身体のある器官の反応が悪くなったとします。薬でもとに戻るならばいいでしょう。しかし、完全に壊れた、あるいは無くなってしまった場合、正しく機能する細胞に替えるしかない。
【武中】身体の中の、血液を全部入れ替える骨髄移植と同じですね。我々のような外科医にとっては、こうした治療は怖さがあります。自然の摂理に反しているというか……。
【岡村】(深くうなずいて)そもそも細胞医療を薬の範疇(はんちゅう)にいれていいかという議論もあるでしょう。我々は細胞医療をみなさんやりましょうという考えではない。
困っている患者さんに対して、こういう選択肢もありますと提示したい。現時点では、患者さんは選びたくても選べない状況なのです。
■創薬が実現する可能性は0.004%
【武中】エコノミー(経済)の観点で考えると、こうした治療は非常に高額。人間には必ず死が訪れます。自分が80歳になっていてもそうした治療を選択するのか。お金をかけた効果、費用対効果があるのか、考えてしまいますね。
【岡村】その通りです。我々が利用する医療資源(医療に関わる人、医療施設や医薬品、財源など)には限りがあります。武中先生が指摘した人的資源のほか、現在の医療保険制度の財政は大変厳しい状況にあります。
その上に高額な細胞医療、遺伝子治療の費用を乗せるというのは難しいです。一人ひとりが限りある医療資源を大切に利用し、将来にわたって治療を必要とする人が必要な医療サービス(医療・治療薬)を受けられる社会を実現したいと考えます。それが、我々の考える「医療のエコ活動」の普及を通じて目指す社会です。
【武中】製薬会社のエコノミーという点で言えば、新しく薬を作る創薬は非常に確率が低いと聞いています。研究を続けても製品となるのは2万5千分の1とか3万分の1だと聞きます。
【岡村】0.004パーセントぐらいでしょうね。薬というのは非常にユニークな商材だと私は考えています。洋服を例にとると、作り手はいい洋服を作ろうとします。買う人はそれを気に入ってお金を払う。使う人とお金を出す人は同一です。
ところが薬というのは決めるのはお医者さんで、使うのは患者さん、お金の大部分を負担するのは保険です。それぞれの観点からうまく折り合いをつけなければならない。
【武中】さらに創薬には時間がかかりますよね。基礎研究から始まって3つのフェーズの臨床試験(※1)をクリアしなければならない。製品化まで、10年から20年程度と考えていいですか?
【岡村】がんの薬のように少数の臨床試験で申請できるものだと10年を切ることもあります。一方で15年から20年かかる薬も存在します。今後は、低分子医薬(※2)はAI(人工知能)を使って基礎研究の期間が短縮される可能性はあるでしょう。
あるいは新型コロナウイルスのワクチンのように社会的ニーズが高まり、資源が集中的に投下された場合は早くなります。
■なぜ「ドラッグ・ロス」「ドラッグ・ラグ」が起きるのか
【武中】アステラス製薬では医療のエコに関連して「ドラッグ・ロス」「ドラッグ・ラグ」の啓発活動も行なっていらっしゃいます。
【岡村】欧米で既に承認されているにもかかわらず、日本でなかなか承認されない新薬が相当数あります。これがドラッグ・ラグです。
【武中】ラグとは〈時間的ずれ〉の意味。
【岡村】ラグだけではなく、日本で開発されていない薬もあります。これがドラッグ・ロス。新薬の開発費は膨大です。そのため、グローバル(地球規模で)に(治験)データを集めて、各地域で申請承認するという国際共同治験を行います。
【武中】ドラッグ・ラグの一つの要因は、その国際共同治験に日本が参入できないことが少なくないこと。
【岡村】日本では臨床試験に必要な手続書類を日本語で提出しなければならない。手間がかかっているうちに、国際共同治験に乗り遅れてしまう。そうなると、日本だけで治験を行い、申請しなければならない。お金も時間も余計にかかります。そのため、本来、届くはずの患者さんに薬が届かないということが起きる。
加えて、医療資源の逼迫(ひっぱく)も関わっています。医療資源は有限です。より優先順位の高いところに医療資源をシフトしていかねば、最先端のイノベーション(技術革新)は生まれない。
【武中】医療資源とは、医療の提供に必要となる財源、人材、設備。我々も医療資源の優先順位をいつも考えています。
■日本にイノベーションを持ち込む道を
【岡村】ただ、最先端のイノベーションを薬という形で出すとどうしても単価が高くなってしまいます。武中先生が言われるように、医療保険制度の財政は逼迫しています。その上にこうした薬を載せることは難しいです。
今ある制度の中で医療資源を再振り分けした上で、ドラッグ・ラグ、ドラッグ・ロスを改善し、日本にイノベーションを持ち込む道を作っていきたいと考えています。
【武中】あえて意地悪な質問をさせてください。欧米で安全性が確認されたからといって、アジア系でも大丈夫とは限らない。もっといえば、同じアジア系でも中国人は問題なくても、日本人は違うかもしれない。慎重な対応が必要になるのではないですか?
【岡村】厳密にいうと、アメリカという国は極めて人種が多様。中にはアジア系も入っています。ただ、食生活、生活習慣により、アメリカで暮らす日系人と日本人は薬物動態(※3)が違う可能性がある。
その意味で最初のグローバル治験の中に少数でも日本人の症例が入っていることは重要。各国での承認に入ったとき、日本人の薬物動態を考慮することで時間を短縮できるはずです。
■アメリカの手術機器は5年遅れで日本に入ってくる
【武中】ぼくは手術を主とする外科医なのでそこまで薬に詳しいわけではありません。ただ、手術機器についても、デバイス・ラグがあります。例えば、とりだい病院が力を入れている手術支援ロボット。
アメリカでは2003年ごろから使われていましたが、日本に入ってきたのは2010年。7年遅れている。ぼくの感覚では手術機器はだいたい5年ほど遅れて入ってきます。
最近はやや改善していますが、まだラグはあります。薬に関して言えば、私が気にかけているのは希少疾患、難病です。
【岡村】我々は難病という言葉を使うとき、10万分の1という数字を出します。人口比で、10万分の1、あるいは10万分の2以下の方しか罹(かか)らない疾患に対する薬はビジネスとして手を出しにくい。
【武中】患者さんが少ないのでそもそも開発の成功率が低い、そして薬を開発しても採算ベースに届かない。
【岡村】だからこそ、日本だけではなく、グローバルな規模で開発しなければならないのです。
【武中】あまり知られていませんが、薬というのはすべての患者さんに効くわけではない。特に、がんにおいては奏効率(※4)という数字が使われます。
【岡村】すべての患者さんに効く薬があったら素晴らしい。我々は「VISION」として、そこを目指していますが、現実は厳しい。
■分母を小さくすることにも目を向ける
【武中】「VISION」とは冒頭、おっしゃったアステラス製薬の、変化する医療の最先端に立ち、科学の進歩を患者さんの「価値」に変えること、ですね。「価値」という言葉にカギかっこをつけているのは、何か意味があるのですか?
【岡村】ハーバードビジネススクールのマイケル・ポーター先生(ハーバード大学経営大学院教授、企業戦略や国際戦略など、競争戦略研究の第一人者)の定義を借用しています。「価値」を導き出す数式の分母は、医療システム全体に対するコスト(費用)、分子は患者さんにとって本当に意味のあるアウトカム(結果)。
ある薬を100人の患者さんに投与して奏効率が3分の1、つまり33パーセントならば33人の患者さんに効果が出たということです。我々製薬会社の人間は、次は奏効率を倍にしたいと考えます。
【武中】分子を倍にすれば、「価値」は倍になりますね。
【岡村】一方、こういう考えもあります。奏効率は33パーセントのままでいい。それよりもどのような患者さんが33パーセントに入るかをあらかじめ特定する。33パーセントに入る患者さんを特定することができれば、アウトカムの総量は変わらないのに、コストは3分の1になるので「価値」は3倍になる。
これまで製薬会社は「分子」ばかり見てきた。どのような患者さんに薬を使用するかというのは医師が決めます。我々はこれまであまり分母に関わることはありませんでした。これからは分母を小さくすることにも目を向けようと考えています。これも医療のエコです。
■自分の足で歩いて回れるぐらいのコミュニティを
【武中】それこそ個別化医療(※5)です。時代の流れに合致している。ところで岡村さんは静岡県出身ですね。静岡でさえ、地区によっては過疎が進んでいるそうですね。
【岡村】生まれは清水市の草薙(くさなぎ)。今は静岡市となっています。中学一年生のときに焼津市に引っ越しました。今も母が一人で住んでいます。静岡は距離的に東京に近いので、高校を卒業すると大学や就職でみんな東京に行ってしまう。
かつてはその中でも戻ってくる人が一定数いましたが、今はその数が減っています。また戻ってくる方も高齢化している。昔は焼津にも、子どもがたくさんいました。今はほとんど子どもの姿が消えて小学校が統廃合していく。
【武中】(ため息をついて)静岡でさえ、そこまでひどい状況ですか?
【岡村】アメリカにならって都市計画を進めたのだと思いますが、国道の脇にチェーン店が並んでいる。そこまで行かないと生活が成り立たない。自動車が不可欠な社会を作ってしまった。そもそも運転免許がない、あるいは免許返納してしまったシニアの方々はどこにも行けない。バスがあるのですが、どんどん本数が減っている。
【武中】山陰地方も同じです。バスの便数やタクシーを増やそうにも運転士がいない。ごく一部の大都市圏以外は同じ問題を抱えていると思います。
【岡村】基本的には自分の足で歩いて回れるぐらいのこぢんまりした範囲内で生活できるコミュニティ(共同体)を作るべきだと思うのです。そのコミュニティとコミュニティが鉄道や道路でつながっていればいい。
■「新病院」を中心に街を作り、医療都市のモデルケースへ
【武中】とりだい病院のある米子の街は15万人弱の人口です。ただ、面積が広く、店が散らばっている。まさに車がないと生活できない街です。だからこそ、2029年に着工する新病院が大切になってくる。病院を中心として、歩いて15分圏内で、おおよそのことが完結するような街ができたらいいなと考えています。
【岡村】それは素晴らしい。
【武中】昼間、とりだい病院で働く人、患者さん、鳥取大学医学部を合わせて5000人ぐらいの方が集まっている。市内で最も人口が密集している場所。だから病院を核として街づくりをするというのは理にかなっている。
アメリカにはメイヨー・クリニックのあるミネソタ州ロチェスター市のように病院を中心とした街があります。地方が生き残るには、医療と教育が大切。この2つの核になる施設にしたいなと準備を進めています。
【岡村】とりだい病院内を歩いていると、あちこちに患者さんに対する心遣いを感じます。そうした対応について、自分たちがやってますと強調する感じもない。押しつけがましくないのです。自然にそうなっているのが素晴らしい。そうした医療施設を中心とした街を作ることができれば、モデルケースになるはずです。
【武中】我々のホスピタリティはこれまで病院に関わってきた人たちの蓄積、積み上げです。私の(病院長)在任期間にそれを途切れさせてはならない、いや、上積みしなければならない。その責任があると改めて自覚しました。
そして、過疎、超高齢化社会が進む山陰だからこそ、「医療のエコ」を考え、実践していく必要があると再確認しました。今日はありがとうございました。
※1 基礎研究、非臨床試験などの研究過程を経て、薬品の有効性や安全性を評価する臨床試験――治験に入る。治験は、通常3つのフェーズに分けられる。第I相臨床試験(フェーズI)は、少数の健康な人間を対象に、被験薬の安全性(有害事象、副作用)や薬物動態(吸収、分布、代謝、排泄)を検討。第Ⅱ相臨床試験(フェーズII)では、少数の患者を対象に、有効で安全な投薬量や投薬方法などを確認。第III相臨床試験(フェーズIII)では、多数の患者を対象に、既存薬や既存治療(ない場合はプラセボ、つまり偽薬)との比較で被験薬の有効性と安全性を最終的に確認する。
※2 タンパク質を標的とした、分子量が500以下の薬。一般に化学合成で製造される。
※3 薬物が体内に投与されてから排泄されるまでの過程。
※4 治療効果があらわれた割合、あらわれる割合を意味する。治療効果があった症例数を治療数で割って算出する。
※5 患者の体質や病気に関連している遺伝子を細かく調べ、体質や病気のタイプにあわせて治療を行うこと。オーダーメイド医療と呼ばれることもある。
アステラス製薬株式会社代表取締役社長
CEO1962年静岡県生まれ。東京大学薬学部卒業後、1986年旧山之内製薬株式会社入社。2010年米国OSI ファーマシューティカルズInc. CEO、2012年アステラスファーマ ヨーロッパLtd.経営戦略担当SVPを務める。アステラス製薬帰任後は事業開発部長、経営企画部長などを経て、2018年経営戦略担当役員就任。2023年4月より代表取締役社長CEOに就任。
武中 篤(たけなか・あつし)
鳥取大学医学部附属病院長
1961年兵庫県生まれ。1986年、山口大学医学部卒業。1991年神戸大学院研究科(外科系、泌尿器科学専攻)修了。神戸大学医学部附属病院、川崎医科大学医学部、米国コーネル大学医学部客員教授などを経て、2010年に鳥取大学医学部附属病院泌尿器科教授に就任。2017年副病院長。2023年4月鳥取大学副学長および医学部附属病院長に就任。
(カニジル編集部)
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