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池上彰「中東情勢を理解する第一歩」…エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になった理由

プレジデントオンライン / 2024年12月25日 18時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Wirestock

中東では、ガザ・イスラエル紛争やイランのミサイル発射、シリアのアサド政権の崩壊など不安定な情勢が続いている。ジャーナリストの池上彰さんは「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教は同じ神様を信じているため、それぞれにとっての聖地も同じイスラエルのエルサレム旧市街にある。このことが衝突の原因にもなっている」という――。

※本稿は、池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん 中東編』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。

■神=ヤハウェ=ゴッド=アッラー

中東を扱うときに必ず登場するキーワードが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教です。いずれも一神教ということは、この世界をお創りになった唯一絶対の神様を信じているということ。要は同じ神様を信じているのです。

ヘブライ語ではヤハウェ、英語ではゴッド、アラビア語ではアッラーと呼ばれています。それなのに、なぜ対立しているのか。基礎から考えましょう。

まずユダヤ教は、唯一神(ヤハウェ)を信仰し、自分たちだけが神から救われると信じる宗教です。そこでユダヤ人の民族宗教とも呼ばれます。

ユダヤ教徒は、過去にエジプトで奴隷になるなど、数々の悲惨な体験をしてきました。これは、神のいいつけを守らなかったために神の怒りを買ったからだと考えます。過去に試練を受けたのは神への信仰が足りなかったというわけです。

■「1週間=7日」の根拠は聖書にある

ユダヤ人たちは、紀元前12世紀頃から「神に与えられた地」とされるカナンに住み着いたと考えられています。彼らは、神がどのように世界を創造したのかなどが書かれたヘブライ語の聖書を信仰しました。

ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもない私は、まだ人間が誕生する前のことなのに、どうして聖書に天地創造が書かれているのだと突っ込みを入れたくなりますが、これは霊感を得た人間が、神の教えにもとづいて記述したと考えられているのです。

聖書には神は6日間かけて世界を創り、7日目に休まれたと書いてあります。これが「1週間」の始まりです。私たちは7日間を1週間として生活しています。これはユダヤ教とキリスト教の生活リズムが、明治以降に日本に入ってきたからなのです。

■火も電気も使えなくなる「安息日」

ユダヤ教徒は聖書に書かれた戒律を守ることが求められ、とりわけ「安息日(シャバット)」を守ることは大切です。安息日には仕事をしてはいけないとされ、これは具体的には火も電気も使ってはならないという意味になります。

ユダヤ教の安息日は金曜の日没から土曜の日没まで。この間、火も電気も使えないので、各家庭は金曜の午後は、土曜の夜までの食事の作り置きに追われます。

安息日の前夜
写真=iStock.com/chameleonseye
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/chameleonseye

電気を使ってはいけないのですが、あらかじめタイマーをセットしておいて、金曜の夜になると部屋に電気が点灯するようにしておくことは構いません。しかし、エレベーターに乗って行き先階のボタンを押すと、新たに電気が流れますから、これはご法度。そこでホテルやアパートでは、エレベーターの一つが「シャバット・エレベーター」に変身。利用者は、エレベーターが自動で一階ずつ止まりながら上下するのに合わせて乗り降りするのです。

■パレスチナ生まれの改革者・イエス

いまから2000年ほど前、現在のパレスチナにイエスという人物がマリアから生まれたと伝えられています。イエスは、ユダヤ教がユダヤ人だけのための宗教で、厳しい戒律を守ることが求められていたことに対して改革運動を始めます。このためユダヤ人のボスに睨まれ、ローマ帝国に引き渡され、イエスの改革が反ローマ帝国の運動に発展することを恐れたローマ帝国によって十字架にかけられ処刑されてしまいます。

ところが、イエスが処刑されて3日後、イエスが復活し、信者たちの前に現れて説教をした上で昇天したという話が広がりますと、「イエスこそが救世主だったのでは」と信じる人が出てきます。

ユダヤ教にはメシア(救世主)信仰があります。いまは苦難に満ちた人生であっても、いずれメシアが降臨して人々を救済してくれるという信仰です。イエスをメシア(ギリシャ語でキリスト)ではないかと考える人たちが、やがてキリスト教徒と呼ばれるようになるのです。

それまで土曜日がユダヤ教の安息日だったことから、キリスト教徒たちは、日曜日を新たに安息日としました。

■イスラム教の「預言者」はムハンマド

イエスが処刑された後、使徒(弟子)たちはキリスト教を布教しながら、教えを集大成。『新約聖書』が編纂されます。「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」など4つの福音書を中心に構成されています。

キリスト教徒たちは、イエスが地上に遣わされたことにより、神との新しい契約を結んだと考えます。それが『新約聖書』。新約は新訳ではなく、「神との新しい契約」という意味です。それまでの聖書は、「神との古い契約」として『旧約聖書』と呼びました。

もちろんユダヤ教徒は、自らの信仰の対象を旧約などと呼ぶことはなく、あくまで『聖書』(律法の書)と呼んでいます。

また、いまから1400年ほど前、アラビア半島のメッカに住んでいた商人のムハンマドが、「神の言葉を聞いた」として神の言葉を人々に伝えます。ムハンマドは神の言葉を預かったとして「預言者」と呼ばれます。

ムハンマドは読み書きができなかったため、「神の言葉」を人々に口伝えで伝え、人々もそれを暗唱していました。

しかし、ムハンマドの死後、「神の言葉」を暗唱していた人たちが次第に姿を消すことから、神の言葉を残そうとして、信者たちが暗唱していた内容をまとめたものが『コーラン』です。

■異教徒を攻撃するイスラム過激派の理屈

私の学生時代は『コーラン』と習いましたが、いまの高校の教科書には、なるべく現地の発音に近づけようと『クルアーン』と表記されています。この書名は「声に出して読むべきもの」という意味で、黙読ではなく声に出して読まなければならないのです。

ユダヤ教は土曜日を安息日、キリスト教は日曜日を安息日としていたので、イスラム教は金曜日を安息日としました。

『コーラン』によると、神(アッラー)は、ユダヤ教徒に『旧約聖書』を、キリスト教徒に『新約聖書』を与えたにもかかわらず、人々は教えを曲解したり、戒律を守らなかったりしているので、最後の預言者としてムハンマドを選び、神の言葉を伝えたとされています。ですので、ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ神の言葉を信じる「啓典の民」として扱わなければならないと書いてあります。

イスラム過激派がユダヤ教徒やキリスト教徒を攻撃したりしていますが、『コーラン』には、ユダヤ教徒もキリスト教徒も大切にしなければならないと記述されているのです。

イスラム過激派は、ユダヤ教徒やキリスト教徒が「神の教えを逸脱している」「イスラム教徒を攻撃してくるので、教えを守る聖戦(ジハード)を戦っているのだ」という理屈を立てているのです。

■エルサレムには3宗教の聖地が集中する

では、そもそもエルサレムは、なぜ3つの宗教の聖地なのでしょうか。ここにはユダヤ教徒の「嘆きの壁」と、キリスト教徒の「聖墳墓教会」、イスラム教徒の「岩のドーム」という聖地が集中しているからです。

ユダヤ教の聖書の中にユダヤ人の祖先であるとされるアブラハムが神から試される話があります。

敬虔なアブラハムの信仰心を試そうと、神は、息子のイサクを生贄として捧げるように求めます。アブラハムは命令に従い、丘の上に登り、イサクを岩に横たえて殺そうとした瞬間、神はアブラハムの忠誠心を確認して制止したというのです。

このときアブラハムは、岩の陰にいた羊を代わりに神に捧げました。そこから「犠牲の子羊」という言葉が生まれました。

その後、アブラハムが神の声を聞いたという岩を中心に、紀元前1000年頃、古代イスラエル国家を統一したダビデ王が神殿を建設しました。いったんはバビロニアによって神殿が破壊されますが、ユダヤ人たちは同じ場所に神殿を再建します。

■一度追放され、戻ってきたユダヤ人の嘆き

その後、ユダヤ教の改革を進めていたイエスが神殿にやってきて布教を始めたために逮捕され、十字架にかけられて殺害されます。イエスの弟子たちは、イエスこそ救世主(キリスト)だと考え、墓があったとされる場所の上に聖墳墓教会を建設します。これがキリスト教徒にとっての聖地となります。

聖墳墓教会
写真=iStock.com/Bernhard Richter
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bernhard Richter

その後、ユダヤ人たちはローマ帝国からの独立を求めて戦争となりますが、このユダヤ戦争に敗れ、ローマ帝国によって神殿は破壊され、ユダヤ人たちは追放されてしまいます。

やがてエルサレムに戻ってきたユダヤ人たちは、廃墟となった神殿のうち残された西の壁に対して祈りを捧げるようになりました。この西壁が「嘆きの壁」と呼ばれます。

ユダヤ人たちが、自らの過酷な歴史を嘆いて祈りを捧げるので「嘆きの壁」と呼ばれるようになったとか、朝になると夜露に濡れている壁が、まるでユダヤ人のために泣いているように見えるので、この名がついたなど壁の名前の由来には諸説あります。

壁で祈るユダヤ人
写真=iStock.com/kavram
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kavram

■「この岩からムハンマドが天に昇った」

次にイスラム教です。イエスが処刑されてから540年ほど後、アラビア半島のメッカで生まれたムハンマドは「神の声を聞いた」として「神の言葉」を広めます。これが『コーラン』にまとめられました。

さらにムハンマドの言行録が『ハディース(伝承)』としてまとめられます。

この『コーラン』と『ハディース』の中に、ムハンマドがメッカにいたある夜、天使に付き添われ、天馬に乗って「遠くの町」まで行き、そこから天に昇って神や預言者たちに会い、再び地上に戻ってきたという記述があります。この「遠い町」がエルサレムだと考えられるようになりました。

エルサレムの神殿が破壊された後、アブラハムが我が子イサクを横たえたとされる岩は、剥き出しのままになっていました。ムハンマドは、メッカからエルサレムまで空を飛んできて、この岩に降り立ち、ここから天に昇ったと考えられるようになります。

■「岩のドーム」がイスラム教徒の聖地に

ユダヤ教の神殿が破壊された後、ユダヤ人たちは追い出され、世界各地に離散。エルサレムにはイスラム教徒たちが住むようになります。イスラム教徒たちは、岩が風雨にさらされて崩れるのを恐れ、岩を覆うドームを建設。692年に完成し、ドームには金箔が貼られました。これが「岩のドーム」です。

ここは聖なる岩を保護する建物であり、祈りの対象ではありません。イスラム教徒たちがメッカの方角に向かって祈りを捧げるモスクは、岩のドームの近くに建設されました。それが「アル・アクサモスク(遠い町のモスク)」です。「遠い町」とはメッカから見たエルサレムの表現です。

モスクの岩のドーム
写真=iStock.com/wajan
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/wajan

その結果、ユダヤ教徒にとって聖なる場所である神殿の丘(神殿の跡)が、イスラム教徒にとっての聖地にもなっているのです。

■歴史が利用され、現在も争いが止まらない

現在は、神殿の丘はイスラム教徒が管理し、嘆きの壁はユダヤ人が管理しています。一般の観光客は時間を限って神殿の丘に上がることが認められていますが、ユダヤ人たちが上がると紛争になるため、境界はイスラム教徒とイスラエルのボーダーポリス(境界警察)によって共同警備され、ユダヤ人が立ち入らないようにしています。異なる宗教を信じる人たちが共存するための知恵です。

池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん 中東編』(ポプラ新書)
池上彰『歴史で読み解く!世界情勢のきほん 中東編』(ポプラ新書)

しかし時々、ユダヤ原理主義の政治家が神殿の丘に上がってお祈りをしようとするため、イスラム教徒との間で小競り合いが起きることがあります。

この3つの宗教の聖地がある地区がエルサレム旧市街(東エルサレム)です。同じ神様を信じているがゆえに聖地も同じなのです。

そして11世紀末からローマ教皇は、イスラム教徒によって占領されたエルサレムを取り戻すとして十字軍を組織してエルサレムを攻撃します。イスラム教徒にとっては、突然十字軍の名のもとにキリスト教徒の軍隊の攻撃を受けたという歴史の記憶が残ります。

これを利用して、イスラム過激派は、欧米諸国を「新しい十字軍」と決めつけてテロなどの攻撃をすることがあるのです。

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池上 彰(いけがみ・あきら)
ジャーナリスト
1950年長野県生まれ。慶應義塾大学卒業後、NHK入局。報道記者として事件、災害、教育問題を担当し、94年から「週刊こどもニュース」で活躍。2005年からフリーになり、テレビ出演や書籍執筆など幅広く活躍。現在、名城大学教授・東京工業大学特命教授など。6大学で教える。『池上彰のやさしい経済学』『池上彰の18歳からの教養講座』『これが日本の正体! 池上彰への42の質問』『新聞は考える武器になる  池上流新聞の読み方』『池上彰のこれからの小学生に必要な教養』など著書多数。

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(ジャーナリスト 池上 彰)

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