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「本当のお金持ち」の街・田園調布は住みやすいのか…不動産のプロが考える「良い街」の共通点

プレジデントオンライン / 2025年1月3日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Hiroyuki Oda

家探しで重視すべきことは何か。不動産事業プロデューサーの牧野知弘さんは「資産価値を基準に家を選んでも、いつまでも維持することはできない。重要なのは、自分にとっての一等地はなんであるかということをよく認識することだ」という――。

※本稿は、牧野知弘『家が買えない 高額化する住まい商品化する暮らし』(ハヤカワ新書)の一部を再編集したものです。

■三世代が暮らす街は良い街である証し

俗に「江戸っ子」の定義は、「三代が江戸に生まれて江戸で育ったこと」だとされる。京都などでは応仁の乱(1467年)以前から住んでいなければ、しかも洛中でなければピュアな「京都人」とは呼ばないなどと冗談めかして語られるが、街が形成されて住民にその街への愛着が生まれ、コミュニティが醸成されるためには、おおむね三世代にわたって同じ街に住むことは必要条件だと思われる。

たとえば湘南エリアには、三世代にわたって居住している家族が多いという。もともとは別荘地として開発されたエリアだが、土地の区画が広く、藤沢市の鵠沼(くげぬま)エリアなどは、1区画が数百坪から1千坪を超えたことから、子どもが離れに家を建てる、二世帯住宅に建替えるなど、複数の世代が暮らすことができる素地があった。

また、風光明媚な景勝地であり、気候は温暖で、都心に通勤も可能ということで、大学を卒業した子どもたちも再びこの地に戻って世帯を構えるケースが多いそうだ。「海」をテーマにしたブランディングの成功も、この地の活気につながっている。

■タワマンや再開発エリアに人は根付くか

三世代とは祖父母、父母、その子どもたちのことだ。同じ時代を生きることができる三世代であれば、街についての共通の話題ができる。三世代が同じ小学校や中学校で学んだり、同じ公園や海、川、山野で遊んだりする共通体験があることによって、街に対する共通の想いが出来上がり、それが街に対する親近感、プラウドとなるのである。

こうした街づくりを、果たしてタワマンの建設や市街地再開発事業で実現できるのだろうか。三世代が想いを共有できる街の魅力は、金銭的な価値には代えがたい精神的な価値から生まれる。

■街としての「顔」をいかに磨き上げるか

一代限りの街に終わらないためにも、これからの街づくりには、いかにして街としての「顔」を持つかが問われる。それは「海」を売りにする湘南エリアもそうだし、「小江戸」を称する埼玉県・川越市もそうだ。インド人街を形成する東京・江戸川区西葛西もユニークだ。いずれにせよ街づくりの秘訣は、個別に強力なコンテンツを打ち出していくことにあるだろう。

ひところ、熊本県のPRマスコットキャラクター「くまモン」の成功にならい、どの自治体でもゆるキャラを定め、イベントなどに盛んに登場させた。みんなに愛され全国的に有名になったキャラクターが生まれた反面、無理やりつくったキャラの多くはイベントなどでも片隅に追いやられつつある。

あたりまえだが、その地とは何の脈絡もなく、ただかわいいとか、語呂合わせのネーミングになっているという程度のものでは、持続可能性は限りなく小さい。ゆるキャラを否定するつもりはないが、「あそこで成功したから、うちもやる」という相変わらずの発想ではうまくいくとは思えない。

日本全国で人口が増えて成長を続けられる環境下ならばいざ知らず、今どきみんなと同じことをやっていても一向に浮かばれないのである。

海や山などの自然はもちろん、食材(高知のカツオ)であっても酒(山梨のワイン)であっても、それぞれの街がコンテンツを磨き上げ、賛同者を集めていくことが街をさらに成長させていくポイントなのだ。

■国内有数の高級住宅街・田園調布

東京・大田区田園調布は、関西の芦屋と並んで、成功した富裕層の住む街として全国的に有名である。

この街の歴史は、2021年に放送されたNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公にもなった渋沢栄一の時代にさかのぼる。1918年、渋沢栄一らの手によって田園都市株式会社が設立された。

同社は、19世紀末にイギリスのエベネザー・ハワードが提唱した、都市と農村を融合した新しい形の都市「田園都市」を実現するため、その翌年に栄一の息子・秀雄らを欧州に派遣した。彼らは欧州11カ国を巡り、ロンドン郊外にある田園都市レッチワースを参考に、日本流にアレンジした新しい街をつくることを構想する。

■放射線状に広がる美しい並木道を整備

田園都市株式会社は、現在の目黒区洗足、世田谷区大岡山および当時は調布と呼ばれていた多摩川台の開発に着手する。現在、「田園調布」を冠する街は、1丁目から5丁目と、田園調布本町、田園調布南および玉川田園調布があるが、田園都市株式会社が開発分譲したのが、2丁目の一部と3丁目、4丁目の一部、玉川田園調布の一部の約30万坪である。

1923年8月から分譲されたこの新しい街は、東京に通うエリートサラリーマンの街として脚光を浴びた。特に直後の同年9月に関東大震災が発生したことは、国分寺崖線による強固な地盤を持つこの住宅地の人気に拍車をかけた。

また、1923年3月の東急目蒲線(現東急目黒線/多摩川線)の開通に続き、1927年8月には東急東横線の駅も完成し、東京へのアクセスも向上した。

この街は田園調布駅西側に、ゆったりとした道路が放射状に延び、その先にこれらをつなぐ同心円状の道路が連なる形で構成されている。敷地1区画を広く確保したうえで、広場や公園が設けられていて、道にはイチョウをはじめとした豊かな街路樹が並んでいる。

田園調布駅前のイチョウ並木
写真=iStock.com/y-studio
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/y-studio

■中古でも数億~10億円で「売れない」

こうした綺麗な街並みに惹かれ、戦後には企業経営者や文化人、スポーツ選手などが次々と家を構えたことから、「人生の成功者が住む高級住宅街」として認識されるようになる。

2024年の公示地価では、この街の平均地価は坪あたり257万円だ。分譲当初はサラリーマン向けだったが、今この街において中古で売却される物件は、軒並み数億円から10億円ほどとなっている。これこそが都心部に不動産を持つ資産価値の代表的事例とも言えるが、現状はどうなのかと言えば、「高額すぎて売れない」ことが話題となっている。

この街には、田園調布の資産価値を維持するために、田園調布憲章という地区協定が存在する。この街のエリアの多くが第一種低層住居専用地域に指定されているだけでなく、土地の最低区画面積が165平方メートル(50坪)と定められているため、小規模に分割して販売することができない。たとえば300平方メートル(90坪)の土地を2人の子どもが相続しても、二つに均等に分割して、自分たちでそれぞれの土地に住むことはできないし、片方だけ売却することもできないのだ。

そのため土地部分だけでも販売価格が数億円になってしまい、流通市場での売却を難しくする事態を招いている。建物の高さ制限(9m)や生垣などの整備、緑化や既存樹木の保護など、田園都市を標榜するがゆえに整備した数々のルールも、不動産の流通を妨げるという皮肉な現象をもたらしている。

■相続人や「新入り」が味わう苦難

開発されてからやがて100年が経過する田園調布では、住民は高齢化し、相続が増えている。相続人は地価が高いために相続税が支払えない、税金を捻出しようにも相続した土地が売れない、という苦難を味わうにいたっている。

このようになってくると、「住む」という人間が持つ本来の欲望を叶えるはずの住宅が、その膨らみきった資産価値と、その価値を維持するために設けられた様々な制約によって苦しむという、まったく不合理な事態になっていることに気づく。

私の知人で最近、この街に家を構えた人がいるが、田園調布は住環境としては優れているものの、日々の生活を送るうえで、地域内のルールはかなり厳しいものがあると言う。新しく引っ越してきた人は町内会に気を遣い、町内会を支配する高齢富裕層の視線に常にさらされているそうだ。

田園調布の町並み
写真=iStock.com/Gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Gyro

こうした街は、現代において成功した富裕層には好まれない。起業などで成功したような若い人たちが好むのは、六本木や麻布十番、赤坂といった地だ。他人とは一定の距離を保ちながらも、仕事上の付き合いを深めることができるエリアを好むからだ。

■資産価値を守る窮屈なルールが逆効果に

その昔、「田園調布に家が建つ」という一世を風靡するギャグにもなったこの高級住宅地は、その資産価値を保とうとし、教条化したことによる高齢者支配によって、逆にその価値を貶めることにつながっているとも言える。

田園調布が一等地であったとしても、その住宅でただ資産価値を守るためだけに窮屈な生活上のルールに縛られ、相続にあたっては相続人が多大な相続税を負担する、あるいは売却しようにも「高すぎて」売れない状況に陥っているのなら、理不尽としか言いようがない。

住宅はいったい誰のため、何のために存在するのだろうか。今一度、原点に立ち返って考えてみる必要がありそうだ。

あらためて住宅とは、「住むため」のハコである。住むに快適でなければ毎日の生活に支障が出るが、お金をかけて立派なハコを手に入れても、建物自体は経年劣化していく。住宅がいくら高級な仕様のものであっても、資産価値をいつまでも維持するのには限界がある。

■一等地だからといって住みやすいとは限らない

資産価値という観点からすれば当然、住宅がどこに立地しているかということになる。では、世間でいう一等地は、本当に住みやすい街なのだろうか。

田園調布だけでなく、歴史的にブランド立地と言われている街は数多くある。その地に住むことは、富裕層としての称号をつかむことにもなり、プライドをくすぐられる快感はあるだろう。住む街を探す際に、資産価値が高いか、今後アップすると見込める立地に限定し、その中の一員になろうとする人も多いのが現実である。

だが、人にはそれぞれの生き方がある。山の手が好きな人もいれば下町が好きな人もいる。山が好き、海が好き、町中が好き、田園が好き、様々である。それらは世間が決め打ちするブランド立地と一致するわけではなく、むしろおよそかけ離れたものだ。

もちろん住宅を購入する際に、その資産価値に注目するのも大事なことだが、最も重視しなければならない視点はたったひとつ、その地域に住むことで自分がどのような「効用価値」を得られるかだ。ここで言う効用とは、必ずしも金銭的に測ることができない満足感やプラウドだ。

■自分にとっての一等地を見つけることが重要

「Well-Being」という言葉がよく聞かれるようになった。Well(=良い)とBeing(=状態)を合わせた言葉だが、たとえばタワマンに住むことが外面的には「良い状態」だとしても、そこに住む人々の内面が「良い状態」であるかは別だ。

タワマンそのものが素晴らしい建物であっても、そこに住む人たちがタワマンの立っている土地を愛しているとは限らない。建物内でのいざこざを含め、毎日緊張しながら暮らしていたのでは、内面的に良い状態を保つことは難しいだろう。そんな状態にあっても資産価値を第一条件に、自らが住む住宅を選択することには何やら人生の余裕のなさを感じる。

肝に銘じるべきは、自分にとっての一等地はなんであるかということをよく認識することだ。そのためには、自分は人生に何を望み、どんな生活を送っていきたいのか。その活躍の土台となるのが家であり、地域であると考えることだ。

牧野知弘『家が買えない 高額化する住まい商品化する暮らし』(ハヤカワ新書)
牧野知弘『家が買えない 高額化する住まい商品化する暮らし』(ハヤカワ新書)

会社に近い、子どもの学校や保育園に近いといったことも重要だろうが、自分が住む街や地域を理解し、コミュニティの一員として穏やかな気持ちで生活できる場こそが、その人にとっての一等地なのではないだろうか。

そうした意味で、まだ多くの日本人は自己をよく分析、認識できていないように映る。資産価値という幻想で自らが毎日を過ごす住宅を選択し、その後の値上がりを願い、値下がりを嘆くことに、いったいどれだけの人生の価値が見出せるというのだろうか。

他人がどのように思おうが、自分にとっての一等地であれば、それが最もWell-Beingな選択なのである。

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牧野 知弘(まきの・ともひろ)
不動産事業プロデューサー
1959年生まれ。東京大学卒業。ボストン コンサルティンググループ、三井不動産などを経て、2006年日本コマーシャル投資法人執行役員に就任しJ-REIT(不動産投資信託)市場に上場。15年オラガ総研株式会社を設立し、代表取締役を務める。全国渡り鳥生活倶楽部代表取締役。主な著書に『空き家問題』『ここまで変わる!家の買い方 街の選び方』(いずれも祥伝社新書)、『不動産の未来』(朝日新書)、『負動産地獄 その相続は重荷です』(文春新書)など。

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(不動産事業プロデューサー 牧野 知弘)

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