藤井聡太名人の「勝負おやつ」に選ばれ大復活…名古屋の老舗和菓子店が廃業寸前からV字回復を遂げるまで
プレジデントオンライン / 2024年12月31日 9時15分
■名古屋で100年以上も「鯱もなか」を売ってきたが…
僕と妻が4代目を務める「元祖 鯱もなか本店」は、1907年(明治40年)に妻の曾祖父(ひいおじいさん)である関山乙松(おとまつ)が名古屋市の御園町(現在の御園通)に開いたお店です。
創業当時は「ますや菓子舗(かしほ)」という店名でした。それが、1921年(大正10年)に発売した「元祖鯱もなか(以下、鯱もなか)」が大ヒット。瞬く間に看板商品となり、ついには現在の店名になりました。
名古屋城の天守閣に鎮座する金のしゃちほこをモチーフにした特徴的なフォルムと、こだわり抜いた素材による味わい、店舗で作って提供する出来立ての味が受けたのだと思います。
117年以上の歴史を誇る元祖 鯱もなか本店ですが、3代目であり僕の義父である関山寛は、自分の代でこの店を閉じようと決意していました。最初から、子どもたち(妻と義兄)に店を継がせる気がまったくなかったのです。理由はハッキリしています。それは、店を経営することがどれほど大変なことか、先代自らが身をもって体験してきたから。
事実、家族として先代の様子を一番近くで見てきた妻も、「小さい頃から両親が働く姿を見ていたし、本当に苦労していたのを実感していたから、絶対に自分はやりたくないと思っていた」と話していました。元祖 鯱もなか本店は静かに廃業に向けて歩を進めていたのです。
■コロナ禍で売り上げは全盛期の10分の1に
先代の「自分の代で店をたたむ」という気持ちは変わることなく、2019年を過ぎた頃から、少しずつ廃業の準備が進んでいきました。
新商品の開発は完全にストップ。商品を置いてもらうための新規営業もやめました。製造などを手伝ってくれていたパートさんにも事情を伝え、契約更新をしないことで話をしていました。結果、働き手は先代夫婦の2人だけに。業績は、2005年のピーク時(愛・地球博の開催年)と比べると半分以下になっていました。
そうした状況が続くなか、2020年に新型コロナウイルスのパンデミックが起こりました。この未曾有の事態によりマスク生活を余儀なくされ、不要不急の外出は控えなくてはいけなくなりました。人々の行動は制限され、飲食店や観光業界が大打撃を受けたことは記憶に新しいでしょう。もちろん、元祖 鯱もなか本店も大きな影響を受けました。
うちの商品は、約7割を駅やサービスエリア、空港、百貨店などの小売店に卸していて、大須の本店で販売をしているのは、ほんの一部です。そのため、コロナ禍で土産需要が一気に激減し、みるみるうちに在庫の山ができてしまったのです。
売り上げは、コロナ前である2019年の3分の1、最盛期と比較すると10分の1にまで落ち込みました。小さな規模ながらも、愛情を込めて作ってきた我が子のように大切な商品。それが山のように残っている現実。「70年生きてきて、こんな居たたまれない気持ちになったのは生まれて初めてだった」先代はいまでも顔を歪めてそう語ります。
■うずたかく積まれた在庫の山に衝撃を受ける
もはや、これまでか。誰もが諦めかけたそのとき、それまで沈黙を貫いていた妻の花恵が動いたのです。
「久しぶりに店の裏にある工場に立ち寄ったとき、賞味期限の近づいた商品がうずたかく積み上げられている様子を目の当たりにしました。正直、跡を継ぐつもりはなかったので、店の様子を見に行くこともほぼなかった。でも、このとき偶然目にした光景には衝撃を受けてしまって。父と母が一生懸命作った商品を、なんとか捨てないで済む方法はないか……、誰かに食べてもらえないか……、そう考えました」(花恵・談)
売れ残りをすべて廃棄してしまうくらいなら、安くてもいいから一人でも多くの方に食べてもらいたい。そんな妻の想いから、僕たちはある挑戦をすることにしました。コロナ禍によって売れ残りを抱えて困っている事業者が特別価格で販売し、消費者が「買って応援、食べて応援」するというコロナ支援サービス『WakeAi(ワケアイ)』に出品してみることにしたのです。
■200件近い注文が入り、鯱もなかの魅力を再確認
もしかしたら、「鯱もなか」を買ってくれる人が少しでもいるかもしれない。販売ページには、コロナ禍で行き場のない在庫が山積みになっていること、そして、店の経営がとても苦しいことを記載しました。義父母の想いが伝わるように。
すると、なんと200件近い注文が入ったのです。こんなにも「鯱もなか」は愛されていたのか。初めて買ってくれた方の心も動かすような商品だったのか。これはもう、僕たち家族だけの問題ではない、「鯱もなか」を愛してくださる方たちの想いに応えなくてはいけない。そんな使命感に駆られるようになったのです。
2021年1月、まだまだコロナ禍真っ只中で不安も多い時期でしたが、僕たち夫婦はほぼ廃業寸前の元祖 鯱もなか本店を引き継ぐことに決めました。引き継ぎにずっと反対していた先代でしたが、全国のお客様からの声を聞き、やはり心が動いたようです。最後には「鯱もなかを頼む」と継ぐことを許してくれました。こうして、4代目の社長に妻の花恵が就任。僕は専務取締役として妻を支えながら、経営方針などを固めるための黒子に徹することにしました。
はじめにテコ入れしたのが、オンライン販売の強化です。先代の頃から公式サイトは存在しており、申し訳程度に通販で商品を購入できるようにはなっていました。しかし、古びたデザインや、購入ページまでなかなかたどり着けない導線のわかりにくさなどが目立ち、お世辞にも購買意欲が掻き立てられるようなつくりとは言えませんでした。
■「かわいい」という意外な顧客の反応
そもそも元祖 鯱もなか本店の売り上げの7割は駅や空港などの「お土産需要」であり、残りの3割はほぼ大須にある本店での販売分。ネット通販の売り上げはほとんどありませんでした。裏を返せば、一番の伸びしろはオンライン販売だということです。
じつは、老舗企業や店舗の多くは、まだまだECサイトが整っていないのが現状です。そこで、知人に紹介してもらった専門会社に依頼して公式サイトのリニューアルを行い、インターネット上で簡単に購入できるシステムを整えました。
また、商品のアピールをするためにSNSの運用を開始し、少しずつお客様の声が届くようになってから、このような言葉を耳にすることが増えてきました。「鯱もなかって、かわいいよね!」僕自身、「鯱もなか」の形のユニークさや名古屋っぽさが全面に表れているところに魅力を感じていたものの、これまで「かわいい」と捉えたことは一度もありませんでした。
そもそも、先代や家族は「鯱もなかは古くさい」という印象を強く持っていたので、最初にこの声を聞いたとき、「はたして、かわいい、のか…⁉」と戸惑ったことは事実です。
けれども、この視点が「鯱もなか」の売り上げを伸ばすヒントになるかもしれません。そこで、「かわいい」と言ってくださった方にリサーチをしてみると、単純に「名古屋城の金のしゃちほこが小さくなったミニチュアである点がかわいい」という意見に加えてもうひとつ、そのフォルムがかわいい、という意見がありました。
■まったく気が付かなかった“武器”を手に入れた
「鯱もなか」の見た目のかわいさに関しては、後に登場する名古屋ネタライターの大竹敏之さんが次のように評してくださったことがすべてを物語っていると思います。
確かに愛嬌のある顔だとは思っていましたが、こんなにも味わい深く、多くの人に受け入れられるかわいさを持っていたとは思いませんでした。
「鯱もなか」のビジュアルに対する率直な感想が聞けたのも、SNSをはじめとした地道な宣伝効果によって、より多くの方に手にしていただけたおかげです。
こうして「鯱もなか」は、僕たち家族だけでは気づくことのなかった「かわいい」という強い武器をいつのまにか手に入れていたのです。
■「老舗和菓子店を娘が継いだ」ことに焦点をあてた
いつか起こるバズのために粛々と準備を進めていた元祖 鯱もなか本店でしたが、じつは「プレスリリースを出すこと」が本当の狙いでした。
プレスリリースとは企業や組織が発表する公式文書のことで、主にメディア関係者に向けて発信するための広報手段です。これを見たどこかのメディアが反応して取り上げてくれるかもしれません。あわよくば、取材してもらえるかもしれない。つまり、プレスリリースを出すことが、僕としては広報活動のひとつの完成形だと考えていたのです。内容は、「老舗和菓子店を娘が継いだ」というトピックにしようと決めていました。
では、いつ仕掛けるのか。何かしらの反響はあると思っていたので、事前に販売導線を整え、ホームページとECサイトを完成させ、公式LINEやSNSをスタートし、「鯱セット」の準備が終わってすぐにプレスリリースを発信した……、というのが実際の手順でした。
また、せっかくならインパクトのある数字があった方がいい。そこで、ECサイトの売り上げが2倍になったことをフィーチャーしました。いまだから告白しますが、もともと売り上げがほぼないに等しかったECサイトなので、2倍になったといっても大した額ではありません。
けれど、事実は事実ですし、引きのある数字には変わりがないので、大きなポイントにすることとしました。
■地元メディアやライターに営業をかけた結果…
知り合いのライターさんに依頼して作ったこのプレスリリースを、名古屋の記者クラブ、地元メディア、ネットニュース、出版社などへ発信しました。地道に、一歩ずつ。この一通のプレスリリースが直後、ボディブローとして効いてくるのです。
元祖 鯱もなか本店が感謝してもしきれないほどお世話になったキーパーソンは5人いるのですが、そのうちの1人が“名古屋ネタライター”大竹敏之さんです。何を隠そう、「鯱もなか」が大バズリしたきっかけである「Yahoo!ニュース」の記事を書いてくださった張本人です。
僕がもともと大竹さんの大ファンで、偶然参加したイベントでご挨拶をしたことからご縁が生まれました。2021年9月。熟考を重ねて作成したプレスリリースを思いつく限りのメディアに送ってみたものの、なかなか思うような反応はありませんでした。そこで浮かんだのが、大竹さんでした。
さまざまな媒体で記事を書かれている大竹さんなら、懇意にしているメディア担当者を紹介してくれるかもしれない。一方的でわがままな申し出とわかっていましたが、一縷の望みを託して大竹さんにメッセージを送りました。すると驚いたことに、その日のうちに返信があり、翌日にはお店を取材してもらえることになりました。
こうして、まさかの「Yahoo!ニュース」記事の取材を受けることになりました。
■記事の配信直後から注文が殺到
2021年9月11日午後5時過ぎ。大竹さんから、夕方頃に記事が公開になると聞いていた僕が「そろそろかな?」とスマホを手にした瞬間、店の電話が鳴り出しました。他のスタッフが電話応対をしていると、今度は同じ店内にいた妻のスマホが「チャリ~ン」「チャリ~ン」と慌ただしく鳴り始めました。
じつはこの音、オンラインショップで注文が入った際に通知音が鳴るよう設定していたもの。つまり、立て続けにオンラインショップで商品が売れているということです。もしかしたら、いや、きっと、記事を見た人から「鯱もなか」の注文がどんどん入っているに違いない。
「こんなに連続して通知が来ることなんて、いままでなかったね。やっぱり大竹さんの記事の効果はすごいね!」
切れ目なくかかってくる電話の対応に追われながらも、このときの僕らにはまだそんな会話ができるくらいの余裕がありました。日付が変わって、9月12日の0時半過ぎ。スマホの通知音は、鳴りやむどころか、さらに鳴る頻度が高まっていきます。
■「Yahoo!ニュース」のトップに記事が取り上げられる
妻は先に休んでいたので、僕は「ついに『鯱もなか』フィーバーが来た!」と一人祝杯を上げようとしていたとき、ワーケーションで京都にいるはずの広報担当者のしなのさんから僕ら3人のグループチャットにメッセージが届きました。
「Yahoo!のトップにうちの記事が載っています‼」
慌ててスマホで確認すると、確かに『Yahoo!ニュース』トップページのトピックスに、「鯱もなか」の記事のタイトルが! 思わずその場で「えっ!」と叫んでしまい、寝ていた妻を起こしてしまったのも仕方のないことでしょう。
『Yahoo!ニュース』に掲載された記事の中から、編集部が主要トピックにふさわしいと判断した記事がトップページに掲載されるようで、記事公開からトップページに上がるまでタイムラグがあったのは、このためだそうです。ちなみに記事が公開された9月11日は、アメリカで起きた同時多発テロからちょうど20年目にあたる日。テロ関連のニュースが並ぶなかで、廃業寸前の和菓子屋の記事はひときわ異彩を放っていたように感じました。
■藤井聡太名人のタイトル戦の“勝負おやつ”に選ばれる
こうして少しずつ知名度を高めていった「鯱もなか」ですが、なんと将棋界にも(手前味噌ながら)名を馳せることになりました。「選ばれると全国的に話題になる」と言われている、将棋タイトル戦の勝負おやつに抜擢されたのです。この奇跡のきっかけも、Twitterでした。
名古屋の定番土産を目指している当店としては、もっともっと有名にならなくてはいけません。そこで、定期的にフォロワーの皆さんに「『鯱もなか』がもっと有名になるために、どんなことすればいいと思いますか?」と尋ねているのですが、月に3度は大須の店舗に通ってくださっている常連さんがこんなツイートをしてくれました。
このツイートが投稿されたのは2022年6月24日。じつはこの翌月、うちの店から1.2kmほどの場所にある亀岳林万松寺で棋聖戦が行われることが決まっていました。対局者は、藤井聡太棋聖と永瀬拓矢王座。滅多にない地元での将棋タイトル戦です。もしも勝負おやつに選んでもらえたら、この上ないビッグチャンスになるでしょう。
とはいえ、このツイートをやりとりしていた時点ではまだ、「なんらかの奇跡が起きて、対局者の勝負おやつに選ばれたらいいな」くらいの気持ちでした。しかし、何度目かのTwitterドリームが巻き起こりました。本当に「鯱もなか」が勝負おやつに大抜擢されたのです。
■「名古屋を代表するおやつにピッタリ」
事の経緯を説明すると、常連さんと僕とのやりとりが繰り広げられた当日、会場となる万松寺の公式アカウントからDMが届きました。
じつは、万松寺の副住職がネットを見ていて、件のツイートを発見されたのだそう。お寺と店の場所がすぐそばということもあり、数日後には副住職が店まで来てくださいました。話を聞くと、副住職自身も名古屋のご出身で、幼い頃にお母様と一緒にうちのお菓子を召し上がっていたようなのです。
「とてもおいしかった記憶があり、名古屋を代表するおやつにピッタリなので、ぜひ今回の棋聖戦の勝負おやつのメニューに入れたい」と申し出てくださいました。もちろん、断る理由はありません。
結果、同じく大須に店舗を構えている和菓子店・青柳総本家さんの「ケロトッツォ」というお菓子とセットで、「午前のおやつ」メニュー候補10品の中に加えてもらえることになりました。ケロトッツォは、こしあんのカエルまんじゅうに生クリームとクリームチーズをミックスしたクリームがサンドされている、なんともかわいらしいお菓子です。
メニューでは、真ん中にケロトッツォ、その左右に「鯱もなか」を配置。名古屋らしくて、インパクトがあって、愛嬌もある。これはいよいよ本当に選ばれるかもしれないと胸が高鳴ります。
■情報番組にも取り上げられ、通常の3倍を売り上げる
そんな僕の興奮を表すかのように、棋聖戦の数日前から地元名古屋の情報番組は、どのおやつが選ばれるのかという話題で持ち切りになりました。
ただ、どれだけ周りが盛り上がっても、最終的には対局者本人が選ぶもの。選ばれたかどうかの連絡を待つのみです。そして対局当日の朝、朗報が届きました。見事、勝負おやつに「ケロトッツォ&鯱もなか」が選ばれたのです‼
この知らせを受けて、Twitterはお祭り騒ぎ。僕も一緒に喜びのツイートをし続けました。対局の当日、会場周辺には将棋ファンの方々が集まっており、万松寺からの帰り道に、青柳総本家でケロトッツォを購入し、その足で「鯱もなか」を買いに来てくれる人が続出。徒歩20分ほどの距離ですが、大須を観光しがてらたくさんのお客様にご来店いただき、その日の売り上げはいつもの3倍以上を記録しました。
こうして、「将棋タイトル戦の勝負おやつに選ばれた」という肩書きが加わり、「鯱もなか」はまたひとつレベルアップを果たしたのです。
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「元祖 鯱もなか本店」専務取締役
1984年生まれ。愛知県一宮市出身。バンドマン、フリーター、商社、不動産業など数々の経歴を経て、老舗和菓子屋の4代目を引き継ぐ。著書に『鯱もなかの逆襲』(ワン・パブリッシング)がある。
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(「元祖 鯱もなか本店」専務取締役 古田 憲司)
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