これがなければ「光る君へ」は傑作になっていた…歴史評論家がどうしても看過できなかった7つの残念シーン
プレジデントオンライン / 2024年12月29日 9時15分
■「光る君へ」の美術レベルはとても高かった
平安絵巻さながらの美しいビジュアルに何度も息を飲んだ「光る君へ」。『源氏物語』の作者とされる紫式部(吉高由里子、ドラマではまひろ)の物語に、藤原道長(柄本佑)の生涯をからめた2024年のNHK大河ドラマは、色鮮やかで気品あふれる衣裳はもとより、内裏の清涼殿ほかのセットや調度も、細部までこだわって造り込まれていた。それこそ毎回、敬服させられた。
細かい話に思われるかもしれないが、内裏や土御門殿などの装置が、すべて白木で形成されていたのがよかった。私たちがいま眺める日本の歴史的建築は、木部がこげ茶色だが、それは経変変化によるものだ。その時代に新築された木造建築は、当然ながらみずみずしい白木に囲まれていた。
ところが、歴史ドラマにせよ時代劇にせよ、多くの場合、建物の木部はこげ茶色で、昨年の大河ドラマ「どうする家康」も、新築なったばかりの安土城や大坂城の柱や梁がこげ茶色で、違和感を覚えたものだ。「光る君へ」は、そのあたりのリアリティが徹底的に追求されていた。
また、史料に忠実な描写が多いのもよかった。この時代の宮廷の模様は、藤原道長の『御堂関白記』、藤原行成の『権記』、藤原実資の『小右記』という3つの貴族の日記のほか、『紫式部日記』など、第一級史料によって、かなり具体的にたどることができる。実際、それらの記述が活かされた場面が多かった。
■大河ファンとして残念だった7つの場面
よい部分も多かっただけに、それとの対比で、「ここはこうしないでほしかった」と思うことも少なからずあった。そこで、「光る君へ」を歴史ドラマとして評価した場合に、残念に思われた場面を7つ挙げたい。私自身、大河ドラマファンのひとりとして、制作サイドにも視聴者にも考えてもらいたいからである。
第7位は、終盤の第46回「刀伊の入寇」や第47回「哀しくとも」で見られた偶然の連鎖を挙げる。紫式部は没年に諸説あり、寛仁3年(1019)に異賊が北九州沿岸を襲撃した時点では(刀伊の入寇)、生きていたのかもわからない。
したがって脚本家の腕の見せどころだが、まひろが旅に出て大宰府に着くと、越前で出会った中国育ちの医師、周明(松下洸平)と再会し、まひろの娘の賢子(南沙良)と恋仲だった双寿丸(伊藤健太)までいる。そのうえ、まひろが周明とともに松浦(長崎県松浦市)に向かうと、その途上で刀伊に襲われ、絶妙のタイミングで双寿丸らが助けに現れるが、周明は刀伊の矢に打たれて息絶える――。
刀伊の入寇は平安中期を揺るがした日本の危機で、これを描くために、そのころの動向がわからない紫式部を現場に立ち会わせたところまではいい。だが、その場で知人に次々と会い、危機を迎えると双寿丸が現れ、しかし、もう一方の知人は死ぬ、という展開は、『水戸黄門』などの娯楽時代劇か、やりすぎの韓流ドラマを思わせる。もう少し自然な展開にできなかったのだろうか。
■平安時代の恋愛はもっと面倒だった
第6位には、とくに上記の場面の延長で見られた、センチメンタルすぎる紫式部を挙げたい。周明が死んで泣き叫び、大宰府に戻ってからも、太宰権帥の藤原隆家(竜星涼)の前で、「周明と一緒に私も死んでおればよかったのです」と泣き続けるまひろに、私は共感できなかった。
「光る君へ」で描かれたまひろは全体に、センチメンタルで直情的だったが、『源氏物語』や『紫式部日記』から推察される紫式部は、私にとっては、もっと斜に構えたひねくれ者のリアリストだったと思われる。もっとも、異なる感じ方があることは否定しないが。
第5位は、貴族の女性が顔を見せすぎたこと。「光る君へ」では、まひろは思い立つとすぐに外出していたが、これは当時の貴族女性が普通にできたこととは思われない。
平安中期以降、貴族の女性は異性に対してみだりに顔を見せてはいけないという習慣が定着していた。このため人と面会する際は、基本的に簾や几帳を隔てていた。まひろが行動しないとドラマが動かないのはわかるが、そのために、平安時代の基本的なルールが無視されてしまうと、時代への誤解につながるから難しいところだ。
また、この時代は恋愛が盛んだったというイメージがあるが、そのプロセスは現代とはまったく違った。貴族の男性は気に入った女性に向けて和歌を詠み、使者に渡して女性のもとに届けさせ、女性はそれを読んで、気に入ったら返歌を送る。こうして何度か和歌を交わしたのちに、ようやく男性が女性の家を訪れ、また簾越しに和歌を詠み合って、気が通じ合えばようやく会える。面倒だったのである。
「光る君へ」では、このプロセスがほとんど省略された。たとえば、第24回「忘れえぬ人」で、紫式部の夫となった藤原宣孝(佐々木蔵之介)がまひろに求婚する際も、実際には手紙に記された言葉を、すべて口頭で語っていた。上述したプロセスをドラマで描くのが困難なのはわかるが、男女の交流がほとんど現代劇のように描かれ、違和感が残った。
■本当に道長と紫式部の間に子どもがいたのか
第27回「宿縁の命」では、まひろは石山寺(滋賀県大津市)で道長と再会し、一夜をともにする。それはちょうど夫の宣孝がまひろのもとに通っていなかった時期で、紫式部が産んだ女児、すなわち賢子は、道長との不義の子だという話になった。
このこと、つまり紫式部は道長の子を産んだという設定を第4位に挙げる。脚本を書いた大石静氏は、2024年6月30日付で朝日新聞に掲載されたインタビュー記事で、紫式部と道長を恋愛関係にしたことについて、「時代考証の倉本一宏先生からも『その設定で、やってもよい』と言われました」「繰り返しますが、時代考証の先生のチェックを得たうえでです」と強調している。
実際、わかっていることが少ない紫式部をヒロインに据える以上、道長との恋愛のような、ドラマの背骨になる設定が必要なのはわかる。だが、娘まで道長の子にしてしまうのはいかがなものか。
1000年前の人のDNA鑑定は不可能だから、賢子が道長の子ではないと証明することはできない。だが、賢子を道長の子ということにすると、彼女ののちの出世なども、余計なフィルターをとおして眺めることになってしまう。
■道長が出家した本当の理由
同様に、道長が出家したのはまひろが宮廷を去ったのが原因、という設定もいただけない。これを第3位としたい。「光る君へ」では、基本的に健康体のように描かれた道長だが、実際は、若いころからかなり病弱で、途中からは飲水病(糖尿病)の持病にも苦しんだ。
寛仁3年(1019)に出家した当時は、胸病の発作に襲われ、目もよく見えず、飲水病は進行し、かなりの病体だった。そのとき道長が深めていたのは浄土信仰だった。以前の道長は現世利益を中心に説く密教に帰依していたが、次第に法華信仰、そして来世で極楽浄土に往生するための浄土信仰に傾倒していった。
あらためて強調するまでもないが、道長が出家した原因は紫式部とは関係ない。そこを関係づけてしまうと、この時代の上流貴族がなにを大事にしていたのか、見えなくなってしまう。道長にとって切実だったのは、紫式部への思いではなく浄土への思いだった。じつはその点においては紫式部も同様で、年を追って浄土への思いを深めていた。そのあたりが「光る君へ」で無視されたのは残念である。
上記の話の延長だが、道長の死を看取ったのがまひろだという設定も、どんなものか。これを第2位に挙げる。最終回「物語の先に」で、まひろは道長の正妻の倫子(黒木華)に道長との関係を、出会いにまでさかのぼってみな話してしまう。いくら問われたからとはいえ、あの紫式部がこんなふうに自分語りをするのは違和感があった。
それはともかく、道長が弱り切ってから、まひろは倫子に依頼されて毎日、道長を見舞ったのである。
■汚物にまみれながら絶叫した最高権力者
道長の最期は藤原実資(秋山竜次)の『小右記』によれば、糞尿が垂れ流しの状態で、身内も直接見舞うのが困難なほどだった。そんななか背中のはれ物に針治療がほどこされ、道長の絶叫が響くなど、かなり悲惨な状況だった。
それがテレビでは描きにくいのはわかる。だから静かな死にしたこと自体は、許容されると思う。だが、道長は最期、みずからが造営させた極楽を象徴する九体阿弥陀像の前で、九体のそれぞれから伸ばされた五色の糸を手にして、息を引き取った。それほど極楽浄土への願いが強かった。
道長が死去したのは万寿4年(1027)12月4日だが、このころ恐れられていたのは末法の世だった。釈迦が入滅して2000年経つと、その教えだけが残って悟りは得られなくなるというのが末法思想で、当時、1052年には末法の世に突入すると信じられていた。道長も紫式部も、いわば怯えながら極楽浄土へ生まれ変わることを願っており、死に際して、もっとも強い願いはそのことにあったはずである。
当時の社会を覆っていたこの状況が描かれず、恋愛に置き換えられてしまったのは残念だった。
最終回のラストシーンで、ふたたび旅立ったまひろは、馬に乗った武者たちと遭遇した。その一人は双寿丸で、彼は「東国で戦がはじまった。これから俺たちは朝廷の討伐軍に加わる」と語った。その後姿を見ながらまひろは、心のなかで「道長様」と呼びかけると、「嵐が来るわ」と語った。
貴族の世が終わって武士の世が来る、ということを暗示しているのだろう。当時、その時代に向かって動きはじめていたことは否めないが、まだ摂関政治の全盛期であり、のちにそれが終わって院政の世が訪れ、武士が本当に力を持つのはその後である。当時の世相を覆っていたのは、戦への恐れよりも末法への恐れであって、これではこの時代の実相が誤って伝わってしまう。
したがって第1位として、武士の世を予感させるのは早すぎるといっておきたい。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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