日本人は本当にNHK紅白を欲しているのか…平成元年の「打ち切り騒動」以来35年ぶりに番組を襲う根本的な疑問
プレジデントオンライン / 2024年12月31日 9時15分
■紅白史上最大の存続危機が起きたワケ
今年で75回目を迎える「NHK紅白歌合戦」。視聴率は低落傾向にあり、2023年は前半が29.0%、後半が31.9%(関東地区世帯視聴率。ビデオリサーチ調べ。以下同じ)といずれも番組史上最低だった。このままいけば、番組の存続や大幅な改革をめぐる議論が高まる気配もある。だが実は、「紅白」にとってそのような状況は初めてではない。それはいつのことで、どのようなものだったのか。
「紅白」史上最大の存続危機。それは、1989年に起こった。
当時NHK会長だった島桂次が、同年4月就任時に「「紅白」をやめて、大晦日に国民的行事となるような新しい番組を考えられないものか」と語り、さらに9月の定例会見の場で「紅白歌合戦は今年で最後にしたい」と発言したのである(合田道人『紅白歌合戦の真実』)。
実際、この頃「紅白」は揺れていた。公共放送としてのあるべき番組編成をめぐる議論の高まり、「紅白」担当プロデューサーの制作費使途に関する不祥事、そしてなによりも視聴率の低落傾向がはっきり見え始めていた。
1988年の視聴率は53.9%。いまの感覚だときわめて高いが、1984年には78.1%もあった視聴率は翌1985年に60%台となり、さらに1986年以降は50%台と急速に下がり始めていた。
こうしたなかでの島発言だったわけである。島自身、芸能畑ではなく報道畑ひと筋で会長になった人物。そして当時、世界も日本も歴史的な転換期を迎えていた。
海外では、戦後の基本秩序である東西の冷戦構造が大きく揺らぎ出していた。1989年11月にはベルリンの壁が崩壊。さらに翌年にはドイツ統一があり、冷戦の終焉へとつながっていく。
一方日本では、1989年初めに昭和天皇が崩御。新たな元号として平成が定められた。敗戦からの奇跡的な戦後復興、そして高度経済成長を達成した激動の時代。そのなかにテレビの普及や「紅白」の国民的行事化もあった。その昭和が終わったのである。
こうして番組の終了という可能性が現実的に浮上するなかで、1989年の「紅白」は制作された。奇しくもこの年は、第40回という番組節目の年でもあった。
■今に続く2部制はこうして始まった
そうした事情を受け、この年初めて導入されたのが2部制である。それまでは、午後9時から11時45分までの放送のみ。そこに午後7時から8時55分までを第1部として新たに設け、従来の午後9時からのパートを第2部としたのである。
「いまと同じではないか」と思うひともいるだろう。しかし、ただ単に放送枠を拡大したわけではない。第1部を「昭和の紅白」、第2部を「平成の紅白」と銘打ち、内容をはっきり分けた。
「紅白」が40回という節目を迎え、それがちょうど昭和から平成への移行と合致していたこと、そしていうまでもなく、島会長の発言を受けて「今年で最後」になる可能性が出てきたことがそこにはあっただろう。だから第1部は、昭和という時代だけでなく、「紅白」という番組の歴史もあわせて振り返る企画になったのである。
このことは、波紋を引き起こした。
その頃第1部の放送時間には、毎年TBSで「輝く!日本レコード大賞」が生放送されていた。局は異なるものの、大晦日にその年の集大成となる2つの音楽番組が連続していることで視聴率的にも相乗効果が生まれ、1988年も21.7%という数字をあげていた。
■「レコ大」が受けた思わぬ余波
ところが、「紅白」の第1部がいきなり裏に来た。TBSにとっては寝耳に水である。当然慌てた。だが記念すべき40回めで元号も変わったタイミングということで1回限りの特例と受け取ったTBSは静観した。ただ視聴率は14.0%に。
しかし案に相違して、翌年からも「紅白」は2部制を続けた。それによって「日本レコード大賞」の視聴率は下降線をたどり始める。そして2006年には、とうとう大晦日の放送から撤退することになった。
そんななかで幕を開けた1989年の「紅白」。紅組司会は三田佳子、白組司会は武田鉄矢、そして総合司会はNHKアナウンサー(当時)の松平定知である。
第1部のオープニングは、東京タワーの映像から。1958年竣工の東京タワーは戦後日本の復興の象徴であり、テレビの電波塔でもあった。「昭和の紅白」のスタートにぴったりというわけだ。
そして出場歌手全員が歌いながら登場。曲は、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」(1948)。笠置が主人公のモデルになった朝ドラ「ブギウギ」(2023年放送)でも描かれたように、敗戦に打ちひしがれた日本人が明るさと希望を取り戻すきっかけになった大ヒット曲だ。
■目玉は番組に縁の深い大物たちの復活
さらに世相とヒット曲を絡めた構成は続く。韓国の釜山からの引き揚げ船のニュース映像が流れると田端義夫の「かえり船」(1946)、1964年の東京オリンピック開会式の映像には三波春夫が歌う「東京五輪音頭」(1963)といった具合だ。
「紅白」の名場面集として、坂本九や山口百恵などの映像も流れた。また森光子や黒柳徹子、山川静夫や鈴木健二ら歴代の司会者たちが登場し、思い出を振り返りながら春日八郎「お富さん」(1954)やペギー葉山「南国土佐を後にして」(1959)を紹介する。またこの年6月に亡くなった美空ひばりの盟友である雪村いづみが「愛燦燦」(1986)を歌う場面もあった。
このあたりはまさに、戦後と「紅白」の歴史を回顧するというコンセプトに沿っている。だがそれだけではない。第1部の目玉となったのが、「紅白」に縁の深い大物歌手たちの“復活”だった。
まず登場したのは、ザ・タイガース。リードボーカルに沢田研二を擁し、1960年代後半GSブームの中心的存在として10代女性に熱狂的に支持された。
ところが、当時タイガースは「紅白」には出られなかった。彼らのトレードマークである長髪が不良の象徴、公序良俗に反するとされたからである。いまから見るとウソのような話だが、本当の話である。代表曲「花の首飾り」(1968)と「君だけに愛を」(1968)の2曲を披露。
■「今日この日のためだけのステージでございます」
まず登場したのは、1970年代に一大ブームを巻き起こしたピンク・レディー。「ペッパー警部」(1976)、「UFO」(1978)、「サウスポー」(1978)の3曲メドレーである。
ピンク・レディーの出場は1977年以来12年ぶり。「ペッパー警部」もそうだが、「UFO」と「サウスポー」という誰もが知る大ヒット曲も『紅白』では初演だった。というのも、1978年は大晦日のチャリティ番組出演を理由に出場を辞退していたからである。この番組は、日本テレビで生放送。つまり、『紅白』に対抗する裏番組だった。そのあたりの経緯もあって、出場は途絶えていた。
続いての登場は、ザ・タイガース。リードボーカルに沢田研二を擁し、1960年代後半GSブームの中心的存在として10代女性に熱狂的に支持された。
ところが、当時タイガースは『紅白』には出られなかった。彼らのトレードマークである長髪が不良の象徴、公序良俗に反するとされたからである。いまから見るとウソのような話だが、本当の話である。代表曲「花の首飾り」(1968)と「君だけに愛を」(1968)の2曲を披露。
そして復活組のトリを飾ったのが、都はるみだった。
都はるみは「北の宿から」(1975)など数々のヒット曲を持つ演歌の大スター。しかし、1984年に歌手を引退。その最後のステージになったのが同年の「紅白」だった。その際、番組史上初のアンコールが会場から沸き起こり、その声に応えて司会の鈴木健二が「私に1分間、時間をください」と言って都を説得した場面は有名だ。そのフレーズは流行語にもなった。
そんな都はるみが、一夜限りの復活を果たしたわけである。松平定知が「ここで終わるわけにはまいりません。今日この日のためだけのステージでございます」と満を持して紹介すると、せり上がりで都が現れ、「アンコ椿は恋の花」(1964)のイントロが。都はるみは所狭しとばかりにステージ上を動き回り、熱唱したのだった。
■「紅白」→「アジア音楽祭」という構想
続く第2部「平成の紅白」。ここは例年通り、その年に活躍した歌手のステージとなる。ただ、そこにも変化があった。
もちろん、工藤静香、中山美穂、Wink、荻野目洋子、少年隊、男闘呼組、光GENJIらのアイドル勢、八代亜紀、小林幸子、石川さゆり、和田アキ子、沢田研二、細川たかし、五木ひろし、森進一、北島三郎らの常連大御所組もいた。
だがその一方で、歌謡曲以外の分野の歌手も出場した。この年人気長寿番組の「ザ・ベストテン」(TBSテレビ系)が終了するなど、音楽番組全体が大きな転換期にさしかかっていた。その波は「紅白」にも押し寄せ、クラシック、民謡の歌手も出場。さらにはミュージカルから市村正親が出場して「オペラ座の怪人」を披露した。
また「21世紀に残したい歌」というのもひとつのコンセプトになっていた。由紀さおり・安田祥子姉妹が歌った「赤とんぼ」もそのひとつ。後に由紀は、同曲で1992年の「紅白」のトリを務める。童謡でのトリは史上初のことだった。
もうひとつの変化は、国際化の波である。
繰り返しになるが、1989年はベルリンの壁が崩壊した年である。そうした歴史の流れは翌年のドイツ統一へと至り、長く続いた冷戦体制が終わりを迎える。
こうした国際情勢を踏まえ、島会長の意向を受けたNHKでは「紅白」に代わる番組として「アジア音楽祭」を考えていたとされる。1989年の「紅白」に韓国や香港で活躍する歌手が複数組出場したのも、その流れが背景にあるだろう。
■ドイツの中心で長渕剛が叫んだ「日本人、みんなタコ」
島会長は、1990年も「紅白」を終わらせることをあきらめたわけではなかった。「新企画をずっと練っていたが、時間切れで断念したため、例年通り紅白を行う。ただし(中略)地球規模で紅白をつくるようにと現場サイドには注文した」と島は定例会見で語った(前掲『紅白歌合戦の真実』)。
その意向は、1990年の「紅白」に大きく反映された。
まず出場歌手のさらなる国際化。ポール・サイモン、シンディ・ローパーが出場。さらにモンゴル、フィリピンの歌手たちも出場するなど、顔ぶれはぐんと国際的になった。
そしてもうひとつが、この年が初出場だった長渕剛のベルリンからの生中継である。いまはよくあるが、出場歌手が中継先から歌うのは、番組史上初のことだった。
ここで有名な「いまの日本人、みんなタコですね」発言が飛び出す。司会の松平アナから「寒いでしょう? そこは」と呼びかけられた長渕は、「いやあ、寒いも暑いもねえ。現場仕切ってるのドイツ人でね。いっしょに闘ってくれる日本人一人もいませんわ。いまの日本人、みんなタコですね」と返し、なんと約17分にわたり「乾杯」など3曲を歌ったのだった。
長渕としては制作現場の不満を訴えたかったのだろうが、「日本人、みんなタコ」という表現のインパクトは強く、大きな波紋を呼んでしまった。NHKにも、「感動した」という声に混じり「日本人をタコとは何事か」という批判が多数寄せられる事態になった。
■1989年の「紅白」が抱えた“外側からの危機”
1989年、最大の危機のもと放送された『紅白』。視聴率は第1部が38.5%、第2部が47.0%と必ずしも良かったわけではなかった。
ただ「紅白をやめないでほしい」という視聴者からの声が多数寄せられ、また1991年に放送衛星打ち上げ失敗にまつわる疑惑が浮上して島桂次が会長を辞任。
代わって「紅白」の育ての親的存在でもある芸能畑出身の川口幹夫が1991年にNHK会長に就任したため、「紅白終了」という声は聞かれなくなった。2部制も好評だったため、続けられることに。皮肉にも、いっそう大型番組化したわけである。
そして現在。そこには、1989年とはまた異なる危機がある。
1989年に「紅白」の存続が問われるようになったのは、主として日本の外側にある国際情勢の変化、それに伴う切迫感からだった。いわば、“外側から来る危機”である。
現在もそれは、グローバル化の波として存在する。K-POPの台頭もそのひとつだろう。ここ数年K-POP勢(そこには日本人メンバーがいる場合も多い)の出場も定着しつつある。
だがより重要なのは、日本社会の変化、日本人の価値観の変化だろう。つまりこちらにあるのは“内側にある危機”だ。「紅白」は、それに対応する必要に迫られている。
■2024年の「紅白」が抱える“内側にある危機”
たとえば、「紅白」の根幹でもある男女対抗形式。番組が始まった戦後直後においては、男女対抗は男女平等の表現であり、時代の最先端を行くものだった。ところが現在は、性的マイノリティの人たちの正当な権利を認める流れなど多様性が意識されるなかで、男女対抗というかたちそのものが時代に合わなくなりつつある。
また、若者世代がネットで音楽に接する状況が進むなか、音楽番組として世代差にどう対応するかということもある。最新の音楽トレンドを強く反映した内容にするのか、懐メロ重視の内容でいくのか。「今年ヒットしたのに出ない」という若者世代の不満と「初めて聞く曲ばかり」といった年長世代の不満それぞれにどう応え、「紅白」らしい誰もが楽しめる音楽番組を目指すのか、ということである。
いずれの問題も番組そのものの本質にかかわるという意味で、「紅白」はいま番組開始以来最も難しい状況に直面しているのは間違いない。
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社会学者
1960年生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本、お笑い、アイドルなど、メディアと社会・文化の関係をテーマに執筆活動を展開。著書に『社会は笑う』『ニッポン男性アイドル史』(以上、青弓社ライブラリー)、『紅白歌合戦と日本人』(筑摩選書)、『SMAPと平成ニッポン』(光文社新書)、『芸人最強社会ニッポン』(朝日新書)、『攻めてるテレ東、愛されるテレ東』(東京大学出版会)、『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)、『21世紀 テレ東番組 ベスト100』(星海社新書)などがある。
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(社会学者 太田 省一)
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