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京大名物「タテカン」を撤去したゴリラの専門家に会ってみたら…「あまりに京大生」な強烈な振る舞い

プレジデントオンライン / 2025年1月5日 16時15分

京都大学正門(写真=Odyssey/CC-BY-SA-2.0/Wikimedia Commons)

京大出身者の実態とはどのようなものか。京大OBで神戸学院大学の鈴木洋仁准教授は「世間からは、東大=権力、京大=反権力といった、ステレオタイプな二項対立で語られることが多い。しかし、実態は時と場合に応じて変わりうるのではないか」という――。

※本稿は、鈴木洋仁『京大思考 石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか』(宝島社新書)の一部を再編集したものです。

■「変人」と言われると嬉しい

2019年に、酒井敏(1957年~)など数人の著者による執筆のほか、当時の京大総長だった山極壽一の対談を収録した『京大変人講座 常識を飛び越えると、何かが見えてくる』(三笠書房)が出版された。

京大の「『自由の学風』や『変人のDNA』を世に広く知ってもらうために発足した公開講座」を書籍化したものだというが、京大=変人であって、わざわざ「変人」を自称するのは「らしくない」。

率直に言って、「変人」は、自分を「変人」とは言わないのではないか。「変人」とは、周りから浮いていたり、馴染めなかったりするために、否応なくそう呼ばれる。わざわざ自分から周りに誇らない。誇れないし、誇るべきではないし、そもそも「変人」とは、ほとんど思っていない。

ただ、「変人」と言われると嬉しいのかもしれない。ただ、「凡人」と呼ばれたいか、「変人」と言われたいかと問われたときに、あえて選ぶとすればぐらいのレベルではないだろうか。

■「変わっている/変わっていない」に興味がない

先に挙げた間宮先生もまた、それなりの「変人」に入っただろう。関東にもお住まいだったので、毎週、新幹線で京都と行き来をされていたのだが、ほぼデッキに立ったままだと伺った記憶がある。当時は、今よりチケット入手がはるかに不便だったとはいえ、それでも、間宮先生は、時間に間に合わないのがデフォルトだった(とおっしゃっていた記憶がある)。

また、部屋は「汚部屋」というか、なんというか……。汚いわけではないのだが、ともかく書類で足の踏み場がなかった。研究室のドアを開けると、書類が散乱していて、ソファは座る余地がない。

一度、「掃除を手伝いましょうか?」と聞いたときに、「どこに何があるかは全部、頭に入れてあるから触らないで」と言われたことがあり、こういう人を「変人」と呼ぶのだろう、と思ったものだった。

「自分(たち)は、あまり変わっているつもりがないし、そもそも変わっている/変わっていないに興味がない」。そんなところなのではないか。

間宮先生もまた、京大で教えておられた、東大出身者だった。

■「無意識過剰」と考えるほかない存在

こうした私の感性は、自己愛からくるのだろう。

自分を信じている、ないしは自分を疑っていない。もともと自分を疑ったことがない。疑うとか疑わない、とか、信じるとか信じない、といった二分法でもない。

自分にしか関心がない。良く言えば「自分の考えを持っている」。

自分が好き/嫌い、という分け方も、多くの京大生が未経験なのではないか。何より、こう書いている私の書き方そのものが、自分を信じているわけでも、疑っているわけでもなく、淡々と書いている。

自意識過剰の反対語=無意識過剰といえるだろうか。これは、石原慎太郎氏(1932~2022年)を評した、文芸評論家の江藤淳氏(1932~1999年)によるものであり、かなりの数の京大生に当てはまるのではないか。

私や私の周りは、無意識過剰と考えるほかない存在ばかりである。

先の「変人」とのつながりでいえば、私が最もお世話になった方が、そういえるだろう。

京都大学の「折田先生像」(2011年版)。入試シーズンに毎年違った造形の張りぼてが設置され、訪れた受験生らを歓迎する
京都大学の「折田先生像」(2011年版)。入試シーズンに毎年違った造形の張りぼてが設置され、訪れた受験生らを歓迎する(写真=Takeshi Kuboki/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

■自分にしか関心がなく、他人の目は気にしない

当時、大学院人間・環境学研究科の助手を務めていた葛山泰央さん(1968年~)を評して、同研究科の大澤真幸さんが「謎がないのが謎」とおっしゃっていたのが印象に残る。葛山さんの私生活を詮索するつもりは、昔も今もない。おそらく、京大では、誰かの私生活についてとやかく言うことそのものが避けられている、というか、あまり興味を持たれていなかったのではないか。

中でも、葛山さんの私生活についての謎のなさは際立っていた。朝から夜まで、また、土日でもかなりの時間を研究室で過ごす、そんなイメージを大澤さんは持っていたのだろう。そこから「謎がないのが謎」というフレーズが出てきたのだろうが、ここで言いたいのは、その当否についてではない。

それよりも、周りの誰もが、葛山さんを含めて、他人の目を気にしていなかった、という点を強調したい。気にしていなかったといえば、独立独歩というか、自己を確立しているかのような雰囲気を醸し出せるかもしれない。けれども、実態は、気にするつもりがない、ないしは、気にするという回路がない、といった程度だろう。

ここでも蛇足ながら、葛山さんも大澤さんも、東大出身だった。

■「反権力・反権威」というイメージ

東大出身者の研究者は多い。そう考えると、東大=権力、京大=反権力といった、ステレオタイプなイメージも、崩れてくるのではないか。私自身は、京大だから反権力とは、今にいたるまで思ったことがない。

権力に抗い、権威を嫌う。そんな希望の象徴を、京大は託されているのかもしれない。東大は東京にあるし、霞が関や永田町に近く、政治に影響されやすい。実際にそういう面は少なくないのだろう。

かたや京大は、東京から距離を置き、生臭いやりとりとは隔たった、落ち着いた古都で学問に打ち込む。この二項対立は、話を描きやすいし、今もなお、多くの人にとってポピュラーなのかもしれない。

しかし、話はそんなに簡単なのだろうか。

政治思想史家の尾原宏之氏(1973年~)による『「反・東大」の思想史』(新潮選書、2024年)では、「第6章 『ライバル東大』への対抗心 京都大学の空回り」と題して、明治期から大正期にかけての、東大と京大の関係を丹念に跡づけている。

尾原氏は、現代の京大について「東大とは別の高峰として屹立しているというのが一般的イメージではないだろうか」(同209ページ)と評しているし、そうなのだろう。

だが、たとえば、屹立していなさ加減というか、権力や権威の弱さを示すと思われるのが、前の総長・山極壽一氏に関してではないか。

■前の総長・山極壽一氏との思い出

私は個人的に山極氏が好きだ。学者としてというよりも、自分が関西テレビ(カンテレ)の記者・ディレクターだった時期に、山極氏に関して体験したエピソードからである。

ゴリラの専門家である山極氏に取材を申し込み、動物園でのインタビューをお願いした。行ってみると、私と同じ時間と場所を指定されたらしい某新聞社の記者・カメラマンと鉢合わせになった。ダブルブッキングだった。

山極氏からすれば、テレビと新聞の取材を一緒に済ませられると思ったのかもしれないし、細かい事情は15年も前の話なので、ここでは脇におこう。

ゴリラの写真の前で笑顔で撮影に応じる京大学長の山極寿一さん
写真=共同通信社
ゴリラの写真の前で笑顔で撮影に応じる京大学長の山極寿一さん - 写真=共同通信社

ただ、某新聞社のカメラマンが、「カンテレさん、いい加減にしてくださいよ~」と、たびたび声を張り上げるものだから、その都度、テレビのインタビューを中断してやり直せざるをえず、難儀したのだった。

このエピソードは、山極氏のいい加減さ、というか、私の中では、いかにも山極氏らしい、おおらかというか鷹揚な話として、前向きにとらえている。

ただ、ここで挙げたいのは、これとは異なる山極氏の側面である。

それは、いわゆる「タテカン」、立て看板をめぐる経緯である。

■京大名物「タテカン」撤去の衝撃

京大の周りには「タテカン」と呼ばれる、多数というより無数の、さまざまな看板が、石垣に立てかけられていた。長年にわたる風習であり、風物詩、風景のひとつとして地域住民にも広く受け入れられてきた、はずだった。

しかし、2017年10月に京都市が、景観を保護するために外壁などへの広告を禁じた条例(京都市屋外広告物等に関する条例)に触れるとして、京大に文書で指導、「タテカン」の撤去を求めた。

これに対して、学生はもちろん、OBからも「タテカン」は京大だけではなく京都の文化である、との声が出る。

京都市の条例そのものは1956年にできているものの、民間業者等への指導は2007年に改正され、本腰を入れるようになった。京大に対しては2012年から指導を始めたという。2018年から京都市と京都大学側は、景観を害するとして「タテカン」を撤去しているものの、京大職員組合が「表現の自由の侵害」などを主張し、2021年4月に、京都市と京大を相手に損害賠償を求める裁判を起こし、本書執筆時点(2024年10月)で係争中である。

■「自由」や「変人」ぶりも変わりうる

山極壽一氏が、京大のトップである総長を務めていたのが、まさにこの時期なのだ。

2014年の総長選びで、当初、山極氏が選ばれると予想していた人は少なかった。教職員による投票(意向調査)で1位になる。学内の支持の高さを見せ、いわば、京大の自由を象徴する人物として選ばれている。

「タテカン」も山極氏も、ともに京大らしさ、すなわち、いい加減さや自由さを体現する存在だととらえられていたのだろう。その彼が総長を務めているときに、「タテカン」を規制するなんて。そう思った学生や教職員、出身者は少なくない。

鈴木洋仁『京大思考 石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか』(宝島社新書)
鈴木洋仁『京大思考 石丸伸二はなぜ嫌われてしまうのか』(宝島社新書)

ただ、私自身は、山極氏に、そこまでの信念があったとは考えていない。個人的な体験にすぎないが、彼の真骨頂は、おおらかさであり、臨機応変さである。山極氏にとっての京大の「自由」や「変人」ぶりもまた、時と場合に応じて変わりうるのではないか。

山極氏が総長として下した判断は、私は、仕方がないというか、そうするしかないものだったと思うし、もとより、「タテカン」をめぐって京大だけが特別、とするのは無理があるのではないか。

「京都大学新聞」は、「タテカン」規制ののちのさまざまな「闘争」について、丹念に取材していて、頭が下がる。頭を垂れるとはいえ、それ以上でもそれ以下でもない。そんな京大出身者が多いのかもしれない。

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鈴木 洋仁(すずき・ひろひと)
神戸学院大学現代社会学部 准教授
1980年東京都生まれ。東京大学大学院学際情報学府博士課程修了。博士(社会情報学)。京都大学総合人間学部卒業後、関西テレビ放送、ドワンゴ、国際交流基金、東京大学等を経て現職。専門は、歴史社会学。著書に『「元号」と戦後日本』(青土社)、『「平成」論』(青弓社)、『「三代目」スタディーズ 世代と系図から読む近代日本』(青弓社)など。共著(分担執筆)として、『運動としての大衆文化:協働・ファン・文化工作』(大塚英志編、水声社)、『「明治日本と革命中国」の思想史 近代東アジアにおける「知」とナショナリズムの相互還流』(楊際開、伊東貴之編著、ミネルヴァ書房)などがある。

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(神戸学院大学現代社会学部 准教授 鈴木 洋仁)

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