あなたの地元にあるお城は「ホンモノ」か…歴史と伝統を完全に無視した「ニセモノ天守」に騙されてはいけない
プレジデントオンライン / 2024年12月24日 16時15分
※本稿は、香原斗志『お城の値打ち』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■黒田官兵衛ゆかりの中津城天守は史実と無関係
中津城(大分県中津市)は天正15年(1587)に豊臣秀吉が九州を平定したのち、豊前六郡(福岡県東部と大分県北西部)の領主になった黒田官兵衛孝高が築いた。
関ヶ原合戦を経て、黒田家が筑前(福岡県北西部)に移ると、豊前には代わりに細川忠興が入封。細川藩の本城は小倉城とされたが、同じ領内の中津城は一国一城令の発布後であったにもかかわらず、例外的にそのまま維持することが認められた。
寛永9年(1632)、その細川家が熊本に転封になると、周囲の外様大名たちを監視する役割を負って譜代大名の小笠原氏が、享保2年(1717)には、やはり譜代大名の奥平氏が入り、そのまま奥平氏の居城として明治維新を迎えている。
その間、細川時代には天守が建った形跡がある。たとえば元和5年(1619)に、細川忠興が息子の忠利に宛てた手紙には、中津城天守を約束どおりに(明石城を築城中の)小笠原忠政(忠真)に渡すように、という指示が記されている。だが、結局、明石城には天守は建てられていない。中津城の天守がどうなったかは記録がないから不明だが、その2年後には天守が建っていないことが確認できる。以後、絵図等にも天守は描かれていない。
■めちゃくちゃな「怪しげな城郭建築」
それなのに旧藩主の奥平家が主導し、観光のシンボルとして現在の模擬天守が建てられたのである。二重櫓が建っていた石垣に石を積み増して天守台をこしらえ、古写真が残る萩城天守をモデルに、史実と無関係の天守がそびえている。
だが、藤岡通夫氏(註・和歌山城や熊本城の外観復元天守も設計した当時の東京工業大学教授)が設計しただけのことはあって、由緒ある建造物かと見まがうようである。同様に史実と異なりながら、ほかの模擬天守となにが違うのだろうか。藤岡氏の以下の記述にヒントがあると思われる。
「近年建てられる怪しげな城郭建築では、この柱と窓の関係が鉄筋コンクリート造であるために滅茶苦茶で、同じ形の建物を木造では建てられないようなものが多い。このような建物が平気で世の中を横行しているのは、淋しい限りといわざるを得ない」(『城と城下町』)。
■秋田の城なのに愛知の城をモデルにする
藤岡氏の指摘に該当する「怪しげな城郭建築」のひとつが、横手城(秋田県横手市)の模擬天守ではないだろうか。
16世紀半ばに小野寺氏が築いたこの城は、関ヶ原合戦後は最上氏、続いて佐竹氏の所有となり、寛文12年(1672)に佐竹氏の縁戚の戸村義連が入城したのちは、明治まで戸村氏が城主を務めた。その間、江戸時代をとおして石垣がない土の城で、天守も建ったことはなかった。
ところが、昭和40年(1965)に三重四階の天守が、石垣が積まれた天守台上に鉄筋コンクリート造で建てられたのである。岡崎城をモデルにしたそうだが、柱と窓の関係などまったく考慮されていない。
唐津城(佐賀県唐津市)は豊臣秀吉の家臣だった寺沢広高が、東軍にくみして戦った関ヶ原合戦後、慶長7年(1602)から本格的に築城した城である。その際、天守台の石垣は築かれながらも、すでに寛永4年(1627)、「幕府隠密探索書」に天守台はあるが建物はない旨が書かれている。
■唐津城には天守の記録がない
ところが現在、その天守台には五重五階地下一階の天守が建っている。これは昭和41年(1966)、例によって文化観光施設として、鉄筋コンクリート造で建てられたものである。天守の記録がなかったため、秀吉が朝鮮出兵の基地として築いた肥前名護屋城(唐津市)をモデルに設計された。
唐津城は築城に際し、肥前名護屋城の廃材を利用したと伝えられるので、あながち縁がないわけではないが、この天守が唐津城の史実と無縁であることはいうまでもない。
平成20年(2008)から令和3年(2021)まで行われた、傷んだ石垣の整備事業にともなう発掘調査では、本丸の各所から古い石垣が見つかり、豊臣政権下の城に特徴的な金箔瓦も発見された。このため寺沢広高の築城以前に、先立つ城郭が築かれていた可能性も取り沙汰され、その時点では天守が建っていたという可能性は否定できない。だが、仮に天守が建ったことがあったとしても、いまの天守がそれと縁がないことには変わりがない。
■史跡でなければ、なんでもあり
ここまで述べてきたように、昭和30年代から40年代にかけて、全国各地に雨後の筍のように鉄筋コンクリート造の天守が建つことになった。その数は史実と無縁の模擬天守がもっとも多かったのだが、昭和40年代後半からは、とくに国指定の史跡においては、天守の建設が控えられるようになった。
戦災で焼失した天守の外観復元が試みられた岡山城でさえ、石垣を崩してあらたな出入口がもうけられたのが象徴的だが、建造物を整備するにあたり、石垣などの遺構への配慮に欠けることが多かった。そうした行為が、むしろ史跡の価値を損ねてしまうことが問題視されるようになってきたのである。
逆にいえば、史跡に指定されていなければ、引き続きなんでもありの状況だったともいえる。川之江城(愛媛県四国中央市)は、関ヶ原合戦後に伊予に移封になった加藤嘉明が整備したが、嘉明が居城を松山城に移したのち、慶長20年(1615)もしくはそれ以前に廃城になった。
■平成に突如建てられた白亜の天守
当時の遺構は現在、本丸に石垣の一部が残るだけだが、昭和61年(1986)、城跡の景観は一変した。川之江市制三十周年記念事業の一環として、天守のほか涼櫓、櫓門、隅櫓、控櫓が次々と建てられたのである。
往時の史料はなにもないので、天守は犬山城を参考にしたそうだが、基本的にはみな想像の産物である。建築にあたって藤岡通夫氏に指導を受けたおかげで、みなそれらしい外観であるのがせめてもの救いだといえようか。
織田信長が美濃(岐阜県南部)に侵攻するにあたり、まだ木下藤吉郎と呼ばれていたころの豊臣秀吉が永禄9年(1566)に、わずか3日半で築いたとされる墨俣城(岐阜県大垣市)。その逸話が記されているのは、主として江戸時代初期にまとめられたという『武功夜話』だが、『信長公記』ほか同時代の史料には記述がないため、後世の創作だとする見解も少なくない。
だが、この秀吉の逸話が史実であろうとなかろうと、墨俣城が土塁や空堀で構成され、木柵などで囲って簡易な建造物を配置しただけの造りであったことはまちがいない。
■こけしやカツオと変わらない
ところが、そこに平成3年(1991)、四重五階地下一階で最上階の屋根には金色の鯱をいただいた白亜の天守が建てられたのである。外観は近隣の大垣城を模したとのことだが、大垣城の外観は江戸時代初期に整備されたものであり、時代がまったく異なる。
天守が出現する以前に廃城になった土の城の跡に、石垣上にそびえる高層の天守が建てられた例は、昭和42年(1967)に完成した亥鼻城(通称・千葉城、千葉市中央区)など、ほかにもある。そんななかでも、墨俣城の天守の場合、建つことになったきっかけが特異だった。竹下登内閣の発案で昭和63年(1988)から翌年にかけ、国が地域振興を旗印にして各市区町村にばら撒いた「ふるさと創生基金」が契機だったのである。
その1億円をもとに総工費7億円をかけて建てられたのが、この鉄筋コンクリート造の天守だった。内部は歴史資料館として利用されているので、どこかの自治体がつくった純金のこけしやカツオよりはマシかもしれない。しかし、多くの人に歴史を誤解させることを考えれば、正負の価値は相殺され、こけしやカツオと変わらないようにも思えるが。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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