夫の不在中、家にハンサムなスパイを招き入れ…プーチンが「すぐれた工作員」と称えた「3児の主婦スパイ」の凄さ
プレジデントオンライン / 2024年12月29日 18時15分
※本稿は、名越健郎『ゾルゲ事件80年目の真実』(文春新書)の一部を再編集したものです。
■周恩来と秘密接触
ゾルゲは上海で、コミンテルンと中国共産党間の連絡役も務めたが、共産党最高幹部の周恩来と会っていたことが、元中国共産党工作員の回想録で分かった。
この本は、二〇〇二年に中国で限定出版された『毛沢東の親族、張文秋回想録』(広東教育出版社)。周恩来は一九三一年九月、部下だった二十代後半の女性、張文秋にコミンテルンの仕事を手伝わせるため、ゾルゲに引き合わせたという。
新中国で長年首相を務めた周恩来はゾルゲより三歳若く、当時三十三歳。共産党政治局常務委員、中央軍事委書記として、党中央が置かれた上海で地下闘争を指揮していた。周は二八年と三〇年に二度、それぞれ五カ月にわたってモスクワを訪れ、二八年にはスターリンと会談した。コミンテルンの中国側窓口役で、「モスクビン」のコードネームで呼ばれた。
二人の接触は、時事通信北京支局が二〇〇八年五月、「ゾルゲと周恩来、上海で秘密接触――元工作員が回想録」として報道した。回想録に書かれた接触のシーンは以下の通りだ。
■スーツを着た身だしなみの立派な外国人がいた
一九三一年九月末のある日の午後。周恩来同志は私を伴い、車でフランス租界の高級ホテルに行った。下車すると、若い外国人が私たちを部屋まで案内してくれた。すると、スーツを着た身だしなみの立派な外国人が私たちを迎えてくれた。一目で私は、董秋斯(ロシア文学者)の家で会ったことのある、あの見知らぬ外国人だと分かった。
周恩来同志は「この方がコミンテルンの指導者、ゾルゲ同志。これからは彼の指導のもとで働くように」と私に紹介した。
次いで周恩来はゾルゲに、「あなたの意見を入れて、張文秋同志を連れてきた。彼女にふさわしい仕事を手配するようお願いしたい」と要請した。
ゾルゲは私たちに椅子をすすめながら言った。「ご安心なさい。必ず彼女にふさわしい仕事を手配する。ご協力いただき、本当にありがとう。まことに恐縮だが、もう数人寄越していただきたい」
周恩来同志は「承知した。あなたが指名した人なら、必ずこちらへ寄越すよう取り計らいたい」と答えた。
すると、ゾルゲが口を挟んだ。「いや、私はあなたたち党内のことはよく分からない。誰を指名したらいいのか、あなた方にお任せする」
周恩来は賛成の意思表示をし、笑って応じた。ゾルゲは感謝の言葉を連発し、喜んだ。回想録によれば、周恩来はこの後、日中関係や中国の政治情勢を話し、張を残して立ち去った。ゾルゲは助手の呉照高を呼び出し、張を紹介すると、仕事の話に入り、二人が仮の夫婦を装って家を借り、組織を運営するよう指示したという。
■ソ連と中国共産党指導部の伝達役を担う
張がゾルゲから最初に与えられた仕事は新聞を読むことで、十数紙から国民党の軍事、政治、経済の情報を集め、自分の判断や分析を加え、報告にまとめた。他の仲間が英語に翻訳し、暗号化してモスクワに送った。
アレクセーエフは、ゾルゲと周恩来が最初に会ったのは、ホテルでの面会の二カ月前とみている。コミンテルン執行委のピャトニツキー委員長は三一年七月三日付で軍情報本部のベルジン本部長に書簡を送り、中国共産党指導部を早期に復活させる必要があるとし、
「周恩来らが早急に支配地区に移動し、政治局として活動するよう上海の諜報部に伝えてほしい。移動が危険な場合、周恩来らはモスクワ経由で行くことも可能だ。あらゆる手段を使って彼らを保護するようゾルゲに依頼する」と要請した。(『あなたのラムゼイ』)
ピャトニツキーは、ドイツでゾルゲをコミンテルン本部に勧誘した人物。コミンテルンは中国共産党指導部の再建を重視しており、ゾルゲがメッセージの伝達役だった。アレクセーエフは「コミンテルンが勧告した中国共産党の政治局候補リストと、実際の人事はやや異なっていた。ゾルゲが自分でリストに修正を加えた可能性がある」と推測している。
■ソ連に育てられた中国が、ロシアの兄貴分になるとは
周恩来はゾルゲとの面会後、江西省瑞金に移動して毛沢東、朱徳らと合流。十一月に「中華ソビエト共和国臨時政府」を発足させる。張は数年後、陝西省延安で周恩来と再会した際、上海でのゾルゲ機関の活動を報告したという。
ゾルゲ機関を手伝った張は一九〇三年湖北省生まれの古参党員。後に娘二人が毛沢東の長男・毛岸英、次男・毛岸青と結婚したことで知られる。回想録の出版前に九十八歳で死去した。
ソ連はコミンテルンを通じて中国の共産主義運動を支援し、中国共産党は国共内戦の勝利を経て、四九年に中華人民共和国を建国した。その四十二年後、育ての親のソ連共産党は消滅したのに、中国共産党が今日、党員数九千九百万人を擁する世界最大級の政党になったのは皮肉だ。当初はソ連が中国の圧倒的な兄貴分だったが、現在は国力逆転で、ロシアが中国の弟分になった。
ゾルゲと中国知識人の関係では、中国革命の元老で、党の諜報工作に携わった著名学者、陳翰笙との交流が知られる。
中国のゾルゲ研究家、楊国光の『ゾルゲ、上海に潜入ス』によると、上海にいた陳翰笙はスメドレーの紹介でゾルゲと知り合い、進歩的人士が集まるサロンで交流した。このサロンには、仙台に留学し、著名作家になった医師の魯迅や、北京大学学長として大学改革を進めた蔡元培らも参加していた。
■ゾルゲは「西安事件」にも関与していた?
陳翰笙の回顧録によれば、ゾルゲは陳と知り合った後、誰か信頼できる中国の若者を紹介してくれるよう頼んだ。後に経済学者になる孫冶方を紹介すると、最初の面会で孫がロシア語で話し掛けたため、ゾルゲは何も言わずに立ち去ったという。ゾルゲは公の場ではドイツ語と英語しか使わず、ロシア語は使わないようにしていた。孫の対応に警戒し、もう孫には会わないと陳に伝えたという。
陳は三二年二月、ゾルゲの西安行きに同行した。ゾルゲは西安で、四年後の西安事件で張学良とともに蒋介石を監禁する西安事件の立役者で軍閥指導者の楊虎城将軍と面会した。
ゾルゲは楊と接触することで、西安事件につながる根回しを図ったかもしれない。陳は会談に同席せず、ゾルゲが何のために楊と会ったのか尋ねなかった。陳は「これが秘密工作のルール」としている。
蒋介石を一時監禁した張学良と楊虎城は後に反逆罪で蒋介石政権に逮捕され、楊は戦後処刑された。張は国民党政権とともに台湾に移送され、四十年以上軟禁された。台湾の民主化後、ハワイに移住して百歳で死去するが、西安事件の真相は死ぬまで明かさなかった。
■ゾルゲを凌ぐ3児の主婦スパイ
ゾルゲが上海でリクルートした大物女性スパイが、ユダヤ系ドイツ人のウルズラ・クチンスキーだ。彼女は上海でゾルゲと出会い、ゾルゲに魅了されて助手兼愛人になった。ゾルゲの推薦でモスクワのソ連軍情報本部でスパイ研修を受け、大戦中は英国で活動。三児の母を隠れ蓑に、欧米の核物理学者に接近して原爆開発情報の入手で活躍し、ソ連原爆開発の立役者の一人となった。ゾルゲが付けた暗号名は「ソーニャ」だった。
戦後、旧東独に住んだウルズラは『ソーニャ・レポート』という自伝を執筆。スパイ物のノンフィクションを得意とする英国のベストセラー作家、ベン・マッキンタイアーが二〇二〇年に出版した『エージェント・ソーニャ』(邦題『ソーニャ、ゾルゲが愛した工作員』)で一躍世界に知られた。
自伝によると、ベルリンの著名な左翼経済学者を父に持つウルズラは、ドイツ共産党に入党し、ドイツ人の左翼建築家と結婚。夫が上海で建築業の仕事を見つけ、一九三〇年に移住した。上海の左翼活動家と交流する中でスメドレーと知り合い、スメドレーが彼女をゾルゲに紹介した。
■「魅力的でハンサム、鮮やかな青い眼…」
ゾルゲは初対面のウルズラに情報活動への参加を求め、彼女は快諾した。ウルズラはゾルゲについて、「魅力的でハンサム。面長な顔、巻き毛の髪、顔には深い皺が刻まれ、鮮やかな青い眼、形の良い口をしていた」と書いている。ゾルゲは伝令係として彼女を利用し、フランス租界に家を借りさせ、夫のいない時、エージェントとの会合場所に使った。家は機密文書の保管場所になった。
当初、彼女は妊娠していたが、出産後、ゾルゲは一緒にオートバイに乗らないかと誘った。
「私はオートバイに有頂天になり、もっと速く走るよう叫んだ。リヒャルトは思い切り飛ばした。止まった時、私は生まれ変わった気分になった。(中略)この後、私は困惑を感じなくなり、二人の会話は充実したものになった」(『ソーニャ・レポート』)
マッキンタイアーは「この心浮き立つバイクの遠乗り直後にふたりの関係がプラトニックでなくなったことを暗示しており、おそらく遠乗り当日の午後に、上海市外の農村地帯のどこかで一線を越えたのであろう」と書いている。
■「夫がいなければ利用価値はもっと高」い
ウルズラの家では週に一度、ゾルゲと中国人協力者らの会合が行われたが、彼女は同席しなかった。協力者は彼女に中国語を教える名目でやって来たという。
ウルズラの貢献や忠誠心を評価したゾルゲは帰国後の三三年、モスクワの本部に報告書を送り、情報機関に正式採用するよう推薦した。
「ドイツ共産党員で、上海で働く建築家の夫を持つ。上海では、協力者との連絡員として働いてもらった。夫の不在時に面会場所として自宅を提供し、不都合な文書を保管した。信頼でき、真面目な女性だが、経験や政治的視野は特にない。好感の持てる人物だが、夫がいなければ利用価値はもっと高く、さらに進化するだろう。秘書として他の国で利用できるかもしれない」(『あなたのラムゼイ』)
ゾルゲが三二年末に上海を離れると、二度と会うことはなかったが、ゾルゲの後任、カール・リムに呼び出され、「モスクワで訓練課程に参加する気はないか」と誘われた。
反ナチと社会主義への信奉で固まるウルズラは同意し、本部の訓練センターで半年間、無線技術や格闘術、破壊工作、爆発物の使用、外国語と歴史、地理を学び、マルクス・レーニン主義を叩きこまれた。
■ソ連軍情報機関で女性初の「大佐」に
研修終了後、夫と事実上別れ、子どもを連れたまま、上司の工作員と偽装結婚し、満州へ潜入。秘密工作に従事した。この工作員と関係ができ、二人目の子供が生まれた。その後、ポーランドやスイスでの活動を経て、英国人で年下の協力者と再び偽装結婚し、英国に渡った。
四二年夏、ウルズラはナチの弾圧を受けて英国に移住したドイツ出身の理論物理学者、クラウス・フックスと接触を開始した。フックスは四一年に始まった米英の原爆研究プロジェクトの中枢にいて、原爆製造の極秘情報をウルズラに流した。
フックスはウルズラの兄と同じドイツ共産党員として面識があったが、ウルズラの巧みな懐柔で打ち解け、進んで情報を提供した。フックスは四三年末に米国に渡り、前年に始まった秘密原爆開発「マンハッタン計画」に参画。ソ連側の担当官は軍情報本部からKGBの前身、GPU(国家政治保安部)に移り、原爆や水爆に関する国家機密がフックスを通じてソ連に筒抜けとなった。
ソ連は四三年から原爆開発を開始。米英での諜報活動が効を奏し、米国から四年遅れて四九年、初の原爆実験に成功した。
「ウルズラがモスクワへ伝えた情報のおかげで、ソ連の科学者たちはやがて独自の核爆弾を製造できるようになった」とマッキンタイアーは指摘する。彼女はソ連軍情報機関で女性として初めて、大佐の称号を得た。ウルズラは「ゾルゲ以上の『マスタースパイ』であった」(加藤哲郎、『ゾルゲ事件』)といえる。
■ゾルゲとウルズラの運命的な出会いがなければ…
フックスは戦後、ソ連の暗号を解読する米英共同研究、「ヴェノナ計画」によってスパイと見破られ、四九年、英防諜機関、MI5に逮捕された。自白後、十四年の懲役刑を終えて、東独のドレスデンに移住。ドレスデンの大学で核物理学の教鞭をとった。その際、接近してきた中国の研究者にも核技術を提供したとされる。
フックスは、「私は自分をスパイだと思ったことは一度もなかった。(中略)圧倒的な破壊力を持つ核兵器は、すべての大国が平等に利用できるようにすべき、というのが、私の考えだった」と回想する。(『ソーニャ、ゾルゲが愛した工作員』)
フックスは八八年に死去するが、その頃、KGBドレスデン支部で活動していたのがプーチン中佐だった。
ウルズラも戦後、米英の捜査を逃れて東独に移住した。スパイをやめて童話作家になり、自伝は七七年に書いた。二〇〇〇年七月、九十三歳で死去すると、大統領に就任したばかりのプーチンは、ウルズラを「軍情報機関のすぐれた工作員」と称え、友好勲章を授与する大統領令に署名した。ソ連の原爆開発は、ゾルゲとウルズラの運命的な出会いがなければ、もっと遅れたかもしれなかった。
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拓殖大学客員教授
1953年、岡山県生まれ。東京外国語大学ロシア語科卒。時事通信社に入社。バンコク、モスクワ、ワシントン各支局、外信部長、仙台支社長などを経て退社。2012年から拓殖大学海外事情研究所教授。国際教養大学特任教授。2022年4月から現職(非常勤)。著書に、『秘密資金の戦後政党史』(新潮選書)、『独裁者プーチン』(文春新書)、『ジョークで読む世界ウラ事情』(日経プレミア新書)などがある。
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(拓殖大学客員教授 名越 健郎)
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