モデルでは一番になれないと気づいた…だるま職人になった元パリピが「アマビエだるま」で起こした大逆転
プレジデントオンライン / 2025年1月2日 7時15分
■SNSで話題を集めた昔ながらのだるま店
群馬県と新潟県を繋ぐ国道18号線に面した「だるまのふるさと大門屋」(群馬県高崎市)。店に入るとピラミッドのように積み上がった赤いだるまがこちらを見ていた。さらに足を進めると、3人の若い女性グループが棚の前で立ち止まっていた。
視線の先には虹のようなグラデーションが特徴的な色鮮やかなだるまがあった。女性客たちは「きれい!」とうなずき合っていた。対面にあるテーブルには「アマビエだるま」が置いてある。長いまつ毛と紺色の瞳、背中のうす紫色が非常にポップだ。
カラフルな店内を見渡すと、うすいピンクの作務衣(さむえ)を着た女性が動き回っていた。茶色の髪の毛を後ろで1本にまとめ、爪にはレッドブラウンのネイル。モデルのような華やかさをまとっている。
仕事は丁寧で速い。にこやかに会話をしながらレジ打ちを終えたかと思えば、作業スペースに戻って席に着く。金色の塗料が染み込んだ筆先をパステルカラーのだるまの背中に滑らせていく。
数十秒で完成した2文字の女性の名前は書道家の作品のように凛々しかった。すると今度は店舗の奥に回り、数十人の観光客を率いるガイドと中国語で打ち合わせに入る。
■キラキラした雰囲気を醸し出す“だるま職人”
俳優にも、職人にも、商人にも見えるこの女性は、100年続く「だるまのふるさと大門屋」の5代目社長・中田千尋さんだ。
コロナ禍で4カ月売り上げゼロだった老舗だるま店を「アマビエだるま」で救い、これまでなかった新しいだるまを次々と生み出してきた。だるまの生産量はそのままに、会社の売り上げを2倍に増やした復活の立役者だった。
キラキラした雰囲気を持つ千尋さんは、かつては夜遊びに浸っていた過去もあり、修行がつらくて会社に行けなくなった経験がある。「主役として輝きたい」という強い想いを持ち、成功を掴んだ職人の道のりをたどる――。
千尋さんは1989年に「だるまのふるさと大門屋」の三女として生まれた。学校が終わると家には戻らず、同じ敷地内にある店で遊んでいた。
末っ子として家族や社員に可愛がられ、天真爛漫に育った千尋さんは小学校3年生の時に「これだ!」と思うものに出会う。
「遊園地でくじに当たったんですよ。当選者って名前を呼ばれて、前に出るじゃないですか。みんな祝ってくれるんですよね。拍手しながら「すごい、すごい」と。めちゃくちゃ気持ちよかったです。『もっとこういう経験をしたい!』と思いましたね」
まるで自分が主役になったような気持ちになった。この経験は千尋さんの心に深く刻み込まれた。
■大学に通いながら続けたモデルの仕事
高校を卒業した後は、共立女子大学の国際学部へ入学。大学には海外が好きな人やモデルやキャビンアテンダントを目指す人たちが多かったため、性格の明るい千尋さんは水を得た魚のようにいきいきとした大学生活を送り始める。
表参道から原宿を歩いていた時に声をかけられたことがきっかけで、女性ファッション誌でモデルとしてデビュー。仕事関係の友人も増え、パリピ街道を走り出した。
日中は大学に通いながらモデルの仕事をこなす。夜は銀座や六本木のクラブに通った。一晩中お酒を飲み歩き、始発電車で帰宅する生活を送っていた。自宅と逆方向の電車に乗り、気づいたら千葉の山奥にいたこともあった。
ふと立ち止まったのは大学3年生の時だった。
「モデルでは1番になれないとわかりました。ファッションのコーディネートはもちろんメイクの仕方、利き顔、撮られ方、ダイエット、自分を売るためのルートなどを考えて活動をしていたのですが……。いくら努力しても最強の美人には叶わない。無理だなと思いました」
■モデルでは一番になれない
自分らしさを発揮して、小学生の時に感じた主役になるにはどうしたらいいのか。千尋さんは考えを巡らせる。
キャビンアテンダントは? 熾烈な競争を勝ち抜かないといけない上に容姿や才能も必要だ。トップ層に食い込むのは難しそう。証券や金融の営業は? 成績で1位を取ったとしても継続できるかわからない。運の要素もある。結果を出し続けるのは厳しそう。
ひとりで壁打ちを続けた結果、思いついた。
「そうだ、だるまがある……」
だるま業界には若い職人も、女性も少ない。それに実家がだるま店だから技術も学びやすいはずだ。女性である自分が技術を身につければ目立つ。トップに立てるかもしれない――。新たな目標を見つけた千尋さんは、スパッと夜遊びをやめた。
友人たちがアメリカやヨーロッパを研究するゼミに進む中、日本文化のゼミを選択。「高崎だるまの変遷」というテーマで卒業論文を書き、2012年4月、実家へ戻った。
「勉強は苦手だったので、とりあえず文字数を埋めただけの卒論でした。ただ、『海外に販路を広げた方がいい』『キラキラしたものが好きだからラインストーンをつけただるまを作りたい』ということも書いていて。これ、どちらも実現しているんですよ。意外にいいことを考えていたんですよね(笑)」
■父の弟子になる
「大門屋に入らせてください」
「だめだ。どこかの会社で営業成績トップを取ったら認める」
大学を卒業した千尋さんは父の純一さんに弟子入りをお願いするも、すぐには認められなかった。代わりに課題を与えられた。
「とりあえず結果を出そう」と思い、宝石やアクセサリーを販売している高崎市内の貴金属店へ就職。パリピ時代の友人の伝手をたどって高級時計やジュエリーを販売し、半年でトップセールスに上り詰めた。
会社からの引き止めを振り切って退職。父親へ報告し、2013年9月1日より大門屋で働くことになった。手取りは20万円から12万円に激減。好きなブランドのアクセサリーや洋服はほとんど買えなくなった。
ただ、生活が一変してお金に苦しんでいる姿は会う人には見せたくない。これまで通りの姿で振る舞おうとした。
「外で会う人には大門屋の令嬢として見られるんですよ。幸運を招く縁起物を作る以上、お金に困っているような格好はできませんでした。アウトレットで70%オフになったフェラガモの靴を2万円で買って履いていました。あと、貴金属店を退職する時に社割で買った1カラットにも満たないリングをつけていましたね。食費も1日3食で1000円以内に抑えていました。つらかったですね」
■怒声を浴び続ける生活
入社した初日から父と娘の関係は師匠と弟子の関係に変わった。
「おはようございます」と挨拶すると「何しにきたんだ!」と返され、だるまの材料を取ろうとすると「触るな!」と怒鳴られた。怒声に怯んでいる暇はなかった。「20代を費やして30代にはトップになる」と誓っていた千尋さんはすぐに手を動かした。
職人として最初に身につける技術は、だるまの下部にヘッタと呼ばれる円形の重しをつけること。見よう見まねで取り組んだが「汚い!」と一蹴された。
「早く覚えないと……」
だるま職人として一通りの仕事ができるまでには少なくても5年がかかると言われている。早く一人前になるために、千尋さんは“スポ根的”な発想で作業時間を約2倍に増やした。
「仕事の時間って8時から17時までなんです。わたしは店の隣にある家に住んでいました。終業後に1時間で食事などの生活に必要な最低限のことを済ませて、18時から23時まで練習すれば早く上達できると思ったんです。1カ月で150時間。1年続けるとかなりの積み重ねになります。希望が見えますよね」
終業後は誰も作業をしていない。「見本がなくても練習はできるんですか?」と聞くと独特な方法を教えてくれた。
「わたしは目で見たものを写真のようにスクショできるんですよ。父や他の人が作ったものを記憶して、その再現を目指して試行錯誤していました」
■過呼吸、円形脱毛症、うつ
だるまに打ち込むだけの生活は、じわじわと千尋さんの心身を蝕(むしば)んでいった。
2015年ごろ、身体には蕁麻疹(じんましん)が浮き上がり、急に心拍数が上昇して息ができなくなる過呼吸の症状も現れた。いつの間にか後頭部に「10円ハゲ」が二つできていた。
「さすがにマズイなと思ったが、目標を達成するためには、誰よりもだるまと向き合わなければならない。病院には行かず、誰にも症状を告げなかった。
しかし、症状は重くなる一方だった。
視界に黒い雪がちらつき、友人に相談すると「休んだ方がいいよ」と言われて、体が限界を迎えていることを自覚した。職場に行けなくなり、家でぼんやりと過ごすようになった。
それから2カ月ほど経ったある日、心配した純一さんから声がかかる。
「台湾から3人の女の子のホームステイを受け入れる。英語で通訳しながら日本を案内してまわってくれ」
■自信を取り戻すきっかけ
純一さんの言う「女の子たち」とは数年前に家族旅行で大門屋を訪れたことのある中学生くらいの姉妹だ。大門屋で買い物をした時に、高崎駅まで純一さんが車で送迎し、それ以来、台湾に住む家族たちと交流を重ねてきた。ただし、千尋さんとの面識はない。
純一さんは千尋さんの状態を見て「何かしらの気晴らしをさせる必要がある」と考えて、案内を依頼したのだった。
この気遣いは、遊びが好きな千尋さんにピタリとハマる。富士急ハイランドなどに行き、英語でやり取りをしながら、一緒に観光地も回った。
「2カ月くらいだったんですけど、外に出てるとだんだん元気になったんですよね。英語もめちゃくちゃ上達しました。文法はあまりわからないけど、音を覚えて再現するのは得意なんです。日常会話くらいは問題なくできるようになりました」
エネルギーを充塡(じゅうてん)し、自信を取り戻した千尋さんは2015年の終わりごろに大門屋に戻る。ここから徐々に上昇気流に乗り始める。
■台湾での成功体験
2017年の夏、純一さんから初めての仕事を命じられた。それは台湾のお寺でのだるま販売会だ。純一さんは2013年ごろから高崎だるまの販路を海外に広げようと、台湾での絵付け体験や販売会を開いてきた。この仕事を千尋さんが任されることになった。
場所は台湾東部にある慶修院という寺院。「予約していた新幹線のチケットがなぜか取れていないというトラブルがあったり、30℃を超えた屋外のイベントでめちゃくちゃ暑かったり、サバイバルって感じでした」と振り返る。
「1日に200人くらいは来たんじゃないかな。売り上げは父の3倍以上でした。現地での取材もお寺さんがメディアにかけ合ってくれたようで10社受けましたよ。父の元を離れてのびのびと仕事ができて、売り上げも立つ。どんどん海外に行きたいと思いました」
台湾での成功体験をつかんだ千尋さんは中国語の勉強を始めた。群馬県内に住む台湾の人たちの交流団体「群馬県台湾総会」に相談し、語学講師を紹介してもらった。2週間に1回、2時間のレッスンを半年間受けた。
「仕事に必要なことを1冊のノートにまとめて、『これを話せるようになりたいです』ってお願いしました。日本語の文章に漢字を書いてもらい、読み方を教えてもらって、後は再現できるように練習。音を覚えるのとマネをするのは得意なので、半年間で中国語ーー仕事や日常会話に必要な北京語が話せるようになったんです」
■コロナ禍のピンチ
職人としての力量をつけ、海外出張でも販売実績を挙げ続ける千尋さんは大門屋でも存在感を増していく。純一さんとの口論も多く、会話を交わすと喧嘩になるため、従業員を介してコミュニケーションを取る機会が増えた。
大きな転機が訪れたのは2020年1月。横浜港に停泊した大型クルーズ船で、新型コロナウイルスの集団感染が起きた。テレビで流れていたこのニュースを見た時、千尋さんは悪い予感がした。
「うちって絵付け体験に海外から1万人が来るんですよ。終わったなと思いました」
その予感は現実のものになった。
1月から3月までの売り上げはほとんどゼロだった。一般的な企業であれば材料の仕入れをストップして出血を抑える。しかし大門屋は逆の方策を採っていた。「仕入れ先を潰すわけにはいかない」と考えた純一さんが仕入れ量を通常の2倍に増やした。
「こんなに増やして何やってんの!!」
千尋さんが純一さんに問いただすと、怒り交じりの言葉が返ってきた。
「その言葉遣いは何だ!どうにかしろ」
「どうにかすると言ったって……」
窓から外を眺めると店の前の国道には車が1台も通っていなかった。
■「アマビエだるま」に躊躇した
それでも対策を考えなければいけない。その時、千尋さんの頭の中に浮かんだのはニュースやSNSで見かけるようになった疫病を封じる妖怪「アマビエ」だった。
調べてみると「アマビエだるま」を作っているのは1~2社で、大門屋より規模の小さい高崎だるまの店だった。このタイミングで大がかりな製造・販売を始めるとほかの店の利益を圧迫してしまう恐れがある。それだけは避けたかった。
それに大門屋は高崎だるまの最大手でもある。伝統を破ってまでだるまを作っていいのかも判断がつかない。踏ん切りはつかなかった。
コロナ禍の収まる気配はなく、売り上げゼロの状態が5カ月目を迎えようとしていた。電気代を節約するため店内の明かりを落とし、薄暗い状態で店を開けていた。
崖っぷちだった2020年の5月上旬。インスタグラムのフォロワーからのダイレクトメッセージが相次いだ。
「千尋さんのデザインしたアマビエだるまを買いたいです」
この頃、アマビエだるまは既にブームとなり、新聞やニュースを連日賑(にぎ)わせていた。もし大門屋が作ったとしても後発の立場となる。そう考えると他の店舗の利益への影響は大きくないはずだ。それに声をかけてくれたお客さまの要望には応えたい。
千尋さんは覚悟を決めた。
■父に内緒で作り始めた
「うちがやる以上、中途半端なものは作れない。勝つか負けるかの勝負だ。ぶっちぎりのデザインにしよう!」
早速、商品を考えていく。他のメーカーが作るアマビエだるまより可愛らしさを前面に打ち出すことにした。どうやってかわいいだるまを作ろう? アイデアの糸口を探っていると、一つの出来事を思い出した。
「わたしには姪っ子がいるんですよ。その子にパステルカラーのユニコーンのぬいぐるみを渡したことがあったんですね。イギリスに出張した時のお土産なんですが、すごく喜んでくれて。その色を使おうと決めたんです。考えてから数日で作りました」
アマビエだるまの製作・販売は"秘密裏"に行われた。
伝統工芸士の資格を持つ父にバレると絶対に怒られる。そう思った千尋さんはインスタグラムで発注を受けて、発送し、こっそりとレジを打ってお金を入れた。
アマビエだるまを求める声は予想以上に多く、日に日に注文は増えていった。注文に応えるために次から次へと作る。工房には色鮮やかでファンシーな世界が広がった。
この状況でアマビエだるまが父にバレないはずがない。ある日、異様な光景に限界を感じた純一さんは、千尋さんの胸ぐらを掴み、声を荒げた。
「ここを潰す気か!」
■月3000個が売れるヒット作に
高崎だるまの特徴は、鶴を表現したまゆげ、亀を表現した口ヒゲ、それと目にある。日本の吉祥を顔に表現していることから、福だるま、縁起だるまと呼ばれている。それを変えるのは伝統や歴史に背くことを意味する。県内有数の高崎だるまの伝統工芸士として、純一さんはアマビエだるまの製作を許せなかった。
しかし、千尋さんも懸念点についてはシミュレーション済み。毅然と反論した。
「大門屋を潰すか、アマビエを売るか。どちらかしかないでしょ! どっちを選ぶの!」
言葉の意図を理解した純一さんは手を離し、無言で自分の持ち場へ戻った。
その後もアマビエだるまの製作にはノータッチだったが、ある日、増え続ける注文を見て、意を改めた。
「全員で作れ!」
こうしてアマビエだるまは大門屋の公式商品となった。注文は千尋さんの想定以上で、販売開始から1カ月で2000個売れた。さらに注文は増え続け、ついに9月には月間の販売数が3000個に達した。アマビエフィーバーは1年続き、大門屋は倒産の危機を脱出する。
6月から12月までの半年間で例年の2倍以上の売り上げにまでV字回復し、社員には大手企業並みのボーナスを支給することができた。
■ファッション性のある新しいだるま
アマビエだるまのヒットをきっかけに自信を深めた千尋さんは、新たな商品開発に乗り出す。その一つが「グラデーションだるま」だ。
ルイ・ヴィトンのバッグやスターバックスのタンブラーで見かける機会の多かったグラデーションカラーをだるまに採用。エアブラシを使うことで従来の筆塗りでは表現できないなめらかな階調性のある彩色を実現した。
ちなみに、グラデーションだるまには純一さんの筆で顔が描かれている。高崎だるまの一つと認められているようだ。
また、だるまが最も売れる年始に向けて、干支をモチーフにしただるまとアマビエだるまのセット商品も作った。2020年に数百個をお試しで販売するとたちまち完売。翌年からは新春プレミアムセットと名づけて、正式に商品化した(価格は2個で5000円)。
「お正月ってお金を使いたくなりますよね。でも、だるまは衣食住に当てはまらないので、1万円を超えるとキツイ。手取り12万の頃のわたしが特別な日に出せる金額を基準に考えました」
新春プレミアムセットはインスタで告知をする時にも工夫が施されている。なぜその色を使ったのか、どのように縁起がいいのか。デザインの意図や意味、風水を含めた縁起の担ぎ方が解説されている。
季節限定のカラーデザインを施しただるまも千尋さんが手がける人気商品だ。これも自身の体験が原点にある。
「モデル時代から思っていたんですが、ディオールやティファニーのブランドって限定商品が多いんですよ。なので、春夏秋冬に関連した季節限定の商品を開発しました」
■伝統を守るための“値上げ”
和菓子のように旬を意識した四季折々のだるまは多岐に渡る。春の夜桜、梅雨のアジサイ、秋のコスモス……。アマビエだるまには道明寺やレモンソーダをイメージしたデザインも作った。こうした限定品は国内外からのオファーも多く、売り出すとたちまち完売する人気商品になっている。
2023年5月1日、千尋さんは父から大門屋を継いだ。師匠と弟子の関係は、親子に戻ることはなくそのまま。それは千尋さんが5代目社長に就任する時の父とのやりとりにも現れている。
「社長になるとわかったのも就任の5日前なんですよね。父が取引先に配布するために作った「社長交代のお知らせ」の書類が手元に届いて、それを見て『社長になるんだ』と知ったんです(笑)」
社長に就任した千尋さんは以前から疑問に抱いていた価格の見直しに着手する。
店内の絵付け体験は入社時には550円だった。徐々に650円、800円と上げていたが、「200年培った技術を駆使しているのに安すぎる」と感じていたため、1500円に引き上げた。
■販売先にも、仕入れ先にも
だるまの販売先にも値上げ交渉を行った。
「『価格を2倍に上げてください』と国内外の販売先にお願いして回りました。入社した時から安すぎると思っていたんですよ。うちのだるまは伝統もあり、ブランド力もあり、デザインもいい。覚悟を持って交渉しました」
一方で、だるまの材料を仕入れている成形屋には仕入価格の値上げをお願いした。
「だるまの生地も伝統産業です。なくなるとうちも商品を作れなくなるので困ります。うちの値上は達成したので、仕入れ価格を倍にしてくださいとお願いしました。一度は断られたんですが……。2時間かけて受け入れてもらいました。だるまという縁起を担ぐ工芸品に携わってる以上、みんな儲かって、気持ちよく仕事に取り組んだ方がいいと思うんですよね」
すでにアマビエブームは落ち着いていたが、新商品の開発や価格の見直しの効果により大門屋の売り上げは下がらなかった。過去最大の売り上げを挙げたコロナ禍と比較して30%以上のペースで成長を続けている。
■「20代を捨てる代わりに30代でトップになる」
5代目社長として足場を固めた千尋さんは、2024年12月21日に大門屋初となる国内2店舗目「だるまのふるさと大門屋 Ikaho店」をオープンさせた。場所は、年間約116万人が訪れる伊香保温泉(群馬県)の新スポットとなる複合施設だ。
「父や社内にぶつけていたパワーが外側に向かっているんですよね」
推進力のある千尋さんは1番を目指すために、目の前の壁を乗り越えることで活躍の場を広げ続けてきた。それは自らがパフォーマンスをする場も同じだ。
「ほら、これ見てください」
差し出されたスマートフォンの画面では動画が再生されていた。
それは台湾で単独開催したポップアップストアのワンシーンだった。場所は、台北のランドマークタワー「台北101」の隣にある新光三越の6階。台湾の人にぐるりと囲まれた千尋さんが赤いだるまに筆を入れている。
パフォーマンスが終わった後、だるまを購入する人が次から次へと押し寄せた。閉店まで休みなくだるまの背中に文字を描き続けたそうだ。
この単独ポップストアは好評で、新光三越の担当者から新たなオファーが届いた。
「2025年の1月25日から新光三越の1階でポップアップストアを開きます。春節に向けた大事なイベントです。テスラストアの目の前で業界最大サイズの74センチのだるまへ筆入れもします!」
目を輝かせて語る千尋さんは大舞台での挑戦に喜びを抑えきれない様子だった。
「20代を捨てる代わりに30代でトップになる」と決意して12年。どん底を経験したパリピは自分にスポットライトが当たる舞台にたどり着いた。周りに競争相手はいない。独壇場のパーティーがこれから始まる。
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フリーライター
1989年生まれ。グルメ・テック・Webエンタメに関わるヒト・モノ・コトの魅力を深掘りするライターとして活動を行う。メーカー勤務10年を経て独立。群馬県在住。
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(フリーライター 中 たんぺい)
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