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これがあるから「源氏物語」を読破できない…直木賞作家が現代語訳に際し大胆にオールカットした「頻出古語」

プレジデントオンライン / 2024年12月29日 8時15分

角田光代さん(写真右)と山本淳子さん(写真左) - 撮影=KIKUKO USUYAMA

NHK大河ドラマ「光る君へ」で注目された紫式部と、彼女の遺した長編小説『源氏物語』。その全54帖を現代語訳した直木賞作家の角田光代さんと、平安文学研究者の山本淳子さんが対談し、紫式部の生きた時代から千年後の今、同じ女性として文学に携わる者として『源氏物語』について語る――。

※本稿は、角田光代・山本淳子『いま読む『源氏物語』』(河出新書)の一部を再編集したものです。

■直木賞作家・角田光代が『源氏物語』全訳に挑戦したワケ

【山本】角田さんが『源氏物語』の現代語訳(河出文庫・全8巻)を始められたきっかけをうかがってもよろしいですか?

【角田】実はですね、恥ずかしいことに、私は古典も『源氏物語』もまったく興味がなくてですね。池澤夏樹さんが個人編集される「日本文学全集」シリーズがあって、古典は『古事記』から始まって、名だたる名作を現代の作家に訳させるという企画なんですけれども、河出書房新社の編集の方が会いに来たとき、「こういうラインナップになっています」と作品と訳者の組み合わせがもう決めてあったんですね。自分の名前を見たら『源氏物語』と書いてあったので、どうしようかと内心慌ててしまいました。

でも私は池澤夏樹さんの大ファンなので断るという選択肢がなくて、まったく自信もないままに引き受けたんですね。それが2013年だったんですけれども、そのときはまだ連載がいっぱいあって、すぐには取りかかれなかったんです。

ただ、それまで私は『源氏物語』を終わりまで通して読んだことがなかったので、これを機にきちんと読もうと思いました。ところが非常に読みにくいんですよね。どうしようかと困ってしまって。そのときに最初に読んだのが山本先生の『平安人(へいあんびと)の心で「源氏物語」を読む』です。この本が本当におもしろくて、『源氏物語』ってこんなにおもしろいのか、これなら私も頑張れるかもしれないと思いました。そういうわけで、山本先生は最初に私の背中を押してくださった方です。

【山本】ありがとうございます。そういうお助けができたのだったら、すごく嬉しいです。現代語訳はどういう方針でなされたのですか?

■『源氏物語』読破の落ちこぼれ組でも読めるように大胆な決断を

【角田】『源氏物語』の訳はもういっぱいあるじゃないですか。錚々(そうそう)たる作家の方々のいろんな訳がすでにあるので、私がやらなくてもいいじゃないかと思ったんですよね。でも、私がやらなくてもいいじゃないかということは、今までとは違う何かをやらなくてはいけないということ。

そう考えたときに、立派な訳がいっぱいあるけれども、ガーッと読めるような格式が低い訳はないと思ったんですね。実際に私自身、『源氏物語』に何度もトライしては落ちこぼれてきた経験があるので、そういう落ちこぼれ組でもガーッと読めるような訳にしたいと思って、とにかくわかりやすさを目指しました。

本当はやってはいけないことだし、研究者の方々はお怒りになるんじゃないかと思うんですけど、私は敬語を全部抜いてしまったんです。『源氏物語』は敬語がとても重要な作品ですよね。

【山本】そこなんです。私は本当に驚いて、今、学生にも一般の方にも角田さんの現代語訳をお薦めしています。

■研究者も驚いた「全ての敬語をカットした」角田訳

【山本】角田さんの現代語訳、冒頭はこうですね。「いつの帝(みかど)の御時(おんとき)だったでしょうか――。」冒頭は「ですます調」の敬語表現ですが、このあとから変わります。

その昔、帝に深く愛されている女がいた。宮廷では身分の高い者からそうでもない者まで、幾人もの女たちがそれぞれに部屋を与えられ、帝に仕えていた。
帝の深い寵愛を受けたこの女は、高い家柄の出身ではなく、自身の位も、女御より劣る更衣であった。女に与えられた部屋は桐壺という。(「桐壺」)。

普通の小説のようにさくさくと読めて、作品世界のなかに入っていけます。普通の現代語訳だったら、「女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」を、「女御や更衣といったお妃様がたくさんお仕え申していらっしゃったなかに、最高の家柄ではなくて帝の深いご寵愛を受けていらっしゃる方がいました」というふうに訳しますね。

〈候ふ〉〈給ふ〉〈奉る〉などの語にしたがって、現代語まで〈お仕えする〉〈なさる〉〈さしあげる〉といった敬語のオンパレードになるので、読んでいてわけがわからなくなることが多いんです。でも角田さんの訳はすっとわかる。ストーリーがいちばん入ってくる訳です。

角田光代訳「源氏物語」全8巻(河出文庫)
提供=河出書房新社
角田光代訳「源氏物語」全8巻(河出文庫) - 提供=河出書房新社

■高校の授業で古文の文法を教えると、生徒が寝てしまっていた

【角田】ありがとうございます。お叱りを受けなくてよかったです(笑)。

【山本】いえいえ(笑)。私も現代語訳をしますが、自分なりの意訳で、そのままテストの解答欄に書いてしまう高校生や受験生がいたら困るので、「これはテストには書かないでください」という意味で、「大意」と呼ぶことにしています。

私は以前、高校の教壇に立っていましたが、テストの解答欄に書けること、つまり文法に忠実なことを教えていると、あちこちで生徒が眠ってしまうんですね。「み・み・みる・みる・みれ・みよ(上一段活用)」なんて教えていると、スゥッと寝息が返ってくる。それよりも「紫式部はお餅を食べていたんですよ」という話をすると、生徒の目が輝くんです。ですから角田訳のようにストレートに「その昔、帝に深く愛されている女がいた」と言われると、みんなすいすいと読めるだろうなと思います。ありがとうございます、この現代語訳を書いてくださって。

『源氏物語絵巻「竹河」』12世紀、徳川美術館蔵
『源氏物語絵巻「竹河」』12世紀、徳川美術館蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

【角田】あたたかいお言葉をありがとうございます。

■千年前、紫式部はどのようにして『源氏物語』を成立させたのか

【角田】私は訳しながらすごく不思議に思ったことがあります。紫式部はこんなに長い物語、こんなに複雑に入り組んだ人間関係を、紙が豊富にあるわけではない時代に、どのようにして整理して書いたのか。たとえば第22帖に出てくる玉鬘(たまかずら)が、実は第4帖で語られていたというようなことがよくあります。

【山本】『源氏物語』がどのように成立していったかということは、本当にわからないんですね。いちばん極端なことを申しますと、紫式部の書いた原稿はもう伝わっていません。今残っている写本の文章は、紫式部が書いたものという保証はないんです。

加えて、いつどういう順番で書いていったのかということも、彼女自身が証言していないのでわからない。

土佐光起筆 紫式部図(一部)
土佐光起筆 紫式部図(一部)(画像=石山寺蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■夫を亡くした紫式部は絶望し、人生を見つめながら物語を書いた

【山本】でも客観的な証拠で言うと、1008年11月1日の敦成(あつひら)親王誕生50日のパーティーで、ある貴族が「このわたりに若紫(わかむらさき)やさぶらふ」と紫式部を呼んでいます。パーティー会場の入口から「このあたりに若紫さんはお控えかな」と、紫式部を探しているんですね。ですから1008年には「若紫」の帖が書かれていて、貴族にも読まれていたということは確実です。

紫式部がそのパーティー会場にいたのは、藤原道長にスカウトされてお后(きさき)の彰子(しょうし/あきこ)に侍女として仕えていたからです。紫式部が彰子に仕え始めたのが1005年12月29日ということはわかっています。ですから1005年の年末までには『源氏物語』の習作を自宅で書いていたものと思います。

では、どこまで起筆を遡ることができるか。紫式部の夫が亡くなったのが1001年4月25日です。紫式部が詠んでいる和歌からみて、彼女は夫が亡くなって絶望し、人生というものを深く考えるようになりました。ですから1001年から1005年にかけての4年間で、彼女は現実から逃避して物語という虚構のなかに逃げ込みつつ、そこで自分の人生を検証するような執筆活動を始めて、その物語が口コミで広がったんだろうというふうに私は考えています。

■不自由な社会で、苦しみの中から「心」を発見した紫式部

【角田】おもしろいですよね。山本先生のご著書に、『源氏物語』は「世」と「身」がキーワードであるとありました。「世」=社会、「身」=身体、どちらにも限りがあるということなんですけれども、紫式部は夫の死に立ち会って、その苦しみから「心」というものを発見した。

「心」は「世」にも「身」にも縛られないものであるという発見があったから、紫式部は創作に入ったのではないか。そう山本先生は書かれていましたよね。すごくスリリングで興味深かったです。

【山本】紫式部には、『紫式部集』という和歌集があります。

めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に 雲がくれにし 夜半の月かな

紫式部が娘時代に親友と交わした和歌です。当時の紫式部は元気な女の子でしたが、まもなくこの親友が亡くなってしまう。その後、紫式部は結婚したけれども、夫もたった3年で亡くなってしまう。そこから紫式部の人格が変わっていくのを和歌に読みとることができます。

角田光代・山本淳子『いま読む『源氏物語』』(河出新書)
角田光代・山本淳子『いま読む『源氏物語』』(河出新書)

夫の死後、「世」=「社会」「時代」「世間」を見つめるようになった紫式部は、その「世」のなかで生きる私という「身」=「身体」「身分」「身の上」に絶望する。ところが、その絶望の底で「心」というものを発見します。「心」はどんなに虐げられた身の上であってもいつのまにか慣れて笑ったりするものなのだ、どんな「身」にも順応するものなのだ、と紫式部は詠んでいます。

ところが一方では、そうはいっても「心」は「身」に順(まつろ)う(従う)だけでもない、とも詠んでいます。「心」は煩悩や欲望を抱き始めて、「こんな身の上では嫌だ」と言い出したり自分を苛(さいな)んだりするものだ、と考えを深めていきます。

そこまで深い人間洞察をし始めたときに紫式部は、子どもを抱えながら自分はこれからどうやって生きていこうかと思い悩み、苦しみから逃げるようにしてもうひとつの世界を想像して、そこに自分の「心」を全部投入していったのだと考えます。

■天皇や后に愛読された「源氏物語」は、下級貴族のあこがれだった

【山本】『源氏物語』は当初、后である彰子のために書き始められました。天皇家や政界トップの人々など、貴族を中心に人気を得ていました。また彰子は物語の豪華な本を作らせて、それを一条天皇と一緒に読むということもしています。これは『源氏物語』の新作でしょう。『源氏物語』は高い身分と教養を持った人々に愛好されました。

1020年頃になると、『更級日記』の作者の菅原孝標女(すがわらたかすえのむすめ)は、義母や姉が『源氏物語』のストーリーを暗記していたと書き残しています。菅原孝標女は父の赴任先である上総(現在の千葉県)にいて物語に枯渇していましたが、そんな彼女に「こんな話があるのよ」と義母や姉が『源氏物語』を語って聞かせる。口伝えでストーリーが広まっているんですね。

藤原定家筆『更科日記』
『更科日記』、鎌倉時代(皇居三の丸尚蔵館蔵)ColBaseを一部加工して作成

やがて菅原孝標女は父の転勤とともに京都に戻り、本物の『源氏物語』を手に入れます。するととたんに没入してしまって、その喜びを「后の位も何にかはせむ」(后の位も、この読書の喜びに比べたら何でもない)と書いています。『源氏物語』は、まだ10代の中流貴族の娘の心も鷲づかみにしたのです。

当時、文芸のなかでも物語というジャンルはランクの低いものでした。いちばん高いのは漢詩文。女性が参加できるものは上から、和歌、日記、エッセイなどの実録物。架空の話である物語は最低ランクだったのですね。でも最低ランクであるはずの『源氏物語』が、天皇や后も愛読する貴族文化の宝物として伝えられていく。あるいは菅原孝標女が、私は夕顔になりたい、やっぱり浮舟も素敵だ、と記しているように、読者が自分を重ねて親しむ。両方の熱狂的な読者によって千年の間、支えられてきたのだと思います。

■光源氏の妻・紫の上の後悔は、紫式部の気持ちを代弁しているのか

【角田】『源氏物語』は、読み手がいかようにも解釈できるところがあるように思います。

【山本】そうですね。フェミニズム的な観点に関連してお話ししますと、光源氏に引き取られて彼好みに育てられた若紫が、大人の「紫の上」として人生のほぼ最後のときになって、自分の心の内を長々と振り返る場面があります。やりたいこともできず、言いたいことも言えず、こんなふうに生きてきて、私の人生にどんな楽しいことがあったのだろうか、と紫の上は思うんですね。

これに対して、江戸時代後期、国学者が「これは紫の上の言葉だけれども、作者である紫式部の言葉なのだ」と注釈をつけているのです。江戸時代も男尊女卑が激しく、彼はそうした社会のあり方に意識が働いていて、自分と同じ問題意識を『源氏物語』のなかに見つけたわけですね。

【角田】おもしろいですね。

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角田 光代(かくた・みつよ)
作家
1967年、神奈川県生まれ。90年『幸福な遊戯』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。2003年『空中庭園』で婦人公論文芸賞、05年『対岸の彼女』で直木賞、06年『ロック母』で川端康成文学賞、07年『八日目の蝉』で中央公論文芸賞を受賞するなど受賞歴多数。肉食偏愛の旅好きとしてもつとに有名で、食や旅にまつわるエッセイも多数執筆している。『源氏物語』の現代語訳(河出文庫)で読売文学賞を受賞。近刊に『方舟を燃やす』(新潮社)などがある。

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山本 淳子(やまもと・じゅんこ)
京都先端科学大学人文学部 教授
1960年、金沢市生まれ。平安文学研究者。京都大学文学部卒業。石川県立金沢辰巳丘高校教諭などを経て、99年、京都大学大学院人間・環境学研究科修了、博士号取得(人間・環境学)。2007年、『源氏物語の時代』(朝日選書)で第29回サントリー学芸賞受賞。15年、『平安人の心で「源氏物語」を読む』(朝日選書)で第3回古代歴史文化賞優秀作品賞受賞。選定委員に「登場人物たちの背景にある社会について、歴史学的にみて的確で、(中略)読者に源氏物語を読みたくなるきっかけを与える」と評された。各メディアで平安文学を解説。著書に『紫式部ひとり語り』(角川ソフィア文庫)、『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか』(朝日選書)などがある。

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(作家 角田 光代、京都先端科学大学人文学部 教授 山本 淳子)

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