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「義実家で過ごす時間」はなぜこんなに辛いのか…年末年始に襲ってくる「帰省ブルー」の"諸悪の根源"

プレジデントオンライン / 2024年12月29日 16時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Farknot_Architect

■年末年始にやってくる地獄のような時間

今の季節、「もういくつ寝ると……」という感じでウキウキしている方も多いだろうが、世の中はそういう人だけとは限らない。

「ああ、今年もまたあの地獄のような時間を過ごさないといけないのか……」と憂鬱になっている方もかなりいらっしゃるのだ。

正月休みに実家に帰省して、家族と過ごすことにストレスや不快な気持ちに襲われてしまう、いわゆる「帰省ブルー」の人々である。

その中でも、心の底からゲンナリとしているのが、「夫の実家に帰省する」という妻、もしくは「妻の実家に帰省する」という夫だ。

独身の帰省ブルーは「そろそろ結婚しないのか」「付き合っている人はいるの?」なんて根掘り葉掘り聞かれてウザいということもあるが、言っても「実の親」だ。ウザいことは幼い頃からよく知っているし、対処法もそれなりにわかっている。耐えられなければ、家から飛び出して地元の友人らと遊びに行くなど「緊急避難先」がある。

■6割以上の女性が「義実家への帰省は憂鬱」

しかし、配偶者の実家へ帰省した人の場合そうもいかない。しかも、義家族とウマが合わなかった場合は最悪だ。実家でリラックスする夫や妻を尻目に、「他人」に囲まれてピリついた空気の中、嫌味や陰口などの「心理戦」にたった一人で耐えないといけない。

実際、株式会社greedenは、1001人の妻を対象に調査をしたところ、「義理の実家に帰省することは憂鬱」だと思う妻は65.4%もいた。

こういう「帰省ブルー」の話になると必ず出てくるのが、「甘ったれている」「1年に1回くらい、義理の実家に行って親孝行するくらい嫁として当然だ」などの批判だ。実際、ネットやSNSで帰省ブルーの悩みを抱えている方は、周囲からそのようなことを言われて苦しんでいる。

ただ、筆者に言わせれば、「帰省ブルー」というのは、現代社会を生きる人として、極めて自然な感情である。

「家族」というものは確かにかけがえのないの存在ではあるが、一方で現代人を苦しめる牢獄のようなところがある。ゆえに、「家族」という枠組みに執着して、個人の意志を握りつぶすようなことをすると、アカの他人に感じる以上の激しい憎悪が生まれてしまうからだ。

■親子、夫婦関係に強い憎悪が潜んでいる

わかりやすいのは「殺人」である。

ご存じの方も多いだろうが、実は日本人の殺人で最も多いのは「親族間」である。令和6年の警察白書の「殺人の被疑者と被害者の関係別検挙状況」で最も多いのは「親族」で40.4%である。ニュースやワイドショーで大きく報じられる「交際相手」(12.4%)や「面識なし」(13.5%)に比べると圧倒的に多い。

【図表1】殺人の被疑者と被害者の関係
令和6年警察白書より

さらに、この「親族殺人」の詳しい内訳を見れば、もっと驚く。被疑者から見て最も多いのは「親」(33.7%)で次いで「配偶者」(32.2%)となっている。それはつまり裏を返せば、実はこの日本社会の中で、「殺人に発展するほどの強い憎悪」が潜んでいるのは、「親子」「夫妻」という人間関係の中が最も多いということだ。

【図表2】親族間殺人の被疑者と被害者の関係
令和6年警察白書より

■「帰省ブルー」は自分を守る本能の結果

そんな一触即発の憎悪を内面に溜め込んでいる人々が、1年に1回「全員集合」をするのが、正月やお盆の帰省である。もちろん、仲良く一家団らんで過ごす人たちがほとんどだが、中には「久々に会ったけどやっぱりウザいな」「ああ、帰ってくるんじゃなかった」なんてギスギスする家族も少なくない。血のつながった親子ですらこうなのだ。

その家族とはもともと「他人」である妻や夫が、義家族に対してストレスを感じたり、どうも性格が合わないと拒否反応を示したりするのは、人として極めて自然の感情だ。

ちょっと見方を変えれば、「ブルー」になるのはいいことかもしれない。自分自身の防衛本能が「この調子で深い関係になると本格的な殺意が芽生えてくるので、あまり近づかないほうがいいですよ」と警告をしてくれている、とも考えられるのだ。

だから、もし「帰省ブルー」に本当に苦しんでいるという方は、パートナーに本音を打ち明けて、「申し訳ないけれど、あなたの実家に行くのは気が進まないので今年は一人で行ってくれる?」と相談すべきだろう。

と言うと、「それができないから苦労している」という声が聞こえてきそうだ。

■「ちょっとくらい我慢してよ」と言う夫たち

確かに、ネットやSNSでは「帰省ブルー」に悩む妻たちの声が多く寄せられており、それによれば自分の気持ちをいくら伝えても夫は「ちょっとくらい我慢してよ」「結婚したんだからうちの家族とも仲良くやるのは当然だろ」とまったく取り合ってくれないという。

ただ、実はこの問題は帰省や義家族がどうこうという話ではなく、ごくシンプルに「妻に依存しすぎる夫」が諸悪の根源である。

日本の夫は諸外国の夫に比べて、家事や育児をしない。男女共同参画白書の「男女別に見た生活時間 (週全体平均)(1日当たり、国際比較)」を見ると、家事や育児という「無償労働時間」の男女比が欧米では概ね1.3〜1.8のところ、日本は5.5と異常に大きくなっている。よく一部の日本人が「あそこの国はものすごい男尊女卑社会だから」なんて下に見ることの多い韓国ですら4.4である。

【図表3】男女別に見た生活時間(週全体平均)(1日当たり、国際比較)
「令和4年版 男女共同参画白書」より

つまり、日本の夫というのは、口では「うちは共働きなので家事や育児を妻と分担しています」とイクメンぶる人も増えてきたが、それはたまにオムツを変えるとか、買い物に付き合うとかいう程度で、実際のところはほとんど妻におんぶに抱っこなのだ。

■本質的には「妻依存の強い夫ブルー」

このように世界的にも珍しいほどの「妻依存の強い夫」が正月やお盆に帰省をするのだから、「絶対に妻を同伴する」となるのは当然ではないか。

一人で実家に帰省をすれば、さすがにただコタツで寝てるわけにもいかない。正月のおせち料理づくりや老いた両親のサポートもしなくてはいけない。しかし、そもそも自分では家事などやらないし、やりたくない。

子どもたちを連れて行ったら、あれやこれと面倒を見なくてはいけない。幼い子どもの場合はなにかと手もかかるが、こちらも育児をサボってきたので、一人では自信がない。

つまり、「帰省ブルー」を訴える妻の願いを無視して「うちの家族とも仲良くしてくれよ」と強引に帰省に同伴させる夫の本音は「オレの代わりに面倒なことやってくれよ」という場合も多い。

こういう日本の夫婦関係のシビアな現実に照らし合わせると、実は「帰省ブルー」と呼ばれている悩みの多くは、一人では何もできない夫側の都合に妻が振り回されて疲弊している、という「妻依存の強い夫ブルー」ともいうべき問題なのだ。

■正月は家族揃ってみんなで過ごすもの?

ちなみに、「妻の実家に帰省するのが嫌だ」という夫の中にもこういう傾向が多い。

本来、夫が妻の実家に帰省をしたところで、家事や育児を託されるケースは少ない。そのため、実家までの送り迎えなどをして、正月休み期間は一人でのんびり過ごしたり、男友だちなどと過ごす人もいる。筆者のまわりにもそういう「妻依存度の弱い夫」は何人かいて、正月からみんなで一緒に遊んだりする。

しかし、「妻依存度の高い夫」は普段から妻に頼りっきりなので、一人で過ごすことにも慣れていないし、「そっちの実家に行くのは嫌だ」という本音も言えない。結果、肩身の狭い「他人の家」で正月休みを送ることでストレスを抱えてしまうというワケだ。

しかし、一方で筆者の「そんなに正月に実家に行きたいのなら、嫌がる妻を巻き添いにせずに夫が一人で帰省をすればいい」という主張に対してハラワタが煮えくり返っているという方も少なくないかもしれない。

日本人にとって正月というのは「家族揃ってみんなで過ごす」という伝統行事である。つまり、「帰省ブルー」なんて自分勝手なことをのたまう嫁というのは、そんな日本が大切にしてきた「伝統的家族観」を破壊しているのではないかというのだ。

■夫は夫の、妻は妻の実家に帰省するべき

ただ、それはちょっと「伝統」というものを誤解している。確かに、歴史を振り返れば、日本人は正月というものを家族で過ごしてきたが、そこにはもともと「嫁」は入っていなかった。

年配の人ならば、聞いたことがあるかもしれないが、かつて日本では正月や盆の帰省を「薮入り」と呼んでいた。これはもともと農村などから江戸に奉公に出されていた人たちが正月休みなどで暇を与えられて、家族の元に帰ることを指した。戦後間もない頃くらいまでは以下のように「中国人観光客の爆買い」のように特需的にも報じられた。

「ごった返した40万人 やぶ入りの浅草」(読売新聞1953年1月17日)

この日本の「伝統的な帰省」の中に入っていたのが「嫁」である。日本の伝統的家族の中で嫁は、夫の両親と同居をして、使用人のようにこき使われていた。だから、他の奉公人と同じく、正月や盆になると自分の実家に戻ることが許されたのだ。

つまり、そんなに伝統を守るべきというのならば、この古来の「藪入り」という慣習に従って、妻は自分の実家へと帰省してもらうべきだ。夫の帰省に同伴をさせて、義家族に気を使いながら正月休みを過ごすなんてことは、伝統を破壊する愚かな行為なのだ。

■46年前も女性は義実家で疲れ果てていた

「バカなことを言うな! 今と昔では時代が違うだろ」とツッコミが入ることだろう。その通りだ。家族や夫婦の価値観など、時代によってコロコロと変わっていくものなので、「伝統」をモノサシにすることなどナンセンスだということが言いたいのだ。

問題なのは、そんな風に価値観がコロコロと変わっていくはずなのに、「帰省」ということに関しては「嫁」という立場の人たちが「損」をすることが圧倒的に多いという事実だ。

1978年8月5日の「読売新聞」に、39歳の主婦が「お嫁さんを犠牲にしないで」という投書をしている。

この方は夫の両親と同居をしているのだが、正月や盆になると兄弟家族がこの家に集結して、20人以上も押しかけて泊まるという。その食事や洗濯などを全てこなして、「家族」が団らんを楽しんでいる時、この人は疲れ果てて2階で薬を飲んで寝ているという。楽しそうな笑い声を聞いた時の気持ちをこう綴っている。

「一人で二十何人もの料理を当たり前のように用意させる人たちを、とてもうらめしく思います」(同上)

■誰かの犠牲のもとに成り立つ「団らん」

「夫の家族たち」の幸せな正月のため、本来は「他人」であるはずの妻が犠牲になっているという構図だ。これは46年前の「帰省ブルー」だが、妻が求められること、他人の中での肩身の狭さなど、根本的なところは今も何も変わっていない。

3世代家族
写真=iStock.com/maroke
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/maroke

だからこそ、夫側も「妻への依存」をやめるべきなのだ。この主婦の方も正月やお盆は、自分の実家に里帰りして、年老いた父母や、遠方にいてなかなか会えない妹と一緒に過ごしたいとして、こう訴えている。

「私は行きたくとも、こっちのお客が全部帰らないと行けません。どうぞ、お嫁さんのことも考えてください」(同上)

「お正月を家族みんなで過ごす」というのは、素晴らしい日本の文化風習だ。家族がいる人はぜひやるべきだと思う。

しかし、その「団らん」は誰かの犠牲のもとに成り立っていないだろうか。特に「仕事が忙しい」を言い訳に、家事や育児などすべて妻におんぶに抱っこになっている男性諸氏は、ちょっとでいいので胸に手を当てて考えていただきたい。

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窪田 順生(くぼた・まさき)
ノンフィクションライター
1974年生。テレビ情報番組制作、週刊誌記者、新聞記者等を経て現職。報道対策アドバイザーとしても活動。数多くの広報コンサルティングや取材対応トレーニングを行っている。著書に『スピンドクター“モミ消しのプロ”が駆使する「情報操作」の技術』(講談社α文庫)、『14階段――検証 新潟少女9年2カ月監禁事件』(小学館)、『潜入旧統一教会 「解散命令請求」取材NG最深部の全貌』(徳間書店)など。

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(ノンフィクションライター 窪田 順生)

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