この人なしでは今年のNHK大河は語れない…「江戸のメディア王・蔦重」のきっかけをつくった幕府の最重要人物
プレジデントオンライン / 2025年1月5日 15時15分
2024年2月7日、ジョージア州アトランタで開催された第12回SCAD TVfestの「TOKYO VICE」シーズン2プレミアと渡辺謙へのヴィルトゥオーゾ賞授与式に出席した渡辺謙。 - 写真提供=Paras Griffin/ゲッティ/共同通信イメージズ
■蔦重活躍の背景にある政治家の存在
平安王朝が描かれた「光る君へ」から時代が下ること、一挙に七百数十年。2025年に放送されるNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の舞台は、江戸時代の中期から後期である。
「物語」がドラマのなかで重要な役割を果たすという点は、奇しくも共通しているが、「物語」のあり方はかなり違う。「光る君へ」の時代には印刷技術もなく、物語は作者も読者も狭い宮廷のなかで完結していたが、「べらぼう」で描かれる時代には木版による印刷技術が発展し、以前は高価だった紙の価格もかなり下がって、「物語」が広く読まれるようになっていた。
そんななか、主人公の「蔦重」こと蔦屋重三郎(1750~1797年)は、いまでいえば出版社の社長兼プロデューサー兼編集者として、あたらしい企画や売れっ子作家を次々と世に出し、一躍寵児となり、いわば「メディア王」として君臨するまでになった。
歴史の教科書に登場するだけでも、重三郎のおかげで活躍できたといえる人物は、大田南畝、恋川春町、山東京伝、曲亭馬琴といった作家から、喜多川歌麿、東洲斎写楽といった画家まで、じつに多士済々である。
ただ、ひとついえるのは、これはたんに重三郎に才能があったことだけが理由だとはいえない。新たな発想を世に問うことが許され、新規の取り組みに挑戦しがいがある時代背景がなければ、いくら才があっての時代の寵児にはなれない。
では、そんな時代環境を生み出した人物はだれか。それは学校の歴史の授業では、賄賂にまみれた悪名高き政治家としておなじみの、田沼意次である。
■「田沼=悪政」は本当か
意次の改革は結果的に頓挫してしまうが、それは内容が悪かったからではない。天明2年(1782)から同8年(1788)にかけて、江戸時代でももっとも酷かったとされる天明の飢饉が発生するまでは、改革はむしろうまく進んでいた。
江戸幕府の財政は、当初こそ余裕があったものの、江戸の7割程度が焼失した明暦3年(1657)の大火後、江戸城と市街の復興に莫大な費用を要すると底をついた。その後も直轄する鉱山からの採掘量は減り、金銀は長崎貿易で流出し、そもそも次第に貨幣経済が浸透するなかで財政支出が増え、恒常的な財政難に陥った。
そこで8代将軍吉宗は、新田開発を奨励し、年貢率を引き上げ、大名から米を徴収する上米の制を定め、倹約令を発するなどして財政再建に努め(享保の改革)、一時的には年貢の徴収高もかなり増えて、幕府の財政は立ち直った。
だが、当時の技術では新田開発できる土地もかぎられ、収穫量はすぐに頭打ちになり、一方、幕府の支出は年々増えるので、ふたたび財政難に陥った。それに、年貢率の引き上げは一揆も誘発した。そうした状況から判断して、ただ年貢収入を増やすだけでなく、むしろ民間の商人の経済力を活用し、すなわち、今日のように「民活」で財政を立て直そうと考えたのが意次だったのである。
■合理的な経済政策
意次はあらたな税収として、商人から営業税としての運上金や冥加金(みょうがきん)を徴収した。もっとも、たんに課税するだけでは反発を買うので、「ムチ」を強いる代わりに「アメ」を用意した。同業者組合である株仲間を公認し、営業を独占することを許可して、代わりに税金を納めさせたのだ。
また、金銀がこれ以上、海外に流出することを防ぐために、それまで輸入していた砂糖や朝鮮人参などの国産化を図った。一方、金銀に代わって銅のほか、なまこやあわび、ふかひれなど主として蝦夷地で採れる産物(中華料理の高級食材)を乾燥させ、俵に詰めた「俵物」などの輸出によって、外貨を獲得することが奨励された。
ロシアとの交易も検討され、そのために蝦夷地の調査も行われた。といって、新田開発をあきらめたわけではなく、下総(千葉県北部と茨城県南西部)の印旛沼と手賀沼の干拓事業がすすめられた。
意次は貨幣自体の改革にも取り組んだ。江戸時代の貨幣は金貨、銀貨、銅貨から成り立っていたが、金貨と銅貨は一定の額が表示されたのに対し、銀貨だけは重さで金額を決められた。しかも、江戸では主に金貨で取引されるのに対し、大坂では銀貨が使われた。そのうえ為替レートが頻繁に変わるので、両替もなかなかできない。
そこで意次は、8枚で小判1枚と交換できる銀貨「南鐐二朱銀」を発行し、商売の円滑化を図った。
■蔦屋重三郎が大活躍できたワケ
将軍吉宗による享保の改革は、農地を増やすが、お金は使わせず、できるだけ取り立てるというもので、単純明快だが従来の農本主義から一歩も出ておらず、収奪される側に心身の余裕が生まれるようなものでもなかった。そもそも刹那的な弥縫(びほう)策にすぎなかったともいえる。
一方、田沼意次の改革は、いまを生きる私たちには、とても自然に感じられるのではないだろうか。商品経済を活性化し、輸入と輸出のバランスと取り、それらの土台となる貨幣のシステムを合理化し、同時に食糧の増産も図る。いわば理に適った構造改革を進めようとしたのである。
実際、民間の経済活動は大きく刺激され、幕府財政も一時的には改善された。さらには歓迎すべき副作用として、社会に自由な気風が生じ、学問から思想、芸術にいたるまで、あたらしい発想が満ちあふれることになった。こうして、蔦屋重三郎のように発想力と進取の気性に富んだ人間が、活躍する余地が生まれることになった。
人々の生活が金銭中心になったことで、世間に賄賂がはびこるようになったのは事実だと考えられる。ただし、意次が賄賂を受け取ったという記録はない。
また、天明の大飢饉が発生し、浅間山が噴火して飢饉に拍車がかかったのを機に、意次の改革が頓挫したにしても、それはあくまでも表面的な話である。飢饉がはじまってからも財政再建と生産増大が滞ったわけではなかった。
飢饉を機に、先進的すぎて多くの人が理解できなかった政策が、まるで飢饉の原因であるかのようにやり玉に挙がったことで、その政治の終焉につながった、というのが実態だろう。
■600石→5万7000石へ大出世
意次が「成り上がり者」だったために、妬まれたという面は否定できない。
意次は旗本の田沼意行の長男として享保4年(1719)に生まれたが、意行は最初、幕臣でさえなかった。紀州藩士だったのが、紀州藩主だった吉宗が将軍になると幕臣に編入されたのである。吉宗の信頼は厚く、享保19年(1734)には吉宗の身の回りの世話をする側近のトップ、小納戸頭取になっている。
とはいえ小禄で、享保20年(1735)、父が死んで意次が家督を相続した際、家禄はわずか600石だった。だが、そこからの出世がすごかった。延享4年(1747)、御側御用取次見習になると、翌年には家禄が2000石に増えた。宝暦元年(1751)に「見習」がとれて御側御用取次になると、4年後には5000石に。
こうして将軍の最側近として政治力を発揮し、宝暦8年(1758)にはついに遠江(静岡県西部)相良藩1万石の大名になった。明和6年(1769)に老中格、明和9年(1772)には正真正銘の老中となり、石高も天明5年(1785)に5万7000石にまで増加した。
だが、天明4年(1784)、嫡男で若年寄だった田沼意友が江戸城内で暗殺されたのを機に次第に権勢を失い、天明6年(1786)に意次を重用した10代将軍家治が死去すると、老中職を解かれて2万石を召し上げられ、翌年には残りの3万5000石も召し上げとなって蟄居を命ぜられ、その翌年、無念の死を遂げている。
■江戸時代における本当の改革
わずか600石から事実上の最高権力者にまで上り詰めたため、周囲の反感を買いやすかったのと同時に、自身の手足となる子飼いの家臣団が不足したことも、周囲のあつれきを解消できなかったことの理由だったと思われる。
だが、そもそも、「農本主義から重商主義へ」と評される意次の改革が、先進的すぎて理解されなかったことが大きく影響した。その後、吉宗の孫にあたる白河藩主、松平定信が緊縮型の改革を進め、思想や文化に対しては徹底して統制する姿勢で臨んだ。
このため、もしかしたら鎖国をしながらでも日本に定着させられたかもしれない、欧米にも通じる「重商主義」の芽は、すっかり摘まれてしまった。同時に、蔦屋重三郎らがあたらしい文化を世に問う自由も奪われてしまった。
享保の改革、寛政の改革、天保の改革が江戸時代の三大改革とされるが、それらはいずれも「改革」と呼ぶにしては「反動」に近い。江戸時代における本当の改革、持続可能な経済や社会の体制を築けたかもしれない構造改革は、頓挫したとはいえ田沼意次による改革だったのではないか。
そのあたりをぜひ、「べらぼう」で実感してほしいと思っている。
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歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)
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