ふるさと納税が200万円→34億円に…「第2の夕張」と呼ばれた金欠の町を元フリーターのヨソ者が復活させるまで
プレジデントオンライン / 2025年1月1日 18時15分
■「第二の夕張」と呼ばれた町
高知県の中西部に須崎市という港町がある。人口は2万人弱。県内でもっとも漁業従事者の多い漁師の町だ。
市のゆるキャラ「しんじょう君」を知っている人は多いかもしれない。2016年にゆるキャラグランプリで1位を獲得したニホンカワウソのキャラクターだ。須崎市でイベントを開催すれば人口の4倍以上の観光客を集め、SNSで特産品をPRすれば3日で1億円を売り上げる。あの「くまモン」の経済効果を上回った年もある。
しんじょう君の活躍に合わせて、市のふるさと納税も好調だ。2014年度は200万円だった寄付額は、9年後の2023年には約1700倍の34億円に拡大している。
今でこそ活気に溢れる須崎市だが、10年ほど前までは「夕張の次は須崎か」と噂されるほど市の財政は逼迫していた。経費削減のために市役所庁舎の蛍光灯を半分だけ点灯させる案が真剣に議論されたほどだ。町全体が諦めムードに沈んでいた時に始まったのが、ゆるキャラによるまちおこしだった。
「僕自身も人生終わったと思ったところから這い上がることができた。死に物狂いでやれば、まちおこしでもなんでもできると思ったんです」
元須崎市職員であり、現在は自治体のふるさと納税のコンサルティング事業を運営する株式会社パンクチュアルの代表、守時健さん(38)は静かに語る。
人生に絶望していた青年が、いかにして高知の小さな町に活気を取り戻したのか。これは、町を救ったゆるキャラとその生みの親である1人の公務員の奮闘ストーリーである。
■日給4000円で家賃を滞納、「人生詰んだ…」
「俺、このままでいいのかな……」
大阪、深夜の倉庫街。荷物整理の日雇い仕事をこなしながら、19歳の守時さんは絶望していた。
守時さんは1986年に広島県に生まれ、岡山県倉敷市で育った。高校卒業後、愛知県の自動車部品工場で契約社員として働いたが1年で退職。19歳で「音楽がしたい」と高校時代のバンド仲間を頼って大阪に流れ着いた。しかし大きな夢も志もなく、流されるまま怠惰に日々を過ごした。派遣仕事で食い繋ぐも、給与は業者にピンハネされ、日給1万円の仕事が4000円にしかならない。電気が止まり、家賃を滞納した。
「人生詰んだ。マジで地獄や」
ただ時間だけが過ぎていった。這い上がるための金も、気力もなかった。
■一念発起で大学受験を決意
20歳になった頃、「さすがにこのままではまずい」と思い、大学に行く決心をする。アルバイトをしながら独学での受験勉強がはじまった。「偏差値38の高校をギリギリで卒業した身」にはとてつもなく大きな目標だった。
手始めに掲示板サイト「2ちゃんねる」で効率的な勉強方法を検索。ゴールから逆算して綿密な学習計画を立てた。真面目に勉強をするのは中学生ぶりだ。小学6年生の教科書から学び直した。
「勉強のやり方すらわからないのに、頼れる人が誰もいないことが一番つらかったです。でももうやるしかないから、必死でしたね」
朝6時に起きて図書館に行き、1日6〜7時間を勉強に充てた。夕方から仕事に行って日付を跨いだ深夜に帰ってくる。周囲からは「アホの守時が大学なんて受かるわけない」と笑われた。孤独のなか人生を変えたい一心で、勉強とアルバイトと、わずかな睡眠をとるだけの日々が1年半続いた。
2008年2月、関西大学社会学部を受験した。滑り止めを受ける余裕はない。単願受験の一発勝負だった。
「受かるかどうかは、結果が出るまで本当にわからなかったです。結果論ですけど、壮大な計画でも適切な戦略と実行力があれば、成果は出るんだという経験と自信は、その後の人生に大きく影響していると思います」
結果は無事、合格。ようやく手にした人生立て直しの切符だった。
■大学時代に「SNSのバズらせ方」に目覚める
2008年4月、22歳で守時さんは晴れて大学生になった。なんの肩書きもないフリーター生活を送っていた守時さんにとって、「初めて人権をもらえた気分」だった。
遅れてきた「普通の人生」を取り戻すように大学生活を謳歌するなか、守時さんがハマったのが当時流行り始めていたSNSだ。
廃墟を巡って写真を撮るサークル「廃墟部」を友人と立ち上げた守時さんは、メンバー集めにmixiを活用した。mixi内に廃墟部のコミュニティを開設し、キャッチーなテキストを添えてとにかく楽しそうな印象を前面に押し出してみた。するとおもしろいほど参加者が集まり、最終的にサークルは160人近い規模に成長した。
個人で運用していたTwitter(現X)でも、持ち前の分析力を発揮した。リツイートの多い投稿を見比べて「バズるための構文」を地道に研究。実行と修正を繰り返しながら成功の法則を見出していった。
「mixiでもTwitterでも、やり続けるうちにコツみたいなものがわかっていくんです。当時は失うものが何もない大学生だったので、とにかくおもしろいと思うことを試しました」
守時さんが最初にTwitterでバズったのは2011年3月28日のこと。その時のツイートを紹介しよう。
「君たちにいい事を教えてあげよう。ゲーセンのプリクラでエロいのとか、キスしてたりキメ顔だったり色々恥ずかしい事してる人いっぱいいるよね。あれってさ、店員は 履 歴 見 れ る ん だ よ。」
「驚き」や「共感」を織り交ぜたこの投稿は、孫正義氏の「東日本大震災の被災地に100億円を寄付する趣旨の投稿」や、世界的ラッパーのスヌープ・ドック氏の「友人の死を悼む投稿」を抑え、リツイート数世界1位(当時)を叩き出した。
その後も大小多くの「バズりツイート」を量産し、SNS運用のコツを習得していった。
■友人との旅行ですっかり須崎市の虜に
守時さんが須崎市と出会ったのは大学時代だった。大学3回生の夏休み、友人の地元である須崎市に3泊4日の旅行に出かけた。高知県を訪れること自体初めてだった。
滞在中、地元の特産品である新子(ソウダガツオの稚魚)の祭り「新子まつり」が開催されていた。会場で守時さんが見たのは、酔っ払った地元の人たちが、まるで大学生のようなノリではしゃいでいる姿だった。
「会場で開かれていたカラオケ大会で、酔っ払ったおばあちゃんがステージに乱入して警備員に退場させられていたんです。そんな様子を見て、みんな『いいぞー』なんて声を上げたり、拍手したり、『なんて楽しいところなんだここは!』ってすごく衝撃でしたね」
ここでなら社会人になっても楽しく暮らせると思った守時さんは、須崎市に移住する決心をその場でしてしまう。もともと卒業後は「証券会社のような実力主義の世界で働きたい」と漠然と考えていたがあっさりと翻意し、須崎市の市役所職員になることを決めた。
「若かったからとしか言えないんですけど、旅行が終わるまでに心はもう決まっていました」
半年間の猛勉強の末に公務員試験に合格。その後は6年分の議会議事録を読み込んで須崎市での面接に臨んだ。まちへの熱意や得意のSNSについて語り、「いつ災害が起きても駆けつけられるように市役所の近くに家を借ります」と締め括った面接の結果は合格。2012年4月、守時さんは26歳で須崎市の市役所職員になった。
■「真っ暗な景色を俺が変えてやる」
意気揚々と須崎市民となった守時さんだったが、移住早々に「なんか、やばいな」と思った。
「旅行の時には気がつかなかったのですが、いざ大阪から引っ越してくると結構、何もないなと改めて気がついて。ここで定年まで過ごすのはちょっときついなと思いました」
当時の須崎市は収入に対する借金が多く、全国でワースト5に入る財政状況だった。予算は軒並みカットされ「何をやってもこの街はダメだ」と自虐的に語る人も多かった。
当時の須崎市の様子について、守時さんには忘れられない景色がある。移住に向けて家を借りに須崎市を訪れた時、ホテルの窓から眺めた明かりのほとんど灯っていない街並みの風景だ。
「本当、真っ暗でしたね」
窓辺に立って暗い景色を眺めながら、守時さんは「この景色を俺が変えてやろう」と決意した。
■「勝てるゆるキャラ」を調べ上げ70ページの企画書を作成
入職後、守時さんが配属されたのは企画課。産業振興や地域支援などさまざまな角度からまちづくりを担う課で、新人が配属されるのは異例のことだった。「町外出身の、SNSが得意とかいう変な新人が来た」と噂になっていた守時さんに、市役所側も期待していたのかもしれない。
やる気に満ちた守時さんは得意のSNSを使った情報発信でまちおこしに繋がる方法はないかを考えた。そこで思いついたのが「ゆるキャラ×SNS」だ。
「ゆるキャラを作って、ブログやSNSで町の情報発信をさせたらきっといける……はず!」
根拠はなかったが、できることからやってみようと思った。まずはインターネットや書籍でゆるキャラのことを徹底的に調べた。「くまモン」や「ふなっしー」などの人気キャラを分析し、「目が合わない」「特産品を持ち過ぎない」など、守時さんなりの「勝てるゆるキャラの条件」をまとめた。学生時代から培ってきたSNSの知見も盛り込んで、70ページにも及ぶ「ゆるキャラによる情報発信プロジェクト」の企画書を作成した。
■火の車の須崎市から100万円の予算が下りた
「これ、確認お願いします!」
新人が持ってきた企画書なんて読んでもらえないかもしれない。一抹の不安を感じながら企画書を上長に提出した。配属から3カ月後の2012年7月のことだった。
意外にも、反応は上々だった。分厚い企画書を読んで「いいじゃん!」と言ってくれた上司は「ふるさと納税による基金活用事業提案募集制度」の検討委員会に企画を推薦してくれた。厳しい市の財政下で予算がつくことはほぼ不可能と言われていたが、来期予算として100万円が守時さんのプロジェクトにあてがわれることになった。
どうして企画は通ったのだろうか。守時さんは「委員会で一番偉い総務課長と喫煙所で一緒だったから」と笑う。
「いわゆるタバコミュニケーションですね。あとは、『何かしないと、マジでまずい』という思いが職員にあったんだと思います。民間出身の市長も理解がある人で、よくわからない新人が持ってきた企画を心から応援してくれました」
一方で、市役所内には「いまさら、ゆるキャラ?」と否定的な意見も多かった。そこで守時さんは、プロジェクトの理解を広げるために地域を巻き込んでいく作戦を取る。
実はしんじょう君には2002年生まれの「初代」がいる。新ゆるキャラ作りは“既存キャラのリニューアル”という名目ではじまり、市民参加型のデザイン総選挙も実施した。市民の応援を受け企画は着々と進み、守時さんが入職2年目となった2013年4月28日に現在のしんじょう君が誕生した。
初めてしんじょう君が市役所にやって来た日、守時さんは市長からこんな言葉をかけられた。
「守時、これで伝説を作りなさい」
■片道13時間かけて東京のイベントへ
まちの期待を背負った守時さんとしんじょう君は、各地のイベントに精力的に出かけた。
イベントは基本的に土日に行われる。金曜日に須崎市を車で出発して、全国各地のイベント会場へ向かう。会場が東京の場合は片道13時間のロングドライブだ。土日のイベントを終えたらまた車を走らせ須崎市に戻ってくる。
守時さんはすべての週末をしんじょう君のアテンドと車の運転に費やした。生身の人間には(そして5歳のカワウソのゆるキャラにも)ハードな日々だ。言い出しっぺとはいえ投げ出したくなることはなかったのだろうか。
「めちゃくちゃしんどかったですよ。でも僕は人より4年も遅れて社会に出たんです。だから人よりも物理的に3倍も4倍も働かないと『普通』にはなれないと思っていて。とにかくがむしゃらでしたね」
イベント出演と合わせてTwitterとブログも開始した。この頃、特に意識したのが「人脈作り」だ。イベントで出会ったキャラクターと一緒に写真を撮ってSNSにアップしたり、されたりすることで、人気の相乗効果を狙ったのだ。
当時そうした動きは珍しく、ゆるキャラとしては後発ながらしんじょう君のSNSアカウントはじわじわとフォロワー数を増やしていった。
■香川のゆるキャラから学んだ「ゆるキャラのあるべき姿」
イベント出演にも慣れ始めた2013年6月、守時さんとしんじょう君にとって大きな出会いがあった。
香川県高松市で行われたゆるキャライベントに招かれた時だった。中四国から多くのゆるキャラが集まるなか、ひと際人だかりができていたのが香川県のキャラクター「うどん脳」だった。さすが地元だなと感心していたら、休憩室で一緒になったうどん脳が「東京からファンが来てくれたんだ」と言うではないか。
守時さんは純粋に「え、すげぇ!」と思った。
2011年に誕生したうどん脳は、2012年のゆるキャラグランプリは172位。全国的な知名度は高いとは言えない。しかし、わざわざ東京から高松までファンを呼び寄せる力を持っていた。
「本当にびっくりしました。ファンってなに? どういうこと? って。ゆるキャラの可能性を改めて感じましたし、今から追いつけるのか不安にもなりましたね」
ランキングが上位でなくても人気のあるキャラクターがいる。ファンを大切にする重要性を実感した守時さんとしんじょう君は、ファンに愛されるゆるキャラを目指すことを決意する。
■「発信したいこと」ではなく「喜んでもらえること」を届ける
それからのしんじょう君は「ファンに喜んでもらうこと」が一番の目標になった。これまでは須崎市のイベント情報などをつぶやくことなどがメインだったが、方針を転換し、クスッと笑えるネタを発信することにした。ある日は砂浜に埋まってみたり、ある日はプールで泳いでみたりと、おそらくゆるキャラ初の取り組みに幾度となく挑戦した。
イベントに出ても「ふざけ倒す姿勢」は変わらない。ただ黙ってステージに立っているだけの時もあれば、守時さんとコントをしてみた時もあった。
「ゆるキャラは地域をPRする存在ですが、『来てね』『買ってね』ばかりの一方的な発信はファンファーストではないですよね。こちらが発信したい情報ではなく、お客さんが見たいと思うコンテンツを届けたいと思ったんです」
ファンを楽しませることに徹したしんじょう君の人気は拡大し、2014年には須崎市の人口を上回るSNSフォロワー数を獲得。同年9月には「ご当地キャラ祭りin須崎」を開催して約5万人の観光客を呼び込んだ。ちなみにこのイベントはその後も続き、2019年には9万5000人の来場者数を記録。よさこい祭りに次ぐ高知の一大イベントとなっている。
そして誕生から4年目の2016年に、ついにゆるキャラグランプリ1位に輝いた。海外のイベントからも出演オファーが頻繁にあり、翌2017年の正月には世界各地から5000通もの年賀状が届いた。
守時さんもしんじょう君の横にいつもいる“おにいさん”としてファンに知られるようになった。公務員らしからぬ見た目や雰囲気から「超公務員」とあだ名が付き、他のキャラクターやファンからもイジられる存在となっていた。
■「土佐弁も話せないヨソ者」に課せられた試練
しんじょう君人気は大きくなったものの、相変わらず活動予算は限られたまま、須崎市の財政状況もまだまだ危うい状態だった。
「ふるさと納税と組み合わせれば、しんじょう君の人気と発信力をまちのお金に変えられるかもしれない」
ちょうど上司からも「しんじょう君でふるさと納税をやってみないか?」と声がかかったこともあり、守時さんは2015年からふるさと納税事業も担当することになった。
当時の返礼品は5000円と1万円の「特産品詰め合わせセット」のわずか2品。2014年度の須崎市のふるさと納税は27件、寄付額は200万円程度だった。まずは出品してくれる事業者探しから始まった。
しかし事業者探しは思った以上に難航した。
「そんなうまい話があるか!」
「詐欺やろ!」
当時はまだ制度について知らない人も多く、玄関口で追い返されることもあった。
ある時は「職員を名乗る土佐弁も喋れない男から、税金がどうとか不審な電話があった」と市役所に通報されてしまったこともある。
またある時は、訪問先で「お前、ゆるキャラの奴やな! ちょっと当てたくらいで調子乗るなよ!」と怒鳴られた。そして守時さんとは関係ない市役所の対応の悪さについて2時間以上も説教されてしまった。
それでも守時さんは根気強く市内の事業者を回った。上司とともに一軒一軒訪問し、飄々とふるさと納税についての説明と説得を続けた。
「大阪のフリーター時代にいろいろな人と出会う機会があったので、僕、対人メンタルはめちゃくちゃ強いんです。こういう時、昔少しグレていてよかったなと思いますね」
プライベートの時間でも地域の会合やイベントにできる限り参加していた守時さんは、事業者とは飲み会や地域行事で顔を合わせることも多かった。そうした仕事以外の時間もフルに使って協力の輪を広げていった。
■「小夏」を「日向夏」とするだけで人気急上昇
返礼品集めと同時に、守時さんは見せ方や売り方にもこだわった。
例えば、須崎市では「小夏(こなつ)」という柑橘がとれる。手のひらサイズの黄色いみかんで人気の特産品だ。当然ふるさと納税の返礼品にもなっていた。しかし思った以上に寄付が集まらない。どうしてだろうと思い調べてみると、実は「小夏」は高知県内の呼び方で、全国的には「日向夏」が一般的だった。
守時さんは「小夏」を「日向夏」として出品することを提案する。当初は「俺らが育てているのは小夏だ! 人生かけて栽培してるんだ!」と反発もあったが、守時さんはしれっと「小夏(日向夏)」に変えて掲載することにした。
すると結果は大当たり。小夏(日向夏)はふるさと納税サイトの人気ランキングで上位に表示されるようになり、多くの寄付金が集まった。
「生産者さんと仲良くなっていたからできたことでもあるんですけどね」と言うとおり、地域に入り込み信頼関係を築いたからこそ、守時さんはその“よそ者目線”をうまく活かせたのかもしれない。
最終的には市内の約50の事業者が協力してくれることになり、海産物や柑橘類、工芸品など1事業者あたり3〜4品、合計で約200品を集めることができた。
■しんじょう君との相乗効果で寄付額が1700倍に
しんじょう君の発信力も強力な追い風だった。2015年のしんじょう君のTwitterフォロワー数は約3万人。返礼品を掲載した後、しんじょう君がSNSで告知すればすぐに数千から数万PVのアクセスがあった。PV数が増えるとふるさと納税サイトのランキングで上位に表示され、より多くの人に選ばれやすくなる。
ふるさと納税の告知をする際にも、しんじょう君はファンを楽しませる姿勢を崩さなかった。「しんじょう君を応援する気持ち」を「須崎市へのふるさと納税」というかたちで示してくれるファンも多かった。
平日はふるさと納税、休日はイベント出演。隙間時間を見つけてはこまめに返礼品の動きをチェックした。入職当時「人の3倍は働こう」と心に決めた熱意のままに、トライアンドエラーを繰り返していった。
「しんじょう君のファンや地元の人、市役所の同僚など、僕らを応援してくれる人たちのためにも結果で応えたかったんです」
地道な努力が実を結び、2015年度の須崎市のふるさと納税額は約5億9000万円に拡大。翌2016年は約10億円にまで増加した。守時さんだけでは手が回らず、1年目の1人体制から2年目は5人体制となった。
2020年に守時さんは市役所を退職して地域商社「株式会社パンクチュアル」を創業。市からの委託を受け、しんじょう君と須崎市のふるさと納税事業を運営している。
民間企業になったことで、異動がなくなりノウハウが蓄積できる体制が整った。守時さん以外が非正規職員だったチームの雇用を守ることができ、新メンバーも加わった。事業はさらに加速し、独立初年度の須崎市のふるさと納税は21億円を突破。2023年度には34億円と、事業開始から9年で寄付額は1700倍にもなった。
■電気代をケチろうとした街が、保育園無償に
現在ふるさと納税で集まった寄付金は、しんじょう君の活動費のほか、保育園の無償化、高齢者の生活支援、廃れた商店街を再生する「海の街プロジェクト」などに活かされている。フランスで開催される「Japan Expo」への出展など海外に向けたPRにも寄付金が活用されている。
まちは今、活気に溢れている。観光客のほか、国内外からの移住者も増加。守時さんが「真っ暗だった」と語った街並みはリニューアルが進み、商店街には新しいアンテナショップがオープンした。魚市場は観光客がセリを見学できるように改修作業が進められている。
須崎市出身のコンテンツクリエイターで、現在はパンクチュアルで働く塩見開さん(34)は「本当にまちが明るくなりました」とその変化を嬉しそうに語る。
「昔はなにもない地元が嫌いだったんです。一度離れて帰ってきたら雰囲気がすごく変わっていて驚きました。しんじょう君のおかげで外から注目されて、観光客が増えて、変化していくまちを見るのはやっぱり嬉しいし楽しいです。最近の須崎はなんかすごく明るいんですよ。本当に変わったなと思います」
■コロナ禍のピンチもしんじょう君が解決
守時さんが立ち上げたパンクチュアルは、ふるさと納税のほか、現在は地域産品を扱う自治体ECにも力を入れている。そのきっかけとなったのはコロナ禍の「カンパチ事件」だ。
創業間もない2020年5月、須崎市内の漁業関係者から「コロナ禍で料亭などに卸していた高級カンパチの行き場がなく困っている。このままだと廃棄するしかない。そうなれば倒産だ。守時さん、助けて!」とSOSが入った。
なんとか力になりたいと思った守時さんは、しんじょう君のグッズ販売用だったサイトを急いでリニューアル。須崎市の特産品販売サイト「高知かわうそ市場」を立ち上げてカンパチの販売を行った。すかさずSNSでしんじょう君が「カンパチや漁師さんを助けてほしいよー!」「味には絶対の自信があるよー!」と呼びかけた。
すると大量の注文が入り、3日で1億円ものカンパチが売れた。その後も他の事業者から、タイ10万匹、ブリ28万匹が余っているというSOSが入り、同様に販売。さらに約6億円を売り上げた。
「昨日まで魚が売れなくて死にそうだった漁師さんが、逆に忙しすぎて死にそうになっちゃって。1分間で50匹くらい注文が入りました。あれは本当におもしろかったなあ」
その年、高知かわうそ市場では海産物を中心に須崎市の特産品を8億5000万円売り上げた。ECサイトは集客や差別化が難しく、「個別に自治体が運営しても儲からない」というのが通説だった。守時さんとしんじょう君は見事その通説を覆してみせたのだ。
こうしてパンクチュアルには、ふるさと納税以外にECサイト運営という軸が完成。多方面から「稼げる自治体づくり」を行っている。
■「地域外に1円たりとも出したくない」
パンクチュアルがふるさと納税事業を行うのは須崎市だけではない。2024年12月現在、30を超える自治体で事業を展開している。各自治体のふるさと納税額は毎年大幅に増加し、事業開始1年後の増加率は平均2.5倍を記録している。
守時さんが一番大切にしていることで、同社の大きな特徴となっているのが徹底した地域密着運営だ。
各自治体には必ず事業所を開設し、担当社員は必ず住民票を移してそのまちに住む。住民として生活をしながら、返礼品の開発から情報発信までトータルで事業をおこなう。
守時さんは「支援」という言葉は使わない。パンクチュアルの社員はあくまで地域のいちプレイヤーとして自治体と一緒に走り回る存在なのだ。地域に根付く「ヨソ者」たちが「選ばれる特産品づくり」に奔走している。各地のノウハウは他地域にも共有され、全国で第2、第3の須崎市を育んでいる。
根底にあるのは「地域外に1円たりとも出したくない」という守時さんの「怨念のような想い」。現地にいないと当事者意識は決して生まれない。ふるさと納税は地域へお金を“還す”ことが目的だ。「地域外に住んで遠隔で事業をしていたのでは事業をやる意味がなくなってしまう」という。
「地方創生に関わる会社は二極化していると思うんです。まちおこしはボランティアで当然だと思っている会社と、地方創生が儲かるから参入してくる都会の会社。前者は事業の継続性が低くて続かないし、後者はせっかくの利益が地域に還元されない。だから僕らは徹底的に地域密着で事業をやりながら、しっかり稼いで、その土地で得た利益を地域に再投資してお金の循環を促すような組織でありたいんです」
■「死ぬ気でやればだいたいのことはなんとかなる」
パンクチュアルの新卒者の初任給は東京の大手企業の平均を上回る。各地で子ども食堂も運営し、その土地で得た利益はその土地と住む人に還元する姿勢を貫いている。
「だから会社全体の利益率はめちゃくちゃ低いですよ」と笑う守時さんに、今後の展望について聞くとまるで玉手箱が弾けるように事業構想やアイデアが次々と溢れ出た。
「世界で戦える地域を作りたいんですよね」
ふるさと納税は確かに有益な制度だ。地元事業者の収益向上、地域ブランドの確立などさまざまなメリットがある。しかし、人口減少が進む日本でお金を取り合っているだけでは良い未来には繋がらない。いかにして海外から日本の地方にヒト・モノ・カネ・コトを引き寄せるかに挑戦したいと守時さんは語る。海外向けECや、地方の魅力を海外へ発信する実店舗の準備も進めている。
「人間は多分、成功しても失敗しても死ぬし、幸せでも不幸でも死ぬと思うんです。僕の経験ですが、死ぬ気でやれば大方なんとかなるんですよね」
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ライター
1989年千葉県生まれ。過疎地のPR・地域活性化に携わったのち、フリーライター・イラストレーターとして独立。徳島県在住。特技はバタフライ。
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(ライター 甲斐 イアン)
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