だから豊臣秀吉は天下をとれた…主君・信長が遺した「織田体制」に対して秀吉が行った掟破りの行動
プレジデントオンライン / 2025年1月14日 16時15分
※本稿は、平山優『小牧・長久手合戦』(角川新書)の一部を再編集したものです。
■清須会議後の大問題
天正10年6月27日の清須会議が終了し、「織田体制」(「清須体制」)が成立したのだが、まもなく不協和音が露わになっていく。
その始まりは、天正壬午の乱で北条氏に敗れ、信長から与えられた上野国と信濃佐久・小県郡を喪失した滝川一益である。一益は、苦心のすえ信濃を経由して、7月1日に伊勢長島城に帰還したという(『木曾考』他)。
しかし、すでに清須会議は終了しており、織田領国の再編成も実施された後だった。この時の一益の所領が、北伊勢五郡そのままだったとは思えない。彼が帰還した長島城も、上野国に入国した後まで一益のものであったことを確証する史料はない。通常、信長は所領を与えると、旧領は接収していたはずなので、一益が北伊勢五郡をそのまま保持していたとは考えがたい。
つまり、一益は一切の所領を失ってしまった可能性があるのだ。『太閤記』には、一益も清須会議の結果、5万石を加増されたとあるが、そのような形跡は認められない。
当然一益は、織田家宿老衆に知行の加増を求めた。ところが、すでに織田領国の再編は終了した後であり、天正壬午の乱の結果、東国の旧織田領国は、徳川家康が甲斐・信濃(北信濃の上杉領国を除く)を回復したものの、上野国は失陥してしまい、しかも織田方に2カ国が戻ったとはいえ、これはあくまで家康が自力で切り取った徳川領国に他ならなかった。
一益が、以前支配していた規模に見合う所領を、確保することは困難であった。
■信長の次男・信雄の野心
丹羽長秀は、一益の言い分を認めたらしく、織田家の「御台所入」(蔵入地)を削ってでも、その要求に応じるべきだと、秀吉に求めたようだ。秀吉は、8月11日に長秀に返書を送り、滝川の言い分はわかったが、領地配分が決定してしまっている現状では、今や織田家の「御台所入」(蔵入地)を減らす以外に方法がない。だが、それを減らすことは、織田家の将来に不安があるし、諸将に応分の負担を求めると、それでは皆への影響も大きいと述べ、これは滝川だけの問題ではないので、宿老衆とよく相談する必要がある、と記し、明確な回答をしなかった。
結局、一益への待遇は棚上げされたままとなり、彼は不満を募らせることとなる。
続いて、信雄と信孝の対立が露わとなってきた。清須会議終了後の6月下旬、織田信孝は、伊勢国神戸城から美濃国岐阜城に入り、領国統治を開始した。信雄は、7月、北畠氏の居城である伊勢松ヶ島城から、尾張清須城へと本拠を移した。
織田家の本国尾張にある、かつての本拠清須に移ったことで、信雄は織田一門の序列に相応しい場所を得たことになる。信雄が、「北畠」から「織田」に復姓した時期ははっきりしないが、これが契機ではないかと考えられる。
■兄弟対立のきっかけ
そして、翌8月、遂に信雄と信孝の対立が始まるのである。対立の原因は、尾張・美濃の国境問題であった。信雄は、尾張・美濃国境を「国切」(境川を境界とした伝統的な国境)とし、信孝は「大河切」(木曾川の本流)を国境とすべきと主張したのである。信孝は、交換条件として美濃国可児・土岐・恵那郡の南部を割譲すると提案した。
これが問題となったのには理由がある。尾張・美濃国境の境川(古来からの木曾川、以下、古木曾川)は、戦国期になると尾張国前渡で分流した流路の方が水量も多く、本流となったらしい。そのため、戦国期には、境川は「飛驒川」、「大河」は「木曾川」と呼ばれ、区別されるようになっていた。両国の境界が木曾川であるとするならば、天正10年当時、本流となっていた「大河」(木曾川)であるべきだ、というのが信孝の考え方だったようだ。
しかし、「大河」(木曾川)に国境を設定し直した場合、境川(古木曾川)と木曾川とに挟まれた川西地域を支配する坪内・伏屋・不破・毛利氏らが美濃の信孝のもとに編入されてしまうこととなる。当然、信雄は、信孝の要求を一蹴したものの、対立は激化するいっぽうであった。
これに対し、織田家宿老衆の意見は分かれた。なんと秀吉は、信孝の要求を認め、「大河切」に賛意を示し、柴田勝家は信雄の「国切」を支持したのである。
■京で起きた混乱
これは、信雄と信孝が対立したもう一つの要因と、密接に絡んでいた。
実は、岐阜城を受け取った信孝は、幼主三法師を抱えたまま、離さなくなったのだ。清須会議の決定では、三法師は、安土城に移ることとなっていた。ところが、安土城は、本能寺の変後の6月15日に謎の火災で焼失していた。
ただし、焼失したのは、壮麗だった天守と本丸のみで、それ以外は焼けてはいなかった。だが、天下の政庁に相応しい状況に戻すべく、丹羽長秀が再建に奔走していたが、思うように進まなかったらしい。
安土城再建が遅延するなかで、信孝は三法師を自らの手中に置き、あたかも信長の後継者であり、かつ天下人に相応しい人物として振る舞うようになったという。そればかりか、信孝は、京の公家衆、門跡、寺社への継目安堵状を発給し始めたばかりか、訴訟への対応も始めていた。
これは、完全に清須会議の決定からの逸脱であり、とりわけ山城国を領有し、京の統治に携わる秀吉への干渉となった。明らかに、信孝の越権行為が始まったわけだ。これに対抗するように、秀吉は、山城国に山崎城を居城とするための普請を開始し、統治者が自分であることを京の人々に示そうとした。
■それでも秀吉が信孝を支持したワケ
こうした混乱のなか、秀吉が、濃尾国境問題で信孝を支持したのは、三法師と信孝を引き離すため、信孝に忖度したからだろう。
だが、秀吉が山城国に築城したことは、信孝と勝家を刺激した。それは、天下の中枢たる京への支配力を強めようとする秀吉への反発となったからである。
こうして、信雄と信孝、秀吉と信孝・勝家という対立が始まり、「織田体制」の内部抗争は激しくなった。当時、これは「上方忩劇」と呼ばれ、この結果「織田体制」は、総力を挙げて北条氏と戦う家康に、援軍を送ることが出来なくなったのである。
こうした抗争が激しくなってきたなか、秀吉は、天正10年10月15日、織田信長の百ヶ日法要(葬儀)を京の大徳寺で実施した。信長の葬儀は、早くから実施が望まれており、秀吉がこれを強く求めていたが、「織田体制」の内部抗争によりまったく実現しないまま、時間が経過していた。
信長の葬儀については、信雄も秀吉主導で実施されることを嫌ったため、信雄・信孝兄弟、柴田勝家は賛同しなかったらしい。
そこで秀吉は、9月、京の本圀寺で、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一らと協議し、信長の葬儀を実施することで合意を取り付けた。
■クーデターで分裂した「織田体制」
つまり、織田家宿老衆と傅役五人のうち、3人が合意した形をとったわけだ(池田恒興も息子照政を葬儀に出席させているので、賛成したのだろう)。
そして秀吉は、養子秀勝(信長の五男)を喪主とし、三法師、信雄、信孝、勝家にも出席を求め、葬儀を執行した。彼らは、いずれも出席せず、信雄・信孝兄弟は、葬儀を中止させるために京に攻め込んでくるとの噂が流れたほどだった(『晴豊記』)。
葬儀終了後、秀吉は次なる一手を打った。信孝が三法師を離さぬ以上、秀吉にいかなる事情があろうと、彼との対立は、すなわち主家織田家への反逆となってしまう。
このジレンマから脱却するために、秀吉は、10月28日、京の本圀寺で丹羽長秀・池田恒興と会談し、三法師を信孝が離さぬ現状では、「織田体制」が機能不全に陥ってしまっているとして、三法師が成人するまで、信雄を「名代」とし、彼を時限的な織田家の家督に据えることに決めた(『蓮成院記録』『兼見卿記』他)。
この合意は、ただちに同盟国であり、織田一門大名でもある徳川家康に伝えられ、家康はこの決定に同意している。
この結果、暫定的ながら、三法師に代わる織田家家督信雄が誕生することとなり、それを秀吉・長秀・恒興の三宿老が支え、堀秀政もこれに参加する体制が整えられた。そして、信孝と勝家は、ここから排除されたのである。
ここに、清須会議による合意の枠組み(「清須体制」)が崩壊し、「織田体制」は分裂した。この決定を、秀吉らのクーデターと呼ぶ研究者もいるが、その通りであろう。
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歴史学者、健康科学大学特任教授
1964年、東京都生まれ。立教大学大学院文学研究科博士前期課程史学専攻(日本史)修了。山梨県立博物館副主幹、山梨県立中央高等学校教諭などを経て、現在は健康科学大学特任教授。大河ドラマ「真田丸」「どうする家康」の時代考証を担当。著書に、『真田信繁』『武田氏滅亡』『戦国大名と国衆』『徳川家康と武田信玄』(角川選書)、『戦国の忍び』『小牧・長久手合戦』(角川新書)、『天正壬午の乱 増補改訂版』(戎光祥出版)、『新説 家康と三方原合戦』(NHK出版新書)、『徳川家康と武田勝頼』(幻冬舎新書)などがある。
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(歴史学者、健康科学大学特任教授 平山 優)
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