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〈NHK大河〉なぜ蔦重は弱小書店→メディア王になれたのか…躍進のきっかけになったライバルの予想外の行動

プレジデントオンライン / 2025年1月12日 10時15分

2024年1月19日、フランス・パリで開催されたパリ・ファッション・ウィークのメンズウェア2024/2025年秋冬コレクションで、ディオール会場の外に現れた横浜流星さん - 写真提供=ゲッティ/共同通信イメージズ

NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の主人公、蔦屋重三郎とはどんな人物か。歴史評論家の香原斗志さんは「江戸を代表する出版人になった彼の原点は、『吉原に人を呼ぶ工夫』である。彼が手掛けた書籍には、それが散りばめられている。」という――。

■吉原の遊女が強いられていた悲惨な境遇

2025年のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」がいよいよはじまった。第1回の「ありがた山の寒がらす」(1月5日放送)では、吉原で生まれ育った主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)が、吉原の現状を憂いて模索する場面が描かれた。

なにしろ、老中の田沼意次(渡辺謙)の屋敷にあいさつに訪れた商人の荷物持ちを買って出て、田沼に直談判までしたのである。

その前には、吉原の遊女たちの悲痛な場面が続けざまに描かれた。

吉原で遊ぶのは高いから客が来にくいが、遊郭が火事で焼けた際の仮宅(臨時の遊郭)には客が押し寄せるので、それに期待して火をつけ、連行される遊女。食事を同僚に分けあたえ、自分は衰えて死んでいった遊女。裸で横たわる複数の女性が画面に映し出されたが、それは着物すら売り物にするために引きはがされ、虫けらのように埋められてしまう遊女の悲惨な境遇を強調するためだった。

吉原が不振である理由を、蔦重の周囲の人たちは、岡場所と宿場のせいだと語っていた。吉原は幕府が公認した江戸唯一の遊郭だが、そのぶん高い。一方、非公認の遊郭である岡場所や、事実上の遊郭と化していた江戸四宿(品川宿、内藤新宿、千住宿、板橋宿)では、安く遊べる。このため吉原の客離れが起きている、というのだ。

■蔦重の原点は「工夫」

蔦重はまず妓楼や茶屋の経営者に、遊女たちの待遇改善を頼み込むが、相手にしてもらえない。そこで田沼邸に乗り込んで、田沼意次に直々、岡場所や宿場を取り締まる「警動」をしてくれないかと談判した。

幕府公認ゆえに運上や冥加、すなわち税金をちゃんと納めている吉原が、非公認の遊郭に押されているのは道理に合わない――。それが蔦重の主張だが、意次は「警動はできない」という。宿屋を発展させて経済を活性化するのは「国益」だというのだ。

そのうえで意次が放った言葉が、蔦重の心をとらえた。「人を呼ぶ工夫が足りないのではないか。お前はなにかしているのか、客を呼ぶ工夫を」。蔦重は答えた。「お言葉、目が覚めるような思いがいたしやした! まこと、ありがた山の寒がらすにございます」。たしかに蔦重の人生を振り返れば、「人を呼ぶ工夫」こそが原点である。

むろん、22~23歳でなんら実績のない蔦重が、この時点で老中たる田沼意次と対面できたとは到底思えないが、「べらぼう」の核をなす重要人物2人の結びつけ方としては、的を射ていたのではないだろうか。

初代歌川広重「江戸名所 吉原仲の町桜時」
初代歌川広重「江戸名所 吉原仲の町桜時」(写真=ロサンゼルス・カウンティ美術館/Images from LACMA uploaded by Fæ/Wikimedia Commons)

■吉原のガイドブックの編集

さて、実際のところ蔦重は、吉原を宣伝すべく「工夫」を凝らしていく。その活動が最初に確認できるのは、安永3年(1774)刊の吉原細見『細見嗚呼御江戸(さいけんああおえど)』である。ただし、蔦重自身が出版したのではない。老舗の地本問屋(江戸生まれの本を出版、販売する本屋)であった鱗形屋が刊行した鱗形屋孫兵衛版だった。

「吉原細見」とは、吉原全体の地図のほか、町ごとに遊女屋と、そこに所属する遊女の源氏名や位置づけ、揚げ代(遊女と遊ぶ料金)、客と遊女屋を取り結ぶ引手茶屋や、船で吉原に通う客の送迎をする船宿の一覧などが、すべて盛り込まれた冊子だった。

いわば、吉原で遊びたいと思う者には必携の情報誌で、行事が行われる日などについても記され、毎年春と秋の年回、刊行されるのがならわしだった。

この『細見嗚呼御江戸』では、「改め」に携わった者として蔦重の名が載せられている。「改め」とは、掲載情報を最新化するために取材し、得た情報を記事化する仕事を指す。つまり蔦重は、編集記者として細見制作に参加し、「人を呼ぶ工夫」をはじめたのである。

■意外な人物に序文を依頼

蔦重は安永元年(1772)には、吉原で茶屋を営む義理の兄の軒先を借りて、耕書堂という本屋を開いていた。そして安永2年には、「吉原細見」の販売をはじめたようだが、それまで長く「改め」を務めた木村屋善八に代わって蔦重が「改め」に起用されたのは、たんに売る以上の手腕が認められたということだろう。

当時の本屋は本を売るほか、貸本が重要な事業だった。蔦重は吉原が本拠なので、本を借りてもらうために遊郭や茶屋などに足しげく通ったはずだ。いきおい各店や遊女などの事情にも詳しくなり、版元としては「編集記者」を任せてみたくなったものと思われる。

そして『細見嗚呼御江戸』を見るかぎり、蔦重は編集全体に大きく関わり、以前の「吉原細見」との違いに、蔦重の才覚と手腕が見てとれる。

『細見嗚呼御江戸』の前に、安永2年(1773)秋に刊行された『這嬋観玉盤(このふみづき)』は、まだ「改め」を木村屋善八が行ったことになっているが、それまで横本形式だったのが縦本に改められ、その後は縦本が踏襲される。要は見やすくしたのだが、蔦重がこのレイアウトを後々も踏襲していることから、最初から蔦重のアイディアだった可能性が高い。

また、『細見嗚呼御江戸』は静電気発生装置「エレキテル」で知られる平賀源内が「福内鬼外」の名で序文を書いており、これも蔦重の発案だと考えられている。自分が携わった以上は、読みやすさや話題性に徹底的にこだわるという姿勢が見える。

「平賀鳩渓(源内)肖像」
「平賀鳩渓(源内)肖像」(『戯作者考遺補遺』表紙絵)。木村黙老画。慶応義塾図書館収蔵(写真=CC-PD-Mark/Wikimedia Commons)

■躍進の意外なきっかけ

『細見嗚呼御江戸』が出たのと同じ安永3年(1774)7月には、蔦重としては最初の出版物である遊女評判記『一目千本』が刊行されている。吉原の遊女たちが1ページに2人ずつ並べられ、四季の花々(挿し花)になぞらえて描かれ、その絵は評判の高かった北尾重政が担当した。

蔦重は最初、これを販売せずに一流の妓楼にだけ置いたようだ。結果として、評判になり妓楼や遊女屋から贈答用としての注文が舞い込む。しかも、この売り方なら売り残しも生じない。見事な企画力というべきだろう。

翌安永4年(1775)には似た企画として『急戯(にわか)花の名寄』を出版したが、こちらは遊女を花に見立てたりせず、もっと直接的な評判記に仕立てている。吉原に「人を呼ぶ工夫」としても、一歩進んだのである。

そして同年、ついに「吉原細見」の出版に参入した。きっかけは「敵失」だった。

これを長く出版してきた鱗形屋の手代の徳兵衛が、大坂の版元が出版済みの本を、勝手に別の名に改題して出版してしまった。今日でいえば著作権侵害だが、それは当時もご法度であり、徳兵衛は江戸から追放され、店主の孫兵衛も罰金刑に処された。このため鱗形屋の経営が不安定になり、この年の秋の「吉原細見」が刊行できなくなった。

その間隙を突き、蔦重がみずから出版したのである。以後、「吉原細見」は蔦重を象徴する重要な出版物となった。

■ライバル・鱗形屋版を駆逐する

蔦重版の「吉原細見」は、それまでとは明らかに異なっていた。鱗形屋版も最初は横本だったのが、おそらく蔦重のアイディアで縦本に変更されたことはすでに記した。だが、縦型小本だったのを、蔦重は自身が出版する段になって、一回り大きな縦型中本に変えたのである。

こうして大きくしたことで、道をはさんで2軒の遊女屋の記事を1ページに盛り込めるようになった。見やすさが向上したのはもちろんだが、同時に、紙の枚数を減らすことができた。

「吉原細見」(蔦屋重三郎、安永8年(1779)国立国会図書館デジタルコレクション)より。冒頭にあるのは遊女のランク(右上)。それまでの鱗形屋版よりわかりやすい工夫がされている。
「吉原細見」〔蔦屋重三郎、安永8年(1779)国立国会図書館デジタルコレクション 〕より(参照 2025年1月9日)。冒頭にあるのは遊女のランク(右上)。それまでの鱗形屋版よりわかりやすい工夫がされている。

当時の出版物は木版だったので、ページが増えるほど版木の枚数も増え、すると彫師や刷師の人件費も高くついたが、その点でもコスト削減につながった。蔦重のアイディアのおかげで経費を抑えられ、安価で販売できることにもなったわけだ。

もちろん、販売する側にとっても卸値が安いのは助かる。しかも、既述のように蔦重は吉原に精通していたために、掲載情報の信頼性も高かったと思われる。

この翌年の安永5年(1776)からは鱗形屋版「吉原細見」も復活したが、もはや蔦重版の敵ではなかった。マーケットは次第に蔦重版に独占され、ついには鱗形屋版は駆逐されてしまった。蔦重には吉原に「人を呼ぶ工夫」を幾重にも重ねる才覚があったのである。

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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。

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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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