手の施しようない患者が「これが僕の人生」と笑顔で死にゆく…それを「きれいだ」と感じた東大卒医師が貫く信念
プレジデントオンライン / 2025年1月13日 10時15分
※本稿は、『医学部進学大百科2025完全保存版』(プレジデントムック)の一部を再編集したものです。
■「自分らしく生きる」とは、自分らしく最期を迎えること
東京都板橋区に、一風変わった名称の病院がある。
「おうちにかえろう。病院」だ。
退院したら家に帰るのは当たり前ではない人たちがいる。在宅医療を受けている人たちだ。老々介護や認知症を抱えている状態でもなんとか自宅で生活していた人たちが、肺炎や骨折をきっかけに入院すると、もともとの病気が治ったとしても、「もうこの状態で自宅での生活は無理だろう」という医療者の判断で、自宅に帰れなくなってしまうことが多いのだという。たとえ「最期は自宅で」と願っていたとしても。
厚生労働省の調査によると、約7割の人が「最期を迎えるなら自宅がいい」と考えているというが、2021年の統計では「在宅死」の割合はわずか17%。この中には、自宅での事故死や死後に発見された数も含まれていて、実際に在宅医療を受けての看取りはその半分程度だという。
「70年には日本の人口は9000万人を割り込むといわれていて、その4割ほどが高齢者になります。何かしらの体の不具合を抱えながら生きる人が増えていく中、これまでの『病を治す』医療だけでは立ちいかなくなる。当院では、退院後は自宅で生活することを前提に、入院中から食事の準備や片付け、着替えなども自分でできるよう練習してもらいます」
そう話すのは、「おうちにかえろう。病院」を運営する医療法人社団焔(ほむら)の理事長・安井佑さんだ。
安井さんは語る。
「『自分らしく生きる』ことの大切さは、皆さんよくおっしゃいます。『自分らしい最期』を迎えることも、『自分らしく生きる』ことの一つではないでしょうか」
在宅医療を行う「やまと診療所」、訪問看護を行う「おうちでよかった。訪看」、訪問歯科の「ごはんがたべたい。歯科」、そして全床地域包括ケア病棟の「おうちにかえろう。病院」。これら四つの事業全体をまとめて「TEAM BLUE」と名乗っている。
TEAM BLUEが自分たちの「使命」として掲げているのが「温かい死」だ。残された時間を住み慣れた家で温かく過ごしてほしい、家族や友人に囲まれて感謝と愛に満ちた最期を迎えてほしい、「温かい死」にはそんな思いが込められている。
■ミャンマーで知った医療の本質とは何か
安井さんは東京生まれ。電機メーカーに勤めていた父の海外赴任に同行し、小学生時代をイギリスで過ごし、中学3年から高校1年にかけてはアメリカで暮らした。大きな転機が訪れたのはアメリカでのこと。父にがんが見つかったのだ。
一家は急きょ帰国。すぐに治療を開始したものの、父は3カ月で他界した。父が旅立つまでの間、安井さんはもどかしい思いに苦しんだ。父の病状はどうなのか、どうしてこういう治療を行うのか、これから父はどうなるのか……。医師の説明は専門知識のない家族にとって、「壁のあちら側」の話に聞こえた。疑問や不安があっても、「よろしくお願いします」と委ねるよりほかになかった。
父の死後、安井さんは強く思った。
「こんな思いはもう二度としたくない。自分も『壁のあちら側(医療側)』に入り、大切な人が病に倒れたとき、その状態を正しく知り、どうすべきかを自分で判断できるようになりたい。そのために医学を学ぼう」
大学は東大に進んだ。母子家庭となった安井家。経済的な負担をかけないため、自宅から通える国公立大学しか選択肢はなかった。
医師国家試験に合格後、当時始まったばかりの2年間の初期研修制度を千葉県内の病院で修了。仲間たちはこの後、それぞれの専門に分かれ、医師としての道を歩み始めることになる。
しかし安井さんは、ふと考えてしまった。もともと「医師」に強い憧れがあったわけではない。「医学を学ぶ」こと自体が目的であり、それには一段落つけることができた。
さて、どうしよう。
気になっていることがあった。これまで過ごした日本、イギリス、アメリカはいずれも先進国で、自分はどこかで甘やかされている気がしていたのだ。
開発途上国の、医療を含め社会制度がまだ整っていない中で懸命に生きている人々のリアルな生と死に接したい……。
そんなときに紹介されたのが、小児外科医・吉岡秀人氏が設立したNPO法人ジャパンハートだった。現在はミャンマー、カンボジア、ラオスなどの、貧困で苦しむ人々に医療を届ける活動を行っている。
ジャパンハートに参加した安井さんは、軍事政権下のミャンマーに渡った。そこで見たのは、先天性疾患を抱えて生まれたり、がんになったりしても貧しさゆえに医師に診てもらうことができない人々。必要な手術を受けることができずに死んでいく人々。日本では想像もつかないような「リアル」だ。
と同時に、日本とはまったく異なる死生観に衝撃を受けた。
「ミャンマーの人々には、輪廻(りんね)転生を背景に『人は、生まれたら必ず死ぬのが当たり前』という考えが根付いているようでした。手の施しようのない若い患者が『これが僕の人生だ』と受け入れて笑顔で死んでいくんです。私はそれを見て『きれいだ』と感じてしまいました」(安井さん、以下同)
また、次々に訪れる患者を診る中で気づいたこともある。
「病気やけがで困っている人が救いを求めてくる。だから医師はそれに対応する。医師の本質は『手伝い』に過ぎない。中心となるべきは医師ではなく、患者やその家族なんだ」
父の闘病中に安井さんが疎外感を感じたのは、医療側がその中心にいたからかもしれない。
■患者が中心にいる最期の時間を在宅医療で
ミャンマーからの帰国後、安井さんは、形成外科の現場で腕を磨いていた。東日本大震災では、発生から数年間にわたって三陸に通い医療をサポートした。
そこで知ったのが「在宅医療」だ。
在宅医療とは、高齢などの理由で通院や入院が困難な人の自宅などへ、医師が訪問して医療を行う制度のこと。医療器具の発展により、緩和ケアの領域などでは病院と同等の医療サービスを受けることができる。
「病院という箱モノがなくても、医療はできる。しかも、それまで続けてきた毎日の営みの場で最期を迎えることができるとしたら、ミャンマーで見たような、患者本人が中心にいる最期の時間を実現することができるんじゃないか」
1年後、安井さんは「やまと在宅診療所高島平」(現やまと診療所)を立ち上げた。
やまと診療所は、最初から順調だったわけではない。理想的な「看取り」で家族から感謝されることがある一方、描く理想をなかなか実現できないことも続いた。
その中で生まれたのが、医師、看護師に「在宅医療PA(以下、PA)」を加えたチーム体制だ。PAは「Physician Assistant」の略で、診療をサポートする。
「PAは患者さんや家族の思いを聞いて、患者さんの残された時間の中での“物語”を一緒に考えます。PAこそが、私たちTEAM BLUEの核なのです」
その後、訪問看護や訪問歯科などの事業もスタートさせ、在宅での医療サービスが充実。21年には、「おうちにかえろう。病院」を開業した。現在、都内7区で、患者数は1100人超、年間500人以上の看取りを支えている。
23年からは、在宅医の養成も始めた。
安井さんは医師として医療の現場に立つことはなくなり、TEAM BLUEの指揮官の役割を担っている。
「医学を学び、医師としての経験があるからこそ実現できることもあると思います。『温かい死』のための在宅医療もその一つだと思います。多くの人が最後まで『自分らしく』生きることができる社会を、私は実現したいと考えています」
「温かい死」が日本中に広がることを祈らずにいられない。
安井 佑さん
医療法人社団 焔 理事長 「おうちにかえろう。病院」開設TEAM BLUE 代表
経歴
2005年 東京大学医学部卒業後、国保旭中央病院で研修。「ジャパンハート」に参加して1年半、ミャンマーで医療支援活動に従事
2009年 杏林大学病院、東京西徳洲会病院勤務
2013年 33歳のとき、東京・板橋区に「やまと在宅診療所高島平」(現やまと診療所)開業
2015年 医療法人社団焔設立。在宅医療PA®(医療・看護以外をサポートするフィジシャンアシスタント)制度設立
2017年 代々木上原、荒川、ときわ台にも拠点設立
2020年 TEAM BLUE発足、「おうちでよかった。訪看」「ごはんがたべたい。歯科」開設
2021年「おうちにかえろう。病院」開設
2024年 在宅医の教育プログラム「AHC」開講。「やまと診療所練馬」開設
(プレジデントFamily編集部 文=金子聡一 撮影=市来朋久 一部写真は本人提供)
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