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「ベンツ一台」の高級品がゴロゴロある…激安で墓石引き取り供養する「墓石の墓場」で発見したモザイクアート

プレジデントオンライン / 2025年1月10日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Jacob Wackerhausen

■53基、約5トン分の墓石を土の中に埋めた

「墓じまい」や「寺院消滅」が進む中、墓石の処分問題が浮上している。

墓石の多くは産業廃棄物として粉砕処理され、土木工事などで再利用される。だが、「先祖代々受け継いできた墓を捨てるのは忍びない」として、墓石を引き取り、供養を続ける寺がある。その数、数万基にも及び、なんとも不思議な景観を作り出している。

近年、しばしば墓石の不法投棄によって、業者が検挙される事案が発生している。

2018(平成30)年に宮城県岩沼市の解体業者が、墓石約11トンを投棄した疑いで逮捕されている。また、翌2019(令和元)年には、福岡県北九州市の土木会社の経営者が産業廃棄物処理法違反(不法投棄)で逮捕された。経営者は同市の霊園で墓じまいが生じた際の墓石の処理を委託されていた。墓石53基(約5トン)分の処分費を浮かせるために、土中に埋めたらしい。

不法投棄ではないものの、住民を不安に陥れた事例もある。2018年、福岡県西区の今津干潟で30基ほどの古い墓石が無造作に転がっているのを、住民が発見して通報。潮が引くと、戒名や没年が刻まれた墓石がいくつもむき出しになるような状態だった。調査の結果、別の地域の寺院に置かれていた墓であることが判明した。寺に納骨堂ができたことで、大量に残ってしまった墓が再利用され、護岸の基礎に使われたという。原型を留める状態で土木資材に使われれば、地域の人は心理的にあまりいい気分にはならないだろう。

墓じまいの急増に伴い、墓石が彷徨いだす――。そんな、シャレにもならない事態が現実になっているのだ。厚生労働省「衛生行政報告例」によると、最新の調査である2023年度の改葬(事実上の墓じまい)の数は全国で16万6886件。2008年度では7万2483件だった。15年前の水準の2倍以上になっている。同時に、撤去された墓石の行き場が問題になっているというわけだ。

■アスファルトの下地や建設資材、鉄道の敷石に転用

ここで「墓じまい」の流れを説明しよう。まず、菩提寺の住職が「性根(魂)抜き」の儀式をする必要がある。性根抜きを実施しないと、心理的な抵抗感が生まれ、石材業者が撤去を拒否することがある。儀式を済ませた上で、遺骨や土葬遺体を取り出す。東京や東日本の多くの地域では、骨壺ごとカロート(納骨室)に安置していることが多く、そのまま取り出せばよいので簡単だ。

だが、関西地方などでは遺骨を骨壺からざらっと出して、納骨することが多い。したがって、遺骨が「土」に還っていることもある。遺骨が残っていない場合には、「一握の土」を遺骨替わりにする。

鵜飼秀徳『仏教の未来年表』(PHP新書)
鵜飼秀徳『仏教の未来年表』(PHP新書)

厄介なのは、土葬墓である。地方都市や離島などでは、土葬墓が現存していることがある。長方形の広めの区画で、古い墓石が傾いているようなケースは土葬墓である可能性がある。

この場合は重機で3メートルほど掘り返し、遺骨が残っていれば回収する。比較的、遺体が残りやすいアルカリ性の土壌だと、頭蓋骨に髪の毛が残っていたり、遺体が死蝋化していたりすることも。土葬遺体は、改めて火葬することになる。遺骨が残っていない場合は、やはり、墓地区画の土を「遺骨」に替えて、一握り取る。

遺骨を取り出した後に、墓石を撤去する。墓碑銘が書かれた竿石や霊標、竿石を支える台石、カロート、区画を囲んでいる巻石、卒塔婆立てなどを取り外し、更地に戻す。

通常、撤去された石は石材業者が、産廃業者へと渡す。多くは砕いて、アスファルトの下地や建設資材として再利用される。かつては鉄道の敷石にされたケースもあった。ご先祖様の魂が眠っていた墓が、道路や鉄道などのインフラに転用されているとは、知る由もない事実だろう。

アスファルトの施設工事
写真=iStock.com/Bogdanhoda
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Bogdanhoda

だが、「粉砕されるのは忍びない」として、墓石を引き取って供養する寺院があるという。現地を取材した。

■墓石を引き取って供養する「墓石の墓場」で発見したもの

広島県福山市街地から山道を車で走らせること40分。カーブを曲がると大量の墓石でできた「山」が、視界に飛び込んできた。ここが関西や中国地方一円から運び込まれてくる、墓石の安置場である。

福山市の不動院の墓石安置所
撮影=鵜飼秀徳
福山市の不動院の墓石安置所 - 撮影=鵜飼秀徳

1万平方メートルもの広大な敷地に8万基以上も置かれているという。墓石は縦に隙間なく、ギッシリと積まれている。上部から眺めれば、モザイクアートのようにも見える。ところどころ、大きなオベリスク型の墓が突き立っているが、これは近代における戦争で英霊となった軍人の墓である。

「天保(1830〜44年)」「安政(1854〜60年)」といった江戸時代の墓から、十字架がついたキリスト教式の墓、石仏、巨大な合祀型永代供養墓など、ありとあらゆる墓石が眠っている。高級石材の庵治石の墓は新規で建立しようものならベンツ1台分くらいはする代物だが、ここにはゴロゴロとある。いわば「墓石の墓場」である。

驚くことに「令和六年一月三十日寂」と彫られた霊標もあった。わずか1年前に納骨された墓が、早くも墓じまいされているのだ。どういう事情があったのかは分からないが、気分が重くなった。

この墓石安置所を作ったのが、福山市内にある天台寺門宗の不動院である。知り合いから「墓石を置く場所がない」との相談を受けた住職の三島覚道さんが、2001(平成13)年から墓石の受け入れを始めた。

「人を祀っていた墓石が機械で割られていくのが忍びない。宗教を問わず、うちで引き取って供養したい」(三島さん)

不動院が受け入れを始めると、瞬く間に噂が広がり、遠くは東北からも業者が墓石を持ってくるようになった。トレーラーでまとめて100基以上も積んでくる業者も珍しくはない。個人で運んでくる人もいる。過去には廃寺になった寺院の墓石が、まとめて持ち込まれたこともあったという。

福山市の不動院の墓石安置所
撮影=鵜飼秀徳
福山市の不動院の墓石安置所 - 撮影=鵜飼秀徳
福山市の不動院の墓石安置所
撮影=鵜飼秀徳
福山市の不動院の墓石安置所 - 撮影=鵜飼秀徳

安置料は、大きさにかかわらず1基あたり2500円と格安だ。安置所に置かれるのは、墓碑銘が書かれた竿石だけ。台石や巻石は敷地内で粉砕され、竿石を支える基礎の砂利として利用される。

安置場が眺められる場所に、供養塔と地蔵菩薩が立てられ、定期的に三島さんが読経をしている。たまに、墓石の持ち主が、花と線香を供えにやってくることもあるが「心苦しいが、持ち主の墓石を探すことは不可能」(不動院)という。

福山市の不動院の墓石安置所
撮影=鵜飼秀徳
福山市の不動院の墓石安置所 - 撮影=鵜飼秀徳

■織田信長や明智光秀の居城にも墓石が使われている

墓じまいの加速によって、近年、持ち込まれる墓石は増える一方だ。安置場のキャパシティは限界に達しつつあるため、現在、山をさらに切りひらいて第二安置場を造成中とのことだ。

こうした墓石の墓場は他にもある。京都市西京区の金蔵寺もまた、持ち主がいなくなった墓石を引き取り、集積してきた。京都市の西の端、大阪府にも近い山の中に「金蔵寺無縁塚」と呼ばれる墓石の安置所がある。そこには関西一円から持ち込まれた墓石が1万基以上、整然と並べられて、供養されている。

また、愛知県豊田市の妙楽寺でも墓石の引き取り供養を実施し、ここでも定期的に清掃や供養が実施されているという。

子孫が供養することがなくなった墓が、一箇所に集められて供養される。そうして、粉砕処分を免れた墓は、「第二の人生」を歩み出す。

ここまで、墓石の墓場という特殊な事例を紹介したが、実は半世紀ほど前までは、墓石の安置場はどの地域でも見られたものだ。境内墓地や霊園の片隅に、ピラミッド状に積み上げられた無縁墓の集積体を、見たことがある人も少なくないだろう。

また、戦後しばらくは無縁墓が「再利用」されていたこともある。墓石の正面には「◯◯家之墓」、側面には建立主や戒名などの個人情報が刻まれているものだが、表面をスライスして、新たな銘を刻むのだ。したがって、墓の竿石の奥行きが薄っぺらい直方体になってしまう。昔は、石材は貴重であったため、なるべく墓石も再利用したのだ。実に、合理的かつエコな発想である。

だが、どの境内墓地も無縁墓エリアのキャパシティがなくなってきた。また、石材に対する価値の認識が失われ、また安価な輸入材が入ってきたことなどから、墓石への愛着がなくなり、あっさりと撤去するケースが目立っているのだ。

やむなき墓じまい後の墓石の再利用(リフォーム)は実に理にかなった、墓の維持・活用法ともいえる。その実例を各地の「城」に見ることができる。石垣や石畳への転用である。

例えば、明智光秀の居城であった福知山城。1579(天正7)年に築城されたと伝わる。その石垣には、墓石が使われている。福知山城は3層4階の秀麗な天守閣で知られている。天守閣を支える石垣をつぶさに見ると、自然石に混じって加工・彫刻された立方体や直方体の石が混じっている。蓮台の彫刻も確認できる。これらは、墓石を石垣に利用した「転用石」と呼ばれるものだ。

安土城の石垣や踏み石に、石仏や墓石が使われている
撮影=鵜飼秀徳
安土城の石垣や踏み石に、石仏や墓石が使われている - 撮影=鵜飼秀徳

明智光秀が墓石を築城に使った理由は諸説あるが、地域の寺院勢力を削ぐために、寺院墓地を破壊することで権力を誇示しようとしたとも伝わっている。

1986(昭和61)年に天守閣の再建が行われた際、福知山市が石垣の調査を実施すると、およそ500基もの墓石が石垣に転用されていることが認められた。墓の種類はさまざまで、宝篋印塔や五輪塔という格式の高い墓の石が使われていた。城内には、転用石の展示コーナーもある。

安土城の石垣や踏み石に、石仏や墓石が使われている
撮影=鵜飼秀徳
安土城の石垣や踏み石に、石仏や墓石が使われている - 撮影=鵜飼秀徳

織田信長が築いた安土城も然り。天守閣へと向かう石畳に五輪塔や、墓石として使われた石仏が使われている。合理的といえば合理的だが、墓を踏みつけるのはどこか躊躇させられるものがあるのも、正直なところではある。

墓じまいを考えている人は、「墓の末路」にも関心を寄せてほしい。

ピラミッド型に積まれた無縁墓(小豆島にて)
撮影=鵜飼秀徳
ピラミッド型に積まれた無縁墓(小豆島にて) - 撮影=鵜飼秀徳

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鵜飼 秀徳(うかい・ひでのり)
浄土宗僧侶/ジャーナリスト
1974年生まれ。成城大学卒業。新聞記者、経済誌記者などを経て独立。「現代社会と宗教」をテーマに取材、発信を続ける。著書に『寺院消滅』(日経BP)、『仏教抹殺』(文春新書)近著に『仏教の大東亜戦争』(文春新書)、『お寺の日本地図 名刹古刹でめぐる47都道府県』(文春新書)。浄土宗正覚寺住職、大正大学招聘教授、佛教大学・東京農業大学非常勤講師、(一社)良いお寺研究会代表理事、(公財)全日本仏教会広報委員など。

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(浄土宗僧侶/ジャーナリスト 鵜飼 秀徳)

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