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あんなに好条件だったのに…「日本製鉄に買収してほしい」USスチールの従業員たちがそう切望する本当の理由

プレジデントオンライン / 2025年1月10日 9時15分

2024年9月4日、日本製鉄による買収を支持し、ペンシルベニア州ピッツバーグの本社前で集会を行うUSスチール社の従業員たち - 写真=AFP/時事通信フォト

アメリカのバイデン大統領が日本製鉄による米製鉄大手USスチールの買収を阻止する意向を示した。国家の安全保障にかかわるとして日本企業による買収を拒むバイデン氏だが、USスチールの現地従業員からは落胆の声が上がっているという――。

■バイデン大統領が示した買収阻止の衝撃

アメリカのバイデン米大統領は1月3日の声明で、日本製鉄による米USスチールの140億ドル(約2兆2000億円)規模の買収案を阻止する方針を表明した。

CNNによるとバイデン大統領は声明で、「鉄鋼生産と、それを生産する鉄鋼労働者は我が国の屋台骨だ。国内で所有・運営される強力な鉄鋼産業は、国家安全保障上の不可欠な優先事項であり、強靭なサプライチェーンにとって重要である」と、買収阻止の理由を説明した。

買収対象となったUSスチールは、米国の製鉄業界を代表する企業だ。1901年の設立直後に世界で初めて企業価値10億ドルを達成し、現在は従業員1万4000人を抱える。そのうち1万1000人が全米鉄鋼労働組合(USW)の組合員だ。

米国最大の鉄鋼労働者組合であるUSWは、バイデン氏による買収拒否に賛同。「組合員と国家安全保障のために正しい判断だと確信している」と、今回の決定を支持する声明を発表した。

一方、USスチールと日本製鉄は強く反発している。両社は共同声明で「大統領の声明と命令は、国家安全保障上の問題に関する信頼できる証拠を示していない。これは政治的な決定であることは明らかだ」と指摘し、法的対応も辞さない構えを示した。

今回の買収計画の一部として、27億ドル(約4300億円)の投資計画が含まれていた。両社は「この取引の阻止は、USスチールの老朽化した施設の寿命を延ばすための数十億ドルの投資を否定し、何千もの高給で家族を養える組合の仕事を危険にさらすことを意味する」と警告している。

■衰退のUSスチール、従業員34万人から2万人に減少

経営再建が急務のUSスチール買収をめぐり、現地労働者からも日本製鉄による買収を支持する声が上がっていた。

ニューヨーク・タイムズ紙は、多くの従業員が「会社(USスチール)は投資を切実に必要としている」などとして、日本製鉄による買収に賛成の立場を示していた。

1901年創業のUSスチールは、米国を代表する鉄鋼メーカーとして知られる。シカゴの超高層ビル・ウィリスタワーやニューヨークの国連ビルなど、米国の象徴的な建造物の建設に鋼材を供給してきた。しかし、近年は業績が低迷。ニューヨーク・タイムズ紙によると、1940年代に34万人を数えた従業員は、現在、全米で約2万人にまで減少している。本社を置くペンシルベニア州では、従業員数は約4000人にまで落ち込んだ。

バイデン氏が拒否の姿勢を示す直前、従業員らの間には買収への期待が高まっていた。米ワシントン・ポスト紙は昨年12月20日、ペンシルベニア州の製鉄所集積地で催された集会の様子を詳しく伝えている。

記事によるとピッツバーグ近郊の工業地帯、モンバレーで12月中旬、USスチールの労働者たちが数百人規模の集会を開いたという。氷点下の厳しい寒さの中、参加者たちは日本製鉄による140億ドル規模の買収案の政府承認を訴えた。十数人の演説者が登壇し、群衆からは拍手と声援が上がったという。

■買収は雇用を守る「最後の希望」だった

米国鉄鋼労働者組合クレアトン支部2227の副代表ジェイソン・ズガイ氏は壇上で、「この素晴らしい取引は今後数十年にわたって私たちの雇用を確実なものにする」と強調した。さらに、「政治家たちには、この取引が私たちの仕事、家族、そしてコミュニティにどう影響するか、理解してもらう必要がある」と訴えた。

日本製鉄はモンバレーの3工場に対し、少なくとも10億ドル(約1600億円)を投じて設備を更新する計画を書面で約束している。USスチールもこれに賛同し、「(米政府の介入で)取引が破綻すれば、給与水準の高い数千人分の組合員らの仕事が危険にさらされることになる」と警告を発していた。

ワシントン・ポスト紙によると、労働者たちの支持は、同地域にとどまらない。アラバマ、インディアナ、ミネソタの各州にあるUSスチール施設の労働者たちも、ビデオ中継を通じて集会に参加し、買収支持を表明したという。

地元自治体からも支持の声が上がる。クレアトン市のリチャード・ラッタンジ市長は集会で「我々はこの取引を成立させる必要がある。そうでなければ、モンバレーは死んでしまう」と危機感を示した。

ペンシルベニア州のモンバレー製鉄所の入り口
写真=iStock.com/Althom
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Althom

■不安より投資への期待が上回る

仮に設備の更新が行き詰まり操業に支障を来せば、雇用喪失を招きかねず、地域経済全体への打撃となる。

クレアトン工場の労働者であるクリス・ディペルナ氏は、同紙の取材に応じ、「私は工場近くのガソリンスタンドで買い物をし、ピザ店でランチを注文しています。私の仕事がなくなれば、ここに来る理由もなくなるでしょう」と買収不成立への懸念を示していた。

当然、日本という外国からの企業がUSスチールの所有権を取得することに対し、一定の不安を抱く従業員もいる。だが、ワシントン・ポスト紙は、投資への期待が上回ると指摘する。

かつてUSスチールの溶鉱炉で働いていたボブ・フート氏は、同紙の取材にこう語る。

「私は外国企業による所有を好ましく思いません。しかし、資金を注入し、設備を改善し、雇用をこの地域に維持できるのであれば、私が知る限り、ほとんどの人が賛成しています」

■「他のどんな企業にも期待できない好条件」だったのに…

さらにUSスチールの経営陣も、日本製鉄による買収の実現により、必要な投資と技術改善が見込めるとして前向きな姿勢を示していた。

USスチール製鉄所
1970年代に撮影されたUSスチール・ゲーリー製鉄所(写真=Sequeira, Paul/U.S. National Archives and Records Administration/PD US EPA/Wikimedia Commons)

経営層や現場レベルでは買収への期待が高まっていたなか、バイデン氏が民主党寄りの労働組合からの政治的圧力で否決を決めたとされる。USスチールのデービッド・バリット最高経営責任者は自社ウェブサイトで、「バイデン大統領は重要な経済・安全保障の同盟国である日本を侮辱し、アメリカの競争力を危険にさらした」と強く反発している。

日本製鉄は買収案の提示にあたり、米側の製鉄能力の確保にも配慮を示していた。AP通信によると、同社はインディアナ州ゲーリーとペンシルベニア州モンバレーの高炉設備に27億ドルを投資するだけでなく、今後10年間は米政府の承認なしに生産能力を削減しないことを約束していた。

こうした好条件の提示を受け、USスチールのモンバレー製鉄所労働者たちは、労働組合の反対方針にもかかわらず、買収を支持していたという。USスチールの工場で働く同労働組合支部のズガイ副委長は、AP通信の取材に対し、「(日本製鉄は)モンバレーに投資する意志を示してくれた。10年間はレイオフを行わないとも約束した。こんな約束は、他のどの企業からも得られないだろう」と述べ、またとない機会を逃したと失望感を示す。

ペンシルベニア州のモンバレー製鉄所
写真=iStock.com/Althom
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Althom

■「日本製鉄はルール違反の常習者だ」労組会長の主張

こうした従業員らの買収への期待とは裏腹に、組合側は強い反対姿勢を示していた。日本製鉄の約束は信頼に足りないというのが組合側の主張だ。全米鉄鋼労働組合のデビッド・マッコール会長は、米公共放送PBSの取材に対し、「日本製鉄は、常習的に貿易ルールの違反者となっていることが証明されている。USスチールの買収を許せば、内部から我々の貿易システムを不安定化させる機会を与え、我々の国家安全保障とインフラ整備のニーズを損なうことになる」と批判している。

一方、日本製鉄は、中国企業が支配的な製鉄業界において、アメリカの鉄鋼業の競争力強化を支援する最適なパートナーになれると主張。さらに、高炉と競合する鉄鋼製品の中間材料である鉄鋼スラブの輸入も行わないと表明していた。英BBCによると、新日鉄とUSスチールは、買収計画が「アメリカの国家安全保障を脅かすのではなく、強化するもの」であると強調。中国からの脅威に対してアメリカの国内鉄鋼業を強化すると主張し、「すべての関係者と誠実に取り組んできた」と述べている。買収計画がこのまま頓挫すれば、最大の利益を得るのは中国製鉄業界であるとの見方がある。

日本製鉄はまた、地域や労働者の支持を得るためのPR活動を積極的に展開してきた。USスチールの従業員に対し、買収完了時の特別手当として1人当たり5000ドル(約79万円)、総額約1億ドル(約160億円)のボーナスを提示していた。こうした取り組みは一定の成果を上げており、PBSによると、ペンシルベニア州とインディアナ州の高炉立地地域では、市長や一部の鉄鋼労働者組合員の間で買収を支持する声が徐々に広がっていたという。

一方、地元紙のピッツバーグ・ポスト=ガゼット紙によると、現金のばらまきを批判する声もあったようだ。全米製鉄労働組合のマッコール委員長は、日本製鉄が提示した従業員への5000ドルの支払いを「単なる賄賂だ」と批判。これに対し、クレアトンの保守技術者アンディ・マッセイ氏は「それは賄賂ではなく、私たちの未来への投資だ」と反論するなど、意見が対立していた。

USスチール・クレアトン工場
USスチールのクレアトン工場(写真=Roy Luck/CC-BY-2.0/Wikimedia Commons)

■従業員は失望…トランプ氏の采配に望み

バイデン氏が国家安全保障上の懸念を理由に阻止を決定したことを受け、製鉄所労働者らから失望の声が相次いでいる。CBSニュースが現地で取材した。

クレアトン製鉄所の保守技術者であるアンドリュー・メイシー氏は、「(設備投資、製鉄能力の維持、ボーナス支給など)日本製鉄が約束している全てのことを考えると、これが良くないと言える人がいることが信じられない」と語る。メイシー氏は1986年にUSスチールの別工場で解雇を経験しており、今回の買収阻止の知らせを受け、「体が麻痺したような感覚だった。1986年当時の『これからどうなるんだ』という感覚が蘇ってきた」と振り返る。

製鉄所の労働者であるブライアン・パブラック氏は、最後の望みとして、トランプ次期大統領への働きかけを計画している。パブラック氏は2023年10月、ペンシルベニア州ラトローブでの集会でトランプ氏と対話する機会を得て、「大統領になったら、もっと詳しく調べてみよう」との言葉を引き出したという。トランプ氏は就任後に買収計画を阻止する意向を示しているものの、パブラック氏は考えを変えさせられる可能性があると一縷の望みを託し、買収承認を求める手紙を送る準備を進めている。

パブラック氏は、昨年12月に行われた前述の集会でも意見を主張。「日本製鉄との取引がなければ、この歴史的な製鉄所で働く最後の世代になる」と訴えていた。同氏は「製鉄労働者の90%以上が売却に賛成している」とも述べ、買収に賛成する従業員の声を代弁した。

工場で金属製のチューブの品質をチェックしている人
写真=iStock.com/mediaphotos
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mediaphotos

■「モンバレーは死んでしまう」日本製鉄への根強い期待

ピッツバーグ周辺の製鉄所集積地であるモンバレー地区のクレアトン市長、リチャード・リッタンジ氏も、日本製鉄が計画する27億ドルの投資に期待を寄せていた。製鉄業の落ち込みを念頭に、「タイムリミットが近づいている」と焦燥を募らせる。

リッタンジ氏は昨年12月、「家族や友人、親戚、同僚に話しかけて、『この取引を成立させなければならない。そうでなければモンバレーは死んでしまう』と伝えてほしい」と危機感を示していたが、バイデン氏の判断を変えるには至らなかった。

米製鉄業は19世紀後半から20世紀前半にかけ、主要産業として米経済を支えた。しかし現在、サービス業への構造転換や海外からの安価な鉄鋼材の輸入に押され、業界はかつての勢いを失っている。当然、米国内には引き続き強い需要が存在する。

だが、設備更新すらまともに行えない今、日本製鉄による好条件での買収案の提示は、かつて米経済を支えたUSスチールに復活の息吹を与える最後の好機であった。バイデン氏による買収阻止に、落日を肌で感じていた現場の従業員らが失望を隠せないのも無理はない。

日本製鉄とUSスチールは引き続き、1月20日に就任するトランプ次期大統領による買収容認への期待を含め、買収成立への道を探っている。設備投資や従業員に対する厚遇を約束する日本製鉄に対し、現地での期待はまだ潰えていない。

運転中の電気アーク炉
写真=iStock.com/Nordroden
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Nordroden

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青葉 やまと(あおば・やまと)
フリーライター・翻訳者
1982年生まれ。関西学院大学を卒業後、都内IT企業でエンジニアとして活動。6年間の業界経験ののち、2010年から文筆業に転身。技術知識を生かした技術翻訳ほか、IT・国際情勢などニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『ニューズウィーク日本版』などで執筆中。

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(フリーライター・翻訳者 青葉 やまと)

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