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仕込み用の焼酎すら買えなかった…「毎日客ゼロ」から三つ星の名店に育てた店主の意外な"予約ルール"

プレジデントオンライン / 2025年1月23日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

毎日、毎晩、お客さんがゼロの状態の料理店は、いかにして予約が取れない超人気店に成長していったのか。京都有数の名料理店「祇園さゝ木」店主の佐々木浩さんは「店を出してしばらくのご祝儀来店がなくなった後が本当にキツかった。予約の方法を工夫したことが息を吹き返すきっかけになった」という――。

※本稿は、佐々木浩著『孤高の料理人 京料理の革命』(きずな出版)の一部を再編集したものです。

■たかが、500万円、されど500万円

一九九八年九月に、祇園北側の路地の奥に、カウンター五席と小上がりがある小さな店をだしました。三十六歳でした。それまでに十年ほど先斗町の割烹で、料理長をまかされていたのですが、事情があって準備する時間がないまま、独立することになったのです。

京都で店をだすなら、祇園町でという夢がありました。ようやく、ここならと思える物件に出会い、契約することになったのですが、資金不足でした。

あと五百万円が用意できずに、京都の金融機関を駆けずりまわり、書類をそろえて頭を下げるものの、融資がおりません。ある信用金庫では、担当者が底意地の悪い対応をするのに、ブチ切れてしまい、力任せにカウンターを蹴り上げてしまいました。

「しもた、警察、よばれる」と焦りましたが、それは免れました。

契約日まであと二日に迫っていて、絶望的な気持ちになりました。一縷の望みを託して、料理長をしていた店の常連客に、地元の銀行の取締役がいたことを思い出して、電話してみました。

「ええよ、いつまでにいくら必要なんや?」とあっさりと話がついて、翌朝いちばんに、約束の五百万円が口座に振り込まれていました。

■毎晩お客さんがゼロ…

こうして、祇園さゝ木が船出しましたが、ご祝儀の来店が一巡した三か月後に、ぴたりと客足が途絶え、店の電話が鳴らなくなりました。

〈まちがい電話でもええ、電話を鳴らしてくれ!〉

何度思ったことでしょう。毎日、毎晩、お客さんがゼロの日がつづいて、このころが、いちばんしんどかったです。情けない話ですが、お金がなくなり、自宅のある滋賀県まで帰る高速料金さえ惜しくて、一般道を走りました。クーラーもガソリンを浪費するので、窓を全開にしました。

あれはお客さんから、本物の朝鮮人参をもらったときのこと。若い衆やった木田(康夫。現在は「祇園きだ」店主)が「これ、焼酎に漬けときましょか」と、いうんです。

ところが、焼酎を買うわずか千円か二千円のお金すらない。でも、そんな情けないことは言えないから、木田には「うん、あわてなくていいよ」と、ごまかした。

あのころ、ほんまにキツかったです。

■「満席です」ルール

そのあと、当日電話で予約してくださるお客さんに、あるルールをつくりました。

〈当日予約は十三時まで受けて、十五時以降は「満席です」と断る〉と。

不思議なもので、「満席」と断られたお客さんは、あらためて予約をしてくれるようになりました。そうして息を吹き返したころ、「救世主」が現れたのです。

京都に遊びに来るたび、隣のマッサージ「日吉堂」に通っていたフレンチと洋食「旬香亭」シェフの齊藤元志郎さんです。お隣さんから紹介されて、うちの店に食べにきてくださり、気に入った齊藤さんは、こういったのです。

「『家庭画報』に興味ある?」と。

心のなかでは「興味あるにきまってるやん」と前のめりになりながら、「いまのお客さんに迷惑がかかったらあかんし……」と迷っているふうに装いました。

そして、祇園さゝ木のメディアデビューの日がやってきました。

当時は、雑誌に掲載されると大きな反響がありました。その後、長いおつきあいになるフードコラムニストの門上武司さん、テレビプロデューサーの本郷義浩さんとも出会い、さまざまなメディアに紹介されるようになったのです。

開業資金として融資いただいた五百万円は、二年八か月かけて完済しました。

融資を断られた信用金庫には、市場の仕入れに行った帰りに、毎日千円ずつ入金しました。やがて、時が流れて、祇園さゝ木には、ありがたいことに金融機関のほうから、融資を申し出てくれるようになりました。

予約札
写真=iStock.com/josephmok
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/josephmok

■活躍する弟子たち

祇園さゝ木で一緒に働いてくれて、独立した弟子たちが「祇園さゝ木一門会」をつくってくれました。そのひとりで、「おが和」店主の小川洋輔くんから、そろそろ自分の店をだしたいと相談されたときのことです。

佐々木浩『孤高の料理人 京料理の革命』(きずな出版)
佐々木浩『孤高の料理人 京料理の革命』(きずな出版)

立地についてアドバイスしたあと、彼の貯金用の口座番号を知っていたので、内緒で五百万円を入金しました。まとまった額の預金があれば、融資も通りやすいと、自分の経験から知っていたからです。小川は絶対にこのお金には手を付けないと、確信していたとおり、資金繰りがうまくいったあとで、「ありがとうございました」と返してくれました。とっくにバレていたみたいです。

祇園さゝ木一門会の弟子たちの店は、おかげさまで繁盛していて、それぞれ活躍しています。彼らにとって、目標でいられるように、ぼくも走りつづけたいです。

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佐々木 浩(ささき・ひろし)
「祇園 さゝ木」店主
1961年、奈良県生まれ。滋賀県の料理旅館から修業をスタート、複数の店で研鑽を積んだあと「割烹ふじ田」料理長に就任。36歳で独立し、祇園町北側に「祇園 さゝ木」をオープン。2006年、八坂通りに移転してまもなく「予約の取れない店」として名を馳せる。2019年、『ミシュランガイド京都・大阪』で三つ星を獲得、五年連続更新中。

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(「祇園 さゝ木」店主 佐々木 浩)

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