天皇家の先祖が南九州から近畿へ大移動…『古事記』『日本書紀』から読み解く「神武東征」のルート
プレジデントオンライン / 2025年1月19日 17時15分
■南九州にいた初代天皇が建国するまで
『古事記』(以下、『記』)や『日本書紀』(以下、『紀』)の全体の構成のなかで、南九州にいた天皇家の先祖たちと、いわゆる大和朝廷時代の天皇家の先祖たちとをつなぐ事件として重要なのが、「神武東征」とか「神武東遷」とよばれている大移動の物語である。
この大移動の物語では、宮崎、大分、福岡、広島、岡山、大阪、和歌山、三重などの府県の地名がつぎつぎにあらわれ、最後に大和を平定し、建国したストーリーになっている。この建国の年を西暦で換算すると、紀元前660年になる。
以下、イワレ彦(伊波礼毘古、神武天皇)の東征の物語として表記するけれども、この南九州から近畿への東征の物語がなければ、『記・紀』の構成上では、大和での朝廷は生まれ得ないのである。
■かつては「非科学的」とされていた
太平洋戦争後の考古学では「神武東征」についてほんのわずかでもふれる研究者があると、「科学的でない」として非難の雨が集中した。そのため、しだいに事件としての「神武東征」だけではなく、考古学的な資料の整理の結果として導きだされた「九州の勢力あるいは文化の、大和など近畿への東伝あるいは東進」についてふれようとすることにも、ためらいがみられるようになった。
“戦争中の言論への弾圧とはもちろん違うとはいえ、これは、政府や軍部ではない力による、言論への圧力ではなかろうか”としばしば考えさせられた。しかし、そういうためらいを捨てて、虚心に神話・伝説と考古学の接点を探るべき時期であろう。
■よりよい生活空間を求めて大移動
イワレ彦の物語について、まず私が重要と思う項目は次の点である。
(1)後世の、逃散(ちょうさん)とよばれるような、経済的な困難に耐えかねた村人たちの移住ではなく、相当の政治的なまとまりや軍事力をもった集団が、よりよい生活空間を求めて大移動した。
(2)大移動した集団(イワレ彦勢力)が、本来の故郷の南九州と、新しい移住先との両方を支配しようとしたとは、『記・紀』の物語ではうかがえない。
(3)天皇の遠い先祖の物語が主として展開するのは、南九州でも鹿児島県、とくに薩摩半島南部であった。だが、イワレ彦勢力が「東に美き地がある。(そこは)青山が四周する」として船団を率いて出発したのは、その後の寄港地からみて、東シナ海に面した薩摩半島ではなく、太平洋に面した日向国とみられる。
■日向から瀬戸内海を経て大和へ
(4)イワレ彦の集団は、最後の熊野から大和への道筋を別にすると、船によって移動している。日本の古代史上の重要仮説として、江上波夫氏による騎馬民族征服王朝説がある。この説は、考古学の資料整理からも十分検討しなければならないが、イワレ彦の東征物語には、騎馬民族的な行動による移動は、まったくうかがうことができない。
(5)船団を組んでの移動にさいしては、古代の海上航海は原則として「日の出から日没まで」であるため、多くの寄港地があったものと推測される。
『記・紀』を総合すると、重要な寄港地として豊(とよ)のウサ(宇佐)、筑紫のオカ(岡・遠賀)、安芸のエ(埃)またはタケリ(多祁理)、吉備のタカシマ(高島)などがあらわれ、長い場合は寄港地に8年間も滞在したことになっている。
(6)『紀』によると、日向を発ってウサに至る途中、速吸之門(はやすいのと)(豊予海峡)において、海導者(水先案内)ウズ彦(珍彦・椎根津彦(しいねつひこ))に遭遇している。
(7)ウサを発ったあと、関門海峡を越えてオカ(岡水門(おかのみなと)・岡田宮(おかだのみや))に寄港している。
■南九州から西~北へ進むのが自然だが…
では、東征ルートの出発点については、どう考えられるだろうか。
これは私の想像にすぎないけれども、もし薩摩半島から出発したと想定する場合、弥生時代のさまざまな文物(大型の甕棺、ゴホウラやイモガイなどの製品など)の動きからみると、『記・紀』にあるようなルートではなく、次のルートを使うのが自然である。
東シナ海を西に見て、西九州の沿岸沿いに北部九州に至り、マツラ(末盧)国、イト(伊都)国、ナ(奴)国など「倭人伝」の国々の海岸を東に進み、遠賀川の河口(そこが遠賀(おが)、つまり岡の水門である)を通って瀬戸内海に入る。
実際、4世紀末から5世紀ころに、有明海南部の熊本県宇土半島で切りだされた石材(凝灰岩)が、このルートで大阪府や京都府にはこばれ、古墳の石棺に用いられている。
このような考古学的に考えやすいルートではなく、東征では、日向を出発して太平洋側を通ったことになっている。
次に、イワレ彦勢力は船団を組んで東に向かったと記されており、いわゆる騎馬民族を彷彿とさせるような記述は『記・紀』には見当たらない。が、これは決して江上説を否定するものではない。
イワレ彦の東征物語が何らかの史実を反映しているとした場合、それを、北方系の騎馬文化が古墳時代の社会に影響を与えだす5世紀よりも古い時代のできごとである、とみることもできるだろう。
■なぜ遠回りして関門海峡を通ったのか
日向を発ち、豊予海峡から瀬戸内海に入ったイワレ彦の船団は、直接、大和をめざすのであれば瀬戸内海を東進するはずである。ところが、どうしたことであろうか、船団は西に向かい、関門海峡を通って響灘(ひびきなだ)に出、遠賀川の河口にあった岡(遠賀)に寄っている。『記・紀』いずれもそのように記している。
遠賀川は全長73キロ、明治30年(1897)ころには7千艘の川船が活躍していたという、古老の伝えもある。もちろんこの時代の膨大な川船は、石炭の運搬のために必要とされたものだが、古代においても水運が活発であったことは十分、推定される。
河口の左岸が、中世に芦屋釜を生産したのでよく知られた芦屋町芦屋である。芦屋の船頭町に岡湊神社が鎮座していて、古代の岡津(水門)も、この付近と推定される。
■水運のさかんな土地として知られた岡水門
河口の右岸が芦屋町山鹿で、今日も漁港がある。ここには縄文時代の貝塚である夏井ヶ浜遺跡や山鹿遺跡がある。このうち山鹿遺跡から出土した女性の人骨は、新潟県の姫川系の硬玉ヒスイの大珠をつけていたことで名高い。
このように遠賀川河口の左岸と右岸とでは、目と鼻のさきの土地とはいえ、生業の違いがある。岡湊神社のある芦屋が水運の拠点であったことは、おそらく古代にまでさかのぼることであろう。物語のうえとはいえ、イワレ彦の船団がこの土地に立ち寄った一つの理由は、岡水門が水運のさかんな土地として知られていたことにあったであろう。
『筑前国風土記』(逸文)ではオカ(塢舸)水門(みなと)について、大江の口を水門としていて「大船を容れるに堪える」としている。大江とは潟状地形のことで、大船の収容できる水門とは、これも物語の展開のうえでのことだが、イワレ彦の船団の寄港地としての条件がととのっている。
■北部九州のなかの異質な文化圏だった
考古学では、よく北九州とか北部九州の地域名を使い、弥生時代の近畿地方と比較する単位にしている。そして北部九州の弥生時代の特色として、次の二つがあげられている。
(1)成人の死者を大型の甕棺、しかも二つの口を合わせた合口(あわせぐち)甕棺に葬ることが大流行する
(2)青銅製の武器類および中国製の銅鏡が愛用された
たしかに近畿地方と比べるとこの二点は、文化の優劣は別にして、北部九州のきわだった特色であったことは間違いない。
とはいえ、北部九州の地域を細かく見れば、これら二つの特色がつよくあらわれているのは、有明海沿岸と玄界灘沿岸の西部地域であって、玄界灘沿岸の東部地域にはこれらの特色は出ていない(東部と西部は、福岡市のほぼ中央で分かれる)。ただし、遠賀川上流の飯塚市付近には、山越えをして影響を受けたとみられる大型甕棺の流行がある。
遠賀川の河口は、この玄界灘沿岸の東部地域に属しており、弥生時代においては、いわゆる北部九州のなかの異質な文化圏であった。のちに宗像神社を奉祭する地域として登場し、早くから近畿の勢力または出雲の勢力と親しい関係にあった可能性のうかがわれる地域である。
そのような場所にイワレ彦の船団は、わざわざ関門海峡を越えて寄り道をした形で訪れたと『記・紀』は記しているのである。
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考古学者
1928年大阪市生まれ。日本考古学・日本文化史学専攻。同志社大学大学院修士課程修了、高校教諭、同志社大学講師を経て72年から同大学文学部教授。環日本海学や関東学など、地域を活性化する考古学の役割を確立した。著書に『古代史おさらい帖』『天皇陵古墳への招待』『倭人伝を読みなおす』(いずれも筑摩書房)、『僕が歩いた古代史への道』(角川文庫)『森浩一の考古交友録』(朝日新聞出版)、『敗者の古代史』『記紀の考古学』『日本神話の考古学』(いずれも角川新書)など多数。2012年第22回南方熊楠賞を受賞。13年8月逝去。
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(考古学者 森 浩一)
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