「相続ガチャ」に外れると悲劇が起きる…58歳と60歳の姉妹が「計2000万円の遺産」を相続放棄したワケ
プレジデントオンライン / 2025年1月26日 8時15分
■実家に住む「末っ子長男」ががんを患う
先祖代々農家を営んできた田畑家。両親は亡くなり、長男の耕太が実家を継いで農業を続けていました。2人の姉、節子と操子は結婚して東京で暮らしていました。
耕太は独身でした。中国やフィリピンといったアジアからの「農村花嫁」が流行ったとき、仲介会社に仲立ちを依頼したこともありましたが、良縁に恵まれませんでした。
耕太は実家で一人暮らしを続けていましたが、がんを患ってしまいました。入院先に姉の節子が見舞いに来たときに、次のような会話をしたそうです。
「姉貴、俺が死んだら家のこと頼むね」
「何言ってるの。治るって先生言ってたわよ」
■実家1000万円と預貯金1000万円、そして…
耕太は自分が結婚ができず、家を継いでくれる子どももつくれなかったことで、田畑家が途絶えてしまうことに大きな責任を感じていたのです。
それからしばらくして、耕太は亡くなりました。
残されたのは、実家の家屋敷と農地です。
実家の土地・建物の資産価値は1000万円ほどで、預貯金が1000万円ありました。農地はほとんど価値はありません。これを節子と操子が相続することになりました。
姉妹は何とか実家を残したいと思っていました。節子は耕太から「頼む」と懇願されていたので、なおさらです。
■売れない農地は「負の財産」になってしまう
姉妹は仲良し。都内のカフェで何度も話し合いました。
「お姉ちゃん、耕太に頼まれたんだから、相続しなよ。私、預貯金いらないから」
「そうもいかないわよ。家は売れるかもしれないけど、畑なんてどうするのよ」
「長女に生まれた宿命よ」
「よく言うわよ。今は姉妹平等でしょ。あんたのほうが実家に近いじゃない」
「冗談じゃないわよ。田舎が嫌だから東京に出てきたんじゃない」
「家ならまだしも、農地はどうしようもないわよね……」
「あの農地は売れないわよね」
「私たちも年だし、これからずっと管理し続けるなんて無理よねぇ」
「1000万円もらったって、農地の管理にお金がかかるし。子どもに負の財産を残すことになるじゃない。いつまで続くかわからないわよね。エンドレスよ」
2人が出した結論はともに「相続放棄」でした。ただ、節子は弟から頼まれているだけに、心苦しかったようです。しかし、姉妹のどちらかが家屋敷と預貯金を相続したとしても、管理の手間がこの先いつまで続くかわかりません。
今も実家の家屋敷は空き家状態。農地も放置されたままです。
■子どもが遺産を選べない「相続ガチャ」
この事例のように、「田んぼなんていらない」「畑だけは相続したくない」と農地が押し付け合いになるのは、田舎相続ではよくあること。子どもたちは親が残す財産を選べません。まさに「相続ガチャ」です。
田畑家の相続でも、農地の存在がネックでした。農地は基本的に評価がものすごく低く、売ろうにも売りにくいのです。しかし相続するなら、きちんと管理しないとすぐに荒れ放題になってしまうでしょう。こういうわけで、相続のときにお荷物になることが多いのが、やはり農地です。
農地の売却は一筋縄ではいきません。農地の売却のためには農業委員会の許可を受けなければならず、売却先は原則としてその地域で耕作している農家か、農地所有適格法人に限られます。2023年4月より農地取得が可能となる下限面積要件が撤廃されたので選択肢は広がりましたが、それでもなお誰にでも簡単に売れるわけではありません。
近隣の農家が買い取ってくれるかもしれませんが、今は農業の担い手不足が社会問題化しており、多くの農家が高齢化しています。今から農地を広げようとする農家は、そう容易く見つかりません。もしも農業法人などの売却先が見つかっても、安く買い叩かれてしまいかねません。
■農地整備費を永遠に払い続ける羽目に
かといって、農地以外に転用するのも難しい。それは、農地法によって農地を他の用途に使うことが制限されているからです。農地を守ることは、ただでさえ食糧自給率が低い日本にとって大問題です。農地を転用するにも行政の審査を受けて許可を受けなければなりません。しかも、住宅や駐車場に転用してニーズがあるかどうかは、立地に左右されます。
このように、農地は売却してお金に換えるのが極めて難しいのです。
それなら、「とりあえず農地を相続して所有し続ければいいだろう」と思うかもしれません。ところが先に述べたように、農地は適切に管理しないと荒れ放題になってしまいます。そうなると、ご近所さんから「ちゃんと管理して」「どうにかしてほしい」とクレームが入るでしょう。
シルバー人材センターに年に何回か農地の整備を頼むとしても、それなりの面積があれば相当なコストがかかります。1回あたり10万円だとすると、年3回頼めば30万円。預貯金1000万円を相続できれば30万円の支出なんて安いと思うかもしれませんが、終わりがありません。もしかすると自分の子どもや孫の代まで続くのです。
諸経費や手間も含めると、すべて手放してしまったほうが金銭的にも心理的にも楽というものです。
■「土地神話」が崩壊し、田舎ではお荷物扱い
自分の子どもたちに管理の負担をかけないという意味でも、姉妹は相続の放棄を選択したというわけです。
似たようなケースで、姉が相続を放棄して、妹が「しょうがないわね、じゃ、私が相続するわよ」と相続したケースもありました。というのも、妹の夫が「全然いいよ、草刈りぐらいやるよ」「農業やりたかったんだよ」というタイプだったからです。
これは相続がうまくいった例ですが、「土日に草刈りなんて、俺、絶対嫌だよ」「農業、まじでやりたくない」という夫なら、相続してもお荷物になるだけです。
昭和の日本には「土地神話」がありました。「土地の値段は上がり続ける」と、根拠もなく信じられていたのです。そんな時代には、まさか土地をいらないと言う人が現れるとは想像すらしなかったでしょう。
しかし、バブル崩壊とともにこの神話も崩壊しました。こうして田舎では、土地はいらないもの、押し付け合うものになるケースが増えているのです。
■相続の一部だけ放棄することはできない
農地に限らず、財産には「いらないもの」が含まれていることが多々あります。代表例が借金です。借金も相続財産に含まれます。ただし法定相続人は、財産を必ず相続しなければならないわけではありません。相続を拒否できます。これが「相続放棄」です。
とはいえ、「これはいらない」と財産の一部分だけ放棄するという、都合のいいことはできません。預貯金は相続するけど、農地は放棄する、ということはできないのです。「放棄するならすべて」が原則です。
節子と操子は、家屋敷と預貯金の計2000万円を捨ててでも、相続放棄を選びました。農地をこの先管理し続けるのは、終わりがありませんし、管理コストもかかります。目先の2000万円を得るよりも、将来の負担を見越して手放したほうがメリットがあると考えたのです。
■相続人に与えられる猶予はたったの3カ月
相続放棄は、相続人が自己のために相続の開始を知ってから3カ月以内に家庭裁判所に申し立てなければなりません。ゆっくり考えている余裕はないのです。
ただ、3カ月経過後に、被相続人の大きな借り入れが見つかったときなどは、それが判明した日を起算日として3カ月以内の申立てが認められたという先例はあります。とはいえ、それが認められない可能性もあります。
大きな「負の財産」を背負ってしまうかどうかの人生のターニングポイントになります。判例や先例に頼らず、3カ月以内に相続放棄ができるように段取りをすべきです。
相続人全員が財産を放棄した場合、本来なら「相続財産清算人(相続財産管理人)」を選任して、財産の管理や清算をしてもらうことになります。
相続財産清算人とは、相続人に代わって遺産を管理する人のこと。選任するには家庭裁判所に選任申立ての手続きをする必要があります。親族が相続財産清算人になることもできますが、弁護士や司法書士が選ばれるのが一般的です。
■日本中に空き家が急増している背景
ただ、相続財産清算人を選任するとなると、一般的には、10万~100万円の予納金が必要です。被相続人に予納金相当額の預貯金(100万円以上)があれば不要とされる場合が多いですが、予納金が発生するとなるとなかなかのコストですから、田畑家のケースのように、相続を放棄された家屋敷や農地は放置されてしまうことが多いのが現状です。
これが、今、大問題になっている空き家問題にもつながります。総務省の「令和5年住宅・土地統計調査」によると、全国の空き家の数は約900万戸と過去最多でした。全国の住宅の実に13.8%が空き家なのです。
姉妹が「放置しておくのは忍びないから……」と、放棄した実家に足を運んで草むしりするくらいならいいでしょう。ただ、その姿を見たご近所の人たちから「ちゃんと管理してくれるはずだ」と期待されてしまい、精神的な負担となることもあります。
くわえて、相続放棄したのなら、家の中にある金目のものを持ち出してはいけないことも覚えておきましょう。遺品は基本的には手をつけられないのです。
■長男が姉に生前贈与をしておけば…
それでは、田畑家は耕太の生前に打つ手がなかったのかといえば、そんなことはありません。
まず、家屋敷だけ生前贈与しておくという手が考えられます。耕太が生前に家屋敷だけでも姉妹のどちらかに生前贈与しておけば、相続のときに放棄せずにすみました。たとえ農地を手放しても、家屋敷が残れば、耕太の思いを受け継ぐことができたでしょう。
次に、生命保険を活用するという手もあるでしょう。これまでの判例では、生命保険の受取金は遺産に含まれないとされています。ということは、相続を放棄しても生命保険は受け取れるのです。
この2つを組み合わせて、家屋敷だけは生前贈与しておき、「家屋敷の管理費として使ってくれ」と生命保険をかけて姉妹を受取人にしておけば、家屋敷とある程度の現金は残せたでしょう。すると、いざ相続のとき、実質的に農地だけ放棄することができたと思います。
ただし、このスキームは場合によっては無効になる可能生もあるので、専門家に相談しながら活用することをおすすめします。
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あす綜合法務事務所グループ・田舎相続不動産代表
早稲田大学政治経済学部を卒業。在学中に、司法書士、行政書士、宅地建物取引士等の資格試験に合格し、2008年に当時埼玉県内の開業司法書士として最年少の24歳であす綜合法務事務所を創業、現職。地元を中心に東京都や関東全域から、相続・遺言関連、不動産関連、企業法務関連等の幅広い依頼が寄せられて飛び回り、特に相続・遺言関連業務の受託件数は年間100件を超える。埼玉県庁、寄居町役場、埼玉県商工会連合会、埼玉りそな銀行等主催セミナー・講演会での講師実績多数。地域に根ざしながらも、ラジオ法律相談に定期出演、日本行政書士会連合会「行政書士法人の手引」の校正校閲、弁護士事務所とのアライアンス、雑誌やネットメディアへの執筆等、地域や資格の枠を超えた活躍で注目されている。著書に『あるある! 田舎相続』(発売:講談社、発行:日刊現代)がある。
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(あす綜合法務事務所グループ・田舎相続不動産代表 澤井 修司)
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